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とある男の手記〜両手足のない少女との介護生活記録〜
EP05 二次障害
しおりを挟む† 11月15日
恭介と会ってから土日休みを二日挟み、そこからさらに四日進んでこの仕事にようやく慣れてきた頃の出来事だった。あれから一週間ほど経っても彼女との隙間は依然と縮まる様子を見せなかった。少々不安になりつつも仕事の内容が固まり何事にも対応ができるようになったためやりがいすら感じていた。仕事には慣れても彼女との溝が埋まらず色々試行錯誤する私は褒められてもいいのではないだろうか。
「おはようございます、麗さん」
この部屋に来るのも慣れた、すでに自分家と変わらないくらいの居心地の良さだ。ただあの医薬品や医療機器が置かれた物置部屋を抜いてだが…………早速彼女に挨拶すると彼女も“おはよう“と一言返してテレビに向き直った。
「毎度毎度、何見てるんです」
私は今になって繰り返されるテレビのことについて尋ねた。
「最近私の学校で流行ってたドラマよ。みんなが見てるから仕方なく見てたけど、私にはよくわからないわ。こんなもの見ても私が恋愛してるわけでもないし、だったらこんな理想を見るくらいならもっと現実的なことを考えたい」
そういいながらテレビから目を離さない彼女はなんだか哀愁を誘った。自分にはもう恋愛ができない、こんな体では何もできないということがその姿を見ていると伝わってくる。彼女は好きな人はいたのだろうか。
「ならば麗さんは好きな人がいたんですかい? 今の言葉的にそう聞こえますけど」
彼女は少し戸惑いの表情を浮かべて考える。
「別に無理して言わなくったっていいですよ」
そうねぇ、と漏らしながら彼女は続ける。
「いたのかもしれないけど、もう忘れたわ。何せこんな姿になてはもう私に振り向いてくれる人はいない……………異端として見る人はいるかもしれないけどね」
珍しく冗談を彼女はいった。しかし頑張って笑みを浮かべる表情は痛々しいほどに現実を知らせていた。私は今になって彼女がこうなってしまったのか、とても気になった。彼女はその体になってしまっていることにどんな感情を抱いているのか、なぜそんな冗談を仮にも笑いながら言えるのか。私は彼女のことを仕事対象としか見ておらず、この距離を保つことが大事なのだと考えていた、だがそんなことを考えるのも今日でお終いだ。
私は深呼吸をしてあのソファに座り彼女に向き直る。
「どうかしたの?」
彼女は困惑した顔を浮かべ、その水晶のように透き通る瞳が一つ私の目を見つめる。眼帯の奥にある空洞が透けてこちらをのぞいているのがわかる。そこにあった瞳が私の瞳をのぞいているのだ。私は今死に魅入られていると感じた。
「私、麗さんがなんでそうなったか知りたいんだ」
はっきりと声は出なかった、少し口籠るぐらいの発音で喋った。
彼女は思いの外反応を見せはしなかった。ただちょっと困った顔をしただけだ。
「この前までは知りたくもないって感じだったのに、どういう心変わりかしら」
困った顔を崩して、ふふっと笑った。
「あなたはよく自虐的なことを言いう。その度に私思うんです。なんでこの人は自分のことをこんなふうにいうんだろうって…………もっと自分の体のことを大事にしたいと思わないのだろうかって…………そう考え始めてからずっとあなたに聞こうと思っていた。 まあ、ただ距離を詰めてみたいと思ったのも理由の一つですけど、あなたのことを何も知らないのにあなたの体に触れるのははんだかいけない気がして…………気が引けるんです」
途中から何を言いたかったのか自分でもわからなくなってきた。ただ自分が言いたいことは言えた気がする。
「そう、でもあなたに何がわかるっていうの? この体を失ったのは私よ。そしてこの体のことを知っているのも私。あなたに私のことを教えてどうにかなるっていうの?」
それはごもっともだった。
私には麗の気持ちはわからないし、聞いたとて彼女の痛みを理解できるかといえば理解するのは難しいだろう。
「それでも、私は知りたい。あなたのことを理解できなくったって理解できるまで聞いてあげますよ。あなたが思っていることや痛み、わからないで終わらせてはいけないんだ。だって私はあなたの介護をする者だ。図々しいと思われてもいい、偽善者だって思われてもいい。ただ私は麗さんのことが知りたい。それだけだ」
彼女はまた笑った。彼女の笑った顔は貴重だ。ようやく素の麗が見えた気がして嬉しくなる。
「わかったわ、本当に変わった人ね。でもそういうの嫌いじゃないかも」
そうして彼女は語った、彼女がどのような人間でどのようにして体を失ったのか。私は知らなかった。彼女の人生にどんなことがあったのかなんて、でもそれも今日でおしまい。ただの職業で終わらせてはダメなんだ。私は関わってきた全ての人間を知りたい、笑美のこともだ。
† 麗の過去
私は東洽崎にある学校に通うごく普通の人間だった…………それは橘という苗字があること以外だ。その学校はある程度の名がある家でないと入学できない、いわばお嬢様学校という感じであった。東洽崎は金落ちのよく集まる街だ、その理由はこの学校があることやほとんどの名のある会社がここに集結しているからだろう。そんな中で生まれ育った私は“橘“という階級の中でも“下”の部分に属する一族だった。まだこの世界でも出来立てで功績も少なく下に見られるようなもの達はかなり存在した、そんな“下“の部類にいる人間達はこの学校ではいい目で見られるわけもなく、皆“上”の存在のものたちにゴマを擦りよってたかることでようやく存在が認められるのだ。面倒臭いがこれが普通だった。
そこに高校生で放り投げられるように私はこの面倒臭い世界に来てしまった。当然私はそんなルールも知らないし、転校生にそんなことを教えてくれる心優しい人間も中々いなかった。転校生に優しくするより“上”の者にゴマを擦る時間のほうが大事ということだ。
みんないい顔をして最初のうちは優しかった、今思えばこれは相手の腹の中を探っていたのだと気づく。こうやって接して自分の“上”なのか“下”なのか見分けていた。区別するために、最初だけいい顔をして相手がわかればゴマを擦るか見下すか判断する、いわばカースト制度のようなものが存在していた。
正直私も最初は浮かれていた。中学生の頃から全女子生徒の中で憧れというべきか、もしかすると神聖的な存在として崇められているといっても過言ではなかった。そんな学校に自分は苦労せずとも親の影響で入学できた私は自惚れていた。正直もう古い学校に通うこともなくみんなに崇められていた学校に入学できて、すでに私は中学校の友達のことを見下していた節もある。今はそうは思っていないとしても、自惚れていた自分のことを今は心底恨む。だってそんなことをしていなければ今私に手を伸ばしてくれている人間は一人はいたかもしれないからだ。
そうしているうちに私はこの学校が徐々に憧れていたものとは違っていると勘づく。それは一人の女子生徒がいじめられているのを偶々目撃してしまったことが全ての始りだった。彼女のことを後日クラスの女子に聞いてみる。彼女達が何と言ったかというと“あそこは金持ちにふりをした貧乏人だ、ここにいたら学校の評判に傷が付く、金がない生徒を学校側が間違えて入学させたのだと……だから自分たちが手を打っているのだ“そんな内容だった。私は背筋がゾワっと逆立つを感じた。それは家は成り上がったばかりで私は知らないだけで金持ちなのも一時のものなのではないかと思ったからだ。そんなことが周りに知られると自分もいじめの対象にされてしまう…………あの女子生徒がいじめられている姿を思い出しゾッとした。そこからなるべく自分のことが知られないように尽くした。
そんな私にある出来事が起こった。それはある女子生徒が泣いているところに遭遇したときだった。思えば私はいつも何かに遭遇してばかりだ、不幸に出会ってしまう不思議な体質だと今は笑いが出そうだ。話が逸れたが、私はすぐに気づいた。そこで泣いている彼女はあの時私がみたいじめられている生徒であると…………そう思っては見逃せず彼女に近寄った。全てはその行動のせいだった、今までバレないように接してきたのにいじめられている生徒に関わったことが転機だった。
「あの…………大丈夫ですか?」
今は動かない自分の腕と手がこの頃は難なく動いているのを思い出す。ハンカチをポケットから取り彼女に差し出す。彼女は私の顔を数十秒眺めてからハンカチをそっと受け取り自分の顔にそれを当てて涙を拭った。か弱く震えるその姿を見て私も心が抉られる思いになる。何をされたのか察せられない自分が情けなかった。自分はあくまで優位に“まだ“立っているだけでいずれはこうなるのだと現実を見せつけられている気分だった。
「ごめんなさい………明日洗って返すから……………」
小動物のように怯える彼女は私よりも一つ上の先輩だということに気づく。名札が少し離れているところに落ちていた、それを拾って彼女の胸の位置につけた。
「別に、捨ててもらっても結構ですよ…………」
到底先輩とは思えないほど怯える姿を見ていられなくなり、そう言い残して立ち去ろうとした。それ以外自分にはできないと罪悪感を覚えつつもまだ他人事の域を超えていなかった。
「あの…………」
立ち去る私の後ろで彼女のか細い声が聞こえた。思わず立ち止まる。
「ありがとう………」
そう言って小さく笑った。私はどんな顔をすればいいのか、どんな声をかければいいかわからず逃げるようにその場を走り去った。あそこでどんな言葉を返そうとも全て間違いに感じた。逃げる私は今にも崩れてしまいそうだった、明るい未来が一気に霧がかり足元が見えなくなったからだ。見えない足元を無我夢中で探し、なんとか踏ん張る。その足場から落とされないように、落ちてしまったら私も先輩みたいになってしまう。
「マコト先輩か…………」
名札に書かれていた名前をつい口に出してしまった。
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