生命の宿るところ

山口テトラ

文字の大きさ
上 下
15 / 30
とある男の手記〜両手足のない少女との介護生活記録〜

EP0 Prologue

しおりを挟む
1  11月6日

 ある写真を見ていた。様々な色を奏でる花畑に白いワンピースを着た女性と、それに比べて質素な服装を纏った男……まさしくその男が現に私のことなのだが満面の笑みを浮かべる彼女に比べてかなりしけた面を浮かべていた。彼女は私の腰に手を伸ばして体を擦り寄せていた、確かそれが気恥ずかしくてこんな顔をしていたんだった。なにせ周りには高校の友達がたくさんいて冷やかしの言葉や口笛を吹かれていて……恥ずかしがっているのを尻目に彼女はノリに乗ってこんなことをしてきたのである。これは確か卒業祝いにクラス全員で遊びに出た時に勝手に撮られた写真だ。
 もう一枚の写真は彼女の寝顔の写真だった。家が隣同士で、あいつはよく寝坊をしていた。だから毎朝起こしに行っていた時、つい可愛くて盗み撮りしたんだ。その瞬間に彼女は目を覚まして盗撮だとか消してとか言っていたが結局消さずに残っていた。そのあともとやかく言わなかったから彼女もその寝顔の写真を私が持っているという事実は満更嫌ではなかったんだと思う。
 その二つの写真は今、私のアパートのテレビの前に飾ってある。毎朝起きて、そして出かける時、ご飯を食べる時、寝る時、いついかなる場面でも私はその写真を眺めてから行動を起こしていた。それは習慣づいた行為でほとんど無意識下で行われていた。彼女の顔を、証を忘れては行けないと思ったから必然的にとった行為の末ということだ。もう忘れろと言われても簡単に忘れられるようなものではなくなっていた。
 
 ポストにカタンッと音を立てて何かが入った。何かが投げ込まれたのだと気づく。
 その物は何かはわかっていた。きっと面接の結果だろう、ここ最近色々な仕事に面接しては落ちてきた。つまり今は無職というやつだ、仕事には就いていたのだが突如クビになりそれからどの面接を受けても私を受け入れてくれる者はいなかった。
 もう大体の察しはついていたが、体を這いずらせながら廊下を渡ってポストに手を伸ばして封筒を取り出すと、乱暴に袋を破り中身を取り出して結果が分かりきっているものほど嫌なものはないと思いながら広げる。
「はあ…………だめだ」
 察し通りに進みすぎるこの世の摂理を恨む。封筒のゴミと合わせて不採用の紙をくしゃくしゃにしてゴミ箱にポストインした。
 ……………………………。
 ………………………。
 …………………。
 ……………。
 ………。
 ……。
 …。
「…………くそっ」
 私は瞼が熱くなるのを感じて顔に両手を当ててまるで仮面をつけているように覆う。
 こんなことで泣いている私を惨めに思うだろうが、決して私は面接が不採用続きで悔しくて泣いているわけではない。もっと他の理由があって自分の無力さに悔いていた。両手で作った仮面の隙間から生暖かい水が流れ出てきた。それほど本気で泣きじゃくっていた。
「くそっ…………ごめん……ごめん……」
 私は誰に向けるわけでもなく泣いた、強いていうならあいつに謝罪の意味を込めて泣いた。
「私が不甲斐ないからだ、もう助けることができない……」
 だめだ。こんなことで諦めては行けない。泣き言を漏らしながらも心の中では更なる打開策を練っていた。でも口では泣き言を喚いていた、それぐらいは許されると思った。
 散々大人とは到底思えない行動をしたのちに疲れて、涙を拭うのすら忘れてただ天井を眺めて枯れていく自分の姿を想像しながら物思いに耽っていた……その時だった。
 天井から天使が見えた、枯れていく自分にオアシスの水をかけて復活を願うように祈り始める。それはまだ自分に何かするべきものがあると神が叱咤激励してくれているように見えた。不思議とこれを幻想だとは思えなかった、ひょっとすると自分は天に召されるのではとさえ想像する。
 体を起こして枯れきった涙を手の甲で擦った。頬が擦りすぎてヒリヒリする。
「まだ、できることがあるとでもいうのか…………」
 うん、と誰かが返事を返した。そしてまたポストにカタンッと音をたてて封筒が投げ込まれた。私は驚きと恐怖の二つの感情を合わせたゲテモノみたいな気分に陥る。
 その封筒をまた乱暴にやぶき、中身を取り出した。さっきの面接の封筒と違って凝ったデザインをしていた。直感的に感じた、ここに書かれていることが私を助けてくれるのだ。二つ折りに曲げられた紙を広げて紙に書かれたことを一言一句逃さず読む。
「佐野雄二(サノ ユウジ)様。この度は失礼を承知の上、貴方様にご協力を賜りたくお願い申し上げます。一人の方の介護をお願いしたいと考えております。別の日にお話しできればと思います。いつでも来ていただけますと幸いです」
 私は手紙に書かれた文章を読み上げた。
 それは丁寧にも敬語で記された仕事の依頼だった。内容は一人の人間の介護をしてもらいたいというもの。そしていつでもいいから話がしたいと、下の方に住所が書かれていた。不思議なことにそれは仕事場がある場所というわけでもなかった、ごく一般的な住所のように思えた。だが私はそんなことは眼中になく、その仕事をほとんど受け入れるつもりでいた。


 2 11月7日

 私は二十四時間も空けずにその手紙に記された住所に向かって歩みを進めていた。場所は東洽崎にあるごく一般的なマンションだった。ここでようやく違和感に気づいた。介護と言われればてっきり病院か老人ホームとか医療につながるところだと想像していたが、最近は在宅介護というのも存在するという噂を聞いたこともある。しかしそれは幸か不幸か私はあまり病院にいい思い出がなかった、だからそこは安心できる。
 マンションの前に佇んでいると何回か家族連れだったり仕事に出るスーツを着た男とかとすれ違って会釈した。このままではこのマンションに挨拶活動しているただの変人に見えないこともなかった。
(何を迷うか、佐野雄二よ……これが最後の手段かもしれない。躊躇う理由など何もない)
 心に言いつけて手紙に書かれた部屋番まで向かおうとした時に一回にあるポストに目が入った。これから仕事をすることになるのだ、先に名前くらいここで確認しておくか。人差し指を立てて数えながら探した。四〇三号室だ。
「四〇三号………よんまるさんごう………………あった」
 しかしネームプレートは外れていた。横に住む人間の名前はしっかりネームプレートが貼ってあったのだが………引越ししたてで貼ってないのだろうか、でも介護ということは高齢者なわけだ。もう引越しなどすることもないだろう。
(まあ、いいや。どうせ仕事内容は教えられるんだしそこで知らされるだろう)
 あまり深く考えずにエレベーターに乗ると四階のボタンを押して颯爽に向かう。
 四階の廊下に出てさらに三番目の部屋の目の前までくる。ここに来て緊張してきた私は自分の胸に手をてて明らかにバクバクと鳴り響く心臓に呆れた。深呼吸を何回も行う、一向に解けない緊張はさらに私を不安な気持ちに誘う。
(もうやめだ、ここで止まってても変わらんだろ。さっさといくぞ佐野よ)
 よし、と声に出してインターホンを鳴らす。ピンポーンと私に緊張をバカにしている愉快な音が部屋の奥から響いて聞こえた。そして足音が近づいてくる。
「はい」
 男の声だった。チェーンをつけたドアは半開きのまま男の声だけが隙間から聞こえる。
「あの、手紙をいただいた佐野というものですが………ここであってますかね?」
 呆れるほど震えた声を振り絞ってなんとか自分のことを名乗った。そうするとドアの向こうにいる無機質めいた男の声が“少々お待ちください“とだけ残して一回ドアを閉める、再びドアが開いた時はチェーンは外れて男が現れた。声から感じていた通り無機質めいていて清潔そうな風貌をしてた、スーツを着こなし髪を綺麗に整えていてなんとも堅物という言葉が似合いそうな男だと思った。
「佐野雄二様ですね。どうぞお入りください」
 ドアの向こうにある暗闇に進む、もう後戻りはできないと私に言ってくれているみたいだった。薬品の匂いが妙に嫌に感じた。介護と言われていたから覚悟はしていたがやはり病院と同じ匂いがする…………やはり嫌いだ。廊下はさほどなくすぐにリビングの間に出た、まるで私の家そっくりな構造をしていて薬品の匂いは嫌だが落ち着く。電気はつけられておらずベランダから注ぐ日光だけが部屋を明るくしていた。
 さっきの男は私に振り返り、自由に腰掛けてくださいと言われ近くにあったソファに座る。
 そのあとは契約書だったり書類等にサインを書いたり印鑑を押したりと面白みのない時間が過ぎていく。唯一その書類で印象に残ったものは、契約書の一部に注意事項が書かれており、簡潔にいうと“このことは今後とも誰に対しても漏洩は許されない“というものだった。よほど重要なことなのだろうと認識する。本題に入ったのはその書類を書きを終わって十分ほど休憩を取ってからだった。
「これからは、ある方の介護をしていただくことになります」
 それを筆頭に男はこの仕事の内容を私に説明した。一日にルーティンが決められていてそれ通りにやれば良いということ、物品は無くなり次第専用の用紙に記せば配給されること、ルーティンこなした後は自由にして良いこと、この部屋の隣にある和室は自由に使ってもらって構わない…………話で聞いている限りは簡単に聞こえるし自由な時間が多い、だが言葉ほど簡単ではないという察しもつく。あとこの堅物そうな男が眉間に皺を寄せて放った言葉、介護対象者とのコミュニケーションは法に触れるもの以外なら許可するというもの…………男の反応といい言葉の意味深な雰囲気から普通ではない気分に陥った。
 そして問われた、彼女の姿を見ても仕事を受ける気になるかと、さっきまでの敬語も消えて……まるで訴えかけているみたいだった、私にこのことを押し付けているようにも見える。
「そんなこと言われても…………見なきゃわからないでしょう」
 なんとも形容し難い気分な私は動揺を悟られまいとそう答える。男も“そうでしたね“と取り繕う。幾度かネクタイの結び目をいじると隣の和室に入って行った。一人でこのリビングにいるのは嫌だ、薬品の匂いが舞う個室なんてまるで病院そのものじゃないか。吐き気を覚えて口に手を当てるとの同時に男は和室から出てきた、一台の車椅子を押しながら……まさしくその車椅子に座っているのが私の仕事の対象者となる者だった。
 私はこの世のものとは思えぬその姿をした“彼女“を見て驚きを隠せなくなった。思わず唸り声を出してしまうほどに私は完全に動揺し切っていたということだ。
「彼女のことを、どうぞよろしくお願い申し上げます」
 男はそういったが正直私の耳には届いていなかったと思う。

 彼女は、両足がなかった。さらにいうと左腕は三角巾で固定されているからきっと骨折しているのだろう。右腕は左と違い三角巾などはつけていなかったが指と手が包帯で巻かれまるでグローブをつけているみたいになっていた。そして空な表情を浮かべる顔には痛々しいほど打撲の痕があり右目には白い眼帯をつけてた。
 
 まるで人間離れした風貌に私は先ほどから感じていた動揺が目眩に変わり、その場で立ちくらみを起こし壁にもたれかかった。男の姿はとっくのうちに消えてしまっていた。契約書も書いたのだ、もう止める術はない。
 そして私と彼女の不思議な介護生活が今、始まってしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夜の動物園の異変 ~見えない来園者~

メイナ
ミステリー
夜の動物園で起こる不可解な事件。 飼育員・えまは「動物の声を聞く力」を持っていた。 ある夜、動物たちが一斉に怯え、こう囁いた—— 「そこに、"何か"がいる……。」 科学者・水原透子と共に、"見えざる来園者"の正体を探る。 これは幽霊なのか、それとも——?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

お狐様の言うとおり

マヨちくわ
ミステリー
犯人を取り逃したお巡りさん、大河内翔斗がたどり着いたのは、小さな稲荷神社。そこに住み着く神の遣い"お狐様"は、訳あって神社の外には出られない引きこもり狐だけれど、推理力は抜群!本格的な事件から日常の不思議な出来事まで、お巡りさんがせっせと謎を持ち込んではお狐様が解く、ライトミステリー小説です。 1話完結型のオムニバス形式、1話あたり10000字前後のものを分割してアップ予定。不定期投稿になります。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

ランネイケッド

パープルエッグ
ミステリー
ある朝、バス停で高校生の翆がいつものように音楽を聴きながらバスを待っていると下着姿の若い女性が走ってきて翠にしがみついてきた。 突然の出来事に唖然とする翆だが下着姿の女性は翠の腰元にしがみついたまま地面にひざをつき今にも倒れそうになっていた。 女性の悲壮な顔がなんとも悩めかしくまるで自分を求めているような錯覚さえ覚える。 一体なにがあったというのだろうか?

処理中です...