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生命が宿った者たち
死なない男の物語 第四話
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死なない男の物語 第四話
ドクンと胸の奥が鳴ったようやくだった。心臓の鼓動が唯一の音を奏でてくれた。これで寂しくはなかった。
「ああ、いいさ。今は生きてるより、怖いんだ」
…………カチ……カチ……止まった世界が動き出した。
「そう、あなたならそういってくれると信じてたわ」
ベッドから立って澪は机の前に行き俺に水を差し出した。さっきから乾いていた喉を水でいっきに潤した。
澪は椅子にすわり、俺はベッドに座った。
「さっきも言ったけど、私は不思議な力を持っているわ。こうなったらいいのに、こうなったら嬉しい、って考えたことが本当に稀に起こるの」
俺はわからないなりに考えながら相槌を打った。相槌を打つ俺を見ながら澪は語った。
「でも正直これは誰でも持っているものなのよ。この洽崎に住んでいればね」
「誰でも持っている?なら俺もその……能力みたいのが使えるのか?」
うん、と頷く。
「でも大半の人は気づいてないわ。これは潜在的な能力なの。発現する条件はまちまちだけど一番の要因は強いショックまたは生死に関わるほどの何かに遭遇するかって感じね」
「なるほど……じゃあ俺も一応素質があるってわけか。それで、それのどこが俺の記憶喪失に関わってるってんだよ」
「そうね、私がわかる限りはたぶんこの街のどこかに街から人を出さんとする者がいるってことかしら」
出さんとする者?なぜこの街から出てはいけないんだ。
「なんでそんなことを?」
「それは決まっているわ。この能力は常識から外れた異物よ?こんなものが洽崎以外の場所に行かれては困るわ。これはさっきも言ったことだけどこの能力は洽崎にいるから発現する病気なのよ。昔の日本で病気を蔓延させないように病人を隔離したことがあったのは学校でも習ったでしょう?きっと私たちがこの街を出てこの世に能力の存在を見せないために仕組まれているのよ」
「じゃあ俺は記憶を消して人を操れるような能力を持った奴に操られていたのか?」
「そういうことになる………かも」
なんだか非現実的な話だがやけに説得力があるようにも思えた。実際に俺は記憶がないし、今日の今日まで何も気づかずに日常生活を送っていたんだ。そして家族までもが知らん顔をしている。これは普通ではない。何かしらの大きい力が働いたとしか思えない。
「さて、あなたの能力は一体何かしら?」
「えぇ……わからないよ。俺はお前と違って願ったことが叶うなんてこともないし、人を操ったりなんてできねぇぞ?」
「そうね、まだ目覚めていないみたいね」
そういうと澪は黙り込んでしまった。俺もなんだか気まずくなってお互い黙り込んだ。なんとか話題を振ろうとして周りを見渡した。澪を改めて見た。月島……今の今まで信じて疑わなかったが確かに彼女は清澄澪だ。小さい時よりも磨きがかかった綺麗さに今になって驚いた。中間の記憶がない俺からしたら彼女の成長は一瞬に見えた。まだ小学生の時の記憶が昨日のように思い出せる。
しかし疑問が一つ上がった。
「そういえばなんで月島なんだ?」
彼女は清澄という苗字を名乗らなかった。
「それは……お母さんが再婚した相手の苗字に変わったからよ。坂口君は清澄の方しか知らなかったもんね。もっと早くから教えてあげるべきだったわ」
そうだったのか、知らない間に彼女には成長以外にもいろいろなことがあったんだな。
「そういえば澪の親は?俺こんな時間までここにいていのか?」
時計を指差して見せる。時計の針は二十一時を指していた。自分で言っておきながら驚いた。もうこんな時間が経っていたのか。俺たちが下校したのが十七時ぐらいだとすると俺は倒れてから三時間以上は澪の部屋で寝ていたことになる。流石に申し訳ない。
「大丈夫よ。時間は気にしないで……」
「いや、流石に申し訳ないよ」
俺がそういうと、澪は俯きながらぼそっと呟いた。
「お母さんとお義父さんは殺したの、私が………」
背筋にヒヤリとしたものが通った。冷や汗だ。
「な、なんで?」
再婚相手という方は俺は知らない。でもお母さんの方なら俺も何回かお世話になったことがある。いつも笑顔で優しい人だった、俺と澪が遊んでいる時もずっと見守っていてくれていたような人が………そんな人がどうして?
「仕方がなかったのよ。お義父さんは最初はいい人だと思ったのに、結婚いてからは私をストレス発散道具としか見ていなかったわ……!!お母さんはそれを見ていたのに何もしてくれなかった………お義父さんの機嫌ばっかり取ってて本当バカみたい」
俺は言葉が出なかった。
「そしたら嫌になっちゃって……でもおかげで私はこの能力に目覚めたわ。もうそれから立て続けに死んでいった。お義父さんは会社に出勤中に酔っ払いの逆走運転に巻き込まれて死んだわ、即死よ。お母さんは病院先の屋上から飛び降りた。一瞬の出来事だった………」
澪は嬉しそうだった。でも嬉そうなのに目は笑っていなかった、泣いていた。口は歪んでいるのに目は助けを求めているみたいだった。そんな姿をとてもだが見ていられなかった。俺の知っている澪は涙なんて見せたことのない感情の起伏が乏しい人間という印象だったのにそのイメージ図が壊れていった。正直同情してしまっている俺も泣きそうだった。
「お前は悪くないよ………本当だったら裁かれるべき人間だったのだよ君のお義父さんは……」
「そうよっ!?私はずっと一人で泣いていたわ。誰かが助けてくれるって信じていたのにみんな私の表面しか見てくれなかった。あなただってそう、私とせっかく出会えたのに助けてくれなかった…………あの時助けてくれるって約束したのに、なんでよ……なんで記憶なんて無くしているの!?私が苦しんでいるのを昔のあなただったら見捨てなかったはずよっ!!」
次々と飛んでくる槍に防御の術がない俺はその身に全てを受け入れてしまった。返す言葉なんてなかった。記憶を消されていたことはただの言い訳にしかならないのだろうか。なんて発言をしてもこの場では間違いでしかないようにしか思えなかった。
「ごめん………助けられなくて………」
絞り出して出た言葉がこれだった。澪の鋭い目つきで睨まれて口に出したことを後悔していた。
「なんで私が毎日タイツを履いてきていたのかあなたにわかる?私の足はもう二度と戻らないのよ……あいつは死んだけど私は生きてるのよ!?」
目の前でタイツを脱ぎ始めた。
露出した白い肌、しかしそれはほんの一部のものでしかなかった。彼女の足は茶色く変色して皮膚が爛れたまま形が保たれていたような姿っだった。要は火傷の痕だ。ろくに病院も行っていないのだろう、でなければこのような姿になりはしない。
「お義父さんにこの火傷をさせられてから私はろくに人前にも出れなかったわ。家にこもって何回もあなたの名前を呼んだのに………」
顔に手を当てて俯いてしまった。
「そして、あなたにあったわ。あれから数年経ったけれどすぐわかった。学校であなたの姿を見たの………柄にもなく興奮気味にもなって話しかけた………でも坂口君、君は私のことやこの街について何もかも忘れてしまっていた…………この時私がどんな気持ちになったか理解できる?どれほど底に突き落とされた気分になったのか、わからないでしょう?」
ようやく彼女の口は止まった。代わりに引き攣ったような泣き声だけが部屋中に響き渡った。俺は彼女の肩に触れた、小さく痙攣している。どうにかこの震えを止めてあげたかった。
すると彼女は肩に置いた腕を引っ張り寄せた。
「澪………」
澪は抱きついてきた。震える体は全く止まらなかった。
「お願い…………私と死んで……坂口君」
その言葉を聞いた時、急に体が動かなくなってしまった。瞬きから指を動かすことすら叶わない。ただはっきりとしているのは自分はまだここにいるということだけ、まるで体だけがなくなり意識だけが浮遊しているみたいだ。
そんな状態のまま澪は少し笑った気がした。
まさかと思った時にはもう遅かった。
これはきっと彼女の能力だ。彼女は言っていた「こうなったらいいと思ったことが叶う」というものだったはずだ。彼女は意図的なのか無意識的なのかはわからないが俺と死んで欲しいと考えたはずだ、ならば能力が発動した時に叶えられる願望はそれ以外あり得ない。そういうことなのだろうか。
「ありがとう、愛しているわ。坂口君」
なんとか声を発しようとしたが唇は動かない声も出ない。
ただし、俺の意思とは無関係に唇が動いて喉から音が発せられた。こんなこともできてしまうのかと驚愕した。
「ああ、俺もだよ。澪」
†
長い時間、彼女に操られていた。すでに自分の考えていることが自分の意思であるのかそれとも操られて作られた思考なのかわからなくなっていたし考えることも野暮だと考えてしまっていた。
俺は椅子に座っていた。相変わらず体は動かない。
澪はずっととある作業をしていた。最初は何をしているのかわからなかったがだんだん彼女がしようとしていることがわかってきた。わかりたくなかったがそれが俺のこの後どのような行動をさせるのか嫌でも連想させてしまうものだった。
「できたわ、坂口君」
目の前には二本のロープが天井からぶらりと下がっていた。これはドラマや漫画ではよく見たものだったが現実で見るのは初めてだった。ただの先端が丸くなるように縛られているだけのものなのに嫌に雰囲気を放っていた。たったこれだけのものが人間の人生を一瞬にして奪うなどとは到底思えない。だが今目の前にあるロープの丸い空間を眺めているとそうも言えない確かにこれだったら命なんぞ奪えてしまえるだろうと納得した。
そう首吊り用のロープだった。
それをあたかも遊園地にでもきたようにキラキラとした眼差しで眺める澪は異常なのだろうか。いや異常なのはこの場にいながら全く咎めることをしようとせず眺めているだけの俺なのだろうか。何が悪で正義なのか全くわからなかった。誰かにそれを押し付けるつもりも全くなかった。
「行きましょう。坂口君。私たちなら天国へ行けるかしら」
椅子に座った俺を彼女は蔑むように眺めていた。これは勘違いだろうけどそう思ってしまうシチュエーションだ。
天国か………。自分の心に聞いて見た。
「ああ、きっと行けるよ」
俺一人なら無理だろうが彼女とならいけそうな気がする。
彼女には申し訳ないことをした。自分に償うことなんてできない。でもそんな俺にも償えそうなチャンスが訪れたんだ。こんなチャンス掴まないわけにはいかない。償えるのならなんでもしよう、償えるのなら俺は後悔はしない。
そう思った途端体が楽になった。彼女との死を認めた俺は共生の力から解き放たれたのだろう。
「ありがとう、私もあなたと一緒に天国にいたいわ」
俺の膝上ぐらいはある椅子の上に立った。少し背伸び気味の俺たちはフラフラとしながら向き合ってロープに首を通した。
手をストンと落とし、ぶらりとなった両手のうち片手を差し出した。手を繋ごう、と小さく答えた。
手と手を合わせて絡み合うように結ばれる。彼女の温度を感じた。この生暖かい温度はこれから死ぬ人間のものとは思えないほど優しさに包まれていて悲しくなった。こんな温度を持つものが死ななければならないこの世界は滅んでしまっていいだろう。素直にそう思った。
「坂口君………あったかい」
どうやら向こうも同じことを考えていたらしい。
「澪もあったかいよ。とても温かい」
嬉そうに笑顔を見せると、彼女は時計を見た。ちょうどいい時間になったらしい目で合図を送ってきた。
椅子の背もたれに片足をかけた。いつでもこの椅子を蹴飛ばせるように。
「あと三分で私が産まれた時間になるの………」
「そうなのか?」
彼女も片足を背もたれにかけた。
「八月一日の二十三時………私が生まれた時間に私は死のうとしているの。矛盾しているわよね。産まれた時に死のうなんて」
彼女は矛盾の中で死のうとしている。彼女が産まれた十数年前はまさか未来で彼女が自殺するなんてことは誰も想像しなかっただろう。予想することなんて誰にもできなかった。
そんな彼女はさらに哀愁漂う雰囲気を醸し出していた。
「そうだったんだ………ハッピーバースデー……澪」
そういうと彼女が笑った。
よかった。最後の最後で彼女が俺に向かって笑顔を見せてくれた。たった一つのこと以外は後悔なんてないと思った。
「ありがとう、坂口君。じゃあ……行くよ」
「うん……」
ごめんなさい……それは母さんへだった。
俺たちは椅子を同時に蹴った。
まるで宙を舞ったかのような気分になった。でもそれはきっと錯覚なのだろうでもそんな錯覚が今は優しさに感じた。
優しい気持ちに包まれながら最後に見たのは同じく首を吊った澪の顔だった。
泣いているような悲しい顔に見えたが笑っているようにも見えた。彼女が最後にどんな表情に変わったのか確認したかった。しかし時間切れのようだ、首に全体重がかかる。苦しいと考えるよりも先に意識が…………落ちて………い……。
第四話、終。
ドクンと胸の奥が鳴ったようやくだった。心臓の鼓動が唯一の音を奏でてくれた。これで寂しくはなかった。
「ああ、いいさ。今は生きてるより、怖いんだ」
…………カチ……カチ……止まった世界が動き出した。
「そう、あなたならそういってくれると信じてたわ」
ベッドから立って澪は机の前に行き俺に水を差し出した。さっきから乾いていた喉を水でいっきに潤した。
澪は椅子にすわり、俺はベッドに座った。
「さっきも言ったけど、私は不思議な力を持っているわ。こうなったらいいのに、こうなったら嬉しい、って考えたことが本当に稀に起こるの」
俺はわからないなりに考えながら相槌を打った。相槌を打つ俺を見ながら澪は語った。
「でも正直これは誰でも持っているものなのよ。この洽崎に住んでいればね」
「誰でも持っている?なら俺もその……能力みたいのが使えるのか?」
うん、と頷く。
「でも大半の人は気づいてないわ。これは潜在的な能力なの。発現する条件はまちまちだけど一番の要因は強いショックまたは生死に関わるほどの何かに遭遇するかって感じね」
「なるほど……じゃあ俺も一応素質があるってわけか。それで、それのどこが俺の記憶喪失に関わってるってんだよ」
「そうね、私がわかる限りはたぶんこの街のどこかに街から人を出さんとする者がいるってことかしら」
出さんとする者?なぜこの街から出てはいけないんだ。
「なんでそんなことを?」
「それは決まっているわ。この能力は常識から外れた異物よ?こんなものが洽崎以外の場所に行かれては困るわ。これはさっきも言ったことだけどこの能力は洽崎にいるから発現する病気なのよ。昔の日本で病気を蔓延させないように病人を隔離したことがあったのは学校でも習ったでしょう?きっと私たちがこの街を出てこの世に能力の存在を見せないために仕組まれているのよ」
「じゃあ俺は記憶を消して人を操れるような能力を持った奴に操られていたのか?」
「そういうことになる………かも」
なんだか非現実的な話だがやけに説得力があるようにも思えた。実際に俺は記憶がないし、今日の今日まで何も気づかずに日常生活を送っていたんだ。そして家族までもが知らん顔をしている。これは普通ではない。何かしらの大きい力が働いたとしか思えない。
「さて、あなたの能力は一体何かしら?」
「えぇ……わからないよ。俺はお前と違って願ったことが叶うなんてこともないし、人を操ったりなんてできねぇぞ?」
「そうね、まだ目覚めていないみたいね」
そういうと澪は黙り込んでしまった。俺もなんだか気まずくなってお互い黙り込んだ。なんとか話題を振ろうとして周りを見渡した。澪を改めて見た。月島……今の今まで信じて疑わなかったが確かに彼女は清澄澪だ。小さい時よりも磨きがかかった綺麗さに今になって驚いた。中間の記憶がない俺からしたら彼女の成長は一瞬に見えた。まだ小学生の時の記憶が昨日のように思い出せる。
しかし疑問が一つ上がった。
「そういえばなんで月島なんだ?」
彼女は清澄という苗字を名乗らなかった。
「それは……お母さんが再婚した相手の苗字に変わったからよ。坂口君は清澄の方しか知らなかったもんね。もっと早くから教えてあげるべきだったわ」
そうだったのか、知らない間に彼女には成長以外にもいろいろなことがあったんだな。
「そういえば澪の親は?俺こんな時間までここにいていのか?」
時計を指差して見せる。時計の針は二十一時を指していた。自分で言っておきながら驚いた。もうこんな時間が経っていたのか。俺たちが下校したのが十七時ぐらいだとすると俺は倒れてから三時間以上は澪の部屋で寝ていたことになる。流石に申し訳ない。
「大丈夫よ。時間は気にしないで……」
「いや、流石に申し訳ないよ」
俺がそういうと、澪は俯きながらぼそっと呟いた。
「お母さんとお義父さんは殺したの、私が………」
背筋にヒヤリとしたものが通った。冷や汗だ。
「な、なんで?」
再婚相手という方は俺は知らない。でもお母さんの方なら俺も何回かお世話になったことがある。いつも笑顔で優しい人だった、俺と澪が遊んでいる時もずっと見守っていてくれていたような人が………そんな人がどうして?
「仕方がなかったのよ。お義父さんは最初はいい人だと思ったのに、結婚いてからは私をストレス発散道具としか見ていなかったわ……!!お母さんはそれを見ていたのに何もしてくれなかった………お義父さんの機嫌ばっかり取ってて本当バカみたい」
俺は言葉が出なかった。
「そしたら嫌になっちゃって……でもおかげで私はこの能力に目覚めたわ。もうそれから立て続けに死んでいった。お義父さんは会社に出勤中に酔っ払いの逆走運転に巻き込まれて死んだわ、即死よ。お母さんは病院先の屋上から飛び降りた。一瞬の出来事だった………」
澪は嬉しそうだった。でも嬉そうなのに目は笑っていなかった、泣いていた。口は歪んでいるのに目は助けを求めているみたいだった。そんな姿をとてもだが見ていられなかった。俺の知っている澪は涙なんて見せたことのない感情の起伏が乏しい人間という印象だったのにそのイメージ図が壊れていった。正直同情してしまっている俺も泣きそうだった。
「お前は悪くないよ………本当だったら裁かれるべき人間だったのだよ君のお義父さんは……」
「そうよっ!?私はずっと一人で泣いていたわ。誰かが助けてくれるって信じていたのにみんな私の表面しか見てくれなかった。あなただってそう、私とせっかく出会えたのに助けてくれなかった…………あの時助けてくれるって約束したのに、なんでよ……なんで記憶なんて無くしているの!?私が苦しんでいるのを昔のあなただったら見捨てなかったはずよっ!!」
次々と飛んでくる槍に防御の術がない俺はその身に全てを受け入れてしまった。返す言葉なんてなかった。記憶を消されていたことはただの言い訳にしかならないのだろうか。なんて発言をしてもこの場では間違いでしかないようにしか思えなかった。
「ごめん………助けられなくて………」
絞り出して出た言葉がこれだった。澪の鋭い目つきで睨まれて口に出したことを後悔していた。
「なんで私が毎日タイツを履いてきていたのかあなたにわかる?私の足はもう二度と戻らないのよ……あいつは死んだけど私は生きてるのよ!?」
目の前でタイツを脱ぎ始めた。
露出した白い肌、しかしそれはほんの一部のものでしかなかった。彼女の足は茶色く変色して皮膚が爛れたまま形が保たれていたような姿っだった。要は火傷の痕だ。ろくに病院も行っていないのだろう、でなければこのような姿になりはしない。
「お義父さんにこの火傷をさせられてから私はろくに人前にも出れなかったわ。家にこもって何回もあなたの名前を呼んだのに………」
顔に手を当てて俯いてしまった。
「そして、あなたにあったわ。あれから数年経ったけれどすぐわかった。学校であなたの姿を見たの………柄にもなく興奮気味にもなって話しかけた………でも坂口君、君は私のことやこの街について何もかも忘れてしまっていた…………この時私がどんな気持ちになったか理解できる?どれほど底に突き落とされた気分になったのか、わからないでしょう?」
ようやく彼女の口は止まった。代わりに引き攣ったような泣き声だけが部屋中に響き渡った。俺は彼女の肩に触れた、小さく痙攣している。どうにかこの震えを止めてあげたかった。
すると彼女は肩に置いた腕を引っ張り寄せた。
「澪………」
澪は抱きついてきた。震える体は全く止まらなかった。
「お願い…………私と死んで……坂口君」
その言葉を聞いた時、急に体が動かなくなってしまった。瞬きから指を動かすことすら叶わない。ただはっきりとしているのは自分はまだここにいるということだけ、まるで体だけがなくなり意識だけが浮遊しているみたいだ。
そんな状態のまま澪は少し笑った気がした。
まさかと思った時にはもう遅かった。
これはきっと彼女の能力だ。彼女は言っていた「こうなったらいいと思ったことが叶う」というものだったはずだ。彼女は意図的なのか無意識的なのかはわからないが俺と死んで欲しいと考えたはずだ、ならば能力が発動した時に叶えられる願望はそれ以外あり得ない。そういうことなのだろうか。
「ありがとう、愛しているわ。坂口君」
なんとか声を発しようとしたが唇は動かない声も出ない。
ただし、俺の意思とは無関係に唇が動いて喉から音が発せられた。こんなこともできてしまうのかと驚愕した。
「ああ、俺もだよ。澪」
†
長い時間、彼女に操られていた。すでに自分の考えていることが自分の意思であるのかそれとも操られて作られた思考なのかわからなくなっていたし考えることも野暮だと考えてしまっていた。
俺は椅子に座っていた。相変わらず体は動かない。
澪はずっととある作業をしていた。最初は何をしているのかわからなかったがだんだん彼女がしようとしていることがわかってきた。わかりたくなかったがそれが俺のこの後どのような行動をさせるのか嫌でも連想させてしまうものだった。
「できたわ、坂口君」
目の前には二本のロープが天井からぶらりと下がっていた。これはドラマや漫画ではよく見たものだったが現実で見るのは初めてだった。ただの先端が丸くなるように縛られているだけのものなのに嫌に雰囲気を放っていた。たったこれだけのものが人間の人生を一瞬にして奪うなどとは到底思えない。だが今目の前にあるロープの丸い空間を眺めているとそうも言えない確かにこれだったら命なんぞ奪えてしまえるだろうと納得した。
そう首吊り用のロープだった。
それをあたかも遊園地にでもきたようにキラキラとした眼差しで眺める澪は異常なのだろうか。いや異常なのはこの場にいながら全く咎めることをしようとせず眺めているだけの俺なのだろうか。何が悪で正義なのか全くわからなかった。誰かにそれを押し付けるつもりも全くなかった。
「行きましょう。坂口君。私たちなら天国へ行けるかしら」
椅子に座った俺を彼女は蔑むように眺めていた。これは勘違いだろうけどそう思ってしまうシチュエーションだ。
天国か………。自分の心に聞いて見た。
「ああ、きっと行けるよ」
俺一人なら無理だろうが彼女とならいけそうな気がする。
彼女には申し訳ないことをした。自分に償うことなんてできない。でもそんな俺にも償えそうなチャンスが訪れたんだ。こんなチャンス掴まないわけにはいかない。償えるのならなんでもしよう、償えるのなら俺は後悔はしない。
そう思った途端体が楽になった。彼女との死を認めた俺は共生の力から解き放たれたのだろう。
「ありがとう、私もあなたと一緒に天国にいたいわ」
俺の膝上ぐらいはある椅子の上に立った。少し背伸び気味の俺たちはフラフラとしながら向き合ってロープに首を通した。
手をストンと落とし、ぶらりとなった両手のうち片手を差し出した。手を繋ごう、と小さく答えた。
手と手を合わせて絡み合うように結ばれる。彼女の温度を感じた。この生暖かい温度はこれから死ぬ人間のものとは思えないほど優しさに包まれていて悲しくなった。こんな温度を持つものが死ななければならないこの世界は滅んでしまっていいだろう。素直にそう思った。
「坂口君………あったかい」
どうやら向こうも同じことを考えていたらしい。
「澪もあったかいよ。とても温かい」
嬉そうに笑顔を見せると、彼女は時計を見た。ちょうどいい時間になったらしい目で合図を送ってきた。
椅子の背もたれに片足をかけた。いつでもこの椅子を蹴飛ばせるように。
「あと三分で私が産まれた時間になるの………」
「そうなのか?」
彼女も片足を背もたれにかけた。
「八月一日の二十三時………私が生まれた時間に私は死のうとしているの。矛盾しているわよね。産まれた時に死のうなんて」
彼女は矛盾の中で死のうとしている。彼女が産まれた十数年前はまさか未来で彼女が自殺するなんてことは誰も想像しなかっただろう。予想することなんて誰にもできなかった。
そんな彼女はさらに哀愁漂う雰囲気を醸し出していた。
「そうだったんだ………ハッピーバースデー……澪」
そういうと彼女が笑った。
よかった。最後の最後で彼女が俺に向かって笑顔を見せてくれた。たった一つのこと以外は後悔なんてないと思った。
「ありがとう、坂口君。じゃあ……行くよ」
「うん……」
ごめんなさい……それは母さんへだった。
俺たちは椅子を同時に蹴った。
まるで宙を舞ったかのような気分になった。でもそれはきっと錯覚なのだろうでもそんな錯覚が今は優しさに感じた。
優しい気持ちに包まれながら最後に見たのは同じく首を吊った澪の顔だった。
泣いているような悲しい顔に見えたが笑っているようにも見えた。彼女が最後にどんな表情に変わったのか確認したかった。しかし時間切れのようだ、首に全体重がかかる。苦しいと考えるよりも先に意識が…………落ちて………い……。
第四話、終。
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