生命の宿るところ

山口テトラ

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生命が宿った者たち

死なない男の物語 第三話

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 死なない男の物語 第三話


 †

 昼休みはとっくの昔に終わっていて遅れて授業に参加した俺たちは案の定先生にこっ酷く怒られた。月島は先生に怒鳴られている間も表情が変わらなかった。まるであの屋上で時間が止まってしまったみたいだ。
 まさに心ここに在らずといったアンニュイな感じだ。先生に怒鳴られて不服といったものともまた違うのだ。俺が何かしてしまったのだろうか。あの時の俺の行動が彼女の気に障ったのだろうか。
 そして気づいた。
 彼女はなぜ死にたがっていたのだろう。それ次第では俺との心中が破棄されたのは彼女にとって予定外なわけだし、怒っているのかもしれない。もしくは俺の意気地なしさに呆れてしまったのだろうか。何はともあれ彼女に一回話を聞いておかないとな。なんだか申し訳ない気分だ。
 ふと彼女の席がある方に視線を送った。相変わらず外の景色を眺めていた。視線に勘付いたのか月島は俺の方を向いた。何みてるのよ、そう言いたそうな目だ。仕方なく目線を戻した。
(なんだ、元気そうじゃないか)
 そうして俺は訳もわからない言葉を喋る先生の授業を肘をついて聞いていた。月島もそれ以降どうしているのかわからない。
 
 †

 帰りのホームルームが終わるとクラスの人間たちが一気に席を立ち始めてワイワイとしながら教室を出て行った。
「騒がしい連中ね」
 急に声が聞こえた。どうせ月島だろうが、こいつはなんでいつも俺の後ろから急に声をかけてくるのだろうか。ビビリな俺からしたら少し心臓に悪い。
「ああ、全くだ。もっと静かにできないのかあいつら」
「しょうがないわよ、私たちと違ってあの人たちは集団でいるのが好きなのよ」
 俺よりも人付き合いがいいお前がいうなと言いたかったが伏せておいた。
「そういや、さっき機嫌悪そうだったけど何かあったか?」
 え?と月島はいった。
「別に機嫌なんて悪くないわよ。どうしてそう思ったの?」
 機嫌が悪くなかった?勘違いだったのか。こっちまで、え?と返す始末だ。
「そっか、じゃあ勘違いだから気にしないでくれ」
 バックを持って席を立つ。月島はそんな俺についてきた。まさか帰りも一緒にいるつもりなのか。思わず立ち止まる。
「どうかしたの?帰りましょ」
「お前いいのか?俺と一緒帰ってたら変な噂がついて回るぞ」
 こくりと一回頷く、月島もこう言ってるから断ることもできず黙って歩き始めた。
「月島大丈夫だったか?」
「え、何のこと?」
「俺お前で泣いたろ。制服とか汚れてないのかよ」
 そういい月島は自分の制服を眺めた。
「問題ないわ」
「そうか、ならよかった」
 また黙って、二人で歩いた。
「ねえ、どうかしたの?私からしたらあなたの方が機嫌悪いように見えるわよ……」
 並列で歩く俺たちの空気があきらかに今朝のものとは違っていた。やはり昼の件が俺たちの関係に溝を作ってしまったのだろうか。
「まあ、色々あったからな。心配させてすまない。もう大丈夫なんだ」
 俺の前に月島が出た。
「もう一回私で泣いておく?」
 手を広げた、あの時みたいに彼女に埋もれて泣くことは容易だろう。だがこれ以上泣き顔を見られるのもなんだか恥ずかしい。
「もう泣くものか。滅多に泣かないからな」
「あらそう、それは残念」
 俺も授業の時から考えていたことを気持ちを改めて言った。
「なあ、月島。俺の方こそすまない」
 急に謝り出したことに戸惑いの顔をしていた。
「何よ、そんな改まって……」
「月島のその……心中の話、なかったことにしちまってさ、それで月島俺のこと見限ったんじゃないかって思ったんだ」
 彼女について、俺はよく知らない。付き合いもここ最近の話だ。そんな中でも彼女の中で俺は信頼に値する人間だったんだろう、ここまで自分の意見を楽しそうに話す彼女をみんなは知らないからだ。これは自画自賛なのかそれとも勘違いなのか俺にはわからない。でもそんな彼女がどう思っているのか知りたかった。もっと彼女について知りたくなった。あの屋上で俺のことを慰めてくれたみたいに、俺にも彼女の話を聞いてあげるくらいの権利はあるように思えた。
「なあ、俺にもっと月島のことを教えてくれないか。じゃないと俺、何かものすごく勘違いしているみたいなんだ。お願いだ」
 少し考えるそぶりを見せると、彼女は止まった。そして近くのベンチに座った。ここは春になると桜の木が綺麗に見えると地元でもなかなか有名な名所とされている。場所も学校の近くと誰でも来れるいい場所だ。俺も春が訪れるとここに来て堪能している。しかし夏の今この木たちはまだ休憩に入っているように思えた。
 月島がベンチの空いているところをポンと叩く、ここに座れと言っているのか。
 それに従って彼女の横に座った。
「別に見限ってなんかないわよ。でも本音で言うとあなたが踏みとどまってくれたのは嬉しいかなって………そう思ってる自分もいるの」
「え、どうして?」
「元々は私一人で行おうとしていたことだから、あなたを巻き込むこともないかなって……なぜだかわからないけどそう考えてしまうの」
 風の音も止まり、しんと静まる。
「あなたは私に似ていた、あの出会った時まではね。でも私が接触してからあなたは妙に生き生きとしている顔を見せるようになったわ、それまで見ていたあなたではない何か。その顔を見ていたら私も嬉しくなって……この人が死なない未来を見てみたいって、だからあなたが今日屋上であのことを言ったのを聞いて安心してたのかもしれない」
 確かに俺は彼女に出会ってからこれまでにない感情が芽生えていたのには気づいていた。しかしそれは彼女の言う生に満ちた顔ではなかったはずだ。きっと劣情に満ちた酷い顔をしていたに違いない。
「月島……俺は………」
 言葉をかき消すように月島は喋り始めた。
「私、気持ち悪い人間だよね。勝手にあなたのこと勘違いしてて、一緒に死のうとか……嫌われても仕方ないわよね。私はあなたに嫌われてしまったんじゃないかってあの時から………」
「あの時……一体いつだよ。俺がお前のこと嫌いになんてなるもんか」
 脳裏にまた微かに彼女の声が聞こえてきた。
「あなたの名前は?………私の名前は………清澄澪(キヨスミ ミオ)っていうの」
 隣にいる月島を見たが口は動いていない、俯いたままだ。彼女が発した声ではないのなら一体誰が喋ったんだ。今朝感じたもう一人の人間の声だ、月島と一緒の声をしている誰か。彼女を俺はよく知っている、だがなぜか忘れてしまっていた。
「月島………」
 名前を呼ぶと目に涙をためた彼女が俺の方を向く。
「私あなたのこと忘れないから……だからあなたも私のことを忘れないで………」
 そうだ。俺はこの後街を離れた。そしてまた帰ってきたんだ。なんで忘れてしまっていたのだろう。俺は一度この街を出ている?その後どうなったんだ?なぜあたかもずっとこの街にいたような感覚に陥ったんだろうか。
「あなたがいなくなっても私は覚えている。いつでも帰ってきて……そしてまた私を助けてくれる?………ありがとう。そう言ってくれるって信じてたわ」
 この洽崎を出てからの記憶がない。
「どうしたの坂口君?顔色あるいわ」
 どの声が本当の月島かわからない。二人の声が脳内でせめぎ合っているみたいだ。
 これは俺の体が何か伝えようと叫んでいる。洽崎を出て以降から記憶はない、どうやら洽崎に住んでいた時の記憶も薄い。今覚えば俺の記憶はここ数年だ。十年以上の記憶が俺の中から欠如してしまっている。
「月島……お前の名前って………」
 月島は黙っていた。
「清澄澪……なのか?」
 月島は黙っていた。
「俺は一体………どうしてしまったんだ………教えてくれ月島、俺はおかしくなったのか……?」
 月島の唇が動く。
「坂口君、黙って聞いてて」
 意識が朦朧とする。身体中が暑い。
「私ね、昔からこうなったらいいのにって思ったことが実際に起こったりすることがあったの。嘘じゃないわよ」
 言っている意味がわからなかった。
「あなたを助けた時に、いじめていたやつ全員いなくなればいいのにと思ったわ。そしたら今日面白いことを聞いたわよね。あなたをいじめていた連中が諸共病院行きだそうよ。その時に確信したの………」
 意識が途切れた、彼女を目の前にして意識と言う深海の底に沈んでいった。

 †

 目が覚めると、知らない部屋にいた。厳密には記憶が消された後では知らない部屋だった。電気はついていない、目が慣れてきているらしい暗闇にもうっすらと物や壁が見えた。そうだ記憶を失う前にはここに何回も来ていた。朧げだった記憶と意識が今では鮮明に思い出せる。
 俺は小学生の時にある一人の女の子をいじめから助けた。その当時は俺はいじめられておらず気ままに学校生活を送っていた。でもいじめの瞬間を目撃した俺は幼い心の中で助けるというヒーロー精神を抱いてしまったらしい、その女の子を助けることに成功した。感謝されて嬉しかったことも覚えている。こういうことがもっとできる人間になりたいと一時期は憧れたものだ。今ではいじめられるだけのサンドバック状態だけど、当時はそれなりにポジティブな考えができる無垢な少年だった。

「……助けてくれて……ありがとう………」

「あなたの名前は?………私の名前は………清澄澪(キヨスミ ミオ)っていうの」

「本当に感謝してるの………絶対に忘れないから………坂口君も頑張ってね」

 その女の子はそれ以降ずっと俺についてきた。どんな友達よりも彼女と一緒にいる時間の方が圧倒的に多かった気がする。俺も楽しかった、でも一番楽しそうだったのはきっと彼女の方だろう。暗い顔をしているけどあえば何事もなかったみたいに笑顔をくれた。確か「◯◯ちゃんのことは俺が絶対守るから」とか今思えば恥ずかしいこと平気に口にしていたと思う、だって言えば彼女は笑顔を見せて俺に引っ付いてくるから嬉しかったのだろう。
 彼女を一言で表すなら、変わった子。幼心ながらそう感じ取っていた。妙に他の女の子たちより達観していて当時の俺にとっては難しい言葉ばかりでよくわからなかった。そんな彼女が俺と二人きりの時は猫みたいに幼くそして可愛かった。いつも引っ付いてくるしよく手を繋いでいた。
 しかしそんな生活は続くことを許されなかった。急遽俺は引っ越すこととなり家族総出で洽崎を出て行くことになってっしまったのだ。もちろん最初彼女は嫌がったが、このことがどうしても覆らないことがわかってしまい諦めてしまった。

「私あなたのこと忘れないから……だからあなたも私のことを忘れないで………」

「あなたがいなくなっても私は覚えている。いつでも帰ってきて……そしてまた私を助けてくれる?」
 
 俺は素直に、うん、と答えた。

「………ありがとう。そう言ってくれるって信じてたわ」

 俺はこの街を出た。
 そして記憶をなぜか無くしてまた戻ってきた。全く理解できなかった。
 困惑していると、部屋全体が明るくなった。誰かが電気をつけたらしい。目を窄めながらその誰かがいる方に向いた。真っ白な中影が見える、人の形をした影だ。そこにいる人物がこの部屋に電気をつけたのか。
「坂口君………目を覚ましたのね」
 わかっていた。この部屋は月島……いや、清澄澪のものだ。俺は高校以前から彼女の存在を知っていた。しかしこの街に忘れさせられていたんだ。
「澪………」
 名前を呼ぶと澪は少し怯んだ。しかしすぐに取り繕った。
「そう……思い出したんだ。私のこと」
 彼女の手にはコップが握られていた中身は透明、きっと水だろう。彼女はそれを机におくとベッドに腰掛けた。澪が座ったところが少し沈んだ、そこでようやく気がついた。俺はどうやらベッドに寝かされていたみたいだ今になってわかった。
「なあ、教えてくれ……なんで俺はお前のことを忘れていたんだよ!?」

 ……カチ……カチ、時計の針が動く音すらはっきりと聞こえる静寂が部屋全体を覆った。

「この街を出た……そこまでは思い出した。でも街を出て何があったのか、なんでまた洽崎に戻ってきてあたかも何事もなかったかのように過ごしているのかが、さっぱりわからないんだ。思い出せないんだよ………」

 カチ……カチ……相変わらず澪は何も言わず俺の目をじっと見つめたまま黙り込んでいた。

「助けてくれよ………怖いんだよ、自分の身に何があったのか。わからないのが怖いんだ。誰も教えてくれなかった母さんですら………でもお前は俺のこと助けてくれたじゃないか、お前なら何か知ってるんだろ?」

 カチ………………時計の針が止まった。本当の静寂が始まった。この空間には音すらも存在しない俺と澪の二人の人間という生命体だけが存在する密閉空間。そこに優しさという感情の侵入
さえ許されなかった。それくらい彼女からの言葉は冷淡で無機質だった。

「なら、私と死んでくれる?」


 第三話、終。
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