生命の宿るところ

山口テトラ

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生命が宿った者たち

死なない男の物語 第二話

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 死なない男の物語 第二話
 

 3.
 朝の出来事のせいか、午前の授業はまともに受けれなかった。声だあの声はなんだったんだ。
 不意に月島の座っている席を見た。やはり窓側に何かあるのだろうか……外を眺めて先生の話なんて聞いていないようだった。あれでも学年の成績は高くてトップ10入りはほぼ間違いがない。それに比べて先生の話を聞いて勉強もそれなりにしている自分の成績があまりよろしくないからなんだか情けない。勉強をする意味ってあるのか……彼女をみるとそう思わされるよ。
 ああ、でも明日は死ぬのか。
 そうだった。俺たちはもう死ぬんだ。ならここで勉強しても意味がないってことだろう。
 死んでしまったらこの記憶たちはどうなってしまうんだろう。今まで得た知識や常識とされるもの、友達との思い出、喜んだこと、怒ったこと、悲しんだり、喜怒哀楽すらなくなってしまう。何もかも頑張ろうと思ったこと、この日は怠けようかと何もせずにのんびりしたり、怪我をした時に痛いと思ったり泣くのを我慢したこと、当たり前だと感じていたことも全部……結局は記憶の中の話であって俺が生きた証になることなんてないわけだ。死ねば「自殺なんてするはずがない」「いい子だった」「なんで死んだんだ」たったこれだけの言葉で片付けられてしまう、それはとても悲しいことだ。
 まあここ最近はいじめられた記憶しかないから、この嫌な気持ちを取り除けるのなら……もう今世なんていらない。あいつらは嬉しいだろうな目障りな存在が自分から勝手にいなくなったんだから都合がいいだろ。こういう奴らは俺一人が死のうとも一切罪に問われないのだろうな。別に手を下したわけではないんだから、あいつらは死のうと思わせる要因を作っているだけだ……ただそれだけなのに人は簡単に死に、そして悪い奴は生きる。この社会自体が間違っているんだ。
 死ぬ要因ってなんだ。要因とは物事が起きた原因ということだろう。ならその時点で人は何か罪を犯しているわけだ。いじめによる自殺……これはどちらが悪いんだ。自殺する側の人間はいじめをいいような口述として、それを要因として自殺するのだろうか。いやそんなわけがない、いじめたやつの方がそう思わせている時点でそいつは殺人犯なんだ。いじめられたを要因とするならばそれをやってそう思わせてしまうようなことをしたやつの方が悪いに決まっているじゃないか、だって奴らがいじめなんてことをしなければ少なからずいじめられた側は死のうなんてことは考えずに普通の学校生活や日常生活を過ごせていたはずなのに……そういうことをする奴がいるから人は自分を殺すという矛盾した行動しかとれないんだ。
 動物の中で自殺をするのは人間だけなのだと、どこかで聞いたことがある……それは間違いなく正解で正しいことなのだと、わかった。
 深く考えていいるうちに終了のチャイムが鳴っていることに気づいた。
 生徒たちが立ち上がって一斉に礼をする。自分も軽く頭を下げた。
 生徒たちは今までの雰囲気が嘘だったかのように騒ぎ始めた。そういえば今から昼休みだ。
 いつの間にか習慣付いたのか無意識のうちに月島の方へ視線を向けていた。
「あれ…………」
 彼女は席にはいなかった。
 まあ、そうであろう。彼女だって一人の人間なのだ、俺なんかよりも友達との交流があるわけでいつまでも俺に構っているほど暇ではないのであろう。
 頬杖をつきながら主人がいなくなり空となった机と椅子を眺めていた。窓際の席だからカーテンが風に靡いてゆらゆらと揺れていた。その奥に見える青空と呑気に鳴きながら飛んでいく鳥……あいつらは平和そうで何よりだ。もう一度月島の席に目を向けた。
 俺たちが自殺してしまったらこの席はどうなってしまうのだろうか。いつもいつも座られることでしかアイデンティティを得ることのできない虚しい存在……とても可哀想だ。しかしそれは座る生徒がいるからその教室に必要な数並べてあるのであって必要なくなってしまった机と椅子はその場にあるだけ邪魔なのだ。俺の席は嫌なことに教室の真ん中に位置している、どうせ掃除の邪魔だと愚痴をこぼされ、先生に注意されるまでは下手に動かされることもないのだろう。このクラスは一際掃除をしないクラスなのだ。
 でも彼女の席はどうだろう。俺と話している時以外の彼女はとても輝いて見える。到底自殺するようには思えない。でも彼女なりに理由があるから自らを殺そうと心を痛めているのだろう。けれど悲しいことに人間はお互いの気持ちが伝わって欲しいと思えば思うほど伝わらないようにできている、だからすれ違い傷つけあう。しかし彼女と俺はどうだろうか、いつもは気持ちを露出することのない彼女の裏側を死という最も普通の人間には程遠い未知なる幻想を得て知ることができている。俺たちは最高のコンビだ。生きているから傷つけあってすれ違うのなら死を共有することでお互いの傷を舐め合う方がよっぽどいいとは思わないだろうか。そんな彼女と俺の唯一の違う点がさっき言った机だ。彼女の存在はこのクラスにとっては大きい、死んだとなれば皆が悲しみ忘れることがないだろう。そしていくら机であろうとも彼女が存在した証拠として花を置いたり定期的に机を囲って彼女のことについて語るのだろう。誰も邪魔だとは思わないのだ。
 彼女は皆に愛されているが、俺は皆に嫌われているんだ。
 これは小さく見えて大きい、人間としての大きな溝だ。簡単には覆らない悲しい事実。

 †

 今日は珍しくいじめられずに昼まで過ごしてしまった。されるのはもちろん嫌だけどなんだか拍子抜けした気分だ。いつもは何があっても来ていたのに今日に限ってなぜだろうか。
 周りを見渡す。そういえばそうだ。今日はあいつら学校に来ていないんだった。毎日登校してきている奴らが……一見して学校を休むのは普通に見えるけれど、これは異常なのだ。クラスで病気が流行っているわけでもないのに俺をいじめていたメンバーだけが虫食いのようにポッカリと空いているんだ。
「ねぇ聞いた……?」
 クラスのどこからかボソボソと声が聞こえてきた。これはきっと俺の後ろの席で昼食を取るためにわざわざグループを作って集まっている女子の集まりからだろう。そんな俺は昼食も取らずに一人席に座り耳を傾けているのだ。なんんだかバカらしくて鼻で笑った。
「……のグループの人たち怪我して入院したんだって」
 そのグループは俺をいじめていた奴らだった。まだ女子たちの話は続いていた。
「なんか事故ったらしいけど……不審な点が多いってお父さんが言ってた」
「ああ、あんたのお父さん警察だもんねぇ……」
 嘘か真かは不明だがあの中の女子に親が警察の奴がいるらしい。そんじょそこらの噂よりも信憑性はある。
 にしても事故か……勝手に事故して入院してくれているのならこちらとも助かる。
 妙な胸騒ぎを覚えながら心のどこかで安堵していた。あいつらがいなくなれば俺はいじめられることはなくなるのだろう。ならあいつらなんて……いなくなればいいんだ。
 するとトンッと肩に手が置かれた。後ろを振り返りこんな俺に近づくもの好きがどんなやつか見てやった。
「坂口君、お昼一緒に食べない?」
 まさかの月島だった。さっき席にいなかったからいないと思っていたのに。
「月島……いつの間に……」
 反射的にそう言っていた。
「なんでもいいじゃない、それより私が教室にいないの知ってたんだ。なんだかんだ坂口君って私のこと見てるわよね」
「いや、あんた目立つから教室いないとすぐわかる」
 相変わらず季節外れな黒タイツに目線がいく、この真夏に暑くはないのだろうか。俺が目の前で服をパタつかせているのを彼女はどんな感情で見ているのだろうか。
「で、あたしと一緒に食べるの?食べないの?」
 黒いタイツから彼女の腕に視線を変える。小さいバックを片手に持っている中にはきっと弁当が入っているのだろう。事実俺もこう誘われないとどうせ一人なのだ。
「ああ、いいよ」
「そう……なら嬉しいわ」
 月島の顔が少し赤くなったのを感じた。きっと気のせいだろう。
「どこで食うんだ?」
 机の横にかけていた弁当箱の入ったバックを左手で持つと、いきなり右手を掴まれて引っ張られる。あまりに考えなしに引っ張るからあちこちの机や椅子にぶつかる。「いたっ」何人かの生徒からそんな声が聞こえた。その度に「すみません」と情けなく頭をペコペコと下げる。そして容赦なく引っ張る月島に翻弄される。
「痛いよっ月島……」
 彼女は全く動じない、銅像と言わんばかりに無言無表情だった。
 いずれ廊下に出て、いずれ上がり階段に着き、何回も転げそうになりながら上がった。月島の向かう場所はなんとなくわかっていた。ここまで来て飯を食べるというのならあそこしかないだろう。
 やがて暗闇に扉があらわれた。ここは上がり階段のない場所。月島はドアを開けると暗闇に包まれていたところに光が注がれる。

 彼女が向かっていたのは……屋上だった。

「屋上行くなら最初からそう言ってくれたらよかったのに………別に引っ張ることはないだろ」
 地面に座り込んで投げやりに月島に言った。しかし反応がない。
「どうした、急に黙り込んで……」
 俺は月島を見た。そして月島は、空を見ていた。
 屋上のフェンスに手を置いて目を細めて空を見ていた。シュッとした目をしているから目を細めているというより目を閉じているように見える。いや元々目を閉じているのか、彼女は空を見ていたのではない。空を感じ、風を浴びていたんだ。
「この風は……どこに行ってるのかしら…………」
 俺に問いかけているのだろうけど、空と会話しているしているように見える月島に目を奪われていた。やはり彼女は……いや、やめておこう。
「どこって言っても……俺は風じゃないからわかんねぇよ」
 自分で言っててよくわからなかった。でも素直にそう思った。
「そう、そうよねぇ。私何言ってるのかしら」
 風に靡く髪を耳にかけながら、彼女は向き直った。
「ここから飛び降りたら、私たちも風になれるかな」
「さあな」
「風になれたら、行方がわかるかしら」
「さあな」
 素っ気ない返事に呆れたのか、彼女はその場に座った。
「さ、食べましょ」
「ああ、食べよう」
 お互い弁当箱の蓋を開けて、中身がどんなものなのか見合った。
「月島の弁当うまそうだな」
 色とりどりに飾られた食材たちはその小さな箱の中に綺麗に収まっていた。
「そう?あなたのお弁当も美味しそう」
 自分の手の上に乗っている箱を見た。確かに月島の弁当に負けず劣らずというぐらいに綺麗だった。ここ最近の弁当はあいつらに捨てられるか、ゴミを入れられたりとまともに食べられていなかった。こうして落ち着いてみるとすごく美味しそうだ。
「母さんが作ったんだろうな………」
 心の中で少し何かが動いた気がした。なんだ、この気持ちは……
「坂口くん……どうしたの?泣いてるわ」
「え……」
 そんなまさかと頬を指で触ると確かに微かに温もった水で濡れていた。
「あれ……なんでだろ………」
 何回も擦った、でも目から流れてくる涙は止まらなかった。
 心臓痛い。胸の奥でずっと叫び続けている。そして母の顔が脳裏に浮かんだ。
「俺、ずっと……嫌われてて……誰も自分のことわかってくれない……そう思ってたのに………こんなところにあったなんて………俺のことを少しても考えてくれている人がいるって………わかれて、嬉しかった………」
 自分がいじめられていてまともに弁当を食えていないこと母は知っていたのに、俺が変な態度をとるから手を出せていなかったんだ。そんな母を俺は酷い人だと思っていた。でも全くそんなことはなかった勘違いだったんだ。それでも母は毎日俺の弁当を作ってくれていたじゃないか。そんな人を俺は……一番酷いのは俺の方だ。
「ずっと一人で抱えていたのね。可哀想に」
 ずっと情けなくなくのを見かねたのか、月島はそっと静かに抱き寄せた。顔が彼女の胸に埋まった。あれだけ憧れた彼女の体にこんな状況で触れてしまうなんて、いつもだったら喜ぶのだろうが今はそんな気分にはなれない。正直彼女の行動は俺の感情をさらに悪化させた。彼女の暖かさ、聞こえる心音、何もかもが祝福されたようだった。自分は存在していいのだと、俺のことを思ってくれる人はいるんだと実感できた。
「死ぬの、やめたい?」
 俺の頭を撫でながら月島は囁くように言った。俺は正直迷った。
 ほんの数分前の俺だったら迷うことなんてしなかっただろう。
「わからないんだ。さっきまでは死にたいって気持ちがあったのに、たったこれだけのことで俺は死にたくないって思う気持ちがここにあるんだ。この胸の奥が痛いんだよ………」
 心臓の音が響き渡っている。叫んでいるんだ。俺の体がまだ死ぬべきではないと早まるんじゃないと抵抗している痛みなんだ。きっとこの気持ちは間違いなんかじゃない、本能から感じる自分が正しいと思える。今まで感じたことのない思いに困惑している。
「そう、わかったわ。あなたがそう思うのならこの話はなかったことにしましょう」
 そういう月島の顔には少し、安堵にも似た複雑な表情を浮かべていた。
「ああ………ありがとう月島」


 第二話、終。

 
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