ベビーシッターなんて言わせないっ!

月姫あげは

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ベビーシッターなんて言わせないっ!

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れいさん、忘れ物はありませんか?」
 バックミラーから覗く切れ長の目元。そして振り返り、お決まりの文句を口にする整った唇。毎日繰り返される当たり前の行為が、思春期真っ只中の俺を苛つかせた。
「ないない。あ、だから降りなくていいって!」
 すかさず車を降りて後部座席に回ろうとするのを察知して制止する。
 海里かいりは表情を崩さない。けれどそれでも、微細な動きで残念そうに眉をひそめたのがわかった。もう俺の年齢と等しいぐらい毎日一緒にいるんだ。さすがにそれぐらいはわかる。
「じゃ!」
 手早く下車して校舎に向かう。いってらっしゃいませと言い切る前に、閉まるドアの音が海里の声を遮った。
 今年の春から高校一年になったのだ。年中無休(学校が休みの時以外は必ず)、登下校共に車で送り迎えされるなんて恥ずかしいに決まっている。
 では何故毎日送り迎えされているのか?
 それは俺の家がいわゆる資産家というやつだからだ。祖父である光辻孝次郎みつつじこうじろうが一代で興した事業が成功し、今や複数の会社を経営するようになった。両親も社長の祖父を手伝って忙しくしている。まだ会社も手伝えない子供の俺は、当たり前だが日々学校に通い勉強をしている。そこで家族が懸念するのは金銭目的の誘拐などの標的になってしまわないか? ということだ。俺的にはあっけらかんとしていて、そんな心配は不要だろうと思うのだが、両親はそうではないらしい。かといって、忙しい両親に学校への送り迎えは難しい。だから、昔から家にいるベビーシッターの三瀬みつせ海里が両親の代わりに運転手として学校まで送り迎えをしてくれている。
 教室に着くと俺よりも先に登校しているクラスメイトの倉橋くらはしに声をかけられる。
「はよ~光辻、相変わらずだな~」
 倉橋の言う相変わらず、というのは送迎のことだ。
「おはよ~。だよな~。もう勘弁して欲しいよ」
 自分の席に着きながら後ろの席の倉橋に呆れ顔で答える。
「光辻んとこ金持ちだかんな~。しゃーない」
 高校に入って月日は浅いが何故相変わらず、と言われるのか。それはうちの学校は小学校からのエスカレーター式で時折やってくる転校生以外はほとんど顔ぶれが変わらないからだ。だから、車で送り迎えされている光景はクラスメイトにとっては日常の光景ですらあってさほど驚きでも無いのだ。唯一それが救いだった。
「でも運転手の人執事だっけ。スッゲェ冷たそうだけど身長高くてかっけー人」
 中学の途中までは特に嫌がりもせずに校舎の前に連日車をつけ、海里に後部座席の扉まで開けてもらっていた。だからみんな海里の顔を知っている。中学も三年に差し掛かり、急にそれが恥ずかしくなって、なんとか説得をして学校の駐車場に車を停車する許可を取り、海里に後部座席の扉を開けさせるのもやめたのだが、これまで幾度となく見てきた顔は車の窓越しとはいえ皆忘れないらしい。
「あ~、執事っていうか。まぁ」
 海里はベビーシッターであって執事というわけではない。けれどベビーシッターと言ってしまうと幼稚な気がして躊躇われるから、近頃は執事という言葉を受け流すことにしている。
 クラスメイトからは金持ち、と言われるが、特に贅沢な生活をしているわけでもない。ただ少しだけ人より広い家に住み、誘拐云々の心配もあるのかセキュリティは十二分に、それ以外に豪奢なことをあまりない。お手伝いさんが何人もいるわけでもない。その代わりというのか、家には海里がいた。両親と過ごした時間よりもきっと海里と過ごした時間の方が長い。俺の物心がつく前から家にいる。俺の世話から、教育まで親代わりと言って良いようなことを全てやってくれている。学校への送り迎えもそうだ。だから俺は海里のことをベビーシッターだと思っているけれど、厳密には海里が家にとってどんな存在なのかは知らない。側にいるのが当たり前だったからあまり疑問にも思わなかった。
「でも光辻見てたら嫌味なくて全然金持ちって感じしないけどな」
「そ~? まぁ、俺もそんな気しないよ」
 別に偉ぶろうとも思わない。至って普通だ。
 少し髪の毛が生まれつき茶色がかってはいるが不良と感じるほどではない。今時髪を染めているとしても不良というのは時代遅れな気がするが。
 金持ちってなんだろうか? 俺からしたらいつも親が忙しくていない寂しい家って感じだ。多少人より家の面積は広いかもしれないけれど、広い家に一人って本当に寂しいものだと思う。その点思い返せば、俺には海里がいてくれて寂しいとかはなかった。だけど最近は口煩く思うことが増えてきた。やはり年齢のせいなのだろうか。
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表紙協力:甘野まよ様

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