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帝王の刻印 - 籠の鳥は空を見ない -

揺れる心

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 虎は『DARK HELL』に戻り、社長室の椅子に座ってぼんやりとまた天井を見上げていた。
「俺はあいつに何を求めてるんだろうな……」
 いつものように、虎の傍で佇む龍はただ静かに虎の言葉を聞いている。
「ヤクザかも知れないなんて思ったらこのざまだ。それでもあいつはあいつだろう?」
 坂崎が何者であろうと関係ない。あいつがあいつだからまた会いたいと思った。坂崎の傍にいると、少しだけでもここの事を忘れていられるような気がしたから。
「何だっていいじゃないか。俺にとっての希望ならそれで」
 地上の世界と繋がっていられるという希望なら、坂崎がヤクザだろうがなんだろうが構わない。そうは思ってみても、虎の心には何かが引っかかって仕方がなかった。
 ふぅ、と小さくため息をついて椅子に深く背を預けると、今まで黙っていた龍が珍しく表情を曇らせる。
「辛そうな貴方はあまり見たくありませんね」
 ついっと、龍に視線を向ける。
「今の俺は辛そうに見えるか?」
「ええ」
 龍のその言葉に、虎は自嘲気味に笑う。
「一人の人間の事でこんなに頭を痛めるのなんて、生まれて初めてだ。俺自身にも俺の気持ちが良くわからないよ」
 坂崎と一緒にいると、今まで感じた事がないような気持ちになる。必要以上に不安になったかと思えば、途端に浮き上がった気持ちになったり、疲れた時会えば不思議と癒やされたりした。
「なんだろうな、これ」
 その気持ちの正体が、虎自身にもわからなかった。幾ら考えても、答えにはたどり着けない。
「社長は、その男の事が、恐らく好きなのですね」
「は……?」
 龍の意外な言葉に、虎は大きく目を見開いて驚いた。
「いや、気に入ってはいるが、別に恋人ってわけでもないし、ただ……」
 何となく、会っているだけで。
「好きでもない男に、何の利益もなく会い続けるというのはそう言う事だと、俺は思います。俺が貴方の傍にいたいと思うように、貴方もまた、その男の傍にいたいのかもしれません」
 そう言って虎を見下ろす龍の顔はガラにもなく少し、寂しそうだった。
「龍……」
 龍の言葉に、そうだとも、違うとも言えない。なんと言って良いのかわからずに、言葉が出てこない。
「俺は、貴方が幸せならそれでいいんです。ただ、その男が貴方を苦しめ時が来れば決して許さない。それだけです」
 その暖かい言葉に、何だか胸が痛くなる。
「俺、お前の事傷つけてないか?」
 虎自身にも、坂崎に対する感情はわからなかったが、龍の前でそんな悩みを漏らした事を少し後悔した。
「いえ、大丈夫です」
 龍はきっぱりと否定して、しっかりと頷く。
「ならいいんだ。俺にとってお前が大切な存在だっていうのは、本当なんだ。それは今後も変わらない」
「ええ」
 しっかりと、龍の目を見据えてその思いを伝える。龍もそれを受け止めてくれたのか、小さく笑って頷いてくれた。
 その時、また社長室の電話が大きな音を立てて鳴り響く。
 また何か厄介ごとがあったのかと、小さなため息をつきつつ受話器を持ち上げた。
「何だ」
 静かな声で電話口に問いかけると、部下の声が聞こえてくる。
『社長。路地の入り口辺りで数人の男たちが揉み合っているようです。そのせいでこれから来る客が立ち往生してしまっているようですがいかが致しましょうか』
「監視カメラの映像を俺のパソコンに送ってくれ」
『わかりました』
 入り口付近の路地に設置された監視カメラに、客以外の者の姿がある場合は『DARK HELL』の門を開けるわけにはいかない。いかなる場合も外部への漏洩を防ぐためだ。邪魔な者がいる場合は、虎が確認をした後部下にどうするかを指示する事になっている。
「男たちが揉み合ってる? ヤクザ者が喧嘩でもしているか……」
 呟きながら、引き出しからノートパソコンを取り出す。電源を入れて、送られてきている動画をチェックする。
 ちょうど路地の入り口の辺りで、報告通り複数の男たちが揉み合っていた。その映像に少し違和感を抱いて、男たちの顔の部分を拡大して再生する。
「…………」
 その中の一人の男の顔を見て、虎は愕然とした。
 その男たちの一人が坂崎だったからだ。
「あの人が、どうして」
 呟いてから、自分が先ほど口にした言葉を思い出す。
 ヤクザ者が喧嘩でも。
 もし本当にそうだとしたら、坂崎の身が危ない。あんなにひ弱な男が、複数の相手に勝てるとも思えない。
 慌てて受話器を取る。
「今の映像も送ってくれ」
 出来る限り心を落ち着かせて、電話越しに部下に指示を出すと、また新しい監視カメラの映像が送られてきた。
 今度は、男が一人だけでその場に蹲っている。嫌な予感を抱えつつも、その男の顔をアップにする。
「……やっぱり……」
 地面に蹲っている男は、予想通り坂崎だった。腹の辺りが血に染まっている。
 深い傷を負っているのかもしれない。坂崎は地面に倒れ込み、酷く苦しんでいる。
 虎は頭を両手で抱えると、ガリガリと何度か頭を掻き毟る。
 どうしたらいい。
 何度も何度も頭の中で自問自答を繰り返して、急にダンと両手で机を叩くと勢い良く立ち上がった。
「くそ……!」
「社長……!」
 龍の声を背に、虎は入り口に向かい走り出していた。部下に入り口を開けるように指示して、坂崎の元へたどり着く。
「坂崎さん、おい、大丈夫か……!!」
「ぐっ……」
 坂崎は腹を刃物か何か鋭利なもので切りつけられているようだった。出血が見られる。
「とにかく早く、手当てをしないと……。こっちへ……」
 苦しむ坂崎の腕を肩にかけて、『DARK HELL』へ続く地下に延びる階段へと向かった。
 数人の部下の手を借りて、坂崎を社長室へと連れ帰る。
「社長、その男をここへ」
 龍以外の部下を下がらせると、龍の手を借りて、坂崎の身体を社長室の奥の部屋にあるベッドへと運んでいく。
「虎……君……?」
 坂崎が痛みに喘ぎつつも、虎の名前を呼ぶ。
「ここは俺の店だ。大丈夫、手当てしてやるから」
 服を捲り腹を見ると、傷口は思ったよりも酷くない。これなら、縫わなくてもすみそうだ。
 虎は安堵のため息を漏らす。
「何だ、そんなに大した事ない。あんたひ弱だからさ、死にそうなのかと思って焦った……」
 龍に消毒液とガーゼ、包帯、テープなどを用意するように指示して、坂崎の手に自分の手を重ねる。
「す、みません……。喧嘩に巻き込まれて……こんな事に……」
 痛みに耐えながら苦笑いを浮かべる坂崎が、重ねた掌をギュッと握り締めてくる。
「謝るなよ。あんたは悪くないんだろ。こんなのすぐ直るって」
「社長」
 戻って来た龍に頼んだものを受け取ると、手早く患部の手当てをする。
「……痛っ……」
 消毒液が滲みるのか、坂崎が奥歯を噛み締めて小さく悲鳴を上げる。
「大丈夫だって。我慢しなよ」
 消毒が終わると、ガーゼを当てて、そこをテープで留める。その後に包帯を何度か腹に巻きつけて、応急処置を終えた。
「本当にすみません……こんな、迷惑を……」
 ベッドに横たわって、申し訳なさそうにこちらを見上げる坂崎に苦笑いを浮かべる。
「別にいいって言ってるだろ? あんた疲れてるだろ。ちょっと寝なよ。ついててやるから」
「は、はい……」
 そういうと、坂崎はゆっくりと目蓋を閉じる。そしてすぐに気を失ったように眠り始めた。
 少しパニックに陥っていたみたいだ。眠り始めても小さく身体が痙攣している。
「社長」
「わかってる」
 龍に呼ばれ、ベッドルームを出て社長室へと移動する。
「悪い龍。こんな事をして」
 この組織を守るためには部外者を立ち入らせるべきではないのは虎もわかっていた。けれど、苦しむ坂崎を見捨てる事も出来なかったのだ。
「…………」
 龍は口を結んでしまう。
「あいつが起きたらすぐに連れ出す。約束する」
 真剣な眼差しで龍を見上げると、少しの間無言でいた龍が小さく頷く。
「わかりました」
 虎は坂崎の元に戻ると、ベッドの脇に膝をつけて坂崎に付き添う。
「お前も下がっていい。何かあれば呼ぶから待機しててくれ」
 龍と自分との間に、何だか重い空気が漂っているような気がした。その場の雰囲気に息が詰まりそうになって、そう指示を出した。
「はい」
 龍は小さく返事をして、深く頭を下げるとベッドルームから出て行く。その後に、社長室の扉が閉まる音が聞こえた。
「悪い、龍……」
 小さく呟いて、疲れきった様子で眠る坂崎の顔を見下ろす。
 この貧弱な男が、例え浅い傷とは言え刃物で切りつけられたのだ。どれほど恐怖を覚えた事か。それを思うと、やはりこの坂崎がヤクザだとは到底思えなかった。
 シオンはドッペルゲンガーとまで表現して、瓜二つだと言っていたが、本当に似ている男がいたのかもしれない。
 虎は、坂崎の手をギュッと握り締めてベッドに身を埋める。
「あんたの事好きだなんて、そんな事……ないのにな」
 地面に倒れ苦しむ坂崎の姿を見ているとただじっとしてはいられなかった。もし、深い傷を負っていて、命の危機に晒されていると思うとゾッとした。ここへ連れてくるようなリスクを冒してまで助けるなんて、どうかしている。
 虎はこの後、坂崎が起きた後どうすればいいのかを考える。素直に何もかも話す? 果たして坂崎は受け入れてくれるだろうか。こんな場所の社長をしていると知って、彼は嫌悪するだろうか。
 どう考えても後者でしかありえないかと思うと苦笑いが浮かぶ。
 それでも虎は願った。何もかも受け入れてくれる事を。そうすれば、自分の前で眠るこの男を愛していると言えるかも知れない。坂崎もまた、それを受け入れてくれるほどに自分の事を愛してくれていると実感出来るのだから。
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