帝王の刻印 - 籠の鳥は空を見ない -

月姫あげは

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帝王の刻印 - 籠の鳥は空を見ない -

虎と龍

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『DARK HELL』は快楽を金で買うところ。所謂売春宿と呼ばれる場所であった。
 店にたどり着くまでには幾つかのチェックをクリアしなければならない。
 まず、『DARK HELL』は会員制である。客の大半は金と権力を兼ね備えた富裕層であり、その会費も一般人では到底支払えない額に設定されている。
 その存在は公でないため、店の情報を運よく秘密裏に得たものだけが客になりえる。
 まず希望者は審査をされ、その審査を通ったものだけが会員となり詳細が知らされる。
 そして客は事前に店に入るための暗証番号を渡される。
 歓楽街の奥、あまり人が立ち入らないエリアのビルとビルの隙間に第一の入り口があるが、普段は何の変哲もないただの路地である。
 ビルとビルの隙間の入り口付近には監視カメラが密かに設置されていて、客以外の者が入りこまないかを常に監視している。まずそこで、客本人だと判断されれば通路を進んだ先で暗証番号入力をする機械が現れる。
 ここでは事前に知りえた暗証番号を正しく入力しなければいけない。暗証番号が一致すれば、今度は地面がスライドして地下への階段が現れる。
 その階段を下りた先には指紋認証と網膜認証をする機械がある。そこで、確実に客本人である事が認証出来ればようやくその鉄壁の門が開かれる。
 これほどまでに厳重な監視体制が置かれているのは、『DARK HELL』が影の存在であるからだ。地下に拠点を置き、密かに違法営業を続ける『DARK HELL』の存在は決して外に知られてはならない。そのためには、過剰なまでに厳重な監視体制を置く必要があった。
 その『DARK HELL』の社長である九条虎はまだ三十二という若さである。亡くなった先代の後を継ぎ社長になってから、もう何年経つだろうか。
 大和田が宿泊する部屋を出て、カウンターに戻る。カウンターの裏にある扉を開け、中で待機していた部下にそのフロアの監視を任せると、入れ替わりに扉の向こうへと進んだ。通路の少し先にエレベーターが見える。その前に立ち、手元の機械に幾つかの暗証番号を入力してから下を向いた矢印を押す。すると、エレベーターの扉が開く。龍と共にそこに乗り込むと、地下三階のボタンを押した。
 この『DARK HELL』は地下一階が客室、地下二階が組織の人間が暮らすフロア、地下三階に社長室、そして地下四階~地下五階にここで働く男娼や娼婦を住まわしている。
 一つ一つのフロアはかなりの広さがあり、『DARK HELL』ではかなりの人間が地上と隔離された生活を送っている。
 男娼や娼婦たちを一番底の階に住まわせているのは、逃亡を防ぐため。地下四階~地下五階に設置されたエレベーターはフロアからは見えないところに設置されており、使おうと思っても無論暗証がなければ動かない。その暗証も、一度使用されるとその都度変えられるので、彼らには知りえないものとなる。
 男娼や娼婦となった彼らは皆、金のために親に売られてきた者たちだ。ある者は借金の形に、ある者は金に困った親たちに組織から渡されるなけなしの金と引き換えに手放された。
 売春斡旋に人身売買。
 それが、この『DARK HELL』が闇で行っている事だ。
 社長室は地下三階の奥にある。そこへたどり着くまでには大勢の見張りを潜り抜け、そしてようやく部屋へとたどり着く事が出来る。
 先に龍が社長室の扉を開ける。そして、それに続くように虎も中へと入っていった。
「俺にあんな事をしておいて、話がしたいだけなんだってねぇ。大和田さんは嘘つきだな」
 扉が閉まるのを確認してから、虎は小さく笑って呟いた。
 入ってすぐには向かい合った二人掛けのソファーとそれに挟まれた鉄のテーブルが置かれている。虎はその向こうの壁際に置かれた大きなテーブルまで歩いて行くと、添えつけられた座り心地の良さそうな広めの椅子にゆっくりと腰を下ろした。
「なぁ、龍。犬だって言った事を怒ったか?」
 眼鏡の奥の狐目を細めて、虎は面白そうに龍を見上げて問いかける。
 龍はテーブルの向こう側に立ったまま、ゆるゆると首を左右に振った。
「いえ、俺は貴方の犬ですから」
 はっきりとそう言い放ってしまう龍に、虎はククッと喉を鳴らした。
「本当にお前は俺に従順だな。可愛い奴」
 虎は椅子に深く腰掛け直して、顎をクイッと動かした。
「おいで、龍」
 虎は椅子を横に回転させて、犬でも呼ぶように龍にそう囁きかける。
 龍はそれを受けて、虎の前にやってきた。
 虎はゆるりと手を伸ばすと、龍の胸倉を掴んで自分の方に引き寄せる。
 顎を上向かせると、龍の唇に自分の唇を重ねた。引き締まった硬い唇をしている。乾いた唇を湿らすように、ゆるりと舌先を沿わせていった。
「お前は俺の事、愛してくれるか?」
「ええ、社長」
 虎は満足そうに笑って、龍の背に手を伸ばしきつく抱き寄せる。
「社長じゃない。『虎さん』……だろ?」
「ええ、虎さん」
 厳密に言えば、龍は虎の世話役であった。ボディーガードでも、ましてや恋人でもない。常に行動を共にする必要もないのに、龍はいつも虎の隣にいた。
 虎は、龍が自分を心底心酔してそうしてくれていることがわかっていたからそれを拒む事もない。自分を必要としてくれる龍の存在を、虎もまた心地よく思っていた。
「なぁ、お前は俺の事を抱きたいと思わないのか?」
 龍との間には、今まで肉体関係は一度もない。
 虎の方から促す事はあっても、龍が虎を抱こうとはしなかった。
「いえ、俺は貴方の傍にいられればそれで」
 こんな人の欲に塗れ堕落した場所にもう十何年もいるのに、龍は昔からいつも純粋だった。精神的な繋がりさえあれば、何も望まない。だから、忠実な犬として虎の傍にいられれば十分だと考えている。
「お前みたいな奴は本当に貴重だよ。俺の人生にとってはな」
 だから、お前を選んだのだ。
 虎は心の中で小さく囁く。恋人として執着し続けるわけでもない、ボディーガードとして仕事だけの割り切った付き合いをするわけでもない、ただ空気のようにそこに存在するだけの相手として。
「一人は寂しいからな。誰か傍にいて欲しいんだ。忠実な犬みたいな、お前みたいな存在に」
 地獄のような人生には道連れが欲しい。
 虎にとって龍は、その道連れなのだ。
「傍にいますよ。貴方が俺を必要とする限り」
 必要がなくなったと言えばこいつは躊躇いもなく消えるだろう。恐らく虎に必要とされる以外に、自分の存在価値はないのだと龍はそう思っている。それがわかっているからこそ、逆に手放してやりたくなくなる。
 我が侭な男だな、と虎は心の中で自嘲気味に呟いた。孤独に耐えられず、自分を慕う龍を道連れにする事で一人満足している。そのために、大切な龍の人生を犠牲にしている。
「さて、そろそろ行くか」
 龍の胸倉から手を離すと、椅子からゆるりと立ち上がる。
「店へ、ですか?」
 ギュッと目を瞑ると、眼鏡に手をかける。それをゆるりと外すと、テーブルの上の眼鏡置きに収納した。
「ああ、俺は一応オーナーだしな。たまには顔出さないと従業員に見捨てられちまう」
 先ほどまでの知的ぶりはどこへやら。眼鏡を外して、ガラッと虎の雰囲気が変わった。
 声音も軽く、緊張感もなく、表情も豊かになった。
「気をつけて。入り口までお送りします」
「サンキュ」
 にっこりと笑い礼を言うと、龍を引きつれ部屋を出る。
 廊下に立っている見張りの部下たちに声をかけながら廊下を通り抜けてエレベーターに乗り込むと、地下一階の入り口まで付いてきた龍に別れを告げて階段を上っていった。
 地上へ出ると、後ろ手でゴゴゴとまた小さく扉が閉まる音がした。
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