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帝王の刻印 - 籠の鳥は空を見ない -

男の向かう先

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 この一帯は昔から大規模な歓楽街で、入ってすぐの辺りには一般人も利用し易いような施設がたくさんあった。
 カラオケボックスや飲食店、映画館や演劇場などが立ち並び、平日休日、昼夜問わず大勢の人で賑わいを見せている。
 しかし、それも入ってすぐの限られた区画だけであった。それよりも少し奥に進むと、表の賑わいとは全く別物のネオン街が現れる。辺りにはいかがわしい店が乱立し、キャバクラやホストクラブなどがひしめき合っていた。
 そのまた更に奥の地帯には、鬱蒼としたビル街がある。この辺りまで来ると、何故か急に人の姿が見られなくなる。賑やかな店など一つもない、何の会社が入っているかもわからないような雑居ビルしかないこの辺りには、一般人はほとんど足を運ばないからだ。乱立した背の高いビルに光を遮られた細い路地は、昼間でも薄暗く陰湿な空気に包まれていた。
 夜になれば辺りは暗闇に包まれる。なけなしの街頭が路地を照らし出すが、ところどころ切れかけていてバチバチと音を立てて不規則な点滅を繰り返していた。
 そんな、今自分がいる場所さえわからなくなりそうな心もとない路地の一画を、一人の男が歩いている。
 年は、六十前というところだろうか。身長も高く体格も良い。年齢の割には筋肉質で、がっしりとした身体つきをしている。
 引き締まった威厳のある顔立ちの持ち主で、そこはかとなく品格が感じられる。
 その男は、とあるビルとビルの隙間、男の身体がようやく通るだろうかという場所に身体を滑り込ませていく。
 狭い通路は薄暗く、ずっと先へと続いていた。
 男は幾らか先に進んだところで立ち止まり、慣れた様子で壁の一部に手を翳す。
 すると次の瞬間、壁がぐるりと一回転したかと思うと番号入力をする機械が現れた。
 男はそこに指を伸ばし、スラスラと番号を入力していく。
 最後のボタンを押し終えてからまたすぐに、ゴゴゴと小さな音を立てて男の少し先の何の変哲もない地面がスライドして、地下へと続く階段が現れた。
 それと同時に、番号を入力した機械が先ほどのように一回転したかと思うと、元のように壁の中に消える。
 躊躇う様子もなく、男は真っ暗な地下へと続いているその階段に足を進める。
 少し長めの階段を下りていくと、先にほんのり明かりが見えてきた。その辺りまで来ると上の方でまた、ゴゴゴと入り口の扉が閉ざされる音がした。
 階段を降り切り、目の前に現れたのは侵入者を拒むかのように立ちはだかる固く重々しい鉄の扉。
 扉の脇には、また何やら得体の知れない機械類が並んでいる。男はおもむろに人差し指を立てるとそこに翳し、そして目線にあるモニターには大きく目を見開いてみせた。
 すると、ピーっと小さな音が鳴ってから、ガチャリと錠が外れるような音が辺りに響いた。
 スーッと、鉄壁の扉が横にスライドしてその男を中に向かい入れる。
 足を踏み入れたそこはまた薄暗く、ラウンジのような小奇麗な場所が広がっていた。広さは十二畳ほど。小さなテーブルを囲んだ丸いソファーが幾つか点在していた。
 目線の先には一筋の道とカウンターがあり、カウンターテーブルの向こうには、若い男が二人佇んでいる。その他には、誰の姿もない。
 その内の一人が、男の方に向かってくる。
「ようこそ、『DARK HELLダークヘル』へ。お待ちしていました、大和田おおわだ様」
 目の前にやってきた男は、縁なしの眼鏡をかけた金髪の男だ。眼鏡の向こうに見える眼は狐目で、鼻筋は綺麗に通っていた。唇は淡いピンクで健康的な色をしている。
 仕立ての良いスーツをビシッと着こなし、足元ではエナメルの高そうな黒い靴が光っていた。
 身なりだけで見れば野蛮なホストのようにも見えるが、眼鏡をかけているせいか、幼さを残す男の風貌のせいかそうは見えない。
 身につけている物も一つ一つが高級でセンスが良い。男からは野蛮と言うよりも逆に、理知的な印象を受ける。
 彼は今しがた訪れた初老の男、大和田に親しげに声をかけた。
「君がわざわざ出迎えてくれるとは光栄だね。虎君」
 大和田は小さく笑うと男の手を取り、軽く身を屈めそこに口づけた。
「当然ですよ。貴方はこの店にとって大切なお客様、ですからね。いえ、それ以上の存在か」
 小さく笑ってそう言った男の名前は、九条虎くじょうたいがという。この『DARK HELL』の社長であった。
「お部屋へご案内しますよ」
 虎がそういうと、カウンターで待機していたもう一人の男もやってきて、カウンター横から左右に伸びた通路の右側へと二人で大和田をエスコートする。
 先の通路には左右両側に幾つか部屋があり、そこを通り過ぎて突き当たりにある部屋の前までやってくると扉を開けた。
 中は高級ホテルのスイートルームのように豪華で広い。総面積は計り知れない。シャワールームや、浴室を完備していて、もちろんトイレも別、ベッドルームの他にリビングなども存在していた。
 地下という場所柄窓はなく絶景などは望めなかったが、それでも一日宿泊するだけで高額な宿泊料を取られそうな内装だ。
 三人で部屋に入り、扉を閉める。
 大和田を筆頭に先へ進み、それに虎ともう一人の男が続く。
「楽にしてお待ち下さい。もうそろそろ来るはずですから」
 その言葉を受けて、大和田はリビングにある五人は座れそうな大きな革張りの真っ黒なソファーに腰を下ろした。
 リビングにはその他に、もう一つ向かい合ったソファーがあり、その間には高級そうなガラステーブルが置かれている。壁際にはミニキッチンなども完備されていた。
「今日は君が相手をしてくれないのか?」
 大和田が佇む虎に向かい、からかうように言ってみせた。
「いえ、俺はもう現役じゃありませんからね。それにもう三十二です」
 にっこりと笑って言う虎の手首に、ゆるく大和田の手がかかる。
 そして、くっと引かれたかと思うと次の瞬間虎の身体がソファーに沈んでいた。高級なソファーに身体が小さく弾む。
 グッと大和田の腕に引き寄せられ、硬くがっしりとした胸に抱き込まれる。
 大和田と虎とでは、かなりの体格差がある。大和田は長身でかなりガタイも良いが、虎は身長百七十弱で、余分な脂肪など一切見当たらないかなりスレンダーな体型をしている。ラインは細く心もとない。多少痩せすぎではないか心配になるほどだった。
 大和田とこうして並んでいると、美女と野獣というほど違いがある。
「三十二なんて、私からしてみればまだまだ子供だ。それに、君は今でも十分綺麗じゃないか」
 シャツのボタンが一つ外され、そこに大和田の節くれ立った大きな手が滑り込む。
 虎は小さく笑ってそれを受け入れる。
「もう何年も俺の身体を見ていないでしょう? 何で、わかるんですか?」
 大和田の手が、シャツの合間から触れる肌をゆるゆると撫でる。
「触れる肌に衰えなど感じない。それに、私は君の身体が酷く好きでね。忘れられないんだよ、君の味が」
 ちゅっと軽く乾いた大和田の唇が虎の首筋に触れる。ゆるりと生ぬるくざらざらとしたものがそこを湿らせていく。
 シャツの合間から差し込まれた掌がゆるゆると平らな胸を揉み上げ、その中心を飾る小さな突起をやんわりと擦り上げ刺激してくる。
「ん、駄目ですよ」
 虎の甘い囁きが、更に大和田の欲情をかきたてる。
「では、味見だけでも」
 掌で刺激していた突起を指先で挟み込むと、立ち上がりかけたそこをクリクリと転がし始めた
「……ん……」
 小さく喘ぐ虎に誘われるように、大和田のもう片方の手が虎の太股の谷間に触れる。そこを何度か撫で上げた後に、ゆるりと足の付け根の中心部に向かい移動していく。
「もう、駄目ですよ。大和田さん」
 しかし、その手は目的の場所に触れる前に虎に制止されてしまった。
 頑なな虎の態度に、大和田は年甲斐もなく拗ねてしまう。
「君には特定の誰かが出来たのかね? 例えばそう、その男」
 大和田が指し示したのは、ここに訪れた時からずっと虎に張り付いて離れないでいる大柄で強面の男だった。
 身にまとった真っ黒なスーツと同じ、漆黒の髪と瞳を持った長身の男で、あまり温かみが感じられない。
 大和田に示されても、動揺する様子もなく顔色一つ変えない。大和田が虎の身体を弄る現場に立ち会っていても、無機物のようにただそこに佇んでいるだけだった。
「ああ、この男は……」
 虎は大和田に身を委ねたままその男を大和田と共にソファーから見上げる。
「こいつは俺の犬ですよ。忠実な可愛いペットです」
「ほう……」
 そう言われても、男はやはり顔色一つ変えない。さもそれが当然だと、言わんばかりにも見える。
「しかし、犬が相手でも痴態を晒せるものだろう? 今でも君を味わう事が出来る数少ない男たちが憎いな」
 大和田の言葉に虎は意味ありげに笑うだけで何も言わない。その虎の態度に、大和田がまた小さな嫉妬心を抱く。
 その時、入り口の辺りで物音がした。
「誰だ……」
 低い声音で、ずっと口を開かなかった『虎の犬』が唸るようにけん制する。
 入り口を鋭い眼差しで見つめ、懐に手を伸ばした。
りゅう、今日の大和田さんのお相手が到着したんだ。怖がらせるんじゃない」
 虎はゆっくりとソファーから立ち上がると、まず懐に伸びた龍の手を制止してから、大和田に外されたシャツのボタンを一つ留めつつ入り口へと歩いていく。
 そこに佇んでいたのは一人の男の子だ。年は十七というところだろうか。
 真っ黒な長めの髪が印象的で、中分けにしている前髪がどこか触覚のように見えて可愛い。顔立ちもなかなか整っていて、美少年だ。
「あ、あの…………」
 緊張しているのか俯き加減で少し震えている。
「浴衣を着ているんだね。大和田さんのリクエストかな?」
「え……あ……」
 質問の意味がわからないのか、虎の問いかけに戸惑ったように小さく声を漏らしてまた俯いてしまった。
「そうか。君は今日が初めてなんだね? 怖がらなくていい。おいで」
 にっこりと笑いかけて虎が手を差し出すと、少年は躊躇いながらもその手を取って、部屋の中へ足を進めてきた。
 パタリと少年の後ろ手でドアが閉まる。
 手を繋いだまま、虎は少年を大和田の元へと連れて行く。
「その子も美少年だが、君が相手でないのは残念だな」
 一度少年に視線をやってから虎の顔を見上げ、大和田は苦笑いを浮かべた。
「ほら、彼が君の初めての客だ。威厳のある人だが怖い人じゃない」
「……っ……」
 大和田の横へ座るように促すが、どうしても躊躇いが出てしまうのか、少年は虎の後ろに隠れてしまった。
「教習を受けただろう? 怖いのかい? ほら、気持ちよくなれば恐怖心なんて忘れられる」
 ゆっくりと振り向き、優しい眼差しで少年を見下げる。
 ゆるりとその身体を抱き込むと、小さな身体がピクリと強張った。
「じゃあ、俺で少し練習をしよう。まずキスをしてごらん」
 虎はそう言うと、少年の目の高さに合わせて屈む。
 少年は、大和田や龍の存在を気にしつつもゆっくりと虎の唇に自分の唇を重ねた。
「……っ……」
 ちゅっと小鳥がついばむような軽い口づけをして身を引こうとする少年の腰をグッと抱き寄せ、虎は先ほど少年が自分にしたものとは比べ物にならないほど深く少年の唇を吸った。
「……んっ……!」
 驚いて少年が虎の胸に腕を突っぱねる。けれど、虎はそれを許さず口づけを続けた。
 口腔内に舌を刺し込み、奥で縮こまってしまっている少年の舌に自分の舌を無理矢理絡ませる。すると、強張っていた少年の身体の力が少しずつだが抜けてきた。
「ん……っ……」
 くぐもった声を漏らし、少年が虎の身体に縋りついてくる。
「おいおい、あまり見せ付けるな」
 そこまで黙ってみていた大和田が、小さく咳払いをして声をかけてきた。
「おっと、失礼。少し緊張をほぐしてやろうと思いまして」
 そう言うと、虎は少年の身体をゆるりと引き離した。
「君みたいないい男に夢中になられては、私みたいなオジサンは形無しじゃないか」
 小さく苦笑いを浮かべる大和田に、虎はゆるゆると首を振ってみせた。
「そんな事はありませんよ。大和田さんは十分、いい男ですよ」
 その言葉に大和田は気分を良くしたのか、ふっと小さく笑って少年の方に視線を動かした。
「君、ナンバーは?」
 少年はまだ少し、虎から離れがたいのか虎のジャケットの端を掴んだままでいる。
「382番です……」
 恐る恐ると言う感じで、少年が答える。
「名前は?」
 続けて大和田が少年を見上げたまま質問をする。
「佐……」
「いや、ここでの名前だよ」
 咄嗟に虎は、少年が本名を口ずさもうとしている事に気が付いて制止した。
 この店では全員が番号と、通り名を持つ。大和田が聞いている名前は通り名の方だ。
「し、不知火しらぬい……」
 少年はその意味を理解して、またたどたどしく答えた。
「不知火か。綺麗な名前だな」
 大和田はそっと少年に手を差し伸べる。
 少年はおずおずと、虎から手を離して大和田の方へ歩いて行った。目の前で立ち止まり大和田の手を取ると、そのまま大和田の隣に座り込んだ。
「大丈夫だ。私はね、基本的には話し相手が欲しいだけなんだ。だから今日は私の傍にいてくれるか?」
 大和田の柔らかい微笑みに、不知火も少し安心したのか小さく笑って頷いた。
「では、ごゆっくり」
 それを見届けてから、虎は深々と一礼をして部屋の外に向かった。
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