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第20話

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 シドに冷たくされるのに慣れているヤマサキは堪えた風でもなく、デスク上の3Dポラを眺めてニヤニヤし始めた。
 これでも子持ち、娘のサヤカ嬢とナナミ嬢を誰より愛しているのだ。

「ところでシド先輩」
「何だよ、まだ何かあるのか?」
「はあ。研修に猫、つれて行くんスか?」

 ふと見ると、肩に掛けたままのキャリーバッグから三毛猫が顔を出している。

「触るなよ、野生の猛獣だぞ」
「マイヤー警部補には前、預けてたじゃないっスか。可愛いなあ。猫、欲しいんですけど高くて手が出ないんスよね……ほら、よしよし」

 言うことを聞かずヤマサキが手を伸ばした。ヘンリーはカッと口を開け、鳴いた。

「ニャオ、ニャオ」

 その、明らかに人語調の声にヤマサキはちょっと仰け反った。

「こいつ、少し風邪気味なんだよ」
「あ……そうっスか」

 三毛猫はシドに睨まれて首を竦めるようにキャリーバッグの中に再び潜る。だがこれ以上のボロは出せないと判断しシドは煙草を消して席を立つと、ヴィンティス課長の多機能デスクに歩み寄った。あからさまに警戒した課長はやや退く。
 構わずシドは声を抑えて切り出した。

「課長、タナカのことなんですが――」
「ああ、もうそろそろくるだろう。先程、事故少々で遅れるという発振があった」
「えっ……?」

 思わずハイファは声を上げる。完全に誘拐されたのだと思い込んでいたのだ。まさかと思ったのはシドも同じ、だが誘拐されていないに越したことはない。

「昨日は道に迷って直帰したそうだ。……他に何かあるのかね?」
「いえ、それだけです」

 何で『研修』に出て行かないんだと口では言わないが顔には出して、課長は部下二人を目で追う。それをガン無視してシドはハイファが調達してきた泥水を啜った。
 暫し黙ってシドが煙草を吸っているとハイファのリモータが震えだす。聞き覚えたパターン、FCからだ。操作して眺めたハイファは柳眉をひそめた。シドも一緒に小さな画面を覗き込む。

【誘拐したのはヨシオ=タナカ氏と犯人側が認めるも既に解放した模様 ――FC秘書課】

「って、どういうことなのかな?」
「そういうことなんだろ」
「本当に誘拐されたけど人違いだって分かって解放されたってこと?」
「じゃねぇのか? だがこれで一歩、誘拐犯に近づいたな」
「タナカさんがヒントを握ってるって?」

 頷いてシドはチェーンスモーク、ふと顔を上げた。オートドアが開いて当のタナカがデカ部屋に入ってきたのだ。今日は鞄を持っていないが昨日と同じ灰色のスーツ姿である。
 そして課長の多機能デスクの前にやってきてピシリと教本通りの挙手敬礼をした。

「事故とはいえ、遅れて申し訳ありませんでした」
「う、うむ。それより今日は違うメンバーもいる。もう一度紹介したいのだが……」
「了解です」

 どうしたものか昨日と打って変わった様子に、ヴィンティス課長も気圧されているようだ。まず声からして違う。抑制の利いた渋い声は、ただデカかった昨日よりもよく響いた。
 立ち振る舞いも堂々としつつメリハリがあり心なしか顔つきも引き締まっている。

 それを課長の真ん前のデスクで二人は見取る。昨日の『いやいや、どうも』は何だったのかと、悔しくすら思わせる変貌ぶりだった。

「皆、集まってくれ。昨日に続いてもう一度、紹介する。新人のタナカ君だ」

 人員が集まった頃を見計らったようにタナカはくるりと回れ右、また敬礼する。

「ヨシオ=タナカ巡査長です。この春に広域惑星警察大学校を修了し、二分署管内で交番勤務をしておりました。こう見えてもなにぶん若輩者故、色々と至らないとは思いますが、皆様ご鞭撻をどうぞ宜しくお願いします」

 欲を言えば科白を棒読みしているかのようだったが、流れるような立派な挨拶をして、みたび敬礼。あまりにピシリとしているので、つられて幾人かが答礼した。

 解散してタナカがシドの真向かいのデスクに着く。シドとハイファは立ち上がり、回り込んでタナカの両隣の空いた椅子を寄せて座った。タナカを挟む形だ。

「誘拐されて、よく無事だったな」

 抑えたシドの低い声に一瞬、タナカは動きを止めた。数秒考えて息を吐く。

「……ええ、御存知でしたか」
「どうして誘拐されたのかは、分かっているのか?」
「ファサルートコーポレーションの専務と間違えた、そう聞かされました」
「身代金も払わずに、本当によく帰ってこれたよね?」
「じつは……クレジットは払いました」

 シドとハイファはまじまじとタナカの硬い横顔を見た。そんな金持ちには……キリリと引き締まった今は少し見えるかも知れない。

「幾ら払った?」
「五億です」
「どうやって一介のサツカンが五億も払える?」
「わたしは保険に七本加入してまして、そのうち一本が誘拐保険だったんです。その場で自分で連絡し、保険屋の交渉人ネゴが直接犯人と折衝して口座に振り込みました」
「口座は何処だ?」
「ロニアとだけしか……」

 ポーカーフェイスにもシドは苦いものを浮かべる。ロニア星系第四惑星ロニアⅣはマフィアが牛耳る星、そこの闇銀行では口座から犯人を追うことはまず不可能だ。

「で、ホシのヤサは?」
「目隠しをされてコイルとBELで移動したので、まるで何処だか分かりません」

 悔しそうでもなく淡々と、これも棒読み口調でタナカは言い放った。

「タナカ、勿論、立件するんだろうな?」
「それは――」

 ここにきて歯切れも悪く言いよどみ、額に汗を浮かべて泳がせるタナカの視線を、シドは切れ長の目で縫い止める。怯えたように瞳孔が縮む目をシドの鋭い目が射た。

「立件するんだ。ハイファ、書類を……」

 と、気付くと傍にマイヤー警部補がにこやかに立っていて、シドは口を噤む。
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