スターゲイザー~楽園12~

志賀雅基

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第30話

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 四人は五十メートルほど砂浜を歩き、波打ち際に辿り着く。

「うわあ、水の色が不思議。クリアなのに緑でこんなの見たことないよ」
「ハイファ、お前の目みたいだぜ」
「このような色をしているのは光の屈折率が――」

 こちらも白衣を着た若い博士が解説するのを聞きながらシドは水に触れてみた。

「意外にぬるいぞ、これ。それにライトが埋めてあるのと、この緑っぽい茶色の丸い石みたいなのは何だ?」
「その丸い群生が俺の盆栽ストロマトライトだ。成長促進に必要な波長の光を与えるのにライトを埋めて夜の時間帯だけ灯してるんだよ。ここでは夜と昼を逆にしてる」
「ストロマトライトって何だよ?」
「原始的な藍藻らんそう類、光合成するシアノバクテリアって細菌の一種だったような?」

 フレドは『良く知ってるな』といった顔でハイファを見て、更に解説する。

「昼間に光合成して酸素を出す。夜は光合成を停止して粘液で堆積物を固定する。その繰り返しで成長するんだ、こいつらは」
「テラ本星でもほんの一部の海にしか現存していません。先カンブリア紀、二十億年前のものである化石が発見されています」
「へえ。こんなモンの成長を眺めてるのか、夢想人は」
「これって確か一年にコンマ五ミリしか大きくならないんだよ」
「何だ、それ。いやに気の長い話だな」
「三百年前よりも随分成長してんだぞ、これでも」
「ついてけねぇよ」

 波が大きく打ち寄せ、慌てて逃げたシドは白い砂浜に座った。対衝撃ジャケットのポケットから吸い殻パックを出すと煙草を咥えて火を点ける。砂は軽石のような粒の粗い砂利だ。隣にハイファが腰を下ろす。

「すぐに帰らないで良かったかも。またこういうの一緒に見られたね」
「ああ。でも本当に迎えはくるんだろうな、フレド」

 こちらも腰を下ろした博士二人が振り返った。

「まあ、食糧便も二週に一度はくるんだ。帰れないことはないさ」
「暢気に盆栽を眺めていられる立場じゃねぇんだがな、こっちは」
「それとも貴方以外の総員がスターゲイザーから退去するときに僕らも一緒に出て行けってことなのかな、フレデリック=エリス博士?」
「スターゲイザーから総員退去って、そんな予定があるのかよ?」

 じっと見つめるシドとハイファにフレドは苦虫を噛み潰したような顔で煙草を吹かす。重ねて訊ねたのはギルだった。

「どういうことです、フレド。貴方以外なんて?」
「何もこいつがいる前で言い出さなくてもいいだろう、ハイファス。あんたに端末を貸したのは拙った、そいつを探り当てられるとは思ってもみなかったよ」
「A棟を出てくる前の発振は貴方の『捻り出した案』がテラ連邦議会で秘密裏に可決された、その知らせだったんじゃないですか?」

 咥え煙草でフレドは諸手を挙げた。そのまま砂浜に仰向けで寝転がる。

「どうせ明日にはギルにも知らせなきゃいけないことでしょ?」
「ハイファ、いったい何のことだよ?」

 指先で砂利を弄びながらハイファがゆっくりとした口調で説明した。

「ウイルス艦の処遇が決まったんだよ。タイタンからワープ一回のところにTF557っていう恒星系が随分前に発見されていてね、そこの惑星群はテラフォーミングができるような環境じゃなくて、ずっと放置されてる。そこにウイルス艦を持って行って、恒星TF557へ突っ込ませて燃やすことになったんだって」

「って、ウイルス艦にワープは不可能だろ?」

「うん、単体ではね。でもこのスターゲイザーなら一緒に跳ばせる能力がある。ううん、スターゲイザー以外には三キロものウイルス艦を跳ばせられるモノは太陽系にはないんだよ」
「一緒に跳ばして……まさか一緒に恒星に突っ込むっていうんじゃ――」

 ゆっくりした口調は変えず、静かに事実をハイファは述べた。

「残念ながら未開のTF557にはアステロイドが多くて、オートパイロットで恒星に突っ込ませるのは不確実性が高いって判断された。具体的にはこのスターゲイザーのスペースデブリ用巨大マニピュレータでウイルス艦を掴んでTF557系にワープする。そのあとスターゲイザー乗組員が操作して恒星TF557へと針路をとる」

「じゃあ乗組員は一緒に燃え尽きる、それにフレドが立候補したってのか?」
「立案して可決、明日の正午にオペレーション・スタート。そうでしょ、フレド?」

「TF557系まではギルも一緒にきて貰う。そこでギルの艦は離脱。俺がウイルス艦とギリギリまで恒星に近づいて、完全に重力場に捕らえられた時点でメモリをギルに送信。以上」

「以上ってあんた、それは自殺じゃねぇか!?」

「放っておいても俺は明後日までには狂うって御託宣だ。それに俺は充分生きた。おまけにギルっていう記憶の継承者までいるんだ、涙が出るほど幸せ者だよ……痛っ、いきなり何すんだよギル?」

 突然立ち上がったギルは子供のように握った砂利をフレドに投げつけていた。

「そんな英雄気取りの自殺志願者の記憶なんか私は要りません!」
「要らなくても受け取れ、そうプログラムされてるだろうが」
「いいえ、要らない! フレド、貴方は死にたくなんかない筈だ! あんなに生を愉しんでいる貴方が……他にもっと手はある、きっと私が探してみせます。だからプログラム・バグが発動するまでは生きなさい!」
「今この瞬間に発動するかも知れないんだぞ。そうすればこの役目はギル、お前に回るんだ。そういう判断を俺はした。恨むならともかく、同情なんか必要ないんだ」

 諭してもギルの剣幕は激しいままだった。

「そんなことは分かっていますし、同情なんかしていません!」
「最大でもリミットは明後日だ。たった一日寿命が延びたところで何も変わらんよ」
「本当にそう思ってるんですか? 一日多く食べて、麻雀をして、この海でストロマトライトを見られる、それを貴方は捨てるんですか!?」
「……」
「今、私に必要なのは端末、フレドには時間です。さあ、帰りますよ!」

 無表情のまま一連の言葉を吐いたギルはフレドの白衣の襟首を掴むと、引きずるようにしてドームの方へと歩いて行ってしまった。残されたシドとハイファは呆然と見送る。

「アンドロイドに同類愛ってあるのかな?」
「さあな。でもこの先、何百年か生きなきゃならんギルが自分の末路をフレドに見ちまったとしたら、それは不幸なことかも知れねぇな」
「人間が生きるためのコラテラルダメージとして生み出されたってことかあ」

 短くなった煙草をシドは吸い殻パックに入れた。

「そいつを知った上で悟った顔しててもフレドは結局ギルに言い返せなかったよな」
「うん、そうだね。『あと一日』にどれだけ人は憧れてるんだろうね?」
「それでもどれだけ生きようと、誰でも何かの途中で死ぬんだよな」

「三百二年も生きたって、このストロマトライトがどこまで大きくなるかなんて、確かめられないんだよね」
「最期まで納得して生きたいもんだな」
「うん……それにしても綺麗だね」

 海と輝く土星を眺めるハイファの赤い唇をふいにシドは奪う。尖らせた舌先で歯列を割り、温かな舌を絡め取って吸い上げ唾液を何度もすくい取っては飲み干した。
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