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第1話(プロローグ)
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約束の地など、何処にもなかった。
約五百光年を旅する間にわたしたちの先祖は幾つもの恒星系を巡ったという。けれどわたしたちが待ち望んでいた発見は皆無だった。
でも今現在それを嘆く者はいない。それどころか皆、希望で心を満たしていた。数十世代も何処の星にも降り立っていないにも関わらず。
わたしは約千五百年前のわたしの先祖を誇りに思う。折り返して『母なる地球へ還ろう』と口火を切った先祖を。
わたしの家系は先祖代々このコミューンの最高議長を務めている。現・最高議長はわたしの曾祖父だ。わたしも何れその責を担う。
いや、もうそれも必要ないかも知れない。わたしたちの暮らす宙艦は加速に加速を続け、超速で母なるテラへ還ろうとしているからだ。
憧れと郷愁のテラ……大切な映像記録でしか見たことのない、麗しの青い星。
とは言っても長い長い刻と先祖たちの手を経てきて、様々な要因で劣化してしまったデジタル映像では、本当に『青い』ということくらいしか分からないのだけれど。
その分、想像ばかりが膨らんだ。記録にある、あの酷い頃から立ち直って夢のような豊穣の大地が待っていると期待する者や、逆に、続けざまに起こった世界大戦で、もはやテラの存在すら疑う者もいた。皆、それぞれに際限なく論議を交わした。
だがその議論に一応の終止符が打たれたのは一週間前だ。観測部門が太陽系第三惑星の姿を捉えたと発表したのだ。
あれだけ議論を戦わせていたのに、皆は意外に落ち着いて報告を聞いていたように見えた。厳粛とでもいうのだろうか、わたしも静かに受け止めた。
しかし到着が近づくにつれ、皆が浮き足立つのは仕方ない。
空が青いというのは本当だろうか。波打つ海はどんな風に輝くのだろう。
そもそも空って何? 下にいる人は空色に染まらないの? 海が波打ったら水は零れてしまわないの? 不思議で堪らない。
勿論、それも映像でなら見たことがあるし、ここにだって生活に必要なものを全て作り出せるシステムがある。ときには大改修をしながら三千年もの間、大切に大切に大切に維持管理してきたシステムが。
あと千年そのままでも、わたしたちの子孫は何不自由なく生きられるだろう。
でも、違う。本能が、沸き立つ血が、テラの地を踏みたがっている。
先祖代々ここで生を受け、ここで一生を終えてきた。わたしもここで生まれ育った。なのに心が恋しがる。どうしようもなく惹き付けられてしまう。
皆が夢を語り、割り当てられた作業の合間に必ずといっていいほど観測部門まで出向いて、遠いテラが見えないものかと望遠鏡に列を成した。
かくいうわたしも望遠鏡のアイピースを覗く権利を放棄したりはしない。
電子的な解析でしか見られなかったテラがようやく望遠鏡で見られるようになったのは、つい一昨日のことだ。待ち望んでいたそれをわたしは見た。
青白い光はまだ遙か遠くの恒星のように頼りなく見えていた。でもそれは先祖たちが生涯を掛けて追い求めた夢の地とは一線を画すもの、夢なんかじゃないのだ。手応えを感じるに充分だった。
あそこに還れるのだと思うと歓喜が躰を震わせ、熱いものがこみ上げた。
この世代に生まれることができたのは何という幸運なのだろう。
作業中にも皆でそう語り合った。そうして皆、いつの間にかテラを乳と蜜の流れるカナンの地のように思っていることに気付いて笑い合うのだ。
その辺りは約束の地を信じて旅立った三千年前の先祖と、何ら変わらないのかも知れない。
だからって期待に胸を膨らませる権利も、誰も放棄したりはしなかった。
厳粛な気分を越え、今や皆が軽度の躁状態とも云えた。
こんなに笑ってすごしたことは、わたしも未だかつてなかったことだ。
喜びの涙を流したことも……。
ここにきて風邪のような病気が流行りだしていたが、気に留めたのは医療班と化学部門の人間くらいのもので、彼らが病原菌の特定とワクチン開発に心血を注いでいる間も、風邪を引いている本人ですら何処吹く風である。
病気ではなく熱に浮かされたように皆、それどころじゃないのだ。
抗生物質が配られただけで保安部門も防疫に乗りだす気配はなかった。
多分に洩れずわたしも風邪を引いてしまったのだが、何よりも愉しみで愉しみで、寝てなどいられない。今日の作業の予定を確かめ観測部門へ足を運ぶ時間を決める。
愛しのテラ。
約束された祝福の地。
何処までも駆けて往ける碧き大地。
初めてなのに、どうしようもなく懐かしい。
テラまであと半月、八百七十AUまで近づいていた。
約五百光年を旅する間にわたしたちの先祖は幾つもの恒星系を巡ったという。けれどわたしたちが待ち望んでいた発見は皆無だった。
でも今現在それを嘆く者はいない。それどころか皆、希望で心を満たしていた。数十世代も何処の星にも降り立っていないにも関わらず。
わたしは約千五百年前のわたしの先祖を誇りに思う。折り返して『母なる地球へ還ろう』と口火を切った先祖を。
わたしの家系は先祖代々このコミューンの最高議長を務めている。現・最高議長はわたしの曾祖父だ。わたしも何れその責を担う。
いや、もうそれも必要ないかも知れない。わたしたちの暮らす宙艦は加速に加速を続け、超速で母なるテラへ還ろうとしているからだ。
憧れと郷愁のテラ……大切な映像記録でしか見たことのない、麗しの青い星。
とは言っても長い長い刻と先祖たちの手を経てきて、様々な要因で劣化してしまったデジタル映像では、本当に『青い』ということくらいしか分からないのだけれど。
その分、想像ばかりが膨らんだ。記録にある、あの酷い頃から立ち直って夢のような豊穣の大地が待っていると期待する者や、逆に、続けざまに起こった世界大戦で、もはやテラの存在すら疑う者もいた。皆、それぞれに際限なく論議を交わした。
だがその議論に一応の終止符が打たれたのは一週間前だ。観測部門が太陽系第三惑星の姿を捉えたと発表したのだ。
あれだけ議論を戦わせていたのに、皆は意外に落ち着いて報告を聞いていたように見えた。厳粛とでもいうのだろうか、わたしも静かに受け止めた。
しかし到着が近づくにつれ、皆が浮き足立つのは仕方ない。
空が青いというのは本当だろうか。波打つ海はどんな風に輝くのだろう。
そもそも空って何? 下にいる人は空色に染まらないの? 海が波打ったら水は零れてしまわないの? 不思議で堪らない。
勿論、それも映像でなら見たことがあるし、ここにだって生活に必要なものを全て作り出せるシステムがある。ときには大改修をしながら三千年もの間、大切に大切に大切に維持管理してきたシステムが。
あと千年そのままでも、わたしたちの子孫は何不自由なく生きられるだろう。
でも、違う。本能が、沸き立つ血が、テラの地を踏みたがっている。
先祖代々ここで生を受け、ここで一生を終えてきた。わたしもここで生まれ育った。なのに心が恋しがる。どうしようもなく惹き付けられてしまう。
皆が夢を語り、割り当てられた作業の合間に必ずといっていいほど観測部門まで出向いて、遠いテラが見えないものかと望遠鏡に列を成した。
かくいうわたしも望遠鏡のアイピースを覗く権利を放棄したりはしない。
電子的な解析でしか見られなかったテラがようやく望遠鏡で見られるようになったのは、つい一昨日のことだ。待ち望んでいたそれをわたしは見た。
青白い光はまだ遙か遠くの恒星のように頼りなく見えていた。でもそれは先祖たちが生涯を掛けて追い求めた夢の地とは一線を画すもの、夢なんかじゃないのだ。手応えを感じるに充分だった。
あそこに還れるのだと思うと歓喜が躰を震わせ、熱いものがこみ上げた。
この世代に生まれることができたのは何という幸運なのだろう。
作業中にも皆でそう語り合った。そうして皆、いつの間にかテラを乳と蜜の流れるカナンの地のように思っていることに気付いて笑い合うのだ。
その辺りは約束の地を信じて旅立った三千年前の先祖と、何ら変わらないのかも知れない。
だからって期待に胸を膨らませる権利も、誰も放棄したりはしなかった。
厳粛な気分を越え、今や皆が軽度の躁状態とも云えた。
こんなに笑ってすごしたことは、わたしも未だかつてなかったことだ。
喜びの涙を流したことも……。
ここにきて風邪のような病気が流行りだしていたが、気に留めたのは医療班と化学部門の人間くらいのもので、彼らが病原菌の特定とワクチン開発に心血を注いでいる間も、風邪を引いている本人ですら何処吹く風である。
病気ではなく熱に浮かされたように皆、それどころじゃないのだ。
抗生物質が配られただけで保安部門も防疫に乗りだす気配はなかった。
多分に洩れずわたしも風邪を引いてしまったのだが、何よりも愉しみで愉しみで、寝てなどいられない。今日の作業の予定を確かめ観測部門へ足を運ぶ時間を決める。
愛しのテラ。
約束された祝福の地。
何処までも駆けて往ける碧き大地。
初めてなのに、どうしようもなく懐かしい。
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