セイレーン~楽園27~

志賀雅基

文字の大きさ
上 下
43 / 43

第43話(最終話)

しおりを挟む
「シド、貴方病人なのに……ごめんね」
「大丈夫だ、もう病人じゃねぇからな。熱、抜けた」
「またそんな……」

 と、ハイファは手を伸ばしてシドの額に触れてみる。

「うーん、本当に熱は下がったかもね」
「いつも言ってるだろ、俺にはお前がクスリだって」
「うん。いつまでもクスリでいさせて」
「ああ、俺の傍にずっといてくれ」

 眠そうなハイファの明るい金髪をクシャリと掴み、撫でておいてシドはまた寝室から出て行く。戻ったときには湯で絞ったタオルを手にしていて、白く細い躰を丁寧に拭い始めた。
 コトのあとで何かと世話を焼きたがるのはシドの趣味のようなものだ。

「出血はしてねぇし、でも痛かったら言えよな」
「ん、ありがと……僕、貴方の傍に……ずっと――」

 そのままハイファは寝入ったようだった。下着とパジャマも丁寧に着せかけ、毛布をキッチリと被せておいてから、自分の身繕いをしてハイファの隣に潜り込んだ。
 天井のライトパネルをリモータで常夜灯モードにし、いつも通りに金髪頭に左腕で腕枕をする。長いさらさらの金髪を指で梳いた。

 そうしているうちにシドにも、とろりとした眠気が押し寄せる。
 静かになるのを待っていたようにタマが現れ、ベッドにポトリと飛び乗ると、シドとハイファの毛布の足許辺りで丸くなった。

◇◇◇◇

「ねえ、資料のここ見て」
「あー、何だって? 任務関係資料ってか」

 タマを構うのをやめたシドは向かい合ってキッチンの椅子に座り、テーブル越しにハイファのリモータから立ち上がった十四インチホロスクリーンを覗き込んだ。

 季節的にハイネックの服は着られず、シドは出勤不能で三日目となっていた。
 その間、ハイファは片時もシドと離れず、求め合うままに何度もひとつになって過ごした。慈しむように抱き、抱かれて、ハイファの中でくすぶり続けていたものもようやく薄まり、消えてなくなったように見えた。

 そして今、遅まきながら別室からの【任務完遂を祝す】という発振とともに、任務に関する追加資料も送られてきたのである。

「ほら、ここ。コリス星系第四惑星リューラの海洋性人種の声には、ある種の催眠誘導波長が含まれる場合があるんだってサ」
「何だ、それ?」
「ええと、人体を海洋に適した形に改造する際に声帯を鰓の一部として利用し、その振動の波長が人間の視床下部に直接作用して――」

「頼む、もう少し脳ミソに染み込むように言ってくれ」
「ええとね、つまり平たく言えば貴方は本当にセイレーンの歌声に惑わされてた、喩えるなら催眠術に掛かってたってことだよ」
「ふうん、催眠術なあ」
「そっかあ、なあんだ。そういうことだったんだ」

 曇りの一片もない微笑みを浮かべたハイファに、シドはそれこそ催眠術にでも掛かったようにふらりと立ち上がり、椅子の背ごと細い躰を抱き締める。白い頬に唇を押しつけた。

「本当にセイレーンの歌声に魅入られてたんだね。ごめんね、貴方ばっかり責めて」
「いや、もうその話は止そうぜ……なあ、ハイファ――」

 またベッドでひとしきり融け合うような刻を過ごしたのちにシドが言い出す。

「そろそろ出勤してもいいんじゃねぇか?」
「ヴィンティス課長を肥え太らせたくないんだね」
「それもあるけどさ、いい加減に歩かねぇと足がなまっちまう」

 逞しい胸に抱かれたまま、ハイファは茶色くなったシドの首筋のアザ群を見上げる。

「貴方が構わないなら別にいいよ。風邪もすっかり治ったみたいだし」
「お前の躰は大丈夫なのか?」
「ん、平気。じゃあ、お昼食べてからね」

 昨夜のカレーを利用したハイファ謹製のドライカレーとスープにサラダのランチをしっかり摂ってから、シドはなるべく台襟の高い綿のシャツを選んで着替えた。コットンパンツを身に着けて執銃し、対衝撃ジャケットを着込むと出勤準備は完了だ。

 玄関でハイファとソフトキスを交わして微笑み合い、番猫のタマを置いて七分署に出勤する。
 そして重役出勤したシドとハイファの間にはひったくりと痴漢と不法入星者の計五名のツアー客が挟まっていて、ヴィンティス課長の顎を落とさせた。

 哀しみを湛えた課長のブルーアイをガン無視したシドはハイファと手分けし、ヒマそうな待機人員に応援を要請して取り調べをさっさと済ませると、やっとデスクに着く。
 懐かしの泥水コーヒーと煙草を味わいつつ、楽勝の書類四枚を挙げてから溜まった電子回覧板を眺めてチェックを始めた。

 目を通した片端からポイポイとハイファのデスクに積み上げる。署内メールをざっと見終え、さて今日はどの方面を歩こうかと思案していると、唐突にハイファが大声を上げてヴィンティス課長までがビクビクッと反応した。

「ああっ、シド、貴方、今晩開催の『機捜課・警務課合コン』の最終出席欄にチェックつけてる!」
「お前も出席にしといたからな」
「なっ、酷いじゃないのサ!」
「何も酷くねぇよ。付き合いだ、付き合い」

「僕というものがありながら、貴方って人はいつもいつも――」
「幹事はマイヤー警部補だぞ、『是非、出てくれ』って約束させられてだな」
「約束って……まだ懲りてないなんて!」
「ネチこいこと言うなよ。懲りるも何もアレが催眠術だって言ったのはお前だろ?」

「誤魔化しても無駄です! 自分でも『催眠術』に納得してないクセに!」
「だから何もなかったんだって! 単に会う約束をだな……」
「約束の大安売りをする男なんて、もう信じらんない。そのシャツ脱がせてやるんだから!」
「ちょ、ハイファやめろ! うわ、ここで抜くな!」

 ハイファがシドの首筋に愛銃をねじ込み、シドがハイファのしっぽを引っ張るという騒ぎに、ヴィンティス課長はこめかみを揉んで背を向け窓外を眺め始める。
 待機人員らは大笑いし、ケヴィン警部の胴元で今日はどっちが勝つかで賭けが始まっていた。


                           了

しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

処理中です...