セイレーン~楽園27~

志賀雅基

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第40話

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 三十分ほども歩いて宙港ホテルに辿り着き、四五〇七号室に到着するなりシドは自発的にベッドの住人となった。ハイファがファーストエイドキットの体温計を咥えさせ、引き抜いてみれば試験紙は四十度近くをマークしていて、即ホテルの専属医を呼ぶ。

 点滴の刑を受けながら潤んだ目でシドはハイファを見上げた。

「……すまん、ハイファ」
「あーあ、情けない顔しちゃって。本当にセイレーンに当てられちゃったみたいだね」
「なんか俺、もう……よく分からなくてさ」
「でしょうとも、その熱じゃ。いい子で寝ててよね」
「……ん」

 枕許に腰掛けて様子を看ている間にシドは寝入ったようだった。ここまできてフラフラ出歩くほどバカではあるまいとハイファは一人でリフレッシャを浴びる。長い毛先までドライモードで乾かしホテルのガウンを着て出てみると、やっとワープ疲れが流れ出していったような気がした。まだ毛布は規則正しく上下している。

 点滴の輸液を差し替え、時折汗を拭いてやったりして二十三時、空腹を覚えてルームサーヴィスを取ることにした。キィロックコードとともにリモータに流されたメニュー表を眺めていると、病人の腹が鳴って黒い目が薄く開けられた。

「メシ……俺も食う」
「食べられるの?」
「食う食う。肉食いたい、肉」

 心の中で「はあ、マジかよ?」と思いつつ、ハイファは適当にメニューを選び注文する。その間にシドは無針タイプで浸透圧式の点滴を自分で外し、バスルームに消えた。

 あの状態で倒れやしないかと心配したが、あまり五月蠅く言うのもまた喧嘩の元である。ハイファは汗でびっしょりになった衣服を拾って備え付けのダートレス――オートクリーニングマシン――に押し込むとスイッチを入れた。
 ショルダーバッグから下着を出してガウンと重ねて置いてやる。丁度ルームサーヴィスがリフトに届いたタイミングでシドはバスルームから出てきた。

 ソファで向かい合って食事にする。ミックスグリルのセットとビーフシチューハンバーグをシェアして頂いた。シドの食欲があるのが嬉しく、ハイファも美味しく食する。

 食べ終えて飲料ディスペンサーのコーヒーを淹れるとシドはとうとう我慢ができなくなったらしく、このアジュルにきてから初めて煙草を咥えた。旨そうに紫煙を吐く合間に体温計も咥えさせる。引き抜いてみると全く熱が下がっていなくてハイファは頭を振った。

「それ一本だけだからね。吸ったら即ベッドだよ」
「お前も一緒に眠らねぇか?」
「本当にそれは眠るだけなんですか?」
「俺にはお前が一番のクスリだって知ってんだろ……なあ、ハイファ?」

 煙草も半ばで惜しげもなく消し、シドはロウテーブル越しにハイファの手に触れようと腕を伸ばす。だがハイファは反射的に手を引っ込めてしまった。瞬時に後悔したが自分から手を差し出すこともできなかった。シドはといえば強引に迫るかと思ったが、眩しいものでも見るように目を眇めると黙ってベッドに戻ると横になって毛布を被ってしまう。

 却って哀しくなったのはハイファの方で泣き出しそうになりながら、そっとベッドに近づくとシドの腕に点滴をセットした。そうして自分もシドのベッドの毛布に潜り込んでみる。
 だがシドは眠ってしまったらしく振り向きもしなかった。

 しっとりと熱いであろう背に触れることさえできず、勿論いつもの左腕の腕枕もない。また泣いてしまいたい気分だったが涙は出なかった。暫くじっとしていたが、やがて空虚な気持ちが訪れてシドのベッドからゆっくりと滑り降りる。

 静かにハイファはもうひとつのベッドに横になった。

◇◇◇◇

 翌朝もシドの熱は下がる気配をみせなかった。

 だがシドは断固として帰ることを主張し、また同じネタで喧嘩するのも虚しく思ったハイファは、死にさえしなければ何とかなるだろうと腹を括って、タイタンまでのチケットを取りシートを二人分リザーブした。
 タイタンまでは四十分ごとにワープ三回の二時間四十分、その間二人は殆ど会話を交わさなかった。タイタンからのシャトル便でも黙ってシドは窓外の瞬かぬ星々を眺め続けていた。

 ようやくテラ本星の宙港に辿り着いてハイファを振り返ったシドの顔色は酷かった。それでもここまできてしまえば仕方ない、宙港メインビルの屋上から定期BELに乗る。
 BELのシートに収まるなりシドは眠りに落ちた。一時間半を眠って過ごした愛し人を単身者用官舎ビルの屋上に到着してからハイファは揺り起こす。

 立ち上がってふらついたのを支えて降機し、エレベーターで五十一階のシドの自室まで肩を貸して戻った。対衝撃ジャケットを脱がせ執銃を解いてやると、シドはベッドに倒れ込む。
 ハイファはショルダーバッグの荷物を片付けてしまうと寝室のシドに声を掛けた。

「ちょっと買い物だけ行ってくるから」
「……ん、気を付けて行ってこい」

 くぐもった声が苦しそうで思わずベッドに近づいてシドの顔を覗き込む。汗をびっしょりとかいていて、タオルで拭ってやった。シャープな頬のラインを見ているとキスを落としたい欲求が湧いたが、ハイファはあと一歩前に出ることができずに躰を硬くしたまま踵を返す。

 玄関を出るとロックしてエレベーターに急いだ。
 官舎の地下には一般人も利用可能なショッピングモールがある。主夫ハイファは何軒かのスーパーマーケットをハシゴして新鮮な野菜や質のいい培養肉などを買い込んだ。
 いつもの荷物持ちがいないので自ら大荷物を手にしてシドの自室に帰り着く。

 病人は大人しく眠っていたようだった。
 コーヒーメーカをセットし、色々と考えながら冷蔵庫に食材を収める。

 気付くと無意識にキッチンの椅子に腰掛けていた。どれだけ呆けていたのか、煮詰まり気味のコーヒーをマグカップに淹れて飲む。罰ゲームのように濃すぎるコーヒーを啜り続けた。
 ふとリモータを見れば十八時になろうとしていて慌てて立ち上がる。

 玄関を出ると隣室のパネルに声を掛けた。

「先生、マルチェロ先生!」
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