セイレーン~楽園27~

志賀雅基

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第34話

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 ハイファの怒りは心配と正比例していることくらい、シドにも分かっていた。だから黙って出てくるという子供の家出と同じ最悪のパターンを踏襲してしまったのは、自分でも分析不能の気持ちからだった。言葉にならないそれを抱え続ける訳にはいかない。

 自分には、自分の命より大切な者がいるのだ。
 だから気持ちに決着をつけに行く、それだけだった。

 窓を開けて初めて荒天だというのに気付いたが、自分を抑えきれずに決行してしまった。街を駆け抜けながら赤い月のアリエスがなくても会えるのだろうかと心配になる。
 さすがに息が上がって僅かに歩き、また走り出すというのを繰り返した。薄明かりの揺れる港が見えたときには少し安堵し、海沿いに出て右手に針路を取る。

 リモータを見るともう十九時五十分、だが濡れた対衝撃ジャケットを割り引いても躰が重たく、幾ら走っても殆ど進めていないような気がして我が身に苛つく。
 できれば出掛けたこと自体をハイファに知られたくなかったが、この分では無理だろうと、その点はとっくに諦めていた。

 そうでなくてもハイファは全てを見透かしているに違いなかった。だから昨夜はあんな風に自分を求めたのだとシドは今なら理解できた。真っ直ぐに瞳を見つめれば隠した心まで互いに読めた。
 なのに自分はどうして行くのか、何に突き動かされているのか。

 ただ決着をつけるための筈で、シド自身そう思い込んでいたが、ここにきて湧いた強い焦りと僅かな期待が胸の中で膨らみ「欺瞞はよせ」と嘲笑っている気がする。

 左側の堤防が途切れた。白いビーチが雷光で一瞬照らされる。
 道を逸れて白い砂利を踏み、ビーチを横切って荒れた波に足を踏み入れた。昨夜の場所までふらふらと波に足を取られつつ歩く。唸りを上げる強風に混じって雨は横殴り、どうせ濡れているのだからとザブザブと腰の辺りまで水に浸かった。

 明かりは遠く伯爵邸から洩れているだけで真っ暗闇に近かった。
 リモータのバックライトを最大にして照らしたが荒れた海ではこれも殆ど役に立たない、タダの豆電球だ。それよりも時折の雷光を待ち望みながら辺りを見回す。そして叫んだ。寒さで唇がよく動かない。歯がカタカタと鳴っていた。

 繰り返し何度も声を張り上げた。待ちに待った雷光が大海原を照らし眩んだ視界に影が浮かび上がる。優美な曲線と虹色の尾びれ。銀の長い長い髪。

 そして鈴を鳴らすような歌声が強風に紛れて切れ切れに耳に届く。その歌を頼りにシドは進んだ。アリエスがなくとも、もう分かる。それは自分を呼んでいた。

 やがて小さな水かきのついた両手を伸ばされ、シドは一歩、二歩と更に深みへ踏み出した。

◇◇◇◇

 どうしても着ていけとジェフに言われたレインコートも、その下のソフトスーツももうびしょ濡れの状態で、ハイファは今にも消えそうなカンテラの炎を宥めるようにしながら足早に海沿いの道を歩いていた。いつシドと出会えるかと期待しつつ、ここまできてしまった。

 バックライトを最大レンジにしたリモータを見ればもう二十一時近く、こんなに長く悪さをしている不良患者に、いったい何と言ってやろうかと文句を考えながら歩を進める。
 やがて抜群の視力で遠くに伯爵邸の明かりを捉えた。あと少し。

 左側に続いていた堤防が途切れ、ハイファは白いビーチをカンテラで照らしてみた。まだ小さな炎とバックライトでは照らしきれず、仕方なく道から逸れて白い砂利を踏む。
 斜めになったビーチを下ると風がどんどん強くなり、この寒さの中、何処にシドがいるのかと目を凝らした。

 荒れた波は昨夜よりも大きくビーチを侵食し、波頭は激しく砕け散っている。
 ふいに気配を感じて目を上げた。波間に黒い影があった。意外に小さかったそれに怒りが募る。肩まで海に浸かるなんてバカじゃないのと思った途端に自然と声が出ていた。

「シド!」

 雷光とともに、もっと遠くで虹色の煌めきが跳ねる。その煌めきが消えて暫くすると黒い影が荒れた波頭に洗われながら、相当な重さであろう自らの身を引きずってビーチまで上がってきた。
 ざくざくと白い砂利を踏んでくるのに背を向け、ハイファは僅かながら風の穏やかな石畳の道までさっさと戻る。少し歩くと堤防に腰を預けて待った。

 暫くして背後の気配に声を投げる。

「セイレーンに魅入られたみたいだね」
「セイレーンって、半分鳥とか言ってなかったか?」
「伝説では人魚の形をしてることもあるんだよ」
「ふうん。……いやさ、約束だったしさ――」

 振り向くなりハイファは言い訳に走った男の頬を平手で打っていた。互いに見つめ合って数秒、真っ青な顔色の不良患者はロクに動かぬ口で言った。

「……すまん」
「分かればいいんです、分かれば。魅入られても還ってきたんだから上等だよ」
「ん、出迎え感謝する。帰ろうぜ」

 殴ったときの衝撃でカンテラの火が消えてしまっているのに気付き、シドがオイルライターで点け直す。二人は小さな炎を供にして帰路を辿り始めた。
 やがて静かな口調でハイファは語りだす。

「――このコリス星系第四惑星リューラの海底からレアメタルが発見された。星系政府はそれを受けて、カルチャーダウンは解かず、秘密裏に採取に着手すると決定した」
「レアメタルに目の眩んだテラ連邦議会が、コリス星系政府を揺さぶったんじゃねぇのか?」
「そこまでは知らないよ」

「で、レアメタルがどう影響したんだ?」
「海が汚染されて海洋性人種はごく近い将来に絶滅する……それをテラ連邦議会から極秘で派遣され、リューラに潜入した科学者たちは突き止めた」
「ごく近い……一個体が一生を終えないくらいの、か?」

 ためらいなくハイファは頷く。シドは思わず振り向いて海を見た。

「それでコリス星系政府はテラと相談、結果テラ連邦議会の『種の保存委員会』が動いたんだよ。この惑星リューラの食文化も壊さない程度に、少しずつ人魚を他星の海に移す方向でね」
「まともに宙港から人魚を運び出してたんだな、テラ連邦軍が」

 この惑星リューラ上で二ヶ所のテラ連邦軍管轄宙港以外から宙艦が飛び立ったというログなど、MCSの何処にも残っていなかったのだ。つまりレヴィ島のラボを通過地点として軍港から堂々と人魚たちは他星に運ばれていたのである。

「でもレアメタルの存在もまだ公的に明かしていない状態だからね。株価まで変わってきちゃうような機密事項関連物として、カルチャーダウンした星からの荷物の中身は極秘扱い、カリム三尉たちが知らなかったのも無理ないよ」
「俺たちだって『デカいコンテナを運んでねぇか?』とは訊かなかったしな」

 今更ながら別室の秘密主義に染まった自分にシドは臍を噛む思いである。

「で、誰がそのコンテナ水槽を掠め取ってるって?」
「テラ連邦軍から『種の保存委員会』に渡されるべきコンテナの一部が横流しされてる。僕はそうみてる。別室戦術コンにトレースさせてるから答えはもう少ししたら届くと思うよ」
「そうか――」

 二度と会えない、会わないつもりでいたクリシュナに大声で伝えたかった。だが彼女が飼われる道を選んでも、そのあと食べられるか他星に送られるかは運次第なのだ。

 いや、伝えたとしても彼女は、クリシュナは、そんな道は選ばないだろう。
 滅びる最後の一人になっても『全てを魅了する』ものとして輝き続けるに違いない――。
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