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第33話
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「あのさ、ハイファ」
「ん、なあに?」
「どんな後進星系だって、有人惑星上には必ず軍事通信衛星MCSが上がってるんだよな?」
「そうだね。……あああ、そんな!」
「そうだ。こんな星から宙艦が飛べば必ずフォローする筈、何でそのログを別室戦術コンが掴んでねぇんだ?」
「……ごめん、先入観で余計なことを言っちゃったかも」
脱力したシドは煙草を指に挟んで振る。
「いや、俺も同じだ。やられたぜ……は、ハックシュン!」
「貴方、風邪引いちゃったんじゃないの?」
「この暑さで風邪なんか……ハックシュン、ずびび」
「大丈夫?」
返事もせずにシドは身を起こすと舷側から海を眺め始めてしまう。くしゃみを連発しながら、またも波間に虹色の煌めきを探していることにシド自身、気付いていない。
そうして海風をまともに浴び続けたせいか、カチコミ漁船が何食わぬ風を装いトキアの港に入港しても、シドの風邪の諸症状は一向に治まる気配を見せなかった。
◇◇◇◇
病人に気を使わせないよう、ハイファが選んだ療養地はドロップスの宿屋だった。
港から診療所経由で乗合馬車を宿に着け、三階のダブルの部屋でシドを寝かしつけると、ジェフにあとを頼んで自分は伯爵邸にショルダーバッグを取りに行き、診療所で頼んであった薬を受け取ってまた宿に戻り……と、めまぐるしく動いてやっと遅い昼食にありついた。
「ごめんね、ジェフ。病人を連れ込んじゃって」
「構わんから、ゆっくり休ませるがいい。他に宿泊客もおらんからの」
「すみません」
「それにしてもこのオムライスは絶品だよな……ゲホ、ゴホッ!」
「あーたは高熱患者のクセして、何でこういうモノが食べられるかなあ?」
一階の食堂のカウンター席、ハイファの隣でシドはしっかりスプーンを握って好物をがっついているのである。ハイファには信じられない食欲だった。
「だって旨いからに決まってるじゃねぇか……は、ハックシュン!」
「お願いだから食べたら大人しく寝ててよね。貴方、アルコールも薬も殆ど効かない特異体質なんだから」
「用事は済んだんだ。平気だから帰っても構わねぇって何度も言って……ゲホ、ゴホッ!」
「そんな調子で長時間、船で移動なんてさせられる訳ないでしょ」
そう言って愛し人を睨む。高熱なのに真っ白な顔色をして、常人なら身を起こしているのもつらいだろうに、この男は見張っていないとフラフラと何処に出て行くか分からない。
だが丈夫そうに見えてたびたび熱を出す自覚のない不良患者にはハイファはもう慣れていた。ハイファ自身は宇宙を駆け巡るスパイ時代に免疫チップを躰に埋めているので風邪を引かない。故にうつる心配もなく看病に専念できるのだ。
綺麗に食べてしまうと二人揃って手を合わせ、ジェフに礼を言ってからハイファは三階まで風邪引き男を連行した。ベッドにまた寝かしつけようとして抵抗され揉み合いとなる。
「なあ、ハイファ……いいだろ?」
「なっ……こんなときにナニ言ってるのサ!」
「だって海に浸かってベタベタなんだぞ。風呂くらい、いいだろ?」
「あ、お風呂……」
耳許での熱い囁きを勘違いした自分を恥じつつハイファは少し考えた。
「今、溜めるから。よく温まる、それだけだからね」
「へいへい……ずびび、ハックシュン!」
風呂から上がったシドをハイファは黒髪が乾くまで徹底的に拭い、診療所で貰った薬を倍量飲ませてから、ようやくベッドに不良患者を横にさせる。やっと寝息を立て始めたシドに溜息をつき、自分も静かにバスルームを使った。
洗濯物を専用の袋に入れて一階に下り、ジェフに頼むとシドの許に戻る。
やっと落ち着いて銃二丁の整備をした。肝心なときに錆び付いて動かないでは命に関わる。
思いつく限りのことを終えるとベッドの傍に椅子を移動し腰掛けるとリモータ操作を始めた。別室に報告と問い合わせである。
そうして暫し時間を潰し、やがてはやることもなくなったが、シドの傍にいられれば退屈しないのがハイファだった。何度も汗を拭いてやり、端正な寝顔を眺め続けた。
夕食の時間になってもシドは目覚めなかった。ランチがかなり遅かったので敢えて起こさずに、ハイファは十九時すぎになって一人で食堂に降りる。食欲はなかったが自分まで体調を崩すと目も当てられないのと、用意してくれるジェフに悪いと思ったのだ。
シドから離れることに不安がなかった訳ではない。どころか黙り込んだまま遠く海を眺めていた切れ長の黒い目がハイファの胸を圧し続けていた。病人に気を使わせないようここを療養地に選んだのも嘘ではないが、伯爵邸より海から遠かったというのが本音だった。
食堂でパンとサラダに若鶏のグリルとスープの夕食を半ば無理矢理摂っていると新たな客が二人、ずぶ濡れで駆け込んでくる。いつの間にか窓外は大荒れで激しい雷雨となっていた。
「いやあ、降られちまった」
「参ったな。すまん、ジェフ。椅子を濡らすぞ」
そんな客にも笑顔のジェフを、ハイファはさっさと食べ終えて手伝った。皿を運んだりして一段落したのが二十時頃、ハイファはジェフに片手を挙げてから三階の部屋に戻る。
シドは起きたらしくベッドはもぬけの殻で、何となくバスルームを覗いたがいなかった。暫く待っても出てこないのでトイレまで覗いたがいない。慌てて見回せば窓が僅かに隙間を空けて雨を降り込ませていた。
「わあ、やられた!」
洗濯から戻ったばかりの対衝撃ジャケットも見当たらない。ここは三階だがシドなら平気で飛び降りるだろう。ハイファは身を翻して階段を駆け下りた。
「ん、なあに?」
「どんな後進星系だって、有人惑星上には必ず軍事通信衛星MCSが上がってるんだよな?」
「そうだね。……あああ、そんな!」
「そうだ。こんな星から宙艦が飛べば必ずフォローする筈、何でそのログを別室戦術コンが掴んでねぇんだ?」
「……ごめん、先入観で余計なことを言っちゃったかも」
脱力したシドは煙草を指に挟んで振る。
「いや、俺も同じだ。やられたぜ……は、ハックシュン!」
「貴方、風邪引いちゃったんじゃないの?」
「この暑さで風邪なんか……ハックシュン、ずびび」
「大丈夫?」
返事もせずにシドは身を起こすと舷側から海を眺め始めてしまう。くしゃみを連発しながら、またも波間に虹色の煌めきを探していることにシド自身、気付いていない。
そうして海風をまともに浴び続けたせいか、カチコミ漁船が何食わぬ風を装いトキアの港に入港しても、シドの風邪の諸症状は一向に治まる気配を見せなかった。
◇◇◇◇
病人に気を使わせないよう、ハイファが選んだ療養地はドロップスの宿屋だった。
港から診療所経由で乗合馬車を宿に着け、三階のダブルの部屋でシドを寝かしつけると、ジェフにあとを頼んで自分は伯爵邸にショルダーバッグを取りに行き、診療所で頼んであった薬を受け取ってまた宿に戻り……と、めまぐるしく動いてやっと遅い昼食にありついた。
「ごめんね、ジェフ。病人を連れ込んじゃって」
「構わんから、ゆっくり休ませるがいい。他に宿泊客もおらんからの」
「すみません」
「それにしてもこのオムライスは絶品だよな……ゲホ、ゴホッ!」
「あーたは高熱患者のクセして、何でこういうモノが食べられるかなあ?」
一階の食堂のカウンター席、ハイファの隣でシドはしっかりスプーンを握って好物をがっついているのである。ハイファには信じられない食欲だった。
「だって旨いからに決まってるじゃねぇか……は、ハックシュン!」
「お願いだから食べたら大人しく寝ててよね。貴方、アルコールも薬も殆ど効かない特異体質なんだから」
「用事は済んだんだ。平気だから帰っても構わねぇって何度も言って……ゲホ、ゴホッ!」
「そんな調子で長時間、船で移動なんてさせられる訳ないでしょ」
そう言って愛し人を睨む。高熱なのに真っ白な顔色をして、常人なら身を起こしているのもつらいだろうに、この男は見張っていないとフラフラと何処に出て行くか分からない。
だが丈夫そうに見えてたびたび熱を出す自覚のない不良患者にはハイファはもう慣れていた。ハイファ自身は宇宙を駆け巡るスパイ時代に免疫チップを躰に埋めているので風邪を引かない。故にうつる心配もなく看病に専念できるのだ。
綺麗に食べてしまうと二人揃って手を合わせ、ジェフに礼を言ってからハイファは三階まで風邪引き男を連行した。ベッドにまた寝かしつけようとして抵抗され揉み合いとなる。
「なあ、ハイファ……いいだろ?」
「なっ……こんなときにナニ言ってるのサ!」
「だって海に浸かってベタベタなんだぞ。風呂くらい、いいだろ?」
「あ、お風呂……」
耳許での熱い囁きを勘違いした自分を恥じつつハイファは少し考えた。
「今、溜めるから。よく温まる、それだけだからね」
「へいへい……ずびび、ハックシュン!」
風呂から上がったシドをハイファは黒髪が乾くまで徹底的に拭い、診療所で貰った薬を倍量飲ませてから、ようやくベッドに不良患者を横にさせる。やっと寝息を立て始めたシドに溜息をつき、自分も静かにバスルームを使った。
洗濯物を専用の袋に入れて一階に下り、ジェフに頼むとシドの許に戻る。
やっと落ち着いて銃二丁の整備をした。肝心なときに錆び付いて動かないでは命に関わる。
思いつく限りのことを終えるとベッドの傍に椅子を移動し腰掛けるとリモータ操作を始めた。別室に報告と問い合わせである。
そうして暫し時間を潰し、やがてはやることもなくなったが、シドの傍にいられれば退屈しないのがハイファだった。何度も汗を拭いてやり、端正な寝顔を眺め続けた。
夕食の時間になってもシドは目覚めなかった。ランチがかなり遅かったので敢えて起こさずに、ハイファは十九時すぎになって一人で食堂に降りる。食欲はなかったが自分まで体調を崩すと目も当てられないのと、用意してくれるジェフに悪いと思ったのだ。
シドから離れることに不安がなかった訳ではない。どころか黙り込んだまま遠く海を眺めていた切れ長の黒い目がハイファの胸を圧し続けていた。病人に気を使わせないようここを療養地に選んだのも嘘ではないが、伯爵邸より海から遠かったというのが本音だった。
食堂でパンとサラダに若鶏のグリルとスープの夕食を半ば無理矢理摂っていると新たな客が二人、ずぶ濡れで駆け込んでくる。いつの間にか窓外は大荒れで激しい雷雨となっていた。
「いやあ、降られちまった」
「参ったな。すまん、ジェフ。椅子を濡らすぞ」
そんな客にも笑顔のジェフを、ハイファはさっさと食べ終えて手伝った。皿を運んだりして一段落したのが二十時頃、ハイファはジェフに片手を挙げてから三階の部屋に戻る。
シドは起きたらしくベッドはもぬけの殻で、何となくバスルームを覗いたがいなかった。暫く待っても出てこないのでトイレまで覗いたがいない。慌てて見回せば窓が僅かに隙間を空けて雨を降り込ませていた。
「わあ、やられた!」
洗濯から戻ったばかりの対衝撃ジャケットも見当たらない。ここは三階だがシドなら平気で飛び降りるだろう。ハイファは身を翻して階段を駆け下りた。
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