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第8話
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機捜課のデカ部屋に戻るとシドとハイファはまた書類漬けである。
「何だよ、倒れそうっつーのはガセか」
八つ当たりでシドはデカい声を出したが、事の顛末をゴーダ警部から聞いたヴィンティス課長は顔色を取り戻して多機能デスクに就いていた。関心事はイヴェントストライカの持ち込む管内の事件発生率なのだ。軍が攫っていったのなら万々歳なのだろう。
酷い右下がりの文字で書類を埋めるシドの背後では『午後にイヴェントストライカが事件に遭遇する』か否かで賭けをしていた同僚たちが、この場合の判断を巡って大騒ぎだ。ケヴィン警部とヨシノ警部が本日の深夜番を賭けて言い争いを続けている。
「それにしても人魚なんか密輸してどうするんだろうなあ」
言いつつヘイワード警部補がシドとハイファのデスクに泥水コーヒーの紙コップを置いてくれた。勝手知ったるよそのデカ部屋でくつろいでいる。
「ありがとうございます」
「あ、すんません」
礼を言うと火を要求され、ヘイワード警部補の咥えた煙草にシドがオイルライターで着火した。自分もついでに煙草を咥える。そこにゴーダ警部もやってきて仲間入りだ。
煙草からニコチン・タールなどの有害物質が消えて久しいが企業努力として依存物質は含まれている。そこに嵌った哀れな中毒患者らに要求され、シドの左隣の席のヤマサキが追加の灰皿を調達した。
「人魚の密輸……密輸なんスかね?」
「リモータも嵌めていませんでしたし、あの警戒ぶりは密輸じゃないでしょうか」
マイヤー警部補がそう言い、シドがペンを動かす手は止めずに呟く。
「八百比丘尼でもあるまいしな」
「『やおびくに』って、なんスか?」
「人魚の肉を食ったら歳を取らなくなった女の伝説だ」
「へえ、そんなモンをお前さんが知ってるとはな。八百年も彷徨って砂になったんだっけか」
「ゴーダ主任も珍しいことを知ってますね」
「おう、知ってて悪かったな」
またこぶしで背中をどつかれ、シドは咳き込んで咥え煙草の灰を落とし、報告書に焦げ穴を空けた。指で擦って誤魔化すのを眺めながらヘイワード警部補が真顔で訊く。
「人魚って食べられるのか?」
「人だって食えますよ」
「人を食った話だな」
「面白くないですよ、ヘイワード警部補。捜一はヒマなんですかね?」
「ヒマな訳があるか。あんたとあんたの嫁さんが持ち込んだ先週のタタキは五件だぞ、裏取りする身にもなってくれ」
ふいの『嫁さん』口撃にシドは怯んだが、表面には出さずポーカーフェイスで書類を埋め続けた。だがバディの動揺を察したハイファが仇討ちとばかりに明るい声を出す。
「本当に帳場が立たなくて良かったですね、ヘイワード警部補。また奥さんに『零時を過ぎたら帰ってくるな』って怒られずに済みますよ」
「そいつを言ってくれるなって……ムゴいよなあ」
全員が笑った。少なくとも今回の件は笑い飛ばして忘れるしかないのである。
病院に運ばれた銃撃のホシたちも再生槽に浸かったまま、何もかもを軍が引き取って行ったという景気の悪い報も入っていた。
そこでヘイワード警部補に上司のグレン警部から発振が入る。サボりがバレた男は五階の捜一へと帰っていった。それを契機に皆が散ってゆく。だが残った隣の席のヤマサキだけは珍しいモノを見た興奮が今頃押し寄せてきたらしく、べらべらと喋り続けた。
「みんな綺麗な人ばっかりでしたよね。軍はあれ、どうするんスかね?」
「さあな。まさか食ったりしねぇだろ」
「ちゃんと故郷の海に還れたらいいんスけどね。それにしても変わった異星人がいますよね」
「そうだな。でもタイタンの宙港辺りには色んなのがいるぞ」
土星の衛星タイタンには第一から第七までの大規模ハブ宙港があり、このどれかを通過しなければ太陽系内外の何処にも行けないシステムになっているのだ。
「そりゃあ先輩たちは『出張』に『研修』でタイタンにもしょっちゅう行ってるでしょうけどね。いいなあ、俺も『出張』か『研修』に行ってみたいっスよ」
ひとときペンを止め、シドはまじまじと後輩の顔を眺めた。シドとハイファだけに『出張』だの『研修』だのといった特別勤務が続々と降って湧くのだ、もう誰も機捜課七不思議だとは思っていない。二人には何か秘密があると悟っていて黙ってくれているのだ。
それなのにこの七分署一空気の読めない男ヤマサキだけはガチで『出張』に『研修』だと思い込んでいる。次に別室任務が降って湧いたら、リモータごとこの男に丸投げしてやろうかとシドは思った。
そう思ったのが運の尽きかも知れない。再びペンを動かし始めた途端にハイファのリモータが、数秒遅れてシドのリモータが震え始めていた。パターンは別室だった。
「わあ、きちゃった……」
「お前の所は仕事が早いな。もうホシが挙がった報告かよ?」
「嫌味はいいよ。……シドの巣でいい?」
二人は喋り続けるヤマサキを置いて密やかに立ち上がった。目立たぬようそっと移動して地下への階段を下りる。地下は機捜課専用の留置場で、シド自身が引っ張ってくるホシ以外に住人などいない、ワイア格子の挟まったポリカーボネート張りの、向かって一番右端の房が通称シドの巣と呼ばれる空間となっていた。
ここは捜査となれば昼夜関係なく歩き回るシドが、単独時代にずっと利用していた仮眠所だった。出勤にも大変便利である。
現在はハイファがいるので泊まることこそ殆どないが巣はそのまま存続され、事件にストライク続きでヴィンティス課長から外出禁止令を食らったときなどに不貞寝をしたり、趣味のプラモデルを作っていたりするのだ。公私混同という向きもあるが、ここに篭もってさえいれば事件は持ち込まれないので、課長以下課員は誰一人として咎め立てはしない。
こうして別室関係の密談もできる便利な部屋でもあるが、ハイファにとっては二十四時間殆ど行動をともにしているのに、少し目を離すと何故かゴミが層を成す汚部屋になっているという非常にナゾな部屋でもあった。
「何だよ、倒れそうっつーのはガセか」
八つ当たりでシドはデカい声を出したが、事の顛末をゴーダ警部から聞いたヴィンティス課長は顔色を取り戻して多機能デスクに就いていた。関心事はイヴェントストライカの持ち込む管内の事件発生率なのだ。軍が攫っていったのなら万々歳なのだろう。
酷い右下がりの文字で書類を埋めるシドの背後では『午後にイヴェントストライカが事件に遭遇する』か否かで賭けをしていた同僚たちが、この場合の判断を巡って大騒ぎだ。ケヴィン警部とヨシノ警部が本日の深夜番を賭けて言い争いを続けている。
「それにしても人魚なんか密輸してどうするんだろうなあ」
言いつつヘイワード警部補がシドとハイファのデスクに泥水コーヒーの紙コップを置いてくれた。勝手知ったるよそのデカ部屋でくつろいでいる。
「ありがとうございます」
「あ、すんません」
礼を言うと火を要求され、ヘイワード警部補の咥えた煙草にシドがオイルライターで着火した。自分もついでに煙草を咥える。そこにゴーダ警部もやってきて仲間入りだ。
煙草からニコチン・タールなどの有害物質が消えて久しいが企業努力として依存物質は含まれている。そこに嵌った哀れな中毒患者らに要求され、シドの左隣の席のヤマサキが追加の灰皿を調達した。
「人魚の密輸……密輸なんスかね?」
「リモータも嵌めていませんでしたし、あの警戒ぶりは密輸じゃないでしょうか」
マイヤー警部補がそう言い、シドがペンを動かす手は止めずに呟く。
「八百比丘尼でもあるまいしな」
「『やおびくに』って、なんスか?」
「人魚の肉を食ったら歳を取らなくなった女の伝説だ」
「へえ、そんなモンをお前さんが知ってるとはな。八百年も彷徨って砂になったんだっけか」
「ゴーダ主任も珍しいことを知ってますね」
「おう、知ってて悪かったな」
またこぶしで背中をどつかれ、シドは咳き込んで咥え煙草の灰を落とし、報告書に焦げ穴を空けた。指で擦って誤魔化すのを眺めながらヘイワード警部補が真顔で訊く。
「人魚って食べられるのか?」
「人だって食えますよ」
「人を食った話だな」
「面白くないですよ、ヘイワード警部補。捜一はヒマなんですかね?」
「ヒマな訳があるか。あんたとあんたの嫁さんが持ち込んだ先週のタタキは五件だぞ、裏取りする身にもなってくれ」
ふいの『嫁さん』口撃にシドは怯んだが、表面には出さずポーカーフェイスで書類を埋め続けた。だがバディの動揺を察したハイファが仇討ちとばかりに明るい声を出す。
「本当に帳場が立たなくて良かったですね、ヘイワード警部補。また奥さんに『零時を過ぎたら帰ってくるな』って怒られずに済みますよ」
「そいつを言ってくれるなって……ムゴいよなあ」
全員が笑った。少なくとも今回の件は笑い飛ばして忘れるしかないのである。
病院に運ばれた銃撃のホシたちも再生槽に浸かったまま、何もかもを軍が引き取って行ったという景気の悪い報も入っていた。
そこでヘイワード警部補に上司のグレン警部から発振が入る。サボりがバレた男は五階の捜一へと帰っていった。それを契機に皆が散ってゆく。だが残った隣の席のヤマサキだけは珍しいモノを見た興奮が今頃押し寄せてきたらしく、べらべらと喋り続けた。
「みんな綺麗な人ばっかりでしたよね。軍はあれ、どうするんスかね?」
「さあな。まさか食ったりしねぇだろ」
「ちゃんと故郷の海に還れたらいいんスけどね。それにしても変わった異星人がいますよね」
「そうだな。でもタイタンの宙港辺りには色んなのがいるぞ」
土星の衛星タイタンには第一から第七までの大規模ハブ宙港があり、このどれかを通過しなければ太陽系内外の何処にも行けないシステムになっているのだ。
「そりゃあ先輩たちは『出張』に『研修』でタイタンにもしょっちゅう行ってるでしょうけどね。いいなあ、俺も『出張』か『研修』に行ってみたいっスよ」
ひとときペンを止め、シドはまじまじと後輩の顔を眺めた。シドとハイファだけに『出張』だの『研修』だのといった特別勤務が続々と降って湧くのだ、もう誰も機捜課七不思議だとは思っていない。二人には何か秘密があると悟っていて黙ってくれているのだ。
それなのにこの七分署一空気の読めない男ヤマサキだけはガチで『出張』に『研修』だと思い込んでいる。次に別室任務が降って湧いたら、リモータごとこの男に丸投げしてやろうかとシドは思った。
そう思ったのが運の尽きかも知れない。再びペンを動かし始めた途端にハイファのリモータが、数秒遅れてシドのリモータが震え始めていた。パターンは別室だった。
「わあ、きちゃった……」
「お前の所は仕事が早いな。もうホシが挙がった報告かよ?」
「嫌味はいいよ。……シドの巣でいい?」
二人は喋り続けるヤマサキを置いて密やかに立ち上がった。目立たぬようそっと移動して地下への階段を下りる。地下は機捜課専用の留置場で、シド自身が引っ張ってくるホシ以外に住人などいない、ワイア格子の挟まったポリカーボネート張りの、向かって一番右端の房が通称シドの巣と呼ばれる空間となっていた。
ここは捜査となれば昼夜関係なく歩き回るシドが、単独時代にずっと利用していた仮眠所だった。出勤にも大変便利である。
現在はハイファがいるので泊まることこそ殆どないが巣はそのまま存続され、事件にストライク続きでヴィンティス課長から外出禁止令を食らったときなどに不貞寝をしたり、趣味のプラモデルを作っていたりするのだ。公私混同という向きもあるが、ここに篭もってさえいれば事件は持ち込まれないので、課長以下課員は誰一人として咎め立てはしない。
こうして別室関係の密談もできる便利な部屋でもあるが、ハイファにとっては二十四時間殆ど行動をともにしているのに、少し目を離すと何故かゴミが層を成す汚部屋になっているという非常にナゾな部屋でもあった。
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