セイレーン~楽園27~

志賀雅基

文字の大きさ
上 下
8 / 43

第8話

しおりを挟む
 機捜課のデカ部屋に戻るとシドとハイファはまた書類漬けである。

「何だよ、倒れそうっつーのはガセか」

 八つ当たりでシドはデカい声を出したが、事の顛末をゴーダ警部から聞いたヴィンティス課長は顔色を取り戻して多機能デスクに就いていた。関心事はイヴェントストライカの持ち込む管内の事件発生率なのだ。軍が攫っていったのなら万々歳なのだろう。

 酷い右下がりの文字で書類を埋めるシドの背後では『午後にイヴェントストライカが事件に遭遇する』か否かで賭けをしていた同僚たちが、この場合の判断を巡って大騒ぎだ。ケヴィン警部とヨシノ警部が本日の深夜番を賭けて言い争いを続けている。

「それにしても人魚なんか密輸してどうするんだろうなあ」

 言いつつヘイワード警部補がシドとハイファのデスクに泥水コーヒーの紙コップを置いてくれた。勝手知ったるよそのデカ部屋でくつろいでいる。

「ありがとうございます」
「あ、すんません」

 礼を言うと火を要求され、ヘイワード警部補の咥えた煙草にシドがオイルライターで着火した。自分もついでに煙草を咥える。そこにゴーダ警部もやってきて仲間入りだ。
 煙草からニコチン・タールなどの有害物質が消えて久しいが企業努力として依存物質は含まれている。そこに嵌った哀れな中毒患者らに要求され、シドの左隣の席のヤマサキが追加の灰皿を調達した。

「人魚の密輸……密輸なんスかね?」
「リモータも嵌めていませんでしたし、あの警戒ぶりは密輸じゃないでしょうか」

 マイヤー警部補がそう言い、シドがペンを動かす手は止めずに呟く。

八百比丘尼やおびくにでもあるまいしな」
「『やおびくに』って、なんスか?」
「人魚の肉を食ったら歳を取らなくなった女の伝説だ」

「へえ、そんなモンをお前さんが知ってるとはな。八百年も彷徨って砂になったんだっけか」
「ゴーダ主任も珍しいことを知ってますね」
「おう、知ってて悪かったな」

 またこぶしで背中をどつかれ、シドは咳き込んで咥え煙草の灰を落とし、報告書に焦げ穴を空けた。指で擦って誤魔化すのを眺めながらヘイワード警部補が真顔で訊く。

「人魚って食べられるのか?」
「人だって食えますよ」
「人を食った話だな」

「面白くないですよ、ヘイワード警部補。捜一はヒマなんですかね?」
「ヒマな訳があるか。あんたとあんたの嫁さんが持ち込んだ先週のタタキは五件だぞ、裏取りする身にもなってくれ」

 ふいの『嫁さん』口撃にシドは怯んだが、表面には出さずポーカーフェイスで書類を埋め続けた。だがバディの動揺を察したハイファが仇討ちとばかりに明るい声を出す。

「本当に帳場が立たなくて良かったですね、ヘイワード警部補。また奥さんに『零時を過ぎたら帰ってくるな』って怒られずに済みますよ」
「そいつを言ってくれるなって……ムゴいよなあ」

 全員が笑った。少なくとも今回の件は笑い飛ばして忘れるしかないのである。
 病院に運ばれた銃撃のホシたちも再生槽に浸かったまま、何もかもを軍が引き取って行ったという景気の悪い報も入っていた。

 そこでヘイワード警部補に上司のグレン警部から発振が入る。サボりがバレた男は五階の捜一へと帰っていった。それを契機に皆が散ってゆく。だが残った隣の席のヤマサキだけは珍しいモノを見た興奮が今頃押し寄せてきたらしく、べらべらと喋り続けた。

「みんな綺麗な人ばっかりでしたよね。軍はあれ、どうするんスかね?」
「さあな。まさか食ったりしねぇだろ」
「ちゃんと故郷の海に還れたらいいんスけどね。それにしても変わった異星人がいますよね」
「そうだな。でもタイタンの宙港辺りには色んなのがいるぞ」

 土星の衛星タイタンには第一から第七までの大規模ハブ宙港があり、このどれかを通過しなければ太陽系内外の何処にも行けないシステムになっているのだ。

「そりゃあ先輩たちは『出張』に『研修』でタイタンにもしょっちゅう行ってるでしょうけどね。いいなあ、俺も『出張』か『研修』に行ってみたいっスよ」

 ひとときペンを止め、シドはまじまじと後輩の顔を眺めた。シドとハイファだけに『出張』だの『研修』だのといった特別勤務が続々と降って湧くのだ、もう誰も機捜課七不思議だとは思っていない。二人には何か秘密があると悟っていて黙ってくれているのだ。

 それなのにこの七分署一空気の読めない男ヤマサキだけはガチで『出張』に『研修』だと思い込んでいる。次に別室任務が降って湧いたら、リモータごとこの男に丸投げしてやろうかとシドは思った。

 そう思ったのが運の尽きかも知れない。再びペンを動かし始めた途端にハイファのリモータが、数秒遅れてシドのリモータが震え始めていた。パターンは別室だった。

「わあ、きちゃった……」
「お前の所は仕事が早いな。もうホシが挙がった報告かよ?」
「嫌味はいいよ。……シドの巣でいい?」

 二人は喋り続けるヤマサキを置いて密やかに立ち上がった。目立たぬようそっと移動して地下への階段を下りる。地下は機捜課専用の留置場で、シド自身が引っ張ってくるホシ以外に住人などいない、ワイア格子の挟まったポリカーボネート張りの、向かって一番右端の房が通称シドの巣と呼ばれる空間となっていた。

 ここは捜査となれば昼夜関係なく歩き回るシドが、単独時代にずっと利用していた仮眠所だった。出勤にも大変便利である。

 現在はハイファがいるので泊まることこそ殆どないが巣はそのまま存続され、事件にストライク続きでヴィンティス課長から外出禁止令を食らったときなどに不貞寝をしたり、趣味のプラモデルを作っていたりするのだ。公私混同という向きもあるが、ここに篭もってさえいれば事件は持ち込まれないので、課長以下課員は誰一人として咎め立てはしない。

 こうして別室関係の密談もできる便利な部屋でもあるが、ハイファにとっては二十四時間殆ど行動をともにしているのに、少し目を離すと何故かゴミが層を成す汚部屋になっているという非常にナゾな部屋でもあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

処理中です...