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第3話
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「毎回、五月蠅いっつーの、課長の野郎」
「でもちょっと可哀相だったんじゃない?」
振り返ると機捜課の窓からヴィンティス課長が「も・ど・れ~っ!」とハンドサインを寄越している。同報で即、飛び出して行かねばならない機捜課は一階にあった。
手洗いに立ったフリをして次々に離脱したシドとハイファは、いっそ悲愴な青い目に背を向ける。ここから小一時間歩いた場所にリンデンバウムはあった。
リモータを見れば十一時半、いい時間である。
気象制御装置に頼ってか、空も綺麗に晴れ上がっていて気持ちのいい日だった。
蒼穹を仰いでシドは大きく伸びをし、左方向へと歩き始める。ファイバの歩道にはスライドロードも併設されていたが、『刑事は歩いてなんぼ』を標榜するシドは使わない。
昼前の官庁街をぐいぐい歩くシドにハイファも肩を並べる。何もシドは無闇にサボりたいのではない。歩いていなくては見えてこない犯罪から人々を護ろうと、少しでも『間に合おう』としているのだ。それをハイファも理解していて、文句も言わずに付き従っている。
「それもこれも、どの班にも所属してないから可能なんだよね」
「どうせ俺はどの班からも爪弾きされた、機捜課の黒羊だからな」
「僕だって一緒なんですけど。でも遊撃的身分なのは有難いよ」
右側の大通りを僅かに身を浮かせて走るコイルが埋めている。交通量は多いが殆どオートで走っているので流れはいい。色とりどりのそれらが陽を弾いて眩しかった。
緊急音を鳴らさない救急機が二人の上空を掠めてゆく。救急機は垂直離着陸機のBEL、BELもコイルも同じく反重力装置駆動で騒音も排気もない。
「深夜番も回ってこないから、書類さえ片付けば定時上がりが可能だし」
と、遠回しにハイファは『帰ったら書類だからね』と念を押した。
「分かってるってばよ。けど書類もないとヒマで死ぬぞ」
「何処の課もイヴェントストライカには下請け仕事を回してこないしねえ」
無論ストライクされるのが怖いのである。深夜番も真夜中の大ストライクで非常呼集というパターンを課長以下課員が恐れるために回ってこない。どの班にも所属していないのは特定人員だけに負荷が掛かるのを避けるためで、何も優遇されているのではないのだ。
「だから嫌な予感がしてくるから、その仇名を口にするなって……うわっ!」
突然コイルの一台が車列から飛び出してきてシドの傍の街路樹にぶつかり止まる。見ればそれは無人コイルタクシーで、オートである以上事故などありえないのだが、シドの前ではこういうことが多々起こる。後部座席で固まっている乗客はどうやら無事らしい。
「ハイファ、交通課にリモータ発振」
「アイ・サー」
まもなく駆け付けた交通課員らはシドを見て納得したように頷いた。それでまたシドのポーカーフェイスの眉間に不機嫌が色濃く溜められる。
「誰も彼も失礼じゃねぇか?」
「まあまあ。早くしないとランチがなくなるよ」
交通課に全てを任せ、促されてシドはまた歩き出した。
官庁街を抜けショッピング街に差し掛かると途端に人通りが多くなる。ここからはひったくりや置き引きに痴漢などが増えるので、異状を察知せんとシドの切れ長の目は鋭くなった。
ウィンドウショッピングにいそしむ女性たちやティッシュ配り、アンケートや占い師などで流れも滞りがちな人混みを、シドとハイファはしなやかな足取りで泳ぎ渡ってゆく。
五歳くらいの女の子が手放した風船を、シドはハイファの薄い肩に手をついてジャンプし、取り戻して返してやった。親にしては若い、妙齢のご婦人に礼を言われる。
そんな雑踏を一往復してから二人は先に歩を進めた。
大通りを挟んだ右手に公園が見え始めると周囲はアパレル関係の店ばかりとなる。そのブティックの間の見落としてしまいそうな小径に二人は足を踏み入れた。
小径を抜けるとそこは裏通り、夜遊び専門の歓楽街である。
居並ぶ店はバーにスナック、クラブにゲームセンター、合法ドラッグ店などだ。夜になれば煌びやかに電子看板が灯り、ホロが飛び出して人を誘うのだが、昼間の今はドラッグ屋とゲーセンに僅かな客の出入りがあるだけで、殆どの店は電子看板も消し、ひっそりとしている。
行き交う者も格段に少なく、我に返ったように静かな通りを三百メートルほど歩いて、二人はリンデンバウムに辿り着いた。
リンデンバウムの前には小さなイーゼルがあり『本日のおすすめ』などが書かれていたが、二人は注視せずにオートではない合板のドアから店内に入る。
真っ直ぐシドが向かったのはカウンター席、奥から三番目だ。その更に奥にハイファが腰掛ける。指定席に収まった二人にカウンター内からマスターが水のグラスとおしぼりを差し出す。シドがマスターに注文した。
「ランチ、ふたつ」
頷いた寡黙なマスターはフライパンを温め始めた。シドは手を拭くと早速煙草を咥えてオイルライターで火を点ける。そのときハイファのリモータが震えだした。シドも知る発振パターンはファサルートコーポレーションからだ。
「おっ、FC専務サマはお仕事か?」
ハイファはリモータ操作して通信を読み流しながら顔をしかめる。
「決裁書類の催促だよ。ちょっと作業するね」
「署名の大盤振る舞いか、頑張って稼いでくれ」
「でもちょっと可哀相だったんじゃない?」
振り返ると機捜課の窓からヴィンティス課長が「も・ど・れ~っ!」とハンドサインを寄越している。同報で即、飛び出して行かねばならない機捜課は一階にあった。
手洗いに立ったフリをして次々に離脱したシドとハイファは、いっそ悲愴な青い目に背を向ける。ここから小一時間歩いた場所にリンデンバウムはあった。
リモータを見れば十一時半、いい時間である。
気象制御装置に頼ってか、空も綺麗に晴れ上がっていて気持ちのいい日だった。
蒼穹を仰いでシドは大きく伸びをし、左方向へと歩き始める。ファイバの歩道にはスライドロードも併設されていたが、『刑事は歩いてなんぼ』を標榜するシドは使わない。
昼前の官庁街をぐいぐい歩くシドにハイファも肩を並べる。何もシドは無闇にサボりたいのではない。歩いていなくては見えてこない犯罪から人々を護ろうと、少しでも『間に合おう』としているのだ。それをハイファも理解していて、文句も言わずに付き従っている。
「それもこれも、どの班にも所属してないから可能なんだよね」
「どうせ俺はどの班からも爪弾きされた、機捜課の黒羊だからな」
「僕だって一緒なんですけど。でも遊撃的身分なのは有難いよ」
右側の大通りを僅かに身を浮かせて走るコイルが埋めている。交通量は多いが殆どオートで走っているので流れはいい。色とりどりのそれらが陽を弾いて眩しかった。
緊急音を鳴らさない救急機が二人の上空を掠めてゆく。救急機は垂直離着陸機のBEL、BELもコイルも同じく反重力装置駆動で騒音も排気もない。
「深夜番も回ってこないから、書類さえ片付けば定時上がりが可能だし」
と、遠回しにハイファは『帰ったら書類だからね』と念を押した。
「分かってるってばよ。けど書類もないとヒマで死ぬぞ」
「何処の課もイヴェントストライカには下請け仕事を回してこないしねえ」
無論ストライクされるのが怖いのである。深夜番も真夜中の大ストライクで非常呼集というパターンを課長以下課員が恐れるために回ってこない。どの班にも所属していないのは特定人員だけに負荷が掛かるのを避けるためで、何も優遇されているのではないのだ。
「だから嫌な予感がしてくるから、その仇名を口にするなって……うわっ!」
突然コイルの一台が車列から飛び出してきてシドの傍の街路樹にぶつかり止まる。見ればそれは無人コイルタクシーで、オートである以上事故などありえないのだが、シドの前ではこういうことが多々起こる。後部座席で固まっている乗客はどうやら無事らしい。
「ハイファ、交通課にリモータ発振」
「アイ・サー」
まもなく駆け付けた交通課員らはシドを見て納得したように頷いた。それでまたシドのポーカーフェイスの眉間に不機嫌が色濃く溜められる。
「誰も彼も失礼じゃねぇか?」
「まあまあ。早くしないとランチがなくなるよ」
交通課に全てを任せ、促されてシドはまた歩き出した。
官庁街を抜けショッピング街に差し掛かると途端に人通りが多くなる。ここからはひったくりや置き引きに痴漢などが増えるので、異状を察知せんとシドの切れ長の目は鋭くなった。
ウィンドウショッピングにいそしむ女性たちやティッシュ配り、アンケートや占い師などで流れも滞りがちな人混みを、シドとハイファはしなやかな足取りで泳ぎ渡ってゆく。
五歳くらいの女の子が手放した風船を、シドはハイファの薄い肩に手をついてジャンプし、取り戻して返してやった。親にしては若い、妙齢のご婦人に礼を言われる。
そんな雑踏を一往復してから二人は先に歩を進めた。
大通りを挟んだ右手に公園が見え始めると周囲はアパレル関係の店ばかりとなる。そのブティックの間の見落としてしまいそうな小径に二人は足を踏み入れた。
小径を抜けるとそこは裏通り、夜遊び専門の歓楽街である。
居並ぶ店はバーにスナック、クラブにゲームセンター、合法ドラッグ店などだ。夜になれば煌びやかに電子看板が灯り、ホロが飛び出して人を誘うのだが、昼間の今はドラッグ屋とゲーセンに僅かな客の出入りがあるだけで、殆どの店は電子看板も消し、ひっそりとしている。
行き交う者も格段に少なく、我に返ったように静かな通りを三百メートルほど歩いて、二人はリンデンバウムに辿り着いた。
リンデンバウムの前には小さなイーゼルがあり『本日のおすすめ』などが書かれていたが、二人は注視せずにオートではない合板のドアから店内に入る。
真っ直ぐシドが向かったのはカウンター席、奥から三番目だ。その更に奥にハイファが腰掛ける。指定席に収まった二人にカウンター内からマスターが水のグラスとおしぼりを差し出す。シドがマスターに注文した。
「ランチ、ふたつ」
頷いた寡黙なマスターはフライパンを温め始めた。シドは手を拭くと早速煙草を咥えてオイルライターで火を点ける。そのときハイファのリモータが震えだした。シドも知る発振パターンはファサルートコーポレーションからだ。
「おっ、FC専務サマはお仕事か?」
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