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第1話
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ふらりと立ち上がったシドの袖を右隣のデスクから伸びた手が掴んだ。
「何処に行くのサ?」
「何処って、外回りだ。お前まで課長みたいなこと言うなよな」
「課長みたいで申し訳アリマセンが、この書類の山を見て貴方は言ってるんですか?」
相棒のハイファにグイと引っ張られ、シドは敢えなく再び椅子に着地する。
「ったく、俺たちだけ忙しすぎるんだって。アンフェアすぎるぜ」
「そのアンフェア人生に僕も付き合ってるんだから、文句を言わずに書いて下さい」
やたらと丁寧語になりつつあるハイファは危険信号、シドもこれで表に出るのは拙いと承知していた。だが最後の抵抗で傍らに積んであった電子回覧板を手にして背後を見回す。
朝の喧噪が収まったフロア内では同僚たちがデスクで欠伸をし、噂話に花を咲かせ、情報収集用に点けてあるホロTVを眺め、鼻毛を抜いて太さを比べ、気も早く本日の深夜番を賭けてのカード大会を繰り広げている。誰も仕事などしてはいなかった。
いや、仕事をしていないように見えるが、彼らはここに居るのが仕事なのだ。
ここは太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課の刑事部屋である。
AD世紀から三千年経って機動捜査隊から機動捜査課と名を変えた今でも、殺しや強盗などの凶悪事件の初動捜査を担当するセクションだ。同報と呼ばれる事件の知らせが入れば飛び出してゆかねばならない。
だが汎銀河一の治安の良さを誇る地球本星セントラルエリアでそんな事件は殆ど起こらない。広大な汎銀河にあまた存在する、あとからテラフォーミングされた惑星に比べ、母なるテラ本星はテラ連邦議会のお膝元として妙なエリート意識が漂う社会である。
ID管理が確立され、義務と権利のバランスがとれたここでは皆、醒めているのだ。
お蔭でここに残った僅かな在署番以外の機捜課員は他課の張り込みや聞き込み、ガサ要員などといった下請け仕事に出掛けているという有様なのである。
「なのにシド、あーたの前ではどうしてこんなに事件が起こるんでしょうねえ」
「うるせぇな、ハイファ。俺がやってる訳じゃねぇっつーの」
「道を歩けば、ううん、表に立ってるだけで事件・事故が寄ってくる超ナゾ特異体質『イヴェントストライカ』としての自覚が足りないんじゃないの?」
「ハイファ、その仇名を口にするな」
「宝飾店強盗二件に街金強盗二件、通り魔一件にその他諸々。書類も一昨日から溜まりっ放しで三十枚、さすがは『シド=ワカミヤの通った跡は事件・事故で屍累々ぺんぺん草が良く育つ~♪』とまで歌われたイヴェントストライカだけあるよね」
「人の話を聞いてるのかよ、テメェは!」
嫌味な仇名を連呼された挙げ句に歌まで口ずさまれ、シドはポーカーフェイスの眉間に不機嫌を溜めて唸った。続けて思いついたありとあらゆる文句を羅列してやろうかと思ったが、ハイファも書類に辟易しているのは分かっているので、ムッとしながらも押し黙る。
それにハイファの科白を全否定することもできない。
押し黙ったまま、珍しくご機嫌斜めを隠そうともしないバディをシドは眺めた。
ハイファ、本名をハイファス=ファサルートという。
テラ連邦内でも有数のエネルギー関連会社ファサルートコーポレーション、通称FCの会長の御曹司だ。一歩間違えば現社長に就任していてもおかしくない立場である。だが二歩も三歩も間違ったので今は刑事だった。しかし血族の結束も固いFCに於いて、名ばかりとはいえ本社代表取締役専務などという肩書きを持たされている。
おまけに生みの母はレアメタルで有名なセフェロ星系の王族という大した出自なのだ。
だからという訳でもないが、細く薄い躰を包んでいるのは上品なドレスシャツとソフトスーツである。タイまでは締めていない。明るい金髪にシャギーを入れ、後ろ髪だけ長く伸ばしてうなじの辺りで銀の留め金を使い、束ねてしっぽにしていた。しっぽの先は腰近くまで届いている。瞳は優しげな若草色だった。
顔立ちはノーブルに整い、誰が見ても女性と見紛うほどの美人である。
だが美人なだけにキリキリとしたオーラを撒き散らすのは頂けない。
視線を外してシドは煙草を咥えオイルライターで火を点けた。紫煙を吐くと手にしていた電子回覧板を読み、チェックし始める。
「ちょっとシド。逃げてると本当に知らないからね」
「ん……ああ」
情報漏洩や容易な改竄を防止するために先人が試行錯誤した挙げ句、何と今どき書類は原則本人手書きというローテクなのだ。筆跡は内容とともに捜査戦術コンに査定される。故にあとでハイファが手伝ってやることもできない。
ペンを走らせる手を止めたハイファは、いい加減な返事をするバディを睨んだ。
シド、フルネームを若宮志度という。
その名が示す通りAD世紀末期の大陸大改造計画以前に存在した、旧東洋の島国出身者の末裔である。前髪が長めの艶やかな髪も切れ長の目も黒い。綿のシャツとコットンパンツを身に着けているが、そのいでたちがラフすぎて勿体ないような端正な顔立ちをしていた。
そしてその左薬指にはハイファとお揃いのリングが嵌っている。
そう、シドとハイファのバディシステムはプライヴェート領域にまで及ぶのだ。
一年半ほど前にハイファは機動捜査課にやってきた。同時に七年間の片想いを成就させ、親友だった完全ヘテロ属性のシドをとうとう堕とすことに成功したのである。それ以来の二十四時間バディシステムという訳だった。
だが照れ屋で意地っ張りのシドは未だに職場でハイファとの仲を認めようとしない。
同性どころか異星人とでも結婚し、遺伝子操作で子供まで望める時代である。なのにハイファがやってきた当初、よそと比べて不思議なほどに女性率の低い機動捜査課では『シドが男の彼女をつれてきた』などと大変な騒ぎになり、シドは周囲から冷やかされ、からかわれて難儀したのだ。躍起になって否定し、そのまま主張を翻せず事実否認を続けているのである。
冷やかす方も頑強に否定する方も中学生男子並みだ。
それはともかく意固地なシドがペアリングを嵌めてくれているのは奇跡的な現象なので、ハイファは嬉しくて堪らないのである。
だからといって女房役としてはバディをサボらせる訳にいかない。
「何処に行くのサ?」
「何処って、外回りだ。お前まで課長みたいなこと言うなよな」
「課長みたいで申し訳アリマセンが、この書類の山を見て貴方は言ってるんですか?」
相棒のハイファにグイと引っ張られ、シドは敢えなく再び椅子に着地する。
「ったく、俺たちだけ忙しすぎるんだって。アンフェアすぎるぜ」
「そのアンフェア人生に僕も付き合ってるんだから、文句を言わずに書いて下さい」
やたらと丁寧語になりつつあるハイファは危険信号、シドもこれで表に出るのは拙いと承知していた。だが最後の抵抗で傍らに積んであった電子回覧板を手にして背後を見回す。
朝の喧噪が収まったフロア内では同僚たちがデスクで欠伸をし、噂話に花を咲かせ、情報収集用に点けてあるホロTVを眺め、鼻毛を抜いて太さを比べ、気も早く本日の深夜番を賭けてのカード大会を繰り広げている。誰も仕事などしてはいなかった。
いや、仕事をしていないように見えるが、彼らはここに居るのが仕事なのだ。
ここは太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課の刑事部屋である。
AD世紀から三千年経って機動捜査隊から機動捜査課と名を変えた今でも、殺しや強盗などの凶悪事件の初動捜査を担当するセクションだ。同報と呼ばれる事件の知らせが入れば飛び出してゆかねばならない。
だが汎銀河一の治安の良さを誇る地球本星セントラルエリアでそんな事件は殆ど起こらない。広大な汎銀河にあまた存在する、あとからテラフォーミングされた惑星に比べ、母なるテラ本星はテラ連邦議会のお膝元として妙なエリート意識が漂う社会である。
ID管理が確立され、義務と権利のバランスがとれたここでは皆、醒めているのだ。
お蔭でここに残った僅かな在署番以外の機捜課員は他課の張り込みや聞き込み、ガサ要員などといった下請け仕事に出掛けているという有様なのである。
「なのにシド、あーたの前ではどうしてこんなに事件が起こるんでしょうねえ」
「うるせぇな、ハイファ。俺がやってる訳じゃねぇっつーの」
「道を歩けば、ううん、表に立ってるだけで事件・事故が寄ってくる超ナゾ特異体質『イヴェントストライカ』としての自覚が足りないんじゃないの?」
「ハイファ、その仇名を口にするな」
「宝飾店強盗二件に街金強盗二件、通り魔一件にその他諸々。書類も一昨日から溜まりっ放しで三十枚、さすがは『シド=ワカミヤの通った跡は事件・事故で屍累々ぺんぺん草が良く育つ~♪』とまで歌われたイヴェントストライカだけあるよね」
「人の話を聞いてるのかよ、テメェは!」
嫌味な仇名を連呼された挙げ句に歌まで口ずさまれ、シドはポーカーフェイスの眉間に不機嫌を溜めて唸った。続けて思いついたありとあらゆる文句を羅列してやろうかと思ったが、ハイファも書類に辟易しているのは分かっているので、ムッとしながらも押し黙る。
それにハイファの科白を全否定することもできない。
押し黙ったまま、珍しくご機嫌斜めを隠そうともしないバディをシドは眺めた。
ハイファ、本名をハイファス=ファサルートという。
テラ連邦内でも有数のエネルギー関連会社ファサルートコーポレーション、通称FCの会長の御曹司だ。一歩間違えば現社長に就任していてもおかしくない立場である。だが二歩も三歩も間違ったので今は刑事だった。しかし血族の結束も固いFCに於いて、名ばかりとはいえ本社代表取締役専務などという肩書きを持たされている。
おまけに生みの母はレアメタルで有名なセフェロ星系の王族という大した出自なのだ。
だからという訳でもないが、細く薄い躰を包んでいるのは上品なドレスシャツとソフトスーツである。タイまでは締めていない。明るい金髪にシャギーを入れ、後ろ髪だけ長く伸ばしてうなじの辺りで銀の留め金を使い、束ねてしっぽにしていた。しっぽの先は腰近くまで届いている。瞳は優しげな若草色だった。
顔立ちはノーブルに整い、誰が見ても女性と見紛うほどの美人である。
だが美人なだけにキリキリとしたオーラを撒き散らすのは頂けない。
視線を外してシドは煙草を咥えオイルライターで火を点けた。紫煙を吐くと手にしていた電子回覧板を読み、チェックし始める。
「ちょっとシド。逃げてると本当に知らないからね」
「ん……ああ」
情報漏洩や容易な改竄を防止するために先人が試行錯誤した挙げ句、何と今どき書類は原則本人手書きというローテクなのだ。筆跡は内容とともに捜査戦術コンに査定される。故にあとでハイファが手伝ってやることもできない。
ペンを走らせる手を止めたハイファは、いい加減な返事をするバディを睨んだ。
シド、フルネームを若宮志度という。
その名が示す通りAD世紀末期の大陸大改造計画以前に存在した、旧東洋の島国出身者の末裔である。前髪が長めの艶やかな髪も切れ長の目も黒い。綿のシャツとコットンパンツを身に着けているが、そのいでたちがラフすぎて勿体ないような端正な顔立ちをしていた。
そしてその左薬指にはハイファとお揃いのリングが嵌っている。
そう、シドとハイファのバディシステムはプライヴェート領域にまで及ぶのだ。
一年半ほど前にハイファは機動捜査課にやってきた。同時に七年間の片想いを成就させ、親友だった完全ヘテロ属性のシドをとうとう堕とすことに成功したのである。それ以来の二十四時間バディシステムという訳だった。
だが照れ屋で意地っ張りのシドは未だに職場でハイファとの仲を認めようとしない。
同性どころか異星人とでも結婚し、遺伝子操作で子供まで望める時代である。なのにハイファがやってきた当初、よそと比べて不思議なほどに女性率の低い機動捜査課では『シドが男の彼女をつれてきた』などと大変な騒ぎになり、シドは周囲から冷やかされ、からかわれて難儀したのだ。躍起になって否定し、そのまま主張を翻せず事実否認を続けているのである。
冷やかす方も頑強に否定する方も中学生男子並みだ。
それはともかく意固地なシドがペアリングを嵌めてくれているのは奇跡的な現象なので、ハイファは嬉しくて堪らないのである。
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