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第14話
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ソファは座椅子のようでロウテーブルの下に足を降ろして腰掛ける仕組みだ。なかなかに座り心地がいい。そうしてハイファが見回すとリビングは広く、ロウテーブルも大きかった。大きなクッキーの缶がロウテーブルの上でエアホッケーのように三人の間を行き来した。
そのうちシドが我慢できなくなる。
「なあ、悪いが煙草、いいか?」
「ああ、ごめんなさい。灰皿が何処かに――」
五分ほどエマが消えている間、ガシャンバキンと音が響いてきて二人は不安になった。灰皿を手にキッチン方面から戻ってきたエマは、どうやら無傷のようである。
バディが一服している間、ハイファは失礼にならない程度に再びエマを観察した。
歳はシドとハイファより少し上、テラ標準歴で二十五、六くらいか。長いブルネットはふわふわで囲まれた白い顔には僅かにそばかすが散っている。瞳は灰色。おっとりとした口調を体現するかのように口元には大概柔らかな微笑みが浮かんでいた。
本人は至って暢気そうだがこのエマ=ルクシュを巡って、巨大ローゼンバーグ財閥が右へ左へと大揺れに揺れているのだという。
徹底してエマを追い出してしまい財閥を乗っ取ろうとする傍系のニクソン派と、エマを新当主として祭り上げて傀儡にせんとするイゾルデ大伯母の派で、熾烈な椅子とりゲームが展開されているというのがエマの話だった。
「わたしはここに軟禁されているらしいの、イゾルデのお婆さんにね。でも宝飾デザインの仕事は端末で出来るし、三日に一度は食料も届くわ。何も困らないもの」
そう言ってエマはふんわりと笑う。
「独りでこんな所に閉じ込められて淋しくないのかな?」
「えっ、わたし? そうねえ、友達とお茶でも出来ればって思うこともあるけれど、案外慣れると却って楽になっちゃって。愚痴くらいは発信かチャットで零せるし」
「そっかあ」
「それにハリーが残してくれた、これがあるから」
と、エマはリビングの壁面、自分の背後を目顔で示した。百億クレジットとは思えない扱いで、あっさりと『嘆きの果実』は壁にかけられていた。当然ながら保護ガラスカヴァーは掛かっているが、シンプルながら品のいい額縁に嵌め込まれてインテリアの一部となっている。
改めてそれを眺めながらハイファが溜息混じりに訊いた。
「自分の寝室にでも飾っておくのが普通じゃない?」
「だってこのリビングの色合いに似合うんだもの。この明るい色調は自然光で見るのが一番いいのよ。寝室には陽の光は届かないし、それじゃあ勿体ないでしょう?」
昼の日に寝なければならない特性からか、このマンションの寝室には窓がない。
「そっかあ。さすがはデザイナーだけあるよね、その審美眼は」
褒められて素直にエマはまたふんわりと笑った。
「でも自然光って絵を劣化させるんじゃないのかな?」
「大丈夫よ、特殊ガラスとコーティング剤で護られてるから」
解説しつつエマは小さく欠伸を洩らす。
「ごめんなさい。つい一人の気楽さで最近一日四十六時間制で生きてたものだから」
「こっちこそごめんね、急にお邪魔しちゃって。僕らももう寝るから絵は……」
大きく頷いてエマは立ち上がると壁に掛かっていた『嘆きの果実』を外す。意外に重たいそれを、ずっと黙って聞いていたシドが煙草を消して受け取った。
「じゃあ明日の朝まで僕らが責任持って預かるからね」
「安心だわ、お願いね。とってもよく眠れそう。おやすみなさい」
ハイファは寝室方面にエマが消えるのを見送る。シドと二人きりになって何となく溜息が出た。シドはロウテーブルに絵を置いてまた煙草を吸い始めている。
「うーん、丸呑みされてコレって何だか却って居心地が悪いかも」
「つーか、別室の親玉であるところのテラ連邦議会がこいつを買い上げようとしてたなんてのは初耳だぞ。どういうことなんだよ、おい?」
「僕だって寡聞にして知らなかったよ。手札は同じなんだから貴方も一緒に考えて」
立ち上がるとハイファは回り込んでシドの煙草を取り上げソフトキス、また煙草を戻してカップ類を片付け始めた。トレイに載せてキッチンへと運び、洗浄機に収めスイッチを入れる。
主夫として気になる冷蔵庫の中身をチェックし、豊富な食材に安堵してリビングに戻った。
リビングではシドが額縁のガラス面に灰皿を載せて抱えていた。
「うわあ、勇気あるなあ」
「叩いたけどさ、音からして防弾ガラスだぞ」
「それにしたって……ほら、灰皿は僕が持つから」
貰ったゲストルームに戻るとツインのベッドの間にあるキャビネット上に百億クレジットを置いてみる。二人で眺めたがなるほど、リビングにも今日は陽の光があった訳ではないものの、いかにも窓のない部屋にはそぐわないという意見で一致した。
「じゃあ僕、リフレッシャ先にいいかな?」
「ああ、ゆっくりしてこい」
シドは言いつつハイファの背後に回って髪を留めた銀の金具を外してやる。送り出しておいてベッドに腰掛けた。そしてまず始めたのが『嘆きの果実』を額縁から外すことだった。
案外簡単に額縁から絵は外れた。表面は映像記憶に焼き付いたほど見たので興味はなく裏面を見る。何の変哲もないファイバの枠組みに絵の具の載った荒いキャンバス地が貼られているだけだ。生地はファイバの枠に丈夫なホッチキスのようなもので留められていて、ちょっとした工具があればこれも簡単に外せるだろう。
だからといってチャレンジなどする訳もない。ただ、ざっと見た感じではタダの絵、何かが隠されているといった感触もなかった。
ニオイを嗅いだが防虫剤のようなクスリ臭さに閉口して額縁の中に戻す。
戻すと同時にハイファがバスルームから出てきて交代だ。
洗面所の脇にはダートレスも完備、脱いだものを放り込むとハイファの分も一緒にスイッチをオンにして、バスルームに入る。
リフレッシャの洗浄液で全身を洗い、熱い湯で流すとワープ疲れも融け流れてゆくようだ。バスルームをドライモードにして黒髪をバサバサと乾かし出てみると、足元のカゴに下着と来客用のものであろうガウンがハイファの手によって置かれていた。
「ちょっと、シド。ちゃんと髪、乾かしてきたの? また寝ぐせがつくよ」
「濡らせば直るからいい」
言い捨ててベッドの片側にシドは乗ると大の字になって寝転がる。そんなシドを上から見下ろしてハイファはキスを奪った。離れようとしたがシドは長い髪を掴んで離さない。
「自分でもどうかと思ってるんでしょ?」
「……何がだ?」
「じゃあ言っちゃうけどストライクのなさに。あんまりスルスルとここまで来ちゃってサ。おまけに任務自体も超簡単なんだもん、溜め込んで『バーン!』ってのはやめてよね」
「うるせぇな、俺がやりたくてやる訳じゃねぇ。それより任務の意味を考えろよな」
愛し人の機嫌悪化は覚悟の発言、ハイファは曖昧に笑ってシドの枕元に腰掛ける。
そのうちシドが我慢できなくなる。
「なあ、悪いが煙草、いいか?」
「ああ、ごめんなさい。灰皿が何処かに――」
五分ほどエマが消えている間、ガシャンバキンと音が響いてきて二人は不安になった。灰皿を手にキッチン方面から戻ってきたエマは、どうやら無傷のようである。
バディが一服している間、ハイファは失礼にならない程度に再びエマを観察した。
歳はシドとハイファより少し上、テラ標準歴で二十五、六くらいか。長いブルネットはふわふわで囲まれた白い顔には僅かにそばかすが散っている。瞳は灰色。おっとりとした口調を体現するかのように口元には大概柔らかな微笑みが浮かんでいた。
本人は至って暢気そうだがこのエマ=ルクシュを巡って、巨大ローゼンバーグ財閥が右へ左へと大揺れに揺れているのだという。
徹底してエマを追い出してしまい財閥を乗っ取ろうとする傍系のニクソン派と、エマを新当主として祭り上げて傀儡にせんとするイゾルデ大伯母の派で、熾烈な椅子とりゲームが展開されているというのがエマの話だった。
「わたしはここに軟禁されているらしいの、イゾルデのお婆さんにね。でも宝飾デザインの仕事は端末で出来るし、三日に一度は食料も届くわ。何も困らないもの」
そう言ってエマはふんわりと笑う。
「独りでこんな所に閉じ込められて淋しくないのかな?」
「えっ、わたし? そうねえ、友達とお茶でも出来ればって思うこともあるけれど、案外慣れると却って楽になっちゃって。愚痴くらいは発信かチャットで零せるし」
「そっかあ」
「それにハリーが残してくれた、これがあるから」
と、エマはリビングの壁面、自分の背後を目顔で示した。百億クレジットとは思えない扱いで、あっさりと『嘆きの果実』は壁にかけられていた。当然ながら保護ガラスカヴァーは掛かっているが、シンプルながら品のいい額縁に嵌め込まれてインテリアの一部となっている。
改めてそれを眺めながらハイファが溜息混じりに訊いた。
「自分の寝室にでも飾っておくのが普通じゃない?」
「だってこのリビングの色合いに似合うんだもの。この明るい色調は自然光で見るのが一番いいのよ。寝室には陽の光は届かないし、それじゃあ勿体ないでしょう?」
昼の日に寝なければならない特性からか、このマンションの寝室には窓がない。
「そっかあ。さすがはデザイナーだけあるよね、その審美眼は」
褒められて素直にエマはまたふんわりと笑った。
「でも自然光って絵を劣化させるんじゃないのかな?」
「大丈夫よ、特殊ガラスとコーティング剤で護られてるから」
解説しつつエマは小さく欠伸を洩らす。
「ごめんなさい。つい一人の気楽さで最近一日四十六時間制で生きてたものだから」
「こっちこそごめんね、急にお邪魔しちゃって。僕らももう寝るから絵は……」
大きく頷いてエマは立ち上がると壁に掛かっていた『嘆きの果実』を外す。意外に重たいそれを、ずっと黙って聞いていたシドが煙草を消して受け取った。
「じゃあ明日の朝まで僕らが責任持って預かるからね」
「安心だわ、お願いね。とってもよく眠れそう。おやすみなさい」
ハイファは寝室方面にエマが消えるのを見送る。シドと二人きりになって何となく溜息が出た。シドはロウテーブルに絵を置いてまた煙草を吸い始めている。
「うーん、丸呑みされてコレって何だか却って居心地が悪いかも」
「つーか、別室の親玉であるところのテラ連邦議会がこいつを買い上げようとしてたなんてのは初耳だぞ。どういうことなんだよ、おい?」
「僕だって寡聞にして知らなかったよ。手札は同じなんだから貴方も一緒に考えて」
立ち上がるとハイファは回り込んでシドの煙草を取り上げソフトキス、また煙草を戻してカップ類を片付け始めた。トレイに載せてキッチンへと運び、洗浄機に収めスイッチを入れる。
主夫として気になる冷蔵庫の中身をチェックし、豊富な食材に安堵してリビングに戻った。
リビングではシドが額縁のガラス面に灰皿を載せて抱えていた。
「うわあ、勇気あるなあ」
「叩いたけどさ、音からして防弾ガラスだぞ」
「それにしたって……ほら、灰皿は僕が持つから」
貰ったゲストルームに戻るとツインのベッドの間にあるキャビネット上に百億クレジットを置いてみる。二人で眺めたがなるほど、リビングにも今日は陽の光があった訳ではないものの、いかにも窓のない部屋にはそぐわないという意見で一致した。
「じゃあ僕、リフレッシャ先にいいかな?」
「ああ、ゆっくりしてこい」
シドは言いつつハイファの背後に回って髪を留めた銀の金具を外してやる。送り出しておいてベッドに腰掛けた。そしてまず始めたのが『嘆きの果実』を額縁から外すことだった。
案外簡単に額縁から絵は外れた。表面は映像記憶に焼き付いたほど見たので興味はなく裏面を見る。何の変哲もないファイバの枠組みに絵の具の載った荒いキャンバス地が貼られているだけだ。生地はファイバの枠に丈夫なホッチキスのようなもので留められていて、ちょっとした工具があればこれも簡単に外せるだろう。
だからといってチャレンジなどする訳もない。ただ、ざっと見た感じではタダの絵、何かが隠されているといった感触もなかった。
ニオイを嗅いだが防虫剤のようなクスリ臭さに閉口して額縁の中に戻す。
戻すと同時にハイファがバスルームから出てきて交代だ。
洗面所の脇にはダートレスも完備、脱いだものを放り込むとハイファの分も一緒にスイッチをオンにして、バスルームに入る。
リフレッシャの洗浄液で全身を洗い、熱い湯で流すとワープ疲れも融け流れてゆくようだ。バスルームをドライモードにして黒髪をバサバサと乾かし出てみると、足元のカゴに下着と来客用のものであろうガウンがハイファの手によって置かれていた。
「ちょっと、シド。ちゃんと髪、乾かしてきたの? また寝ぐせがつくよ」
「濡らせば直るからいい」
言い捨ててベッドの片側にシドは乗ると大の字になって寝転がる。そんなシドを上から見下ろしてハイファはキスを奪った。離れようとしたがシドは長い髪を掴んで離さない。
「自分でもどうかと思ってるんでしょ?」
「……何がだ?」
「じゃあ言っちゃうけどストライクのなさに。あんまりスルスルとここまで来ちゃってサ。おまけに任務自体も超簡単なんだもん、溜め込んで『バーン!』ってのはやめてよね」
「うるせぇな、俺がやりたくてやる訳じゃねぇ。それより任務の意味を考えろよな」
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