Human Rights[人権]~楽園6~

志賀雅基

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第19話

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 今どき奇異に映るそのコーナーは二十畳くらいのタタミ敷きで、誰もが靴を脱いで靴下か素足だったのだ。彼らが囲んでいるのは、これも重ねたタタミである。

 キモノを着た女性が片肌脱いで小さなカゴのようなものを片手で振っている。傍には、これも和服であぐらをかいて腕組みし瞑目した老人だ。向かい側では諸袖脱いでサラシを腹に巻いた男が客に対してカネを賭けろと煽っている。

半方はんかたないか、丁方ちょうかたないか?」

 などと言った具合だ。その声の調子も妙に重々しく緊張感があった。

 右を見ると軽やかなアップテンポのミュージック付きカジノで男女が嬌声を上げ、左を見ればAD世紀の遺物的シネマでも滅多に見かけないようなビッシビシの鉄火場である。
 途轍もない違和感があった。ここはこの違和感を売りにしているのか。

「へえ、丁半バクチって奴か」
「あれのやり方、シドは知ってるの?」
「それこそ旧い時代劇で見ただけだがな。ダイスを二つ、あのカゴ、つぼっていうんだが、あれに入れて振る。それを伏せる。ダイス二つの目を足した数が奇数なら半、偶数なら丁。どちらかを予想して賭けるゲームだ」

「二分の一なんてシドには似合いそうだね。やってみる?」
「やりたくなくても、あそこで腕組みしてるジイさんが新神源次郎、アラガミファミリーのドンだからな。情報取るなら取り敢えずギャラリーに混ざらねぇと」

 靴を脱いで二人はタタミに上がると白髪頭を角刈りにした老人の近くに位置した。

 煽っている中盆なかぼんの男の両肩口から二人は生まれて初めて丁半博打を生で見る。クレジット代わりにベットするのはチップではなく十掛ける五センチくらいの板切れ、それを丁だと思えば横、半なら縦に置くらしい。

 板きれひとつで幾らというようにレートが決まっているらしかったが、眺めていてもそこまではよく分からなかった。分からなくても合力ごうりきなる係が瞬時に計算して勝敗分の板切れを分配してくれるシステムらしい。

 じっと黙って見つめること十数分が経過する。ここにはゲームという感覚はなく、あくまで鉄火場だ。喋ることもためらわれるような張り詰めた雰囲気があった。

 視線を感じてふとシドが顔を上げると、瞑目していた筈のゲンジロウ=アラガミと目が合った。白髪角刈りのジイさんが頷く。力強く頷かれたがシドには意味が分からない。だがその挙動で前にいた中盆の男が少し動いて場を空けた。

 どうやら親分と同じ血を色濃く残す容姿のシドにご指名が掛かったらしい。

 ポーカーゲームのときと同じ、勝ち方は分かるが細かいルールは知らないままに、シドはハイファに見守られながら「グニの半」だの「ピンゾロの丁」だのといった、一種のテクニカルタームが頭上を飛び交う世界に足を踏み入れたのであった。

◇◇◇◇

 さほど広くない室内に愉しくて堪らないというような高笑いが響いた。

「かーかっかっか、長生きはするもんだ。驚いたの驚かねぇのって。盆を敷いて六十年、ワシのこの目をも欺くほどの八百長の技、その若さにして何処で身に着けたものか知らねェが、誠に見事でやした!」
「いかさまはしてねぇっつーの」

「いやいや、咎め立てはしてねェ、堂々としていておくんなさい。謙遜も不要ですぜい。謙譲の美徳もワシらの血がなせるものかも知れやせんがね。まあまあ、遠慮せず呑んで下せぇ、若宮志度兄さんっ!」

「だから別に遠慮もしてねぇんだって。ハイファ、このジイさん何とかしてくれよ」
「貴方が部屋に入れたんだから貴方が何とかしてよね。もう、これじゃあいつまで経っても眠れないよ」

 ここはシドたちの取った宿、というよりドン・ゲンジロウ=アラガミに、ほぼ無理矢理取らされたカジノの上階の一室だった。

 連戦連勝を収めたイヴェントストライカは新神源次郎に気に入られ、カネなんか取らねェから是非ともウチの宿に泊まってくれろと勧められ、強引に腕を取られて二人部屋に連れてこられたのだ。そして何故か新神源次郎も一緒に部屋に入り、そのまま居座っているのである。

 ドンのリモータ音声発信で命じられた若い衆が一升瓶を何本も運んできた辺りから「これはヤバいぞ」と思ったのだが、敷かれた布団の上でスルメを肴に酒盛りをしだした親分を止める手立てを二人は持っていなかった。

 和室は普段から客室として使われているらしく、床の間の隅まで掃除も行き届いて清潔だった。
 しかしシドと強引に肩を組み、

「貴っ様とオーレーとーは、同期のサークーラ~♪」

 などと喚く親分の飛ばすツバでどんどん布団が汚染されてゆくのを、ハイファはザブトンに座って座卓に頬杖をつき恨めしげに眺めているしかない。

「ほら、そっちの美人のお連れも呑んで下せえよ!」

 いちいちボリュームがデカく、耳を聾せんばかりに張り上げる声はこのビル中に轟いているものと思われる。
 これはもう我慢比べの飲み比べだ。飲み比べはシドの役目と決まっているのだが。

 じつはシドは幾ら呑んでも酔わない。

 思い起こせば七年と数ヶ月前、二人の出会いであるポリスアカデミーの初期生とテラ連邦軍部内幹部候補生課程の対抗戦技競技会の打ち上げで、しこたま先輩たちに飲まされ泥酔したシドは周囲に煽られ、軍の兵舎まで押しかけた挙げ句、昼間の戦競でシドにいきなり告白したハイファを押し倒してヤってしまったという痛い過去があるのだ。

 その事実すら忘れてしまい、当時『バイ』で『タチ』だと噂のあったハイファに逆にヤられたと思い込むこと七年間。
 ようやく数ヶ月前にハイファが口を割ったのをきっかけに『責任はとる』宣言をして今に至るのだが、二度と酔うまいと決めたあの夜から、シドは根性で体質を変えたのである。

 元々クスリの類に対して異常に強い特異体質ではあった。

 それはともかく、今はこの源次郎親分だ。飲めや歌えやを独りでやっている。

「これならまだ、あの爬虫類男の方が静かなだけマシだったんじゃない?」
「少なくとも安眠の妨げにはならねぇよな、ユリアン=レスターは」

 その名をシドが口にした途端だった。

「何ィ、あの蛇、あの外道にワシが劣るとでも言うんかいっ!」

 その声色に篭もる威圧感は伊達ではないヤクザ、思わず二人は銃を抜きそうになった。老人は据わった目でシドとハイファを交互に見、手にした杯をグイッと干す。

「あの人を人とも思わねぇ腐れ外道と並べられちゃあ、この新神源次郎の名折れさねェ。どうでい、言い訳ひとつでも聴いてからこの刀の露にしてやろうじゃねぇかい」

 口上を述べサラシを巻いた腹から匕首を抜き、すらりと白鞘を払って見せた。

 貫禄は充分にしろ時代がかっているにもほどがある。シドもハイファも上着を脱いで銃を晒しているのに親分は紛れもなく本気だ。匕首を煌めかせて親分は迫る。
 仕方なくシドがドン・レスターから誘われた『狩り』のことなどを話した。

 だが詳しく話を聞いた親分は目の色を変える。

「いけねぇ、そいつは行っちゃいけねぇよ、志度の兄さん。あんな男の口車に乗せられて何を見るハメになるか分かったもんじゃねェ。おまけにタダでさえ綺麗な兄さんら二人、売り飛ばされでもしたらどうするんでい!」

 これも紛れなく本気で親分はシドたちを心配しているようだ。

「そう言う親分は、そのツアーがいったいどんなものなのか知ってるのか?」
「うすうす分かっちゃいるんですが……こればっかりは他人のシノギ、ワシは奴らとことを構えるつもりはねぇんで。悪いが、やめておけとだけ言わせて貰いまさァ」

 急に勢いを失くした親分は匕首を腹に仕舞う。シドとハイファは顔を見合わせた。
 萎れた感じの親分は三人分のぐい呑みに酒を注ぎ、低く喋り始める。 

「古い奴だとお思いでしょうが古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます」

 今度はいったい何事をおっ始めたのかと思いきや、暫く独白したのち、また朗々と歌い出した。喋りは前振りの科白だったらしい。

「何かーら何まーで真っ暗ァ闇よー、スジの通らーぬことばーかーり~ぃ♪」

 ――溜息二重奏。

 もう、本当は今すぐやめて欲しかった。シドは煙草を咥えて火を点け、ハイファは舐めるようにぐい呑みのニホンシュに口をつけた。

 何故はるばるこんな星まで来て老親分の心情の吐露を聞かされねばならないのか、全く以てナゾである。自分たちは他にやるべきことがあったのではなかったか。
 Z地区もナゾ、ドン・レスターの狩りもナゾ、こうして哀しげな響きの歌を聴いている状況もナゾなら、ロン=ベイカーの行方もナゾだ。

 もう時刻は午前三時をとっくに過ぎている。だがワープラグを解消するためにも布団に潜り込みたいがそれも叶わない状況だ。このまま侘びしい酒盛りで夜明かししてしまうと昨日一日を休息に費やしたとはいえ、日中の行動にも支障を来すだろう。

 取り敢えずはこの目でビャクレイⅣとⅤのZ地区も確認せねばならない。止められた狩りもイリーガルな臭いがぷんぷんしている。

 他星系でのこと故、太陽系広域惑星警察の刑事としては管轄外だった。地元警察に捜査共助依頼を正式に出さない限り捜査権はない。だが悪事をこの目で確かめることができれば現逮することは可能である。

 そうでなくとも別室としてならば何とかできるかも知れないと、今日の正午には行くつもり満々のシドであり、そんなバディに当然ながら付き合うつもりのハイファなのだ。

 そんなことを二人が考えている間にも、親分の歌はとうとう三番目に突入する。

「お天道様に背中を向けて歩く……バカな人間でございます――」

 親分はどうやら泣き上戸、肩を震わせながらも独りで盛り上がった。

「ねえ、シド。いい加減、他の部屋から苦情が来るんじゃない?」

 ハイファが言った、まさにそのときフスマの向こうに人の気配を感じた。

「野郎、鉄砲玉かいっ!」

 一喝で反射的に二人は銃を抜き構えて伏せる。親分は匕首を手に身を低くした。

「あのう、失礼します」

 ノックの音は親分の歌声にかき消されたか、のどかともいえる口調で声を掛けてからフスマを開けた男は、室内の異様な緊張感にも気付かぬくらいに眠たげだった。

「私、隣なんですけど、申し訳ないんですが、もう少し静かにして貰えませんか?」

 この宿に備え付けのユカタを着、目を擦っている男を見て、シドとハイファは呆気にとられた。茶色い髪に灰色の瞳。

 ロン=ベイカー、でなくばエーベルハルト=フォス・テラ連邦議会議員だった。
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