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第37話

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 それからの二日間、和音の部屋で二人は飽くことなく抱き合った。
 エセルは発熱までした和音のことが心配で堪らなかったが、切なくも言葉少なになった和音を前にしては、言い訳など全て吹き飛んでしまったのである。

 あれから真っ直ぐ紫川署に向かい、傷病休暇申請を出して受理された和音はシャワーや食事の間ですらエセルを抱き締めたがり、ひとときも自分の傍から離さなくなっていた。

 そしてとうとう三日目がやってくる。

 明け方まで激しく抱き合い、エセルも体調は万全と言い難い状態だったが、シャワーを浴びたのちに着替えてコーヒーを一杯ずつ飲むともうリミットがきてしまった。

 和音と色違いお揃いを着たまま、エセルは和音と共にアパートの部屋を出た。互いの体調を鑑みて今日もタクシーだ。走るタクシーの中でも二人は固く手を握り合って過ごす。

「本当に、帰っちまうのか?」
「ん。帰還命令を無視しても、何れ強制送還されるだけだから」
「でもさ、言いたくねぇが実際、殺されに帰るようなものなんだろ?」

「うーん、僕の所属する諜報機関の上層部が全て国内地盤固め派とは限らない、前も言ったけど、あの国では主流派じゃないと思うし。大体、狙撃に使ったゲパードはハンガリー製、それも最新式のGM6・リンクスは他国との関係が良好じゃないと手に入れられないしね」

 だがそれも気休め的な推論でしかなく、明らかに冷たい現実が透けていた。

 小声で喋っているうちに呆気なく県警本部庁舎近くの官舎に着いてしまい、今度はエセルが自分の部屋に和音を招待した。だが本当に何もない室内を見回して和音は呆れ声を出す。

「こいつは台所以外、空き部屋じゃねぇか」

 僅かな調理用具とテーブルに椅子、それにベッドだけのワンルームは異様に広く見えた。

「所詮は仮住まい、トータルしても十日と暮らしてないって前に言ったでしょ」

 喋りながら作り付けのクローゼットを開け、エセルは和音から貰った服を脱いで自前のドレスシャツとソフトスーツに着替え始める。しっかりタイも締めた。
 ミドナ国際空港から諜報機関に直行して『上』に会わなければならないというのが理由だったが、それ以上にエセルは間違っても和音の服を自分の血で汚したくなかったのだ。

 そうして脱いだ衣服を丁寧に畳んでショルダーバッグに収めると、動きを阻害するので今まで着ていなかった黒いステンカラーコートを羽織る。

「何時の飛行機だっけか?」
「成田国際空港を十九時。まだ少し早いかな。でも空港までは遠いし送ってくれなくていいよ」
「何でだよ、見送りくらい……って、それもそうだな」

 もうエセルが目を赤くしているのに気付いたのか、和音は切れ長の目を逸らして見ていないふりをしながらも、そっと抱き寄せて温かな腕で包んでくれた。
 やがてエセルは和音の胸を押して離れると小さく呟く。

「……ごめん。じゃあ行くね」
「早いんじゃなかったのか?」
「バスと電車が遅れたら困るし、これ以上は、僕、もう無理だから」

 目を瞑るとエセルは狙撃のときのように心音に合わせて深呼吸を一回。和音を促して部屋を出るとキィロックした。キィは県警本部庁舎内の厚生課に返しに行く。その間も昨日までの二日間と同じく和音は傍を離れない。そのまま本部庁舎前のバス停に二人は立った。

「帰化申請は進めるんだろ?」
「機会があればチャレンジするよ」

 なるべく明るく言ったつもりだったが、レトラ連合にいて日本に帰化申請をするのは無理だと承知している。そもそも帰化するには五年以上日本で暮らさなければならないという条件があるのだ。生き存えるかどうかすら怪しいのに日本で五年など論外である。

 考えが伝わったのか、和音は銀の髪留めで束ねたエセルの毛先を掴んで唇に押し当てた。挙動は静かだったが、何よりも激しい想いが流れ込んできて、エセルは身を固くする。

 そのときバスがやってきた。何も言葉にならないままエセルはステップを上がってバスに乗り込み、空いていたシートに腰掛ける。窓外の和音が見たくて急いで曇った窓ガラスを手で拭った。だが既に発車したバスからは滲んだ姿しか見えなかった。

 こちらも窓越しに滲んだ姿を見送った和音は、長めの前髪の隙間からいつまで経っても滲んだままの都市を睨んで歩き始める。そこで唐突にカーシャ亭で笑うエセルを思い出した。
 その画が際立って鮮やかなのは、和音の日常にすっぽりとエセルが嵌り込んでいたからだろう。

「くそう……割り箸の片割れを失くしたみたいだぜ」

 独り呟きながら右手に残ったさらさらの明るい金髪の感触を握り締めた。そうして頬に冷たい感触を覚え、空から落ちてきた白いものに気付く。寒風に舞っているのは雪だった。思わずバスが消えた方向を振り返った和音だったが、そこには無機的な車列があるだけだ。

 天を仰いで息を吸い込む。頭を振って向き直った。

 明日から署に出てやろうと思いつつ、雪の中を三時間以上も歩いて自室に戻るなり高熱を発してベッドに倒れ込む。そのままアメジスト色の毛布にくるまって丸二日眠り続けた。

 眠っている間に外の雪は、やがて記録的な積雪となっていた。
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