37 / 42
第37話
しおりを挟む
それからの二日間、和音の部屋で二人は飽くことなく抱き合った。
エセルは発熱までした和音のことが心配で堪らなかったが、切なくも言葉少なになった和音を前にしては、言い訳など全て吹き飛んでしまったのである。
あれから真っ直ぐ紫川署に向かい、傷病休暇申請を出して受理された和音はシャワーや食事の間ですらエセルを抱き締めたがり、ひとときも自分の傍から離さなくなっていた。
そしてとうとう三日目がやってくる。
明け方まで激しく抱き合い、エセルも体調は万全と言い難い状態だったが、シャワーを浴びたのちに着替えてコーヒーを一杯ずつ飲むともうリミットがきてしまった。
和音と色違いお揃いを着たまま、エセルは和音と共にアパートの部屋を出た。互いの体調を鑑みて今日もタクシーだ。走るタクシーの中でも二人は固く手を握り合って過ごす。
「本当に、帰っちまうのか?」
「ん。帰還命令を無視しても、何れ強制送還されるだけだから」
「でもさ、言いたくねぇが実際、殺されに帰るようなものなんだろ?」
「うーん、僕の所属する諜報機関の上層部が全て国内地盤固め派とは限らない、前も言ったけど、あの国では主流派じゃないと思うし。大体、狙撃に使ったゲパードはハンガリー製、それも最新式のGM6・リンクスは他国との関係が良好じゃないと手に入れられないしね」
だがそれも気休め的な推論でしかなく、明らかに冷たい現実が透けていた。
小声で喋っているうちに呆気なく県警本部庁舎近くの官舎に着いてしまい、今度はエセルが自分の部屋に和音を招待した。だが本当に何もない室内を見回して和音は呆れ声を出す。
「こいつは台所以外、空き部屋じゃねぇか」
僅かな調理用具とテーブルに椅子、それにベッドだけのワンルームは異様に広く見えた。
「所詮は仮住まい、トータルしても十日と暮らしてないって前に言ったでしょ」
喋りながら作り付けのクローゼットを開け、エセルは和音から貰った服を脱いで自前のドレスシャツとソフトスーツに着替え始める。しっかりタイも締めた。
ミドナ国際空港から諜報機関に直行して『上』に会わなければならないというのが理由だったが、それ以上にエセルは間違っても和音の服を自分の血で汚したくなかったのだ。
そうして脱いだ衣服を丁寧に畳んでショルダーバッグに収めると、動きを阻害するので今まで着ていなかった黒いステンカラーコートを羽織る。
「何時の飛行機だっけか?」
「成田国際空港を十九時。まだ少し早いかな。でも空港までは遠いし送ってくれなくていいよ」
「何でだよ、見送りくらい……って、それもそうだな」
もうエセルが目を赤くしているのに気付いたのか、和音は切れ長の目を逸らして見ていないふりをしながらも、そっと抱き寄せて温かな腕で包んでくれた。
やがてエセルは和音の胸を押して離れると小さく呟く。
「……ごめん。じゃあ行くね」
「早いんじゃなかったのか?」
「バスと電車が遅れたら困るし、これ以上は、僕、もう無理だから」
目を瞑るとエセルは狙撃のときのように心音に合わせて深呼吸を一回。和音を促して部屋を出るとキィロックした。キィは県警本部庁舎内の厚生課に返しに行く。その間も昨日までの二日間と同じく和音は傍を離れない。そのまま本部庁舎前のバス停に二人は立った。
「帰化申請は進めるんだろ?」
「機会があればチャレンジするよ」
なるべく明るく言ったつもりだったが、レトラ連合にいて日本に帰化申請をするのは無理だと承知している。そもそも帰化するには五年以上日本で暮らさなければならないという条件があるのだ。生き存えるかどうかすら怪しいのに日本で五年など論外である。
考えが伝わったのか、和音は銀の髪留めで束ねたエセルの毛先を掴んで唇に押し当てた。挙動は静かだったが、何よりも激しい想いが流れ込んできて、エセルは身を固くする。
そのときバスがやってきた。何も言葉にならないままエセルはステップを上がってバスに乗り込み、空いていたシートに腰掛ける。窓外の和音が見たくて急いで曇った窓ガラスを手で拭った。だが既に発車したバスからは滲んだ姿しか見えなかった。
こちらも窓越しに滲んだ姿を見送った和音は、長めの前髪の隙間からいつまで経っても滲んだままの都市を睨んで歩き始める。そこで唐突にカーシャ亭で笑うエセルを思い出した。
その画が際立って鮮やかなのは、和音の日常にすっぽりとエセルが嵌り込んでいたからだろう。
「くそう……割り箸の片割れを失くしたみたいだぜ」
独り呟きながら右手に残ったさらさらの明るい金髪の感触を握り締めた。そうして頬に冷たい感触を覚え、空から落ちてきた白いものに気付く。寒風に舞っているのは雪だった。思わずバスが消えた方向を振り返った和音だったが、そこには無機的な車列があるだけだ。
天を仰いで息を吸い込む。頭を振って向き直った。
明日から署に出てやろうと思いつつ、雪の中を三時間以上も歩いて自室に戻るなり高熱を発してベッドに倒れ込む。そのままアメジスト色の毛布にくるまって丸二日眠り続けた。
眠っている間に外の雪は、やがて記録的な積雪となっていた。
エセルは発熱までした和音のことが心配で堪らなかったが、切なくも言葉少なになった和音を前にしては、言い訳など全て吹き飛んでしまったのである。
あれから真っ直ぐ紫川署に向かい、傷病休暇申請を出して受理された和音はシャワーや食事の間ですらエセルを抱き締めたがり、ひとときも自分の傍から離さなくなっていた。
そしてとうとう三日目がやってくる。
明け方まで激しく抱き合い、エセルも体調は万全と言い難い状態だったが、シャワーを浴びたのちに着替えてコーヒーを一杯ずつ飲むともうリミットがきてしまった。
和音と色違いお揃いを着たまま、エセルは和音と共にアパートの部屋を出た。互いの体調を鑑みて今日もタクシーだ。走るタクシーの中でも二人は固く手を握り合って過ごす。
「本当に、帰っちまうのか?」
「ん。帰還命令を無視しても、何れ強制送還されるだけだから」
「でもさ、言いたくねぇが実際、殺されに帰るようなものなんだろ?」
「うーん、僕の所属する諜報機関の上層部が全て国内地盤固め派とは限らない、前も言ったけど、あの国では主流派じゃないと思うし。大体、狙撃に使ったゲパードはハンガリー製、それも最新式のGM6・リンクスは他国との関係が良好じゃないと手に入れられないしね」
だがそれも気休め的な推論でしかなく、明らかに冷たい現実が透けていた。
小声で喋っているうちに呆気なく県警本部庁舎近くの官舎に着いてしまい、今度はエセルが自分の部屋に和音を招待した。だが本当に何もない室内を見回して和音は呆れ声を出す。
「こいつは台所以外、空き部屋じゃねぇか」
僅かな調理用具とテーブルに椅子、それにベッドだけのワンルームは異様に広く見えた。
「所詮は仮住まい、トータルしても十日と暮らしてないって前に言ったでしょ」
喋りながら作り付けのクローゼットを開け、エセルは和音から貰った服を脱いで自前のドレスシャツとソフトスーツに着替え始める。しっかりタイも締めた。
ミドナ国際空港から諜報機関に直行して『上』に会わなければならないというのが理由だったが、それ以上にエセルは間違っても和音の服を自分の血で汚したくなかったのだ。
そうして脱いだ衣服を丁寧に畳んでショルダーバッグに収めると、動きを阻害するので今まで着ていなかった黒いステンカラーコートを羽織る。
「何時の飛行機だっけか?」
「成田国際空港を十九時。まだ少し早いかな。でも空港までは遠いし送ってくれなくていいよ」
「何でだよ、見送りくらい……って、それもそうだな」
もうエセルが目を赤くしているのに気付いたのか、和音は切れ長の目を逸らして見ていないふりをしながらも、そっと抱き寄せて温かな腕で包んでくれた。
やがてエセルは和音の胸を押して離れると小さく呟く。
「……ごめん。じゃあ行くね」
「早いんじゃなかったのか?」
「バスと電車が遅れたら困るし、これ以上は、僕、もう無理だから」
目を瞑るとエセルは狙撃のときのように心音に合わせて深呼吸を一回。和音を促して部屋を出るとキィロックした。キィは県警本部庁舎内の厚生課に返しに行く。その間も昨日までの二日間と同じく和音は傍を離れない。そのまま本部庁舎前のバス停に二人は立った。
「帰化申請は進めるんだろ?」
「機会があればチャレンジするよ」
なるべく明るく言ったつもりだったが、レトラ連合にいて日本に帰化申請をするのは無理だと承知している。そもそも帰化するには五年以上日本で暮らさなければならないという条件があるのだ。生き存えるかどうかすら怪しいのに日本で五年など論外である。
考えが伝わったのか、和音は銀の髪留めで束ねたエセルの毛先を掴んで唇に押し当てた。挙動は静かだったが、何よりも激しい想いが流れ込んできて、エセルは身を固くする。
そのときバスがやってきた。何も言葉にならないままエセルはステップを上がってバスに乗り込み、空いていたシートに腰掛ける。窓外の和音が見たくて急いで曇った窓ガラスを手で拭った。だが既に発車したバスからは滲んだ姿しか見えなかった。
こちらも窓越しに滲んだ姿を見送った和音は、長めの前髪の隙間からいつまで経っても滲んだままの都市を睨んで歩き始める。そこで唐突にカーシャ亭で笑うエセルを思い出した。
その画が際立って鮮やかなのは、和音の日常にすっぽりとエセルが嵌り込んでいたからだろう。
「くそう……割り箸の片割れを失くしたみたいだぜ」
独り呟きながら右手に残ったさらさらの明るい金髪の感触を握り締めた。そうして頬に冷たい感触を覚え、空から落ちてきた白いものに気付く。寒風に舞っているのは雪だった。思わずバスが消えた方向を振り返った和音だったが、そこには無機的な車列があるだけだ。
天を仰いで息を吸い込む。頭を振って向き直った。
明日から署に出てやろうと思いつつ、雪の中を三時間以上も歩いて自室に戻るなり高熱を発してベッドに倒れ込む。そのままアメジスト色の毛布にくるまって丸二日眠り続けた。
眠っている間に外の雪は、やがて記録的な積雪となっていた。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
エイリアンコップ~楽園14~
志賀雅基
SF
◆……ナメクジの犯人(ホシ)はナメクジなんだろうなあ。◆
惑星警察刑事×テラ連邦軍別室員シリーズPart14[全51話]
七分署機捜課にあらゆる意味で驚異の新人がきて教育係に任命されたシドは四苦八苦。一方バディのハイファは涼しい他人顔。プライヴェートでは飼い猫タマが散歩中に出くわした半死体から出てきたネバネバ生物を食べてしまう。そして翌朝、人語を喋り始めた。タマに憑依した巨大ナメクジは自分を異星の刑事と主張、ホシを追って来たので捕縛に手を貸せと言う。
▼▼▼
【シリーズ中、何処からでもどうぞ】
【全性別対応/BL特有シーンはストーリーに支障なく回避可能です】
【ノベルアップ+にR無指定版/エブリスタにR15版を掲載】
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
不自由ない檻
志賀雅基
青春
◆広さに溺れて窒息する/隣人は与えられすぎ/鉄格子の隙間も見えない◆
クラスの女子の援助交際を真似し始めた男子高校生の日常……と思いきや、タダの日常という作者の目論見は外れました。事件を起こした主人公にとって化学の講師がキィパーソン。初期型ランクルに乗る三十男。特許貸しでカネに困っていない美味しい設定。しかしストーリーはエピグラフ通りのハード進行です。
更新は気の向くままでスミマセン。プロットも無いですし(!)。登場人物は勝手に動くわ、どうなるんでしょうかねえ? まあ、究極にいい加減ですが書く際はハッピーエンドを信じて綴る所存にて。何故なら“彼ら”は俺自身ですから。
【エブリスタ・ノベルアップ+にも掲載】
Diamond cut diamond~楽園3~
志賀雅基
キャラ文芸
◆ダイヤはダイヤでしかカットできない(ベルギーの諺)/しのぎを削る好勝負(英)◆
惑星警察刑事×テラ連邦軍別室員シリーズPart3[全36話]
二人は海と宝石が名物の星系に初プライヴェート旅行。だが宝石泥棒事件に巻き込まれ、更に船でクルージング中にクルージングミサイルが飛来。ミサイルの中身は別室任務なる悲劇だった。げんなりしつつ指示通りテラ連邦軍に入隊するが上司はロマンスグレイでもラテンの心を持つ男。お蔭でシドが貞操の危機に!?
▼▼▼
【シリーズ中、何処からでもどうぞ】
【全性別対応/BL特有シーンはストーリーに支障なく回避可能です】
【ノベルアップ+にR無指定版/エブリスタにR15版を掲載】
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
Pair[ペア]~楽園22~
志賀雅基
キャラ文芸
◆大人になったら結婚できると思ってた/by.2chスレタイ◆
惑星警察刑事×テラ連邦軍別室員シリーズPart22[全32話]
人質立て籠もり事件発生。刑事のシドとハイファも招集されシドが現場へ先行。シドは犯人らを制圧するもビームライフルで左手首を蒸発させられ、培養移植待ちの間に武器密輸を探れと別室任務が下った。同行を主張するシドをハイファは薬で眠らせて独り、内戦中の他星系へと発つ。
▼▼▼
【シリーズ中、何処からでもどうぞ】
【全性別対応/BL特有シーンはストーリーに支障なく回避可能です】
【ノベルアップ+にR無指定版/エブリスタにR15版を掲載】
Even[イーヴン]~楽園10~
志賀雅基
キャラ文芸
◆死んだアヒルになる気はないが/その瞬間すら愉しんで/俺は笑ってゆくだろう◆
惑星警察刑事×テラ連邦軍別室員シリーズPart10[全40話]
刑事の職務中にシドとハイファのバディが見つけた死体は別室員だった。死体のバディは行方不明で、更には機密資料と兵器のサンプルを持ち出した為に手配が掛かり、二人に捕らえるよう別室任務が下る。逮捕に当たってはデッド・オア・アライヴ、その生死を問わず……容疑者はハイファの元バディであり、それ以上の関係にあった。
▼▼▼
【シリーズ中、何処からでもどうぞ】
【全性別対応/BL特有シーンはストーリーに支障なく回避可能です】
【ノベルアップ+にR無指定版/エブリスタにR15版を掲載】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる