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第23話

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 消灯時間の二十二時を前にして、また和音はエセルを伴い煙草を吸いに出掛けた。そんな警護対象者の二人を警備の制服警官二名は、交代直前でさぞかし面倒に思ったことだろう。

 だが和音はまだ長い煙草を一斗缶に投げ込むなりエセルと一緒に駆け出した。制服警官が走り込んでこないうちにエレベーターの扉を閉める。

 しかし早々と『手配』をかけられないよう、一旦安堵させるために特別室のある最上階のボタンを押した。けれど最上階で降りたものの二人は特別室には向かわず、昼間のうちにリサーチしておいた空き部屋に潜り込み、予め隠しておいた衣服に着替える。もしものときのために未だ持たされている銃入りのショルダーホルスタも忘れず装着した。

「これで戻った警備は俺たち二人とも部屋で寝てると思い込んだまま交代、深夜のナース巡回まで俺とお前は安泰ってことか?」
「甘いなあ。隠れて私服も張り付いてるの、気付いてないの?」
「気が付いてるさ。ナースステーションの傍に各エントランス。敢えて単独で五名」

「ふふん、僕が見込んだだけのことはあるよね、和音って。だから好き」
「じゃあ、もうこの部屋にしとくか?」
「本気で言ってもいないクセに。僕をいっぱい鳴かせてくれないの?」
「鳴かせてやるさ、思い切り。喉が嗄れてお前が音を上げるまでな」

 二人はソフトキスを交わし、空き部屋をそっと忍び出た。
 病院内で私服セキュリティポリスを相手に撒く努力は無駄と割り切り、堂々とエレベーターで一階に降りて今開いている唯一の出入り口である救急外来から外に出る。

 外は肌が痛いくらい気温が下がっていたが、風はあまり感じられなかった。二人して見上げたが月も見当たらない。この水山市内は光害で普段から星など殆ど見えないが、今日に限っては都市の光を溜め込んだ雲が分厚く垂れ込めているようだ。

「天気予報では雪とか言ってたよ」
「ふうん。お前は雪、見たことがあるのか?」
「ううん、まだ一度も。向こうは乾燥してて、降っても夕立みたいな雨だけだしね」

「そうか。んで、ホテルもあんまり近いと撒けねぇが、何処に行くつもりなんだ?」
「お願いがあるんだけど……和音のおうちに招待して欲しいな」
「先回りして張られる可能性もあるが、まあいい。行こうぜ」

 パッと顔を明るくしたエセルの薄い肩に和音はチェスターコートを脱いで掛ける。

「遠慮なんかするなよ、俺はあったかいお前を抱きたいだけなんだからな」
「……ん」

 そこからは常套のタクシーを使った。この時間、消灯ギリギリまで居座った見舞客や患者の家族を待ち受けて、病院前の大通りにはタクシーが列を成し待機している。
 先頭の一台に二人は乗り込み、何とエセルは県警本部を行き先としてドライバーに告げた。タクシーの中年ドライバーは目立つ二人を振り返ってまじまじと眺めたのちに発車させる。交通量もかなり減った大通りをスムーズに走り出した。

 二十分と掛からず着いた県警本部の駐車場でタクシー料金を支払い、さっさと降りて二人は本部庁舎内に足を踏み入れた。エントランスも今は携帯している手帳でクリアする。

 そうしてひとときSPたちを安心させた二人は、一旦上階へのエレベーターに乗った。秘密裏に県警本部長から呼ばれたかのようなふりをして十五階まで上がり、廊下を辿って本部長室をスルーすると裏口に一番近い階段を駆け下り始める。

「こんなに、走って、お前は大丈夫か?」
「見た目ほどに、ヤワじゃないの、知ってるでしょ」

 外に飛び出した二人は大きく迂回し十五分後には大通りを挟んだ市役所の裏から、涼しい顔でタクシーに乗っていた。もう和音も尾行者の気配を感じていない。受令機や無線で連絡を取り合っていたSPたちもエセルの奇策、県警本部までは予想外だったのだろう。

「エスケープ作戦は成功か。あとは俺のアパート周辺に張ってないか、賭けだな」
「和音は賭けに強いんだよね?」
「そこまで調べたとはマジでストーカーだな。迷惑防止条例違反で現逮するぞ?」

「そんな嬉しいこと、してくれるの?」
「そういうプレイが好きなのか?」

 馬鹿話をしているうちにタクシーは紫川市内のアーケード街前に着いた。
 料金を支払って降りた和音はエセルを伴い、まずはアーケード街のコンビニで少々の食料や煙草を調達してから、自分の部屋がある安アパートまでぶらぶらと歩く。

「でもエセル、お前は俺の部屋も知ってるんだよな?」
「うん。けど中身は分からないから、すごく愉しみかも」
「お前は本部近くの官舎だっけか?」

「トータルしても十日と暮らしてないけどね」
「そうか。帰化したら同じアパートに引っ越して来いよ。今なら隣も空いてるしさ」

 素直に頷いたエセルは本当に愉しそうで、大きすぎる和音のロングコートを翻してみせる姿も可愛らしく、和音をまるで保護者のような気分にさせた。

 やがてアパートに辿り着いたが、幸い警備部SPの出迎えはなかった。
 スーツのポケットからキィを出し、和音は一階左の角部屋のロックを解く。安普請のドアを開けて、ごく狭い玄関の壁のスイッチで明かりを点けた。

「おー、久々に帰ってきたって気がするぜ。エアコン、すぐに入れるからな」
「じゃあ、遠慮なくお邪魔しまーす」

 和音に続いて靴を脱ぎ狭いキッチンを見回しながらエセルは上がり込む。だが見回したキッチンにあった様々なものはテーブル上の電気ポットと旧いトースターにマグカップ一個、あとはインスタントコーヒーの瓶以外、全てが埃を被った状態だった。

「何これ、和音っていったい何を食べて生きてるの? 煙?」
「汚すと面倒だからな、朝のトーストとコーヒー以外は全部外食だ」
「ふうん。それにしてはお鍋とかフライパンは新しそうだよね」
「そいつは前の前の彼女が……いや、何でもねぇよ、ゴホン、ゲホン」

 アメジストの瞳で醒めた視線を寄越され、しおしおと和音は移動してリビングのエアコンを全ての部屋に利かせるべく寝室やバスルームのドアまで開け放ち始める。
 特にエセルは不機嫌に陥ることもなく、和音にくっついての自宅拝見を続けた。

「わあ、バスルームが意外に小さいかも」
「残念ながら独身者用のユニットバスだからな、二人一緒は無理だろ」
「ホントに無理かなあ?」
「チャレンジしてみるか?」

 笑い合いながら和音はポットを洗って水を張り、コードのプラグを差して湯を沸かす。何はともあれコーヒーだ。沸いた湯でマグカップ一個になみなみと二人分のインスタントコーヒーを淹れ、コートを脱いだエセルを促してリビングの二人掛けソファに落ち着く。

 TVを点けると丁度深夜のニュースタイムで、水山市内で起こったマンション女性暴行殺人事件のホシが水山北署に出頭したことが報道されていた。

「やっぱり長瀬組の仕業か。武闘派長瀬が夏木に戦争仕掛けるつもりだったのか」
「僕や組長たちを路上で襲ったのも長瀬組だったしね」
「けど銃ぶら下げて出頭したのはチンピラ一人だとよ」

「ただのチンピラ一人の犯行じゃないよね、あれは」
「まあな。何処もここも同じ手ばっかり使いやがって……くそう!」

 殺されたバディを思い出していることを、和音のことなら大概調べ上げているエセルは敏感に察知したようで束の間二人は黙り込んでしまう。
 冷めかけたコーヒーをひとくち飲んで気を取り直した和音が殊更明るく訊いた。

「それより風呂には浸かれねぇからな、シャワーだけだがどうするんだ?」

 弾傷を負ったばかりのエセルも、傷痕を一昨日切開して膿を出した和音も、更なる感染症を引き起こす恐れがあるため溜めた湯には浸かれない。シャワーの許可が出ただけなのだ。

「シャワーだけでも一緒に浴びたい、だめ?」
「風邪引かねぇって約束するなら……おい、外、雪降ってきたぞ」
「えっ、どれ? うわあ、綺麗!」

 半分だけカーテンを引いた掃き出し窓の外を、大ぶりの綿雪がゆっくりと降り落ちていた。
 だが窓が室内の明かりを反射しているのでよく見えず、二人は立つと窓際まで覗きに行く。この辺りにしては珍しい本格的な降りで、もう地面はふわふわの雪で埋もれていた。

「何もかもを白いのが隠してくれるって、いいなあ」

 自分と同じ六歳で身寄りを亡くし、翌年には空腹を抱えて友達を土で埋めなければならなかった子供の姿を脳裏に浮かべ、堪らなくなった和音は唐突にその場でエセルを抱き竦める。

「エセル……エセル、この俺をやるから、何処にも行くな!」

 耳元で低く、だが激しく囁いた和音は細い躰を抱き締めたまま、エセルの唇を奪った。すぐに応えて開かれた歯列から舌を侵入させ、エセルの熱い舌を絡め取る。
 思い切り吸い上げては唾液を与え、届く限りの口内を舐め回して蹂躙した。

「んっ……んんぅ、っん……はあっ! 和音、愛してる」

 やっと解放されて肩で息をしながらエセルは和音を見上げて言い、切れ長の目に微笑みかける。和音はアメジストの瞳が零した一滴の雫も舐め取った。

「俺もだ、エセル。お前を愛してる……って、もう泣くなよ」
「だって……嬉しい」
「じゃあ、シャワー浴びたら、覚悟しとけよ」

「分かってるよ。でも……ねえ、僕、少し怖いかも」
「嬉しいんじゃなかったのか? 今更嫌とか言い出すんじゃ――」
「――ううん、そうじゃなくって。ホントに好きな人に抱かれるなんて初めてで……どんなことして何を言っちゃうか、全然分かんないんだもん」

「何をしても、何を言ってもいいんだ。俺しか見てねぇ、聞いてねぇんだからさ」

 再び抱き締めてやったが、それでも不安が募っているようで、まだエセルは硬い顔つきをしている。それでもそっと腰に細い腕を回してきたエセルが酷く愛しい。

 するとそこでいきなり窓ガラスの下部がガシャンと割れ落ちた。同時に二人は外に何者かの気配を感じる。更に戦場経験者であるエセルの聴覚は独特の発射音まで捉えていた。

「和音、サブマシンガン!」
「って、マジかよっ!」
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