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第22話
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「ふあーあ。入院なんてヒマだよな。食うか寝るかしかねぇもんなあ」
「それとも『煙草を吸うか』でしょ」
水山大学付属病院だった。アーケード街の一件で和音が治療を受けた病院である。
あれから重要参考人として一旦SATに大人しく捕縛された和音とエセルは、県警本部に送られて重参の疑いも晴れた。だがそのまま釈放にはならず、この病院で検査を受けさせられたのである。エセルは当然ながら弾傷と、感染症の熱が少々ぶり返したのが発覚した。
一方の和音もアーケード街での傷を糸も抜かず消毒もせず放置した結果、膿んでこちらも感染症を起こしているのを発見され、仲良く入院と相成ったのだった。
貰った部屋はベッドふたつを詰め込んだ特別室だったが、それもこれも自分たちが夏木組にとっての重参指名手配となったことに起因していると二人は気付いている。
夏木佳人の身柄は上層部の話し合いの末に都内の警察病院に移され、実質組長を失った夏木組は跡目争いに突入していて、幸い和音とエセルを積極的に殺ろうと声高に叫ぶ者は今現在いないらしい。既に組は分裂を始め、幹部たちはそれどころではないのだ。
しかし幹部はともかくチンピラたちは分からない。夏木で顔を売った目立つ二人がガサ入れと同時に姿を消したのだ。そこから事実を嗅ぎつけ、全ての元凶であるスパイ二人の命を取って名を上げんとする者がいてもおかしくなかった。組で主要ポストに就くには最適な材料だろう。そこで取り敢えず大事を取って二人は病院に隠れ住まいさせられたのである。
お蔭で特別室のドアの前には警備部の制服警官が二名張り番をしていた。
けれど一昨日入院して今日はまだ十五時だというのに、和音はもう飽き飽きしていた。せっかく特命が終わったというのに帰れもしない、この先どうなるのかも見えないのだ。
「あー、またお前と二人部屋なんて、ある意味拷問だぜ」
「どうしてサ? やっぱり僕のこと好きじゃない? 単なる吊り橋効果だった?」
「そいつは俺の方が訊きたいんだがな。お前こそ吊り橋効果じゃなかったのかよ?」
「誰かさんと違って、そこまで鈍くありません。でも僕の存在が和音にとっては拷問なの?」
一気に萎れたエセルに慌てて和音は事実を告げる。
「いや、逆なんだって。俺はこれでも病人には乗っからないっつーポリシーがあってだな。だからお前とこうして寝起きしてるってのに押し倒すこともできねぇんだぞ。あー、ヤリてー」
「いつの間に和音ったら、そこまで素直に……でも僕なら大丈夫だよ。今晩する?」
「えっ、マジで? って、ここのナースの巡回はランダムだしなあ……」
一瞬喜んだ男が更に凹むのを見て、エセルは呆れて明るい金髪の頭を振った。
「ほら、もう、煙草にも今夜エスケープするのにも付き合うから、機嫌直して」
「警備部の奴らだってプロだぞ?」
「そのくらい、この僕が撒けないとでも思ってるの?」
妙な自信を感じさせる微笑みに何となく力を貰い、和音はベッドから滑り降りると椅子に掛けてあったチェスターコートを手にする。着替えや銃などと一緒に夏木本家で回収されたものだ。それをペラペラな患者服の上から羽織る。エセルはソフトスーツのジャケットを着た。何処に行くのかといえば、やはり喫煙所だ。
昨今は何処も厳しくて、この大学付属病院内にも喫煙ルームなるものは存在しなかった。煙草を吸ってもいいのは外だけ、一階の表か屋上のみである。特別室は最上階で近いのと外部から目に付きづらいのとで、和音は屋上の常連客となっていた。
今朝には熱も下がった二人は階段で屋上に上がる。ご苦労だが制服警官も運動不足解消だ。屋上には灰皿代わりの赤い一斗缶を囲んで、既に哀れな中毒患者の会が形成されていた。
早速混ざって煙草を咥えオイルライターで火を点けた和音だったが、喫煙所はエレベーターホールの陰に設けられているとはいえ、風の吹き抜ける屋上は非常に寒い。
そこで身を震わせたエセルの細い躰をチェスターコートの右身頃で包む。エセルは熱が上がったかのように頬を染め、そんな二人を見て顔見知りとなった喫煙者たちはニヤニヤした。
構うことなく和音は腕の中のエセルに訊く。
「ところでさ、お前の任務はどうなったんだ?」
「ああ、そっちもレトラ連合の農園主から以前の契約書のコピーを分捕ってあったから、日本政府と警察庁が上手く動いてくれれば終わりじゃないのかな」
「そう……なのか?」
「たぶんね。ちょっと、そこで日本にずっといられるアナタが凹まないでよ」
「だってさ、来るんだろ、帰還命令ってのが」
「そりゃあね。でも一応これでも日本への帰化申請は途中まで進めてるんだよ」
「マジかよ、それ?」
身頃で包んだ白い顔を和音は見下ろした。
「もしかしてそれって、上手く行けばお前は日本人になれるってことか?」
「んー、提出書類は膨大だし、条件も全然満たしてないし。それにレトラ連合での僕の所属機関の横やりが入ることだって大いに考えられるから、あんまり期待しないで欲しいんだけど」
本当に期待できないのだろう、言いつつもエセルは憂い顔になっている。だが一縷の望みをかけて動き出しているエセルに、もう和音はかなりの期待を抱いてしまっていた。
「大丈夫だって、何とかなるさ」
「うーん、またも出た、オプチミスト発言」
「いいじゃねぇか。それよりお前、本当に警備の尾行を撒けるか?」
「……うん」
小さく頷いた頬は先程よりも赤く染まっていて、いつもならチェーンスモークする和音も一本だけで切り上げ、フィルタを一斗缶に放り込んだ。
「それとも『煙草を吸うか』でしょ」
水山大学付属病院だった。アーケード街の一件で和音が治療を受けた病院である。
あれから重要参考人として一旦SATに大人しく捕縛された和音とエセルは、県警本部に送られて重参の疑いも晴れた。だがそのまま釈放にはならず、この病院で検査を受けさせられたのである。エセルは当然ながら弾傷と、感染症の熱が少々ぶり返したのが発覚した。
一方の和音もアーケード街での傷を糸も抜かず消毒もせず放置した結果、膿んでこちらも感染症を起こしているのを発見され、仲良く入院と相成ったのだった。
貰った部屋はベッドふたつを詰め込んだ特別室だったが、それもこれも自分たちが夏木組にとっての重参指名手配となったことに起因していると二人は気付いている。
夏木佳人の身柄は上層部の話し合いの末に都内の警察病院に移され、実質組長を失った夏木組は跡目争いに突入していて、幸い和音とエセルを積極的に殺ろうと声高に叫ぶ者は今現在いないらしい。既に組は分裂を始め、幹部たちはそれどころではないのだ。
しかし幹部はともかくチンピラたちは分からない。夏木で顔を売った目立つ二人がガサ入れと同時に姿を消したのだ。そこから事実を嗅ぎつけ、全ての元凶であるスパイ二人の命を取って名を上げんとする者がいてもおかしくなかった。組で主要ポストに就くには最適な材料だろう。そこで取り敢えず大事を取って二人は病院に隠れ住まいさせられたのである。
お蔭で特別室のドアの前には警備部の制服警官が二名張り番をしていた。
けれど一昨日入院して今日はまだ十五時だというのに、和音はもう飽き飽きしていた。せっかく特命が終わったというのに帰れもしない、この先どうなるのかも見えないのだ。
「あー、またお前と二人部屋なんて、ある意味拷問だぜ」
「どうしてサ? やっぱり僕のこと好きじゃない? 単なる吊り橋効果だった?」
「そいつは俺の方が訊きたいんだがな。お前こそ吊り橋効果じゃなかったのかよ?」
「誰かさんと違って、そこまで鈍くありません。でも僕の存在が和音にとっては拷問なの?」
一気に萎れたエセルに慌てて和音は事実を告げる。
「いや、逆なんだって。俺はこれでも病人には乗っからないっつーポリシーがあってだな。だからお前とこうして寝起きしてるってのに押し倒すこともできねぇんだぞ。あー、ヤリてー」
「いつの間に和音ったら、そこまで素直に……でも僕なら大丈夫だよ。今晩する?」
「えっ、マジで? って、ここのナースの巡回はランダムだしなあ……」
一瞬喜んだ男が更に凹むのを見て、エセルは呆れて明るい金髪の頭を振った。
「ほら、もう、煙草にも今夜エスケープするのにも付き合うから、機嫌直して」
「警備部の奴らだってプロだぞ?」
「そのくらい、この僕が撒けないとでも思ってるの?」
妙な自信を感じさせる微笑みに何となく力を貰い、和音はベッドから滑り降りると椅子に掛けてあったチェスターコートを手にする。着替えや銃などと一緒に夏木本家で回収されたものだ。それをペラペラな患者服の上から羽織る。エセルはソフトスーツのジャケットを着た。何処に行くのかといえば、やはり喫煙所だ。
昨今は何処も厳しくて、この大学付属病院内にも喫煙ルームなるものは存在しなかった。煙草を吸ってもいいのは外だけ、一階の表か屋上のみである。特別室は最上階で近いのと外部から目に付きづらいのとで、和音は屋上の常連客となっていた。
今朝には熱も下がった二人は階段で屋上に上がる。ご苦労だが制服警官も運動不足解消だ。屋上には灰皿代わりの赤い一斗缶を囲んで、既に哀れな中毒患者の会が形成されていた。
早速混ざって煙草を咥えオイルライターで火を点けた和音だったが、喫煙所はエレベーターホールの陰に設けられているとはいえ、風の吹き抜ける屋上は非常に寒い。
そこで身を震わせたエセルの細い躰をチェスターコートの右身頃で包む。エセルは熱が上がったかのように頬を染め、そんな二人を見て顔見知りとなった喫煙者たちはニヤニヤした。
構うことなく和音は腕の中のエセルに訊く。
「ところでさ、お前の任務はどうなったんだ?」
「ああ、そっちもレトラ連合の農園主から以前の契約書のコピーを分捕ってあったから、日本政府と警察庁が上手く動いてくれれば終わりじゃないのかな」
「そう……なのか?」
「たぶんね。ちょっと、そこで日本にずっといられるアナタが凹まないでよ」
「だってさ、来るんだろ、帰還命令ってのが」
「そりゃあね。でも一応これでも日本への帰化申請は途中まで進めてるんだよ」
「マジかよ、それ?」
身頃で包んだ白い顔を和音は見下ろした。
「もしかしてそれって、上手く行けばお前は日本人になれるってことか?」
「んー、提出書類は膨大だし、条件も全然満たしてないし。それにレトラ連合での僕の所属機関の横やりが入ることだって大いに考えられるから、あんまり期待しないで欲しいんだけど」
本当に期待できないのだろう、言いつつもエセルは憂い顔になっている。だが一縷の望みをかけて動き出しているエセルに、もう和音はかなりの期待を抱いてしまっていた。
「大丈夫だって、何とかなるさ」
「うーん、またも出た、オプチミスト発言」
「いいじゃねぇか。それよりお前、本当に警備の尾行を撒けるか?」
「……うん」
小さく頷いた頬は先程よりも赤く染まっていて、いつもならチェーンスモークする和音も一本だけで切り上げ、フィルタを一斗缶に放り込んだ。
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