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第15話

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 再び考えに耽ってしまった和音を柔らかな声が現実へと引き戻す。

「テロ支援国家の烙印を押されたレトラ連合は一時期、ギルダの殲滅に乗り出した。この上、麻薬大国として名を馳せたくなかったからね。国軍がギルダ畑を爆撃までしたんだから」
「マジかよ、すげぇな。それで?」
「結局今は政府も分裂状態だし、でも放置するには重すぎるからね。政府の多数派と僕の所属する諜報機関の『上』が独自判断を下して、僕の『任務』って訳だよ」

 はぐらかされたような気がしないでもなかったが、エセルの任務についてそれ以上深く考えることを和音はやめた。自分のために全てが回っているなどというのは驕りだろう。

 そう思いながらも和音は、エセルが任務を全うしたらレトラ連合に帰ってしまうという事実を、重たくのしかかってくるように感じていた。実際にエセルはもう証拠を掴んだも同然なのだ。あとは『上』に伝えるだけで帰還命令が下るだろう。

 つい先程まで完全ヘテロ属性の人生を護らんとしていたのに、いや、まだ心の隅には諦め悪く足掻こうとする部分も残っているというのに、惚れてしまったのかも知れないと思い始めた途端、エセルが気になって堪らなくなっていた。

 それどころか白皙の額を汗で濡らし、前髪を貼り付かせて見上げてくるエセルに、明らかに愛しさすら感じてしまっていたのだ。

 その一方で和音の理性は今の状態を分析しようと躍起になっている。
 もしかしてテオのせいかも知れない。それとも特異な状況が愛だ恋だと思わせる『吊り橋効果』というヤツか。ありそうなことである。そもそも出会った日も含めてたった四日で、それも男にここまで惹かれるのは何か外的要因が作用していると考えた方が納得できた。

 それにエセルの側も本当に和音に惚れているのか疑問である。心の潤いを求め、たまたま目に留まったのが和音の履歴だったというだけで、これも吊り橋効果が作用した挙げ句に単なる憧れの対象だった和音を愛しているなどと勘違いしている可能性は大きい。

 だが何が原因かはともかく今のエセルは和音と寝たいくらいに想いを溜め、和音の側もエセルのさらさらの髪や白い肌に触れたいという欲望を持て余しているのは確かだった。
 ここで互いに流されてしまうのは簡単だ。しかし一度抱いてしまったら、必ず待っている別れを自分は受け入れられるのか。そう考えて和音は一歩を踏み出せない。

 もし吊り橋効果ではなく、テオのせいでもなく、互いに本気で相手を欲しているのだとしたら。自分が初めて味わうこの胸を絞られるような想いが出会うべくして出会ったことに起因するのなら――。

「――ったく、十年遅いぜ。恋する乙女かっつーの」
「えっ、なに?」

「いや、何でもねぇよ。あのさ、自慢じゃねぇが俺は自分から誰かを欲しがったことが一度もねぇんだよな。自分から告白したこともねぇし、どんないい女と付き合っても、過去も未来も考えたことがなかったんだ」
「来る者拒まず去る者追わずって言いたいんだね。大変立派なご自慢ですねー」

「ふん、何とでも言え。とにかく俺が言いたいのはさ、眠れねぇくらい他人のことが気になったのは初めてで、佳人の野郎だけじゃねぇ、お前を抱いた奴のことを考えると妙に苛つくし何をやらかすのか俺自身が読めなくて……お前のことも壊しちまいそうで怖いんだ」

 夏木佳人の嫉妬心は理解したくせに、自分が初めて味わうこの感情が『嫉妬』だと思い至らない和音は己の表現力の欠如に頭を抱えた。今どき小学生でも、もっとマシだと思われる。
 だがエセルには伝わったのか、愛しげな表情を目に浮かべて和音を見返していた。

「今はちょっと何だけど、僕はそう簡単に壊れないよ?」
「四十度の高熱患者が何をほざいてるんだ?」
「僕くらい自分で自分の身を守れる人間もいないって言いたいの」

 点滴を繋いでいない右手を伸ばしたエセルは、ベッドのヘッドボードの棚からホルスタごと銃を取り出す。胸の上で引き抜かれたその鋼の塊は一キロほどもあるかと思われた。エセルの過去を垣間見せるように使い込まれていて、だが綺麗なガンブルーに磨かれている。

「ベレッタか。細腕でデカすぎねぇか?」

 頷いたエセルはゆっくりだが滑らかな口調で説明した。

「そう、M9の名称で米軍にも制式採用されてるイタリアのピエトロ・ベレッタ社製ベレッタM92F。古い品だけどね。薬室チャンバ一発ダブルカーラムマガジン十五発、合計十六発でセミ・オートっていうのはアナタのシグ・ザウエルP226と同じ。使用弾も同じ九ミリパラだね」

「よく日本に持ち込めたな」
「夏木に潜入するときこそ元傭兵ってことで売り込んだけど、表向き僕は『日本の警察に研修に来たレトラ連合の警察官』っていう立場で入国したんだもん。ちゃんと許可も取ってるよ」

「そうか、お前も一応警察官なんだよな。あー、お前が俺のバディだったらなあ」
「そんな美味しいけど絶対に無理なこと言わないでよ、泣きたくなっちゃうから」

 たとえ帰化して日本国籍を取得したとしても、外国人を日本の警察が採用することなど殆ど有り得ないといっていい。何処にも書かれていないが事実は事実である。
 熱で潤んでいたアメジストの瞳が更に赤くなったような気がして、和音は慌て気味に話題を探した。ぐるりと室内を見回して今更ながら気付く。

「あのさ、これだけ話しちまってからマヌケなんだが、盗聴器か監視カメラでも仕掛けられてたら、俺たち二人とも殺されるだけじゃ済まねぇぞ?」
「それなら大丈夫。潜入してすぐにこの部屋は使ったけど、何もないのは確認済みだから」
「へえ。さすがは本職のスパイだな」
「それくらいはセオリーでしょ」

 やや冷たく言われ、俺はスパイじゃなくて刑事だと主張しようとしたが、和音より先に和音の腹が豪快な音を立てて主張した。笑ったエセルは左手をだるそうに振る。

「食堂、行ってきてもいいよ。もうやってるんじゃない?」
「んあ、現在時、十八時半。開いてるな。お前は何か食えそうか?」
「アナタが『あーん』してくれるならね」

◇◇◇◇

 食堂で自分の胃袋を満たした和音は、顔見知りとなった厨房の男に頼んで作って貰ったオートミールとヨーグルトというエセル用の夕食をトレイに載せて持ち、三階の部屋に戻った。当のエセルはウトウトしていたようだが、さすがにスパイという仕事柄すぐに目覚めたらしく、ごく静かに入った和音の方へと目を向けた。

 ベッドの枕元に腰掛けた和音はトレイのものを見せてやる。

「ほら、ご要望通り『あーん』してやるから、ひとくちでも食え」

 高熱の身には酷だと思ったが、ただでさえ華奢な躰が保たないかも知れないという思いで、和音は半ば強引にスプーンを赤い唇に突きつけた。時間は掛けたが全体の三分の二ほどを何とか食したエセルに安堵し、トレイを退けて今度は熱を測る。三十八度二分。

 少し下がったのに安心して次にバスルームの方を探索し、バスローブの着替えが積んであるのを発見した。ついでにバスタオルを湯で浸して絞るとベッドに戻る。
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