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第13話

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 救急箱の解熱剤では事足りず、結局エセルは翌日の午後、医者にかかった。

 不調の何もかもを診せるのはかなり根性が要りそうだと和音は思っていたが、エセル自身は何ら羞恥を感じさせない態度で診察を受け、ヤクザお抱え医師も商売が商売だけに手慣れていた。いつの間にかエセル専属世話係に収まった和音も全てに立ち会ったが、ごくシステマチックな診察は赤面するヒマもなかった。

 熱の原因は過労と薬物挿入で爛れた粘膜を裂かれ、そこから感染症を起こしたということだった。的確な処置さえ怠らなければ命に別状はないという診察結果で和音は安堵する。
 医師は抗生物質入りの点滴用輸液パックと、これも抗生剤入りの塗り薬を置いて去った。

 たった十五分ほどの診察だったが疲れたのだろう、エセルは真っ白な顔に目のふちだけを赤くしてベッドに横たわったまま身動きひとつしない。寝返りを打つだけの力すらないという方が精確か。未だ四十度近い熱が一向に下がらず、相当苦しいだろうことが察せられる。
 点滴で水分を摂らせて熱を下げる方針で、敢えて解熱剤は使っていないのだ。

 荒い息を繰り返すエセルに和音は三度目となった科白を投げる。

「お前、目ぇ瞑ってろよ。少しでも眠らねぇと保たねぇぞ」
「そういうアナタこそ昨日も、ううん、暫く眠ってないような顔してるんだけど」
「俺はいい、基礎体力が違うからな。お前に心配されることはねぇよ」

 座面がゴブラン織りで枠が紫檀という高級な椅子に前後逆に座って背凭れを抱き、枕元からエセルを眺めていた和音は、ポタポタ落ちる点滴に目を移しながら言った。だが昨日から同じドレスシャツを着て緩めたタイをぶら下げた和音をじっと眺め、エセルは言い募る。

「そうかなあ? ねえ、夕ご飯まで一緒に寝ない?」
「あー、優雅にシエスタもいいけどな。点滴一個一時間として差し替えが……」

 腕時計のアラームをセットする和音にエセルは大仰な溜息を洩らした。

「あのね、勘違いしてるでしょ。僕は優雅に眠りたいんじゃないんです。このベッドでアナタと一緒に寝たいって言ってるんです。この意味、分かってる?」
「他人の体温が欲しいくらい寒いんなら、もうちょっとエアコン上げるぞ?」
「そうじゃなくて!」

 とうとう大声を上げたエセルを眺めて今度は和音が溜息である。

「……あのな。何をその歳で甘えてるんだよ? 大体、俺たちが一緒に寝てたら次こそ佳人に俺は撃ち殺されるし、お前だって死ぬまで嬲りものだぜ?」
「内鍵くらい、この部屋にもあるじゃない」
「それを開けるキィは部屋の外なんだぞ。おまけに何だか知らねぇが携帯まで取り上げられて、俺たち二人ともいつの間にか構成員じゃねぇ、虜囚みてぇにカゴの鳥状態だしよ」

 あからさまに見張りが付いた訳ではなく、表面上の待遇も悪くはないが、これで和音やエセルが出て行くことを夏木佳人が許すとは思えない。そもそも男の嫉妬心から始まったことではあるが、和音が予想していたより状況は拙くなりつつあった。

「うーん、それはそうなんだけど。僕ら二人して組長に愛されちゃったからねえ」
「気味の悪い表現をするな、耳が腐って落ちるぜ」

 喋っていた方が気も紛れるかと和音はエセルと会話を続ける。だが内容はUターンして、またも一緒に寝るの寝ないのといった話題となった。

「マジでお前さ、熱で脳ミソ沸いてんじゃねぇか、正常な判断できてねぇぞ?」
「そんなことないよ! ううん、百歩譲って脳が沸いててもいい、一緒に寝てよ!」

 再び出された大声に、和音も思わず大声で返してしまう。

「んなこと、できねぇって言ってるだろ!」
「何で次から次へと言い訳探して、そこまで拒否するのサ!」

「ガキの昼寝じゃねぇんだぞ! 傷ついちまったお前の躰、治るどころか完全にぶっ壊れてもいいのかよ? お前の髪に触っただけで、あれからどうしたって眠れなくなっちまった俺だぜ? もうお前にこれ以上触ったら理性なんか吹っ飛んで、最悪殺しちまうかも――」

 そこまで言ってしまってから、和音は自分が何を口走ったのかに気付いて己の鈍さに呆然とした。同時に完全ストレートの異性愛者として生きてきて、これからだってそのつもりの人生を護らんと必死で言葉を探すも、思考は空転するばかりである。

 もう認めるしかない。立花和音はエセル=ユージンに触れたくて堪らないのだ。
 立ち上がった和音はすとんと椅子に座り直し、まさか惚れてしまったのかと自問し始める。

 一方でエセルは神の心すら蕩かすような笑みを嫣然と浮かべた。

「僕、これでもアナタと同い年で二十四歳なんだよ」
「ふうん、そうなのか?」
「うん。それにアナタと同じで施設育ちだしね」

 何故そんなことを知っているのか分からないが高熱患者に和音は先を促す。

「でもレトラ連合なんて国で親がいない子供なんか溢れかえっててね。六歳のときに施設入りして、翌年には飢えと病気と爆撃で国内施設の約八十六パーセントの子供が死んじゃった。お腹空いてるのに友達を埋める作業に毎日就いてたよ」
「俺と同じ歳で親を亡くして……お前、本当に地獄を見てきたんだな」

「生きてるんだし、僕はまだマシ。十二歳で国軍の少年兵入りして、すぐに狙撃の素養があるって分かったからスナイパーとして厚遇もされたしね」
「スナイパーか。確かにお前の目は只者じゃねぇ気がしてたぜ」

 じっとアメジストの瞳を見つめると、エセルは再び笑って先を続けた。

「けど少年兵から一般兵士になるかどうかを決める十六歳の時に、スナイプ任務で外人部隊に派遣されてね。その中隊長が過去に日本に住んでた人で、夢みたいな国の話をしてくれて。どうしても僕は夢の国に来たかった。だから一般兵士として生活しながらも必死で勉強したサ」
「日本は夢の国、か」

「で、今度はレトラ連合政府の諜報機関から目を付けられてスパイになっちゃった」
「なるほどなあ」
「でもテロ支援国家として国際的に爪弾きされたレトラ連合政府は今現在、はっきり言って分裂状態。僕が所属する諜報機関もあんまり機能してないんだよ」

 エセルの点滴が空となり、新たなパックを点滴台に下げて針を差し替えた和音は、また椅子に前後逆に腰掛けて疑問をエセルにぶつける。

「んな、機能してねぇ諜報機関なんか見限って、とっとと足を洗えばいいんじゃねぇか?」
「言ったでしょ、夢の国に来たかったって」
「そのために……言っちゃ悪いが身売りまでしてるっつーのか?」

「全てを自費でまかなえるほどレトラ連合でお金を稼ぐことなんて普通の人には無理なんだよ。だから今回のモーガン及びバーナードファミリーの件は僕にとって最大のチャンスだった。それだけの能力があるって認めて貰うために上司とも寝たサ」
「そうか……それで?」

「まんまとチャンスを生かして日本の警察と夏木組とレトラ連合内のギルダ畑の三ヶ所を飛び回る毎日を得ましたとさ。レトラ連合人の僕は出入国するのも簡単だしね」
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