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第15話

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 取り敢えずはこれ幸いとシドは煙草を振り出した。

「訊きたいことがあるといったのはハイファですよ、俺じゃない。……でもそうですね、敢えて訊くならまずは亡くなったメッテルニヒ氏を発見した際の状況を」
「警察官の血が騒ぐのかい?」
「ええ、まあ」

 相手の警戒心を緩めるため、ここでもシドはよりラフに頷いて見せる。

「昨日の朝、七時前だ。老人の多分に洩れず早起きでね。いつも六時前には着替えて最近のわたしの所業を咎めに枕元までやってくるのが日課だった。お蔭でここ暫くはこちらも早起きせざるを得なくなったんだ。それが昨日に限って来なかった」
「なるほど。それですぐ異変に気付いた訳ですか?」
「おかしいと思ったのは目覚めの茶を運ぶエレアが『内鍵で開かない』と言った時だね。それまでは『今日はゆっくり眠れる』くらいにしか思わなかったよ」

 随分と暢気だとは思ったが、怪しいと思えるほどにはチェンバーズ=ファサルートの口調も表情も変わらなかった。

「で、内鍵で開かなくても入る手段があったと」
「勿論マスターコードがある。管理者は代々の本社社長と会長で、この場合はわたしのみという訳だね。ミランダのそれは制限があるが一応あの部屋には入れる。だがミランダは普段から昼近くまで起きてこない。とにかくわたしのマスターコードであの部屋を開けてみたらソファに座って固まっていたんだ。それからは大騒ぎさ」
「主治医の鼻先に特典をぶら下げて言いくるめたりの騒ぎですかね?」

 チェンバーズ=ファサルートはシドのストレートな嫌味に動じることなく僅かに肩を竦め、薄く笑ってウィスキーのグラスを口に運ぶだけだった。

「何故本星セントラルの屋敷でなく、皆さんこちらへ?」

 遠慮なくシドは煙草を吸いながら質問を重ねる。

「大した意味はない。まあ気分だね。一ヶ月のうち一週間ほどはこちらで過ごすのが普通だ。株主総会が近かったのも理由かな。わたしは見ての通り、社長といってもお飾りなんだが、飾りは飾りなりにメッテルニヒとミランダの顔を潰す訳にも行かないんでね。この歳でデザイナーとしてのリスタートはさすがにきつい」

 FC社長の椅子なら喉から手が出るほど欲しい奴もいるだろうに、本人は大して魅力を感じていないようだ。婿養子の話が具体的にどのようにして持ち上がり進んだのかは知れないが、自分の知らないうちに『ミランダの意思』が大いに働いたらしい言い方をしたことからも、せっかくの才能を潰されたと感じていてもおかしくない。

 だがテラ連邦エネルギー財団の面々にまで恨みがあったかどうかまでは、未だ事実関係は全く探れていない。シドとしては取り敢えず材料不足で保留である。

「『敢えて訊くならまずは……』ということは、まだあるんだろう、シド?」

 五十代半ばに見える金髪の男は意外と頭も切れるようだ。お飾りとして神輿に乗せられたのバカ殿のふりを長年し続けて、それこそファサルートの血に迂遠な復讐をし続けているのかも知れない、シドはそう思った。

「ではサツカンとしてではなく純粋に私事でひとつ。これだけ俺に話してくれる貴方が何で幼い頃のハイファにひとことも声を掛けてやらなかったんです?」

 男はグラスの酒を呷り、葉巻をひとふかしするまでは無言だった。

「頑なになるのは簡単だが、それを解くのはとても難しい。エンジュ、あいつの実の母親だが、彼女とハイファス、そしてわたしの三人でいた頃は皆でよく喋り、遊んだものだ。ハイファスは小さくて覚えていないのか……わたしの人生で最高に輝いていた時期だが」
「そのエンジュさんが欠けたらハイファは用なしだったのか?」

 本気で腹を立てて低く唸ったシドにチェンバーズは少し考えて応える。

「ミランダと別居中のわたしが余所で幸せな家庭ごっこをしていた矢先、ミランダとの間にできた息子が死んで、わたしは一時的にFC、いや、ミランダの許に戻った。だがミランダも心を病んで一時帰宅のつもりが長引き、他星系への旅行などで療養してみたら夫婦して風土病に罹ったりして、散々な目に遭ったよ」

 なるほど、タイミングが最悪の巡り方をしたのは確からしい。

「それで……跡継ぎは作れずハイファを引き取るしかなくなった、と」
「ああ。ハイファスを引き取る間際にエンジュは事故で死んだ。事故……本当に事故だったのかも分からない。何れにせよ追い詰めたのはわたしだ。わたしはそのとき今以上に酒に溺れた。私に関わると誰もが不幸になるとさえ思ってハイファスからも逃げたんだ」 

 自分と関わると災厄が降ってくる、その考えはシドにとって誰より理解できるものだ。
 けれど一緒に乗り越えられる、背を預け合い、命を託し合える強さを持っていると信じたからこそシドはハイファの手を取った。

 そこまで七年も掛かったのだ。

 だがチェンバーズは実の父親だ。いたいけな幼いハイファを護る義務はあっても傷つける権利はない。それにチェンバーズ自身が当時は病んでいたとしても、今は大人なのだ。何故謝ることすらできずにいるのか歯痒くて堪らなかった。

「――皆の歯車が噛み合わなくなっていた。何よりわたし自身がエンジュを失って捨て鉢になっていたんだ。ミランダは初めからハイファスに対してあの通りだしね。そんなこんなで気付いてみれば今の形が出来上がってしまっていたんだ」
「生きているんです、遅すぎることなんかないと思いますが」
「わたしはファサルートに捕らえられたカゴの鳥……ハイファスには自由でいて欲しかった、そう言えば身勝手で無責任な親でしかないのだろうがね」

 放り投げるかのように言い放った相手にシドも容赦しなかった。

「そうですね、俺には言い訳にしか聞こえません。身勝手で無責任な上に、あんたは読み違えた。ハイファにはファサルートコーポレーションの枷が付いたままだ」
「こうなると予測はできた。だからこそ認知すると役員会で決定したのだ。読み違えた訳ではないんだ。ハイファスが取締役専務になった時、却って期待したんだよ」
「期待? 枷をより強固にされ、カゴの鳥になる期待か?」
「そうじゃない、キミは勘違いしている」
「何をだ? ハイファはFC本社社長の椅子など望んでない」
「分かっている。ただ……わたしには最初から種馬としての役割しか要求されなかった。何ひとつ変えることができなかった。それをハイファスに託すのは――」

 シドは腹も立ったが、それ以上に呆れた。これがテラ連邦に名を轟かすFC社長の『願い』だとは。他人より他人らしい息子に自分の押し込められていた籠に入ってくれと願うなど、度し難いにも程がある。
 このチェンバーズ=ファサルートが何を為したかったのか、為せなかったのかは知らないが、自分の理想を全てハイファに押し付けようという発想がまず残酷だと気付いていない。

「ふん、そういうことかよ。テメェができなかったことをハイファに託すにしても、親の義務も果たさず『黙って心を汲め』とはマジで身勝手すぎるぜ、あんた」
「それも分かっている。わたしは我が儘すぎる。けれどエンジュの死と共にわたしの心も死んだ。もう汲んで貰うべき心もない」

 シドがグラスを干す前に注ぎ足しながらチェンバーズは溜息をついた。

「明日が葬儀、明後日が役員会議で社長指名、その次が株主総会で承認だ」
「俺は純粋にハイファ自身が嫌がることはさせたくない、それだけだ。喩え嫌がることをしようが何処に行こうが、俺はハイファの傍から離れませんが」
「なるほど。ハイファスはパートナーには恵まれたようだ」
「他人事みたいに言いますがね、あんたの期待を掛けた息子なんですよ? このチャンスを逃して後悔するのはあんただ。俺にはここまで話せる、息子に期待を掛けられるあんたが『死んだ心』の持ち主だとは思えない」

 一縷の望みを、ハイファと父親との間に繋げられまいかと、シドは食い下がってみる。

「ふむ。だがどうして自分のパートナーのこととはいえ、きみは余所のお家事情にそこまで興味を持つのかね?」
「この世で唯一のパートナーの、ハイファのことだからに決まっている。あんたの心まで持って逝っちまったハイファの母親はともかく、その忘れ形見はあんたに残されている。だがな、俺はハイファを別にして、一番会いたい人間にはもう会えない」

 チェンバーズは見開いた灰色の目に痛ましそうな色を浮かべる。

「そうだったか……すまない。もう少し言い方を変えるべきだったか」
「別にあんたの言葉で傷つくほど俺はヤワでもウブでもないんでな。却ってハイファの背景がある程度知れて良かったぜ。まだ事実と確定していない、あんたにとっての真実でしかないんだろうけどさ」
「そこまでハイファスを思いやってくれるとは有難い限りだ」
「あんたの代わりじゃない。ハイファを想う心は俺の中で最大の真実だ」

 臆面もなく言い切ったシドをまじまじ見た灰色の目が笑みで細められた。

「ほう。ならばもしハイファスが社長の座に着いたら、それこそ通常手段では跡継ぎなんぞ生まれない訳だ。これは愉快な話じゃないか!」
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