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第2話・休前日~休日初日
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それにしても自分のプライヴェート事項がこの会社の隅々まで行き渡り、満ち満ちているようで大和は流石にいい気分にはなれない。
だがそれも仕方ない。入社初日に予告もなくお花畑な母が紅白まんじゅうを配り歩き、ついでにアレもコレもソレも喋り倒してしまったのだから。
もうアウティングなんて生易しいレヴェルじゃなかった。
小さな企業でそれほど従業員はおらず饅頭は足りたので助かった。喩え饅頭と引き換えに新人・白瀬大和の趣味や嗜好に性癖からカラオケの十八番までが社屋中にバラ撒かれていても、だ。
母は社長室とて容赦しなかった。
本来なら非常識な母を留めるべきだったのかも知れない。いや、ほぼ間違いなく留めるべきだ。だが大和にはこの母のすることを留めるすべがないのも過去の経験上、分かり切っていた。勿論とんでもなく恥ずかしかったし、翌日は実際に辞表も携えて出社した。
しかし自分の席でパソコンを立ち上げてみると、洒落の分かる社長からのメールがきており、こう書いてあったのだ。
《旨い薯蕷饅頭をありがとう。何処の店か教えて欲しい》
大和はすぐさま母に訊き、その和菓子店の名を社長宛に社内メールで送ってホッとした。まともに受け取ってホッとするのも常識人ならどうかしていると思う処だが、お花畑な母に振り回され続けてきた大和には既に分厚い壁の如き耐性が出来ていて、異常事態を異常事態と認識できなくなっていた。
お蔭でやたらと育った体格と相まって「落ち着きがある」ように見えるらしい。
母親のやることなすことにビビっていては身が保たないからだが、大和自身は素直に彼氏と破局を迎えたことをゲロってしまいつつも、これだって誤魔化しても無駄だと自分で諦めている事実に少々凹んでいる。
とっとと観念して口に出すことに免疫は出来ていても、別れたショックとは別物でカケラも癒されやしないのだ。
とにかく社会的にプライヴェートがダダ洩れの可哀想な男は、明日こそ大海原に向かって吠えてやると中二病的決意を胸に、仕上げた二枚の書類を課長席に置かれた未決裁の箱に入れた。
◇◇◇◇
天気予報通りの晴天、今はまだ午前6時過ぎだ。それでも既に大和は昼飯用の巨大塩昆布おにぎり三つを準備し終えていた。釣り道具は前回使用してから真水でざっと流して乾かし、いつも通りにワンボックスの後部に積んである。水槽の替え水用ポリタンク三個も同様だ。
あとは真っ直ぐに海へ向かい、馴染みとなった釣具店で仕掛けとエサを買えば釣りができる。活きの良い餌は早い者勝ちで今からでは遅いくらいだ。気合いの入った釣り師なら真っ暗な中で店が開くのを待っているほどである。
幸いと言っていいのか大和は沖堤防や小島の磯まで船で渡して貰う程の釣りマニアではない。ただ投げ釣りの爽快感と母の趣味の用事が同時に足せる、つまりはヒマ潰しだった。
そもそも別れた奴だって「アウトドア大好き」などとほざいたので大和は鵜呑みにし、三十二回ローンを組んでまでこのワンボックスを手に入れたのだ。だがいきなりバンガローに宿泊では悪いような気がしたので日帰りできる釣りを選んだ上に、あいつの分まである程度の道具も揃えた。
何故に釣りかと云えば、元々母が海水魚水槽と淡水の熱帯魚水槽で『小魚&ナッツ』の小魚に似た生物群を趣味で飼っていたし、力仕事でもある水槽掃除や水替えを学生時代から手伝わされていたので、水棲生物に対してハードルが低かったのである。
おまけに道具も釣りに流用可能な物が結構あったため、大和はいつの間にか趣味を訊かれたら「釣り」と答えるくらいになっていた。だからある意味、自信があったのだ。あいつに手取り足取り教えてやれると。
荷物を再点検して車に乗ると快調に走らせ始めた。海までは20分くらいだ。鼻歌気分で馴染みの釣具店を目指す。釣具店前だけでなく草の生えた空き地にまで車が無造作に泊められていた。出るのが少し遅かったかと大和はエサの売り切れを心配する。
しかし杞憂で元気なエサの青イソメ2パックとシンプルな仕掛けを幾つか、それに人間様用のウーロン茶2本と紅茶のペットボトルを1本購入した。
店の親父さんに片手を挙げて挨拶し、車に戻って海沿いの道を走らせる。あいつが置いて行ったメディアから流れるバラード系の曲に、殆どの思考を持って行かれながら。
『二人きりで語り合いたいな、僕。ねえ、ダメ?』
ダメなものかと二つ返事で俺は大海原を眺めながらの『二人きりで語り合い』をするつもりでセッティングしたのだが、あいつは一日ずっと言葉少なだった。
そりゃあ今なら大和にだって解る。高級レストランでの食事から、リザーブした高級ホテルの部屋に移って、あいつは二人きりで話がしたかったのだろう。ハズしにハズしたド田舎者の道化を自分は演じてしまったが、それでもあいつは大和個人を馬鹿にはしなかった優しい奴だ。
車を漁協近くの空き地に駐める。降りてハッチバックを開けると荷物一式を取り出し担いだ。大物釣りではないので活〆はしないが、代わりに小物は最後にリリースするのが常なので釣果を生かしておくための機材も必要になり、結構な大荷物である。
しかし身長だけは日本人平均を抜いている大和には大した重さではなかった。実際、他人が見ても池にオタマジャクシを掬いに行く小学生くらいの人間対荷物の比率に思われるだろう。
堤防まで暫く歩くので忘れ物をチェックしてから車をロックした。
のっしのっしと道路を渡り漁協の傍を通り抜けて左に堤防を見ながら歩いてゆく。端まで来て曲がると、もう大海原が拝めた。左側の堤防は先に行くほど高くなっているので、ここで登ってしまおうと、誰が懸けたかも知れぬロープを掴み、急傾斜のコンクリート壁に足を掛ける。
小物釣りなら堤防下の背後に当たる方で投げてもいいが、最初はやはり大物に色気を出してしまうのが釣り人というものだ。大和も多分に漏れず堤防を登りきると、外洋に繋がる潮風を胸いっぱいに吸い込んで期待を新たにした。
「ようし、今晩は刺身に天ぷら、煮付けが食えるぞ」
景気良く呟いたが返事がある筈もなく、大和は堤防の突端に向けて歩き出す。堤防上は幅がそう広い訳ではないので気をつけて歩いた。既に急傾斜から落っこちたら無事では済まない高さになっている。反対側はもっと拙くて、テトラポッドが複雑に積まれた中に嵌り込んだら大変だ。
暫し歩いて釣り人らが一定間隔を空けつつも大勢いる場所に辿り着いた。眺めるに突端まで既にびっしりと人で埋まっている。やはり遅かったようだ。仕方なく一番手前で大和は荷物を下ろして釣る準備を始めた。
こちら側は手前でも充分深い。ただ手前のこの辺りだと海底に岩が点在しているので釣り針が引っ掛かる『根掛かり』が起きやすいのが難点だった。浮き釣りと違い、テトラポッドの向こうに投げなければならないのは当然で、それも大和が好む「どりゃああ~っ!」と投げるタイプの釣りは大抵が底物釣りである。
これは早々に仕掛けをダメにしてしまうかも知れないパターンだなあと思ったが、その半面「誰よりデカい獲物を釣って周囲を驚かせてやる」とも考えていた。これも釣り人のステレオタイプな思考である。ギャンブル依存症の元である『射幸心』にかなり近い。
一発当ててやろうというヤツだ。
そんな期待を胸に大和はいそいそと降ろした荷物から投げ竿を取り出し、釣り具箱に仕舞った仕掛けを取り出す。まずはジェット天秤と既成の仕掛けをリールから引き出した幹糸に繋いだ。次には水汲みバケツの紐をしっかり握って海面に放り投げ、水を汲む。汲んだ水はクーラーボックスに入れ、携帯用エアレーション装置も付けて準備良し。
「さあて、釣るぞ」
エサの青イソメに咬まれながらも針に付け、竿を握った指に糸を掛けて押さえるとスピニングリールのベールアームを返した。ここは突端の灯台まで電線が頭上を通っている。背の高い大和がまともに投げては仕掛けが引っ掛かってしまう。
真上からではなく、やや斜めから振りかぶってぶん投げた。
「うおおお~っ!!」
別にダジャレでもなかったが一番近くの同志であるおじさんがツボったらしく、ゲラゲラ笑い始めていた。
だがそれも仕方ない。入社初日に予告もなくお花畑な母が紅白まんじゅうを配り歩き、ついでにアレもコレもソレも喋り倒してしまったのだから。
もうアウティングなんて生易しいレヴェルじゃなかった。
小さな企業でそれほど従業員はおらず饅頭は足りたので助かった。喩え饅頭と引き換えに新人・白瀬大和の趣味や嗜好に性癖からカラオケの十八番までが社屋中にバラ撒かれていても、だ。
母は社長室とて容赦しなかった。
本来なら非常識な母を留めるべきだったのかも知れない。いや、ほぼ間違いなく留めるべきだ。だが大和にはこの母のすることを留めるすべがないのも過去の経験上、分かり切っていた。勿論とんでもなく恥ずかしかったし、翌日は実際に辞表も携えて出社した。
しかし自分の席でパソコンを立ち上げてみると、洒落の分かる社長からのメールがきており、こう書いてあったのだ。
《旨い薯蕷饅頭をありがとう。何処の店か教えて欲しい》
大和はすぐさま母に訊き、その和菓子店の名を社長宛に社内メールで送ってホッとした。まともに受け取ってホッとするのも常識人ならどうかしていると思う処だが、お花畑な母に振り回され続けてきた大和には既に分厚い壁の如き耐性が出来ていて、異常事態を異常事態と認識できなくなっていた。
お蔭でやたらと育った体格と相まって「落ち着きがある」ように見えるらしい。
母親のやることなすことにビビっていては身が保たないからだが、大和自身は素直に彼氏と破局を迎えたことをゲロってしまいつつも、これだって誤魔化しても無駄だと自分で諦めている事実に少々凹んでいる。
とっとと観念して口に出すことに免疫は出来ていても、別れたショックとは別物でカケラも癒されやしないのだ。
とにかく社会的にプライヴェートがダダ洩れの可哀想な男は、明日こそ大海原に向かって吠えてやると中二病的決意を胸に、仕上げた二枚の書類を課長席に置かれた未決裁の箱に入れた。
◇◇◇◇
天気予報通りの晴天、今はまだ午前6時過ぎだ。それでも既に大和は昼飯用の巨大塩昆布おにぎり三つを準備し終えていた。釣り道具は前回使用してから真水でざっと流して乾かし、いつも通りにワンボックスの後部に積んである。水槽の替え水用ポリタンク三個も同様だ。
あとは真っ直ぐに海へ向かい、馴染みとなった釣具店で仕掛けとエサを買えば釣りができる。活きの良い餌は早い者勝ちで今からでは遅いくらいだ。気合いの入った釣り師なら真っ暗な中で店が開くのを待っているほどである。
幸いと言っていいのか大和は沖堤防や小島の磯まで船で渡して貰う程の釣りマニアではない。ただ投げ釣りの爽快感と母の趣味の用事が同時に足せる、つまりはヒマ潰しだった。
そもそも別れた奴だって「アウトドア大好き」などとほざいたので大和は鵜呑みにし、三十二回ローンを組んでまでこのワンボックスを手に入れたのだ。だがいきなりバンガローに宿泊では悪いような気がしたので日帰りできる釣りを選んだ上に、あいつの分まである程度の道具も揃えた。
何故に釣りかと云えば、元々母が海水魚水槽と淡水の熱帯魚水槽で『小魚&ナッツ』の小魚に似た生物群を趣味で飼っていたし、力仕事でもある水槽掃除や水替えを学生時代から手伝わされていたので、水棲生物に対してハードルが低かったのである。
おまけに道具も釣りに流用可能な物が結構あったため、大和はいつの間にか趣味を訊かれたら「釣り」と答えるくらいになっていた。だからある意味、自信があったのだ。あいつに手取り足取り教えてやれると。
荷物を再点検して車に乗ると快調に走らせ始めた。海までは20分くらいだ。鼻歌気分で馴染みの釣具店を目指す。釣具店前だけでなく草の生えた空き地にまで車が無造作に泊められていた。出るのが少し遅かったかと大和はエサの売り切れを心配する。
しかし杞憂で元気なエサの青イソメ2パックとシンプルな仕掛けを幾つか、それに人間様用のウーロン茶2本と紅茶のペットボトルを1本購入した。
店の親父さんに片手を挙げて挨拶し、車に戻って海沿いの道を走らせる。あいつが置いて行ったメディアから流れるバラード系の曲に、殆どの思考を持って行かれながら。
『二人きりで語り合いたいな、僕。ねえ、ダメ?』
ダメなものかと二つ返事で俺は大海原を眺めながらの『二人きりで語り合い』をするつもりでセッティングしたのだが、あいつは一日ずっと言葉少なだった。
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車を漁協近くの空き地に駐める。降りてハッチバックを開けると荷物一式を取り出し担いだ。大物釣りではないので活〆はしないが、代わりに小物は最後にリリースするのが常なので釣果を生かしておくための機材も必要になり、結構な大荷物である。
しかし身長だけは日本人平均を抜いている大和には大した重さではなかった。実際、他人が見ても池にオタマジャクシを掬いに行く小学生くらいの人間対荷物の比率に思われるだろう。
堤防まで暫く歩くので忘れ物をチェックしてから車をロックした。
のっしのっしと道路を渡り漁協の傍を通り抜けて左に堤防を見ながら歩いてゆく。端まで来て曲がると、もう大海原が拝めた。左側の堤防は先に行くほど高くなっているので、ここで登ってしまおうと、誰が懸けたかも知れぬロープを掴み、急傾斜のコンクリート壁に足を掛ける。
小物釣りなら堤防下の背後に当たる方で投げてもいいが、最初はやはり大物に色気を出してしまうのが釣り人というものだ。大和も多分に漏れず堤防を登りきると、外洋に繋がる潮風を胸いっぱいに吸い込んで期待を新たにした。
「ようし、今晩は刺身に天ぷら、煮付けが食えるぞ」
景気良く呟いたが返事がある筈もなく、大和は堤防の突端に向けて歩き出す。堤防上は幅がそう広い訳ではないので気をつけて歩いた。既に急傾斜から落っこちたら無事では済まない高さになっている。反対側はもっと拙くて、テトラポッドが複雑に積まれた中に嵌り込んだら大変だ。
暫し歩いて釣り人らが一定間隔を空けつつも大勢いる場所に辿り着いた。眺めるに突端まで既にびっしりと人で埋まっている。やはり遅かったようだ。仕方なく一番手前で大和は荷物を下ろして釣る準備を始めた。
こちら側は手前でも充分深い。ただ手前のこの辺りだと海底に岩が点在しているので釣り針が引っ掛かる『根掛かり』が起きやすいのが難点だった。浮き釣りと違い、テトラポッドの向こうに投げなければならないのは当然で、それも大和が好む「どりゃああ~っ!」と投げるタイプの釣りは大抵が底物釣りである。
これは早々に仕掛けをダメにしてしまうかも知れないパターンだなあと思ったが、その半面「誰よりデカい獲物を釣って周囲を驚かせてやる」とも考えていた。これも釣り人のステレオタイプな思考である。ギャンブル依存症の元である『射幸心』にかなり近い。
一発当ててやろうというヤツだ。
そんな期待を胸に大和はいそいそと降ろした荷物から投げ竿を取り出し、釣り具箱に仕舞った仕掛けを取り出す。まずはジェット天秤と既成の仕掛けをリールから引き出した幹糸に繋いだ。次には水汲みバケツの紐をしっかり握って海面に放り投げ、水を汲む。汲んだ水はクーラーボックスに入れ、携帯用エアレーション装置も付けて準備良し。
「さあて、釣るぞ」
エサの青イソメに咬まれながらも針に付け、竿を握った指に糸を掛けて押さえるとスピニングリールのベールアームを返した。ここは突端の灯台まで電線が頭上を通っている。背の高い大和がまともに投げては仕掛けが引っ掛かってしまう。
真上からではなく、やや斜めから振りかぶってぶん投げた。
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知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。
〈あらすじ〉
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。
あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。
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〈主人公と作中用語〉
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・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉
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