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第18話

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 一大化粧品メーカーである香坂堂コーポレーション白藤支社ビルは白藤市駅の西口に近い場所に建っていた。この辺りは古いビルの建て替えが盛んな再開発地で、新しいビルはまだ少なく目立つ。

 その目立つビルの中の一棟が香坂堂の持ちビルだった。
 ビル地下駐車場に霧島は車を乗り入れる。

 だが乗っているのはいつもの白い愛車ではなく、黒塗りの外車で防弾仕様という代物だ。研修名目とはいえ敵陣に乗り込む訳で、二度も狙い撃たれたという香坂の身の安全を図るため、何処の組かと思われるような防弾車両を保養所から借りて通勤することにしたのである。

 空きスペースに車を押し込み、男四人で降りると上階に上がるエレベーターを探し当てた。ボタンを押しておいて傍の壁に貼られた案内図を眺め、京哉が呟く。

「三十八階建てで二十一階から上が香坂堂。下はテナントで貸し出し中なんですね」
「では二十一階に上がるとしよう」

 時刻は八時二十三分、エレベーターの自動ドアが開くと中は空っぽだった。四人で乗り込み香坂堂白藤支社の受付があると思しき二十一階のボタンを霧島が押した。

 上昇し始めると京哉は振り向いて香坂を見る。元々色白らしいが、それを見越しても顔色が悪い。唇だけが妙に赤い香坂はアームホルダーも外していた。
 だが相当無理をしているのは分かる。今朝の医師の診察で痛み止めを射って貰ったにも関わらず、車内で既に鎮痛剤を飲んでいたからだ。

 けれど傍には小田切が寄り添っていて、これはいい傾向だと思う。

 暢気に考えていると一階でエレベーターが停まった。扉が開くなり怒涛の勢いでスーツの男女が大量に乗り込んできて四人は壁に押しつけられる。
 ビィビィと重量超過の警告音が鳴ったが誰も降りようとせず、更に人間が詰まってきて諦めたように扉は閉まった。

「いきなり何なんだよ、こいつは……ゴフッ!」
「通勤ラッシュってヤツじゃないですかね、小田切さん!」
「京哉、大丈夫か!」
「少し酸素が薄くて、誰かに足を踏まれてるだけです! 忍さんは?」
「大丈夫だ、問題ない! だがお前の足を踏む不届き者は誰だ!」
「俺かも知れない、悪い、京哉くん! でも俺もアバラが軋んで……うはっ!」
「文句ばかり垂れるな、基生! 痛っ!」
「怜、お前は腕が――」

 もはや叫び合わないと会話も成り立たない状況で、香坂の怪我を残り三人は心配する。だが小柄な京哉も結構悲惨で、ひしめくサラリーマン軍団と壁の間で押されて顔を変形させていた。そんな京哉は小田切に足を踏まれていなければ躰が浮くのではないかと思う。

 しかし二階で停まりドアが開くと、ふいに足の痛みや息苦しさから解放された。けれど人が扉からなだれ出るのに巻き込まれ、京哉たち四人も一緒に押し流され降りてしまう。おまけにそれだけでは済まなかった。

 我先に自分のオフィスに走るサラリーマンの流れに逆らえず、四人を置き去りにしてエレベーターは無情にも閉まり上昇して行ってしまったのである。

 次は数基あるエレベーターの他の一基に何とか乗り込んだが、これもすし詰めを超えて缶詰のオイルに漬かったサーディンの気持ちが分かるような状態だった。
 霧島は何より大切な京哉を護ろうと奮闘したが、文字通り立錐の余地もない中ではできることなど限られている。

「もうすぐだ、京哉、気を確かに持て!」
「階段を使えば良かったんじゃないのかい?」
「今の香坂さんを二十一階まで上がらせたら死んじゃいますよ!」

 当の香坂はもう叫んでまで喋る気力もないらしかった。
 そうして乗っては降り、降りては乗って、ようやく二十一階に辿り着く。四人は互いを見てヨレ具合に溜息をついた。スーツはシワシワ、タイは緩み切りぶら下がっているだけだ。京哉に至っては髪までクシャクシャである。

 この時点で時刻は八時四十五分だった。
 初日から遅刻だったがサラリーマン生活をしたことのない官品四人だ、仕方ない。

 タイを締め直しスーツを撫でつけ髪を手櫛で梳くと、四人はエレベーターホールを縦断して右折する廊下の角から先を覗いた。すると『受付』と書かれたカウンターがあった。
 第一目的地を発見し、ぞろぞろ歩いてカウンターの前に立つとピンクの制服を身に着けた美人のお姉さん二人が四人を見て一瞬ボーッとする。

「研修に来た霧島以下四名だ。係の人間に取り次いで貰いたい」
「あっ、すみません。今、人事課長を呼び出しますのでお待ち下さい」

 来訪者用バッジを渡されて胸に着けている間に人事課長なるひょろりとした男が現れて応接室に通された。水色の制服を着たお姉さんが皆に紅茶を出してくれる。サラリーマン生活の一端を否応なく体験させられた四人は喉がカラカラだったので有難く押し頂いた。

 それなりに事情を知らされている筈の人事課長はまだヨレの残った四人を見回す。

「あー、悪いけど、ここからは特別扱いしない方針だから。いい?」

 文句もなく皆が頷くと細長い人事課長はリストを繰った。

「霧島さんに鳴海さん、香坂さんに小田切さん。まず人事部長に挨拶して貰うから」

 暗に急かされて紅茶を一気飲みした四人は移動させられる。
 人事部長室は三十階の個室だった。応接セットに座らされると今度はコーヒーが出てくる。遠慮なく四人が飲んでいると向かいに腰掛けた、かなりの恰幅の良さが特に腹回りに表れている人事部長が口火を切った。

「わたしが人事部長の大釜おおがまだ。キミたちを使うのは心苦しいものがあるが丁度良かった。先日来、秘書室で続けざまに事故や実家の事情で欠員が出てね。優秀なサラブレッドのキミたちなら、必ずやそつなく秘書業務をこなしてくれるだろう。では秘書室に案内しようか」

 まだ熱いままのコーヒーを喉に流し込みつつ、京哉は非常な違和感を覚えていた。ソファの座面も温まらないうちに大釜部長の先導で人事部長室から出て今度は最上階の三十八階にエレベーターで上がる。チリひとつ落ちていない廊下を歩きながら京哉は霧島に囁いた。

「何だか話が違う気がしませんか?」
「『将来の秘書』役のお前と小田切はともかく、妙な雲行きだな」
「それ以前の問題のような気がするのは僕だけでしょうか?」
「言いたいことは分かっている。どうも本気でサラリーマン染みてきて捜査の『そ』の字も出て来ん。そうだろう?」

 囁き合っている間に総務部のエリアに辿り着き、その隣にある秘書室に大釜部長は入って行く。特別扱いしないと言われて頷いた以上、四人は従うしかない。
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