記憶の彼方で愛してる

志賀雅基

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第11話(エピローグ)

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「ううう、くそう、眩しいってんだよ!」

 カーテンの隙間から洩れる日差しで目覚めたマユキはベッドに横になったまま毛布の中をまさぐる手を止めた。自分が何を探していたのか分からず、妙な喪失感を抱いたまま上体を起こす。

 前の彼女と別れて二ヶ月、空しい独り寝のお蔭で今朝も酷く寒い。しかし今日まで署に出れば明日からは非番、ここは頑張るしかないと気合いを入れて起き出し、着替えて顔を洗った。

 キッチンのトースターで食パンを焼きながら煙草を一本灰にする。ポットの湯でコーヒーを淹れ、立ったまま食パンを囓っているとテーブルの上にベージュのエプロンがあるのに気づいた。見覚えのないそれに首を傾げつつ食べてしまうと、リビングのTVでニュースを視て大事件など起こっていないのを確認しホッとする。

 八時になって自室を出た。鍵を掛けると寒風吹きすさぶ中を署まで走る。

 二週間も立っていた帳場の解散祝いだった昨夜の飲み会が効いて、デカ部屋内には冷凍マグロがゴロゴロしていた。避けながら自分のデスクに着くと昨日タクシー帰りした後輩の中山が隣の席に着地する。

「マユキ先輩、昨日はすんません」
「別に構やしねぇよ。それよりカミさんに怒られなかったか?」
「やー、機嫌が悪くて参ったっスよ」

 などと言いながらポットを出してフタに液体を注いだ。匂いからしてシジミの味噌汁だとマユキは看破する。ちょっと羨ましく思っているうちに八時半の定時となり、深夜番との引き継ぎなどでデカ部屋はそれなりに緊張した空気に包まれた。

 いつもなら既にデスクに就いている岩崎課長が現れる。一人ではなく若い男をつれていた。それで皆がざわめき出す。何故かと言えば見知らぬ若い男は女性と見紛うほどの美人だったからだ。

 歳はマユキと同じくらいで二十四、五か。身長も似たようなものである。だが濃いブラウンのスーツを身に着けた躰はごく細く薄い。おまけにうなじで縛った髪の先端は背中の半ばより下まで届いている。本来なら服務規程違反である髪の長さから皆が「公安ハムからの異動か?」などと囁き始めた。

 止まらないざわめきに岩崎課長が声を張り上げる。

「静かに、静かにしろ! 新規配属者を紹介する」

 新規配属者なる長髪男はキッチリと回れ右、皆の方を向いて口を開いた。

「このたび白崎署刑事課強行犯係に配属となりました向坂涼巡査長です。若輩者故、色々と至らない点はあるかと思いますが、皆様ご鞭撻をどうか宜しくお願いします」

 教則本通りの敬礼に皆が答礼をする。そこで岩崎課長が再び声を発した。

「高村真由機巡査部長、前へ」

 唐突に名を呼ばれ、反射的にマユキは前に出る。

「マユキ、向坂巡査長は骨折入院中に胃潰瘍が見つかり長期療養に入ったお前のバディの後継者だ。受ける気はあるか?」
「……はい」
「では、面倒をみてやれ」

 長髪男がマユキに向かって微笑んだ。本当に嬉しそうな笑みで、それも何処か既視感のある表情にマユキもつられて相好を崩す。すると長髪男の目からふいに涙がひとすじ零れた。何事かとマユキは身構える。デカ部屋内はしんと静まりかえった。

「おい、どうした?」

 訝しくも心配となりマユキが声を掛ける。長髪男は首を横に振った。

「分からない……けど、何だか嬉しくて」

 言うなり何を思ったか長髪男はマユキにダイヴしてくる。細い躰をマユキは受け止め、思わず薄い肩を抱き締めた。頬に熱い滴が擦り付けられる。

 更には柔らかな唇まで――。

 これは初めてじゃない、不思議と喪失感を埋めるこの感触は……と、考え込んだマユキの耳に、デカ部屋の皆が発する「おお~っ!」というどよめきが届いた。
 同時に我に返ったマユキは自分に巻き付いた男を引き剥がし、突き飛ばした挙げ句に蹴りを入れる。

「テメェ、いきなりナニすんだよっ!」
「だって……想像してたより、すっごくカッコいいんだもん!」
「知るかボケ! くそう、この野郎、剥がれろ、向坂!」

「リョウって呼んでよね、僕もマユキって呼ぶからサ。僕と貴方の仲じゃない」
「どんな仲だよっ! 勘違いを誘うと思料される発言は慎め。大体、俺は男になんか興味はねぇ、完っ全なるストレートだ!」

 だがその叫びに説得力はなく、皆からニヤニヤ笑いされる。

 そしてその後に至るも懐疑的な目で見られ続けた上に、アパートの隣の部屋に引っ越してきたリョウの作る旨いメシに釣られた男が懐柔されてゆくまで、さほどの時は要さなかった。
                               
     
                              了
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