最優先事項~Barter.4~

志賀雅基

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第14話

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「そこまで分かっていて何故、関わった奴らを告訴しない?」

 寡聞にしてそんな派手な犯罪のホシが逮捕されたという報道はなされていない。

「人質を取られた家族も秘匿したがる誘拐という犯罪故に、当局に届け出がなされないことが理由の第一として挙げられます。勿論基本的に保険会社から派遣される交渉人、いわゆるネゴシエーターは被害届を出すよう家族に促しはしますが、強制はできません。第二に被害者と加害者がグルという特殊な状況であり、第三に被保険人にも知らせず唐突に行われる誘拐は本人及び周囲にも被害者意識を植え付け、その言動から犯行を推し量るのは非常に困難、第四に誘拐する側はごく短期間に計四件もの誘拐を成功させています。被害に遭った保険会社も分散されていますし、オプと呼ばれる保険調査員に化けた潜入者から話が上がってこなければ、我々も知るところではありませんでした」

 立て板に水とばかりに喋られて、やっと話の切れ目に霧島が口を挟んだ。

「もういい、分かった。端的に言えば証拠がないんだな?」
「はい。ただ誘拐された側は割と名の通った企業ではあれど内情は火の車、全て経営悪化により負債を抱えていた中小企業です。一円でも惜しいさなか会社の規模に不相応な誘拐保険料を支払い、契約成立した数日後には誘拐されています。詐欺は確実でしょう」

 保険会社が結成した調査委員会の代表も兼ねて新堂議員はやってきたという。

「その保険金であり身代金でもあるカネを受け渡しに行った者がカネと共に行方不明となり、後日吸血鬼殺人事件の被害者として発見されているんです。但し、堺とミラードにおいては未だ身代金を支払ってはおりません」
「ふむ。やはり一連の案件は完全に繋がっているな。しかし切羽詰まった状態のミラードはともかく堺リノベーションは巨大優良企業だ。負債など背負ってはいまい」

「ええ。ですが誘拐犯がヨグソトスと名乗ったのも同じ、手口も酷似しています。故にミラードと堺に関しては同一犯による本物の誘拐だと我々は認識しています」
「だが霧島カンパニーは無関係だ。なのに何故あんたが出張ってきた?」

 鋭く訊いた霧島に新堂議員はガムシロップのコーヒー割りで口を湿して答える。

「仰る通り先般の新・暗殺肯定派の件でミラードは現在、企業としての進退を問われるまで追い詰められています。ですが元々ミラードと霧島カンパニーは昵懇です」
「まあ、斑目社長の次女と私の縁談まで持ち上がったくらいだからな」

「霧島光緒みつお会長と斑目会長も『みーちゃん』『こうちゃん』と呼び合う間柄でして、今回の誘拐事件に霧島会長は並々ならぬ関心を示されております。けれど長期戦の模様、そこで霧島会長がミラード会長を無事救い出す案を捻り出されたのです」

 ここで霧島はロクでもない予感が的中する確信を持っていた。だが、とっとと話を終わらせるために、まだソファから尻を浮かせない。

「一応訊いてやる、クソ親父の出した案とは何だ?」
「ヨグソトスの警告で表向き警察は関与できません。合同捜査チームは一向に成果を上げない。なら何処にも角の立たない形で手助けしようではないか。そこで貴方がたに今回犯人側との窓口になっているミラード化学薬品天根支社に潜入して頂き――」
「――却下だ」

 眉間に深いシワを刻んで霧島はバッサリ斬った。だが一ノ瀬本部長が口出しする。

「ヨグソトスなる保険金詐欺の被疑者が全ての鍵を握っているのは間違いないのだ」

 そう言った一ノ瀬本部長を霧島は睨みつけた。

「詐欺を追うなら専門の捜二にやらせるべきだ。無茶振りされても困ります」
「ミラード及び堺の会長誘拐に限っては本物の誘拐事案だというのが保険会社側の見解だ。警察官魂が震えんかね、霧島くん?」
「別に震えません。誘拐事案も捜二が専門です」

「分かっている。しかしだね、会長二人の身の安全が保障できない限り、これ以上の情報拡散は危険なのだよ。捜二に帳場は立てん。これは本部長見解として受け取りたまえ。何れにせよミラードも堺も内部に警察を入れることを拒んでいる」

 しかし自分たちの介入を隠密チームが喜ぶとは思えなかった。ストレートにそれを告げる。

「だが既に詐欺も誘拐も隠密チームを立ち上げホシを追っている、違いますか?」
「両社とも非協力的で埒が明かないからこそ、こうしてきみたちを呼んだのだ」
「……私なら一社だけでも協力的にさせられると?」
「その認識があるなら、なお宜しい」

 そこまでが霧島の導火線の限界だった。半ば立ち上がりつつ怒声を上げる。

「あんたこそ我々二人の手に余る案件だという認識くらいあるだろう!」

 警視監に対しての『あんた』呼ばわりに聞いていた京哉が青ざめた。けれど本気で腹を立てた霧島は京哉から肘打ちを食らっても発言を撤回しようとはしない。

 暫し黙っていた新堂議員が霧島を見上げ、出し抜けに訊いた。

「与党の重鎮である塩谷しおや議員をご存じですか?」
「元・警察庁サッチョウ長官だった衆議院議員だろう。それがどうした?」

「わたくし同様に塩谷議員を後押し、ズバリ言ってしまえば集票マシンとなっているのが霧島カンパニーです。でもわたくしのような一年生議員と違い、塩谷議員は大臣を歴任している大人物ですね」
「それが私と関係あるのか?」

 本気で嫌な予感がして、霧島は耳を塞ぎたくなっていた。

「理解されているとは思いますが、霧島カンパニーの意志は塩谷議員の発言をも左右し、塩谷議員の発言は警察内部でも非常に通りが良いということです。つまり今後の貴方がたの在り方にも影響が出る可能性が大だということですよ」
「……クソ親父の野郎」

 完全に脅しとなった新堂議員の科白に霧島は低く呟き、ますます眉間のシワを深くして不機嫌を溜め込む。メモ用紙くらい挟めそうなシワを京哉が窺っていると一ノ瀬本部長がドロドロの液体をストローで吸い尽くし、深々と溜息をついてみせた。

「霧島くん、じつはきみの父上から電話があったのだ。今のミラードと同じく一度は瀬戸際まで追い詰められた企業トップとして今回の件を見過ごす訳にはいかないと」

 あとを引き取って新堂議員も深く頷き続ける。

「霧島会長は一連の事件の裏に隠れた巨悪を許しておけないとも仰られまして、ミラード側と話し合った結果、全てが丸く収まる案を捻り出されたのですから」
「全てが丸くだと? 私自身の意志を無視しておいて何処が丸い! おまけに『巨悪を許しておけない』だと? どの口でほざくんだ、あの悪魔が!」

「落ち着いてくれ、霧島くん。ついでに頷いてくれたまえ。わたしは盟友を思いやる霧島会長の漢気に感服し、何とかきみを説得すると約束してしまったのだ」

 馬鹿馬鹿しくも電話で泣いて頼まれたという。あのクソジジイはへらへら嗤いながら泣き言を垂れるくらい朝飯前だ。

「分かって下さい。本当は本部長も貴方のプライヴェートにまで踏み込みたくはなかった。そんな上司にはなりたくなかったんです。だからこそ貴方には強要することなく自分の意思でミラードに潜入して欲しかったんですよ」

 場が急に浪花節じみてきて、けれどそれこそ一ノ瀬本部長の得意とする罠だと霧島は知っていた。不機嫌も突き抜け醒め切った目で本部長と新堂議員を凝視する。
 だが息子より霧島会長と仲が良く、御前と呼び親しんでいる京哉が罠に掛かった。

「霧島警視。御前も貴方を頼りにしてるんです。潜入捜査を受けてあげましょうよ」
「頼りにしているなら何故あのクソ親父は私に直接頭を下げに来ない?」
「直接頼んでも貴方がひねくれ……じゃなくて、意地を張るのが見え見えですもん」

「だからって以前お前にも言った筈だぞ、あの親父がすることには必ず裏があると。捜査のためという単純な理由だけで私をミラードに潜入させる訳があるまい」
「それは……でも問題は誘拐事件だけじゃないでしょう。吸血鬼殺人の六名に三名射殺、二名スナイプにスナイパーまで合わせて死者は既に都合二桁です。現場の警察官として貴方は放置できるんですか?」

 この京哉の言葉が何より霧島に効いた。不機嫌なまま巨大な溜息を洩らす。

「本部長。私一人ではなく鳴海巡査部長も潜入捜査員として認めて頂けますか?」
「勿論だとも。霧島会長も鳴海くんの存在を織り込み済みと仰せだ」
「それではミラード化学薬品天根支社への潜入捜査任務を拝命します」

 二人揃って立ち上がり身を折る敬礼をした。本部長が答礼する。そして本部長室を二人が辞去しようとした、その間際になって本部長が思い出したように口にした。

「あと霧島会長からの伝言だ。ミラード側からは『一度は破談にして申し訳なかったが、これを機会に本社社長の次女との縁談を再考願いたい』なる言葉を頂いた、と」
「『婿としてふさわしいよう、今回は天根支社長の椅子を用意した』とのことです」
「いやあ霧島くん、明日から老舗商社ミラード化学薬品の天根支社長だよ!」

 わっはっはと景気良く笑う一ノ瀬本部長の後出しジャンケンに思い切りムカっ腹を立てた霧島は、この自分に縁談と聞いて顔色を悪くした京哉の襟首を掴んで猫のようにぶら下げ吼えた。

「我々二人のうち、どちらが支社長席に座るかまではクソ親父も言及しなかった筈です! 京哉、お前が明日からミラード天根支社長だ!」
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