最優先事項~Barter.4~

志賀雅基

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第7話

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「きみたちは新型シャブ錠剤の洋上取引を摘発した。金星こそ麻取まとりにくれてやったが実質逮捕に導いたのはきみたちだ。短いが濃い付き合いをしたきみたちを富樫組長は恨んでいるだろう。何せ富樫本人を逮捕させただけでなく末端価格で数百億円をふいにさせ、海棠組を分裂させて勢力を削ぐきっかけにもなったのだからね」

 一気にそこまで喋った本部長はストローで重みのある液体をチューッと吸った。

「注意喚起するため来て貰ったのだ。きみたちという貴重な人材をチンピラに弾かれて失いたくないのだよ。そこできみたちには銃の常時携帯許可を下ろす。職務が終わっても銃は返却せず身を護ることを最優先に行動してくれたまえ」
「了解しました。只今より発令を申し受けます」

 了解したくなくても事実は受け止め、身の安全を図らねばならない。

「くれぐれも気を付けてくれたまえよ。以上だ」

 霧島は一言も喋らず硬くなっていた京哉と共に敬礼し本部長室を辞す。エレベーターで一気に下って詰め所にも寄らず一階裏口から出た。

 駐車場で乗り込んだのはメタリックグリーンの覆面パトカーで殆ど霧島隊長専用となった機捜一号車である。京哉は機捜に異動してまだ数ヶ月なので、ここは機動性を重視して霧島が運転席だ。

 やや傾いた日差しが当たり車内は超高温だったが時間も惜しく出発する。本部庁舎前庭の広大な駐車場を縦断し大通りに出ると、京哉が無線で指令センターに許可を取り緊急音とパトライトを出した。霧島がアクセルを踏み込む。同時にようやくエアコンが利き始めた。

 ホッとしながらも京哉は珍しく低い声を出す。
 
「海棠組に恨まれてるのはともかく庁舎内に協力者がいそうなのは嫌な感じですね」
「互いに単独行動は避けた方がいいかも知れんな」
「ヤクザへの対抗措置がたった五発の三十二口径っていうの、心細くないですか?」
「お前の使い慣れたライフル弾と比べたら見た目も豆粒のようだろう?」
「そうですね。だって弾丸自体は乾燥大豆一粒くらいなんですもん」

 実際、三十二ACP弾は薬莢込みでも全長二十五ミリという小ささで、命を預けるには頼りないと京哉が思うのも無理はない。
 情けない声に霧島が笑う。

「ライフル弾と威力を比べても始まらん、用途が違うからな。ハンドガンでもお前の腕がいいのは知っているから私は心細くはない。背中は任せた」

 頷いて京哉は懐の銃の感触を確かめる。そして今は警邏に集中すべきだと思い直しノートパソコンの画面に映った『吸血鬼殺人事件』の哀れなマル害を思い浮かべた。

「それにしても『吸血鬼』は上手く逃げてますよね」
「最初の犯行発覚から二週間、血液を抜き取る手間をかけているのに未だ目撃者マルモクの一人も現れん。医療関係者の線で帳場は動いているが手掛かりもなしだ」
「メディアによる無能な警察叩きも最高潮ってとこですか」
「仕方あるまい。事実として六名ものマル害を出しているのだからな」

 淡々と喋りながら霧島は運転しているが、涼しい横顔の頬は硬く悔しさが滲んでいるのに京哉は気付く。警察官として当然だ。だがどの件も死体発見まで時間が掛かっているため、機捜の初動捜査でマル被が引っ掛かる状況ではないのだった。

 それでも何とか手掛かりを掴もうと霧島は自ら動いている。本来内勤の霧島と京哉は現場に臨場する必要はない。けれど警察官としての誇りとマル害の悔しさ、残された家族の思いに突き動かされて霧島は自ら臨場せずにいられない。

 捜査の指揮は殆ど各班長に任せ、隊長の自分は口出しせず責任を取るのが仕事だと腹を括っているが、初動捜査でマル被の確保に至らず案件を帳場や他の部署に申し送るたびに誰より悔しい思いをしているのも霧島だ。
 それを知っているからこそ各班長も重大案件が発生すると連絡してくる。

 若すぎる隊長自身に現場へと出張る機会を与えてくれているのだ。

 やがて覆面は真城市内に入った。一路郊外に向けて突っ走る。

 白藤市内のビルの林立がいきなり消え失せ、辺りは幹線道路沿いに郊外一軒型の店舗がポツポツと建っているだけの、だだっ広い土地になっていた。店舗の間は田んぼの青い稲が波打って風を描き出している。
 時折巨大な鉄塔が空に突き刺さっていたりして眺めるには面白い光景だが、この暑さで徒歩移動している者は殆どいない。

 市内を離れると山際の雑木林が見えてきた。現場はカーロケータによりピンポイントで判明している。まもなく田んぼの畦道まで乗り入れた。前方に二桁近いパトカーが停まっている。霧島は田んぼと雑木林の間の草地に覆面を駐めた。

 二人で降車すると風があって白藤市内の都市部よりは涼しく感じられた。

「結構、見通しはいいですね」
「そうだな。では現場を見るぞ」

 頷いた京哉は霧島と共に雑木林に近づきながら捜査帽を被り、小豆色に黄色の刺繍で『機捜』と書かれた腕章を着ける。霧島の腕章は上下に黄色いラインが入っていて機捜隊長だと分かるようになっていた。

 一番手前の木と木の間に黄色いバリケードテープで規制線が張られている。それを跨いで林の中を進むと二十メートルほどで現場に辿り着いた。ブルーシートが張られ捜査員で人だかりができている。

「十六時五十二分、臨場と」

 京哉が呟くと同時にその場の最上級者となる霧島に気付いた捜査員らが一斉に挙手敬礼した。答礼した霧島に視線を向けられ、心得たように捜一の三係長が報告する。

「今しがた死体オロク二人に若いもん付けて白藤大学付属病院の法医に送ったところですわ。第一報は一四三五ヒトヨンサンゴウ時、それ、そこの田んぼの持ち主が被っていた帽子を風に飛ばされ、この雑木林に分け入ってオロクを発見」
「ほう、偶然か」
「ええ、良かったですなあ、見つけた御仁にゃ気の毒ですが。泡食って田んぼまで戻り携帯にて通報。オロクはこれまで同様、腕に血を抜いたらしい幾つかの針痕あり。あとは鋭い錐状の凶器で心臓を一突きですな。前の四件と同じで刺創の生活反応は薄く、刺した時には既に失血で死んでいた可能性が高いそうで」
「死亡推定時刻は?」
「二日前。この暑さですからな、解剖で多少前後するかも知れんとのことですわ」

 身元を特定する物が一切残っていないのも前の四件と同じで、だがこれも前の四件と同じく人相・着衣もしっかりしているため特定は可能だと思われた。

 報告を聞きながら京哉は辺りを見回す。大勢の捜査員が手掛かりを求めて雑木林中をかき分けローラーを掛け、警察犬も動員されていた。そんなものものしさとは対照的に現場は下草が押し潰されているだけという、あっさりしたものだった。

 ただ嗅覚が非常に敏感な京哉は、僅かな腐臭の残滓を嗅いで顔をしかめる。

 京哉の様子に気付いた霧島は早々に現場を離脱した。覆面に戻ると京哉を助手席に乗せて出発する。二日前の犯行でこの辺りをマル被が暢気に歩いてはいない。それでも緊急音とパトライトを下げると現場から随分と離れた住宅街で密行警邏を始めた。

「こんな住宅地を回るんですか?」
「過去の手口からみてもホシは車両移動だ。それに近場は二班がやっている」

 部下の職掌を侵さないよう気配りまでする隊長に京哉は微笑んで窓外に目を凝らした。不審車両やタクシーの客にも注意を向ける。
 だが停止させて職務質問バンカケに踏み切らせるような怪しい人物は見かけないまま、そろそろ本部に戻らなければ帳場会議に遅刻する時間となった。

 住宅街を出て郊外に差し掛かったところで京哉は霧島に警告する。

「忍さん、もうすぐリミットです」
「分かっている。だが新開しんかい倉庫が目の前だ。あそこだけ回ってから戻ろう」

 そこは新地しんち開発かいはつ工業なる会社の土地で地価の安さからコンテナを積み、簡素な倉庫を数十も建てては主に工業関係の企業に貸し出し、または切り売りしている。殆ど資材置き場というエリアでこの暑い中、人の出入りもない。
 
 その入り口に霧島が覆面を駐めたのは同業者の目もなかったからだろう。

 降車すると傍に自販機が設置され、立派なヒマワリが三本咲き誇っていた。何処か近くからセミの唸りが乱暴に鼓膜を震わせる。音も手伝って酷く暑い気がした。

「ここ暑すぎませんか? 脳ミソ溶け出して僕の思考力はカブト虫以下ですよ」
「ほら、糖分の配給だ。早く節足動物から人間界に還って来てくれ」

 霧島が自販機に硬貨を入れて京哉を見た。京哉はスポーツ飲料のボタンを押す。二人で五百ミリリットル入りペットボトルのスポーツ飲料を分け合いながら京哉は吸い殻パックを出して煙草休憩だ。今どき警察車両も殆ど禁煙なのである。

「そろそろカブト虫からレヴェルアップしたか?」
「クワガタくらいには」
「価格が違うだけ、まだ昆虫並みとはな」

 呆れたように溜息混じりで言った霧島も相当暑いのだろう。西日が当たって陽炎が揺らめいている。自分のニコチン補給のために休憩してくれたと分かっている京哉はなるべく急いで一本吸った。スポーツ飲料も空になる。

 空ボトルを傍のダストボックスに投げ込み、二人して覆面に退避しようと思ったその時、ふいに熱の停滞した空に乾いた異音が響いた。

 二度、三度と続けざまに鳴る。

 耳にした霧島の切れ長の目が煌めいた。同時に京哉も頷く。

「銃声だ、行くぞ!」
「はい!」
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