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第39話

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 ハイファがいないことを問題にしたのは執事のジョルジュのみ、他はもうお祭り騒ぎのあとの脱力感、プラス首相となった我らがドン・ライナルトが就任演説を成功させ得るかどうかの心配で、それどころではなかった。

 周囲の盛り上がりをよそに、シドはゆっくりと一人で朝食を摂ったのち、ハイファが準備してくれていた衣装に着替え、煙草&コーヒーを味わう。

 ちなみにハイファが選んでクローゼットに掛けてくれていた本日の衣装は、淡いクリーム色のドレスシャツにターコイズのカフス、濃紺色のスーツに臙脂のネクタイという、シドにしては珍しく初々しいとも云えるチョイスだった。

 尤も普段のシャープすぎる印象では刑事のクセに何故かマフィア臭丸出しとなる。

 一応、鏡を見て黒髪に櫛を通すとまた煙草とコーヒーでヒマ潰しだ。
 そして昼食を摂ると手下に囲まれ議会議事堂にBELで移動する。

 議事堂ビルは官庁街の真ん中にそびえ立つ、六十二階建てのビルだった。まずは屋上駐機場に降り立ち、手下たちとともに五十階にある公的事務所入りをした。ドラレスは十数代も首相を出していないため、急遽掃除をしたらしい事務所は新しさを感じさせる空間だった。

「んで、どうするってか?」
「これをお読み頂くことになります」

 シドよりも緊張しているらしい手下から渡されたのはドラレスファミリーの中でも学と文才のある者が練り上げた演説原稿とデータファイルだ。五ミリ角のキューブ状外部メモリのMB――メディアブロック――をリモータに入れて一通り目を通す。

 やがて促されて議会場入りである。ここでも手下の盾に囲まれてエレベーターで三十階まで下りた。廊下に出ると途端にメディアのカメラとマイクが向けられる。だが特に笑顔を作るでもなく、普段のポーカーフェイスに無言でその場を通し抜いた。

 ようやく議会場入りを果たすと、やや静かになってホッとする。勿論ここでもメディアのカメラは向けられているだろうが直接マイクを向けられるのとでは大違いだ。

 まずはこれも議員当選した手下の案内で議席に座る。その間も続々と他の議席に今回当選した議員たちが腰掛けてざわめきが大きくなってきた。シドは目前に置かれていた緑茶の保冷ボトルを開けてひとくち飲み、ポーカーフェイスを維持し続ける。

 まもなく十五時となり仮選出された議長が議長席に立った。

「静粛に、皆、静粛に。……では、先日の選挙において選出された首相の就任演説会を開催する。ライナルト=ドラレス氏」

 おもむろにシドは立ち、係の者の誘導に従って演説台までゆったりと歩く。

 演説台はかなり高位機種の多機能デスクだった。本来ならここで手下から渡された原稿入りのMBを多機能デスクにセットする筈だったがシドはそれもせずに議会場内をぐるりと見渡す。同時にシドの姿が誰にでも見られるよう背後に大きなホロとして立ち上がった。

 数百の目とカメラの向こうにいる莫大な数の星系民の目を意識する。
 だが臆することなくシドは口を開いた。

「前置きは省く。私、ライナルト=ドラレスは、グリーズ星系政府首相及び星系代表として以下の三点をマニフェストとする。一、解除薬の完全でない違法麻薬ガザルの完全根絶。二、我がドラレスとアリアス及びケドラルとの連立政権樹立。三、連立政権樹立に伴っての再選挙。この三つを我が命に代えてでも実行し、このグリーズ星系の歪んだ政治形態を正す。以上」

 低く通る声でそれだけ言うとシドは口を閉ざした。

 水を打ったような静けさの議会場内を再びぐるりと見渡すと、一瞬後に議員たちが棒立ちとなり拍手と溜息とブーイングに快哉の叫び声で議会は混乱の坩堝と化した。
 それはそうだろう。これまでこの星を司ってきたマフィアの在り方、牽いては政治形態を大きく変えてしまいかねない発言をしたのである。

 下手をするとマフィアの存在そのものが危うくなる内容である。
 しかし騒ぎをよそにシドはさっさとお立ち台から降りた。短いスロープを下る。

 そのときだった。いきなり襲った左肩の痛みに思わず手をやった。右手を見るとべったりと血がついてくる。そして左脚にも衝撃を食らい、膝を折ったところで自分の左胸から血飛沫が散るのを見た。SPが駆け付けたがもう遅い。

 シドは頭をぶん殴られたような衝撃に仰向けに倒れ、もう起き上がることはできなかった。
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