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第35話

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 こちらも重たい対衝撃ジャケットを脱ぐと、銃をヒップホルスタごと外し煙草を一本吸ってから服を脱いでバスルームへと入る。温かな洗浄液で全身を洗い、あまり濃くないヒゲも剃って熱めの湯で泡を流すと、疲労物質も一緒に流れてゆくようだった。

 バスルームをドライモードにして躰を乾かすとハイファが出してくれていた下着とホテルの備品であるタオル地のガウンを羽織って部屋に戻る。飲料ディスペンサーで紙コップにジンジャーエールを注いで半分ほども一気に飲むと、ハイファの作業を背後から覗いた。

 超速でホロキィボードを叩いている相棒にそっと声を掛ける。

「何か出たか?」
「少しはね。まずは分かりきったことから。クレジットに目が眩んだアリアスがガザルを合法化しようとした。工場は勿論アリアスが郊外に構えてる」
「まだ合法化されてねぇのに公開してるのか」

「だってアリアスは影の星系政府だもん。表の政府は見て見ぬフリだし表向きは医療用になってるし。あと、まだ合法ドラッグ店には流れてない……っていう建前」
「そうか。じゃあ売人もシキテンもいる訳だな」

 シキテンとは違法取引現場で当局の者がいないか見張る役目をする者のことだ。

「いるだろうけど、もしかしてここでも『夜の散歩』をする気なの?」

 夜の散歩といっても単なる徘徊ではない。シドが本星で自主的に行っている、夜にしか活動しない者たちを訪れての情報収集のことである。

 テラ本星は地下組織のひとつもないという、奇跡的なまでにクリーンな星だ。だが人間が人間である以上、欲は捨てられない。
 過剰な欲が犯罪を呼び、その種はいつか何処かで芽吹いている。その芽を芽のうちに摘むことができるよう、楽園の方舟のような世界に根を張り亀裂を入れて沈めてしまわぬよう、常にアンテナを立てておくための夜の散歩だった。

 勿論シドは一介の平刑事で、自分にできることなどたかが知れているのは承知の上である。しかしシドは歩くことを止めない、根っからの刑事だった。

 だからといって他星系でそれはやりすぎじゃ……と思ったハイファだったが、すぐに気付いた。このヨニルは夜の日と昼の日の交代、故に本物の夜にこだわらなくてもいいのである。

「で、あとは何か出たのか?」
「ルムラン第一精神医療センターにガザル中毒者が山ほどいるよ」
「って、お前それ!」

「そうだね。解除薬は完璧じゃないってこと。それに地元惑星警察のドラグネットにはガザル中毒者が引き起こしたと思しき暴行・傷害・殺人事件がざっくざく」
「そうか。内情を知ったテラ連邦議会議員がテラに言いたかったのは、それかも知れねぇな」

「アリアスはそれを知って議員をドラレスかケドラルに殺らせたのかもね」
「ああ。眠いだろうに悪かったな。お前もリフレッシャ浴びてこいよ」

 ハイファがバスルームに消えるとシドはベッドに腰掛けてホロTVのニュースを視た。単に治安が良くないというだけでは済まされないほどに、殺傷事件が多数発生していた。
 これもガザルによるものかも知れない。だがアリアスはそんな危険物を合法化しようとしている。灰皿を片手に煙草を吸いながら考える。

 世の中には法で裁けない悪事が数え切れないくらい転がっている。法の側でさえ悪法などというものがあるのだ。だからといって事件を起こしたジャンキーを不起訴にするのが一概に悪法と云えないのも承知していた。
 でもそこにマル害がいるのだ。被害に遭った、悪くすれば殺された彼らはどれだけ悔しい思いをしても何も言えない。

 だが仇を討つのが自分の仕事ではない。今ある法に則り法に照らしてやる、そこまでだ。悪法により日々工場で生産されるドラッグを、自分は数百光年離れたテラ本星で憂いつつ、流れ込んだ違法ドラッグに手を出したジャンキーと偶発的に戦うだけなのである。そうやっていつも自分は間に合わない訳だ。

 いや……本当にそれだけなのか? この手を伸ばせば掴めるんじゃないのか?
 今の自分にできることをやらなければ後悔に押し潰される、それを恐れて走り続けてきた気がするが、『今の自分』なら、もしかしてもっと可能性を追うことができるのではないか――。
 
「シド……シド?」
「ん、あ、何だ?」
「煙草。指まで燃やさないでね」

 言われてシドは片手に持った灰皿にフィルタを捨てた。ハイファが飲料ディスペンサーでジンジャーエールのおかわりを紙コップに注ぎ、手渡してくれる。ハイファ本人はデスク付属のチェアに腰掛けてアイスティーを飲んでいた。 

「これ飲んだら、そろそろ寝るか」
「そうだね、もう眠いよ」

 空になった紙コップを捻るとダストボックスに投げ込んで、シドはベッドに横になった。毛布を被ってさっさと目を瞑る。そんな愛し人の貧血で少し白い顔を暫し眺めてから、ハイファも紙コップを空にするとシドの隣に潜り込む。

 シドが本当に眠っていないことくらいはハイファも気付いていた。左腕が伸びてきて、いつもの腕枕をしてくれる。寝返りを打つようにして抱き締められ、長い金髪を指で梳かれた。

「悔しい……よね?」
「ああ、まあな」

 それでも悔しさがシドの刑事としての原動力だとハイファは分かっていて、ふいに見開いた切れ長の目を超至近距離で見つめる。そっと近づいて、ソフトキス。 
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