この手を伸ばせば~楽園18~

志賀雅基

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第12話

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「じゃあ、お前もさっさと着替えろよな」
「宙港の化粧室で着替えればいいでしょ」
「男性用と女性用、どっちの化粧室でも怪しまれるぜ?」

「まさか今、ここで着替えて行けって――」
「言うんだ。ほら、十時半の定期BELに間に合わなくなるぞ」

 ぐったりと肩を落としたハイファにシドは段ボール箱を押しつける。ハイファは仕方なく寝室に入ってパタリとドアを閉めると、まずは化粧から始めた。幸いというかずっと以前の別室任務で化粧の仕方はネット検索し習得済みである。

 そして三十分後、寝室のドアを開けた。

「何を塗ればそんなに時間が掛かるんだ……って、ハイファお前!」

 そこに立っているのは紛れもなく女性だった。肌が元々綺麗なのでファンデーションはごく薄く、ポイントメイクだけで引き立てられた素材は見事な美女に変貌を遂げている。

 衣服はベルトも使えてパウチも着けられるミドル丈のスカートスーツで色はモスグリーン、銀の留め金で束ねた明るい金髪がとても映えた。ジャケットも多少の余裕があったのでブラウスには黒革のショルダーバンドも装着し、懐の左脇にはテミスコピーも吊っている。

「うう……そんな目で見ないでよ、恥ずかしい」
「いや、すまん。あー、ええと、ほら、アレだ、ショルダーバッグは俺が持つ」
「何を緊張してるのサ。でも僕は化粧品入れのハンドバッグ持つからお願い」

「分かった。あー、そのだな……プニプニしてもいいか?」
「お断りします」
「……そうか」

◇◇◇◇

「十時十八分、今からなら定期BELに間に合うよ」
「ギリギリだな、行くか」

 玄関でそれぞれの靴を履く。シドはウィングチップの革靴、ハイファは低いパンプスだ。出掛ける前の儀式であるソフトキスを交わそうとしてシドはハイファに胸を突かれる。

「ルージュがついちゃうから、だめ」
「ついてもいい……なあ?」
「ったく……んっ、んんぅ……んっ、はあっ! あーたはもう、何てことをするんですか。せっかく苦労して塗ったのに。唇、自分で拭いてよね」

 いつもより深く求めたシドはスーツのポケットからハンカチを出し唇を擦った。

「おっ、マジで間に合わねぇぞ、急げ!」

 玄関を出てロックすると慣れないパンプスで走れないハイファをすくい上げ、シドは横抱きにしてエレベーターまで走った。エレベーター内には嫌味のない甘やかなトワレがふわりと香り、シドは一人幸せを噛み締める。

 定期BEL停機場はこの単身者用官舎ビルの屋上で、もう大型旅客BELが接地し客の乗り込みも終わりに近づいていた。
 シドとハイファはキャビンアテンダントが掲げるチェックパネルにリモータを翳し、別室からの前払い経費で料金を支払いBELに乗り込む。二人が最後の客で、シートに腰掛けるなりCAが機内に戻りタラップドアが閉められた。

 屋上の風よけドームを信号波で開けると大型旅客BELはテイクオフ。ウェザコントローラに頼ってか、雲ひとつない蒼穹へと舞い上がった。

 宙港まではBELで直行なら三十分だが、この定期BELは低空を低速で飛びながら各停機場を巡ってゆくので一時間半掛かる。
 その間にハイファはコンパクトのミラーとにらめっこしてルージュを引き直したりと忙しい。シドには何だか分からないアイテムで色々と試行錯誤していた。

 ハイファは鏡を、シドはハイファを眺めていたので一時間半はすぐだった。

 宙港メインビル屋上にランディングしたBELから皆が降り、殆どの者が二階ロビーへ直通のエレベーターに乗る。毎時二十分には太陽系の出入り口である土星の衛星タイタン行きのシャトル便が出るのだ。
 いつもの調子でシドたちも二階に下りたがオニール氏からの連絡がない。と、思った時にシドのリモータに発振が入った。

「十二時二十分のタイタン行きに乗れってよ」
「じゃあ急いでチケット買わなくちゃ。貴方、煙草を吸うなら一本だけだからね」
「へいへい」

 自販機にハイファが並んでいる間、シドは喫煙ルームで煙の補充だ。意地で二本を灰にすると明るい金髪の美女に手招きされ、シャトル便の客列の最後尾に並んだ。
 シートもリザーブしてあるので焦ることはない。シャトル便は二階ロビーに直接エアロックを接続するので乗り込みも容易である。

 チェックパネルにチケットと、別室から送られてきた宙艦内や他星系でも通用する法務局発行・武器所持許可証を認識させ、エアロックをくぐってシートに収まった。ここではいつもシドが窓側と決まっている。隣の美女を意識しながらシドは窓外を眺めた。

 蒼穹の下、白いファイバブロックの宙港面は何処までも広がり、ゴマ粒をばらまいたようにあらゆる色と形に大きさの宙艦が停泊している。それらがふいに糸で吊られたかの如く浮き上がって宙に消え、また他の艦が降りてくる光景は、まるで透明な巨人のチェスを見るようだ。

 そんなことを考えているうちに、キャビンアテンダントがワープ宿酔止めの白い錠剤を配りにくる。それを二人はポイと口に入れて飲み込んだ。

「シド、タマに引っ掻かれた傷は大丈夫?」
「ああ、平気平気。お前も何処も怪我してねぇな?」

 まもなくアナウンスが入って出航だ。ここから通常航行二十分で一回のショートワープ、更に通常航行二十分の四十分でタイタン第一宙港に着く。

「んで、グリーズ星系便っつーのはどの宙港から出てるんだ?」
「第四宙港だって。ところで署の方はどうなってるんだろうね?」
「どうせ俺は傷病休暇、そのあとはまた『出張』か『研修』だろ」
「長くならなきゃいいなあ。化粧もこの服も大変なんだもん。特にトイレとか」

 暫しハイファの苦労を聞かされながらシドは窓外が空色から紺へ、紺色から黒を経てクリアな漆黒となるのを眺める。同時に星々がシンチレーションなしで輝き始めるこの瞬間が見たくていつも窓際に座るのだ。民間交易艦で生まれ育ったシドは、この光景にあの頃への郷愁を感じるのである。

 六歳で交易艦は降りた。事故で家族全員を亡くしシド一人が助かったのだ。

 いつまでも窓外を見ているシドにハイファが遠慮がちに声を掛ける。

「落ち着いたならグリーズ星系について、もう少しお勉強しようか」
「ああ。別室資料が……このフォルダだな」
「ドラレスファミリーが根城にしてる辺りの季候はいいみたい。ラッキィだね」

 その他、二十世紀ほど前に近隣星系で問題となっていた水資源不足のために、大きな海をそれぞれの惑星に持つグリーズ星系は一気にクレジットを得て、高度文明圏惑星の仲間入りをしたとか、今は精密機械や高級繊維に天然木材を筆頭輸出品目にしているとか、現在のドラレスは野党第二党を主に推しているなどといったことを学習した。

 と、シドは五体が砂の如く四散してゆくような感覚を味わう。ショートワープだ。

「ふう。あと二十分か」
「それもそうだが、お前ハイファ、人前で喋ったらすぐに男だってのはバレるぞ」
「あっ、そっか。でも、ええーっ、それじゃあずっと僕だけ喋れないの?」
「オニール氏が何か手を打ってくれるのを祈るんだな」

 暗い顔をしたハイファをよそに、シャトル便はすんなりタイタン第一宙港に接地してメインビルに直接エアロックを接続した。
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