この手を伸ばせば~楽園18~

志賀雅基

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第9話

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 常人よりタフなシドは部分点滴の刑も一日減刑されて医師にお墨付きを貰い、夕方には単身者用官舎ビルの自室に戻ってきた。

 入院グッズをハイファが片付ける間にシドは時間を見計らって隣家にタマを迎えに行く。どうせ明日からまた預けるのだが、その前のご機嫌取りだ。隣室のリモータチェッカにリモータを翳し、音声素子が埋め込まれた辺りに声を掛ける。

「先生、マルチェロ先生!」

 十秒もせずオートでないドアが開き出てきた男は自室にいるのに白衣を着ていた。

「おう、シド。釈放パイになったのかい」
「ああ、さっき出所してきた」

 ボサボサの茶髪に剃り残しのヒゲが目立つこの中年男の名はマルチェロ=オルフィーノ、おやつの養殖イモムシとカタツムリ(生食)をこよなく愛する変人で独身である。職業は何とテラ連邦軍中央情報局第二部別室の専属医務官、階級は三等陸佐だ。

 二人にとっては頼りになる好人物で留守にする際にはタマを預かってくれる奇特な御仁だが、病的サドという一面も持ち、軍においては拷問専門官として恐れられているらしい。事実、やり過ぎにより様々な星系でペルソナ・ノン・グラータとされている人物だった。

「タマを引き取りにきたんだが、また明日から出掛けることになっちまってさ」
「ほう、また厄介事ですかい。お前さんたちも好きだなあ」
「誰も好きでやってねぇよ。ってことで、明日の朝からまたタマを頼んでいいか?」
「嫌い嫌いも好きのうちだ。構わねぇぞ、置いてけ」
「頼むから食うなよな」

 言いつつシドは右のこぶしをマルチェロ医師の腹に突き出す。いわゆる寸止めだがその右手首の腱には銀色に光るメスが突き付けられていた。皮膚まで五ミリだ。
 互いに笑ってこぶしを引っ込め、メスを白衣の袖口にスルリと仕舞う。代わりに渡されたのはタマの入ったキャリーバッグだ。

「じゃあ明日な。いつもすまん」
「いいさ、しっぽだけでも煮込めばいい出汁が取れるからな」
「だから食うなって。つーか、逆にサシミにされても知らねぇぞ」

 猫袋を担いでシドが自室に戻ってみると愛用の黒いエプロンを着けた主夫ハイファが夕食の準備をしていた。本来のハイファの部屋は玄関を出て通路を挟んだ向かいなのだが、殆どのオフの時間をハイファもシドの部屋で過ごすので、もうこちらが自宅感覚である。

 タマを出して毛皮を撫でてやり、夕食の猫缶にはちょっと高めの金のスプーン・マグロ半生ジュレソースだ。
 過去の別室任務で本来の飼い主たちに忘れられ、シドとハイファに仕方なく引き取られた過去が拙いのか、タマはいつまでも懐かない野生の獣だが、このときばかりはニャーニャーと大変な騒ぎとなる。皿に空けるとふんふんと匂いを嗅ぎ、カツカツと食べ始めた。

 スープ皿の水も換えてやると、ハイファが振り向いて微笑んだ。

「人間様のご飯ももうすぐできるからね」
「何だ、いい匂いだがメシには早くねぇか?」
「オニール氏から発振で、明日の午後にセントラル・リドリー病院で待ち合わせ」
「午後ならゆっくりできるじゃねぇか」

「あーたはいいよね。僕はどうしろって?」
「んあ、ソフィーヤ様か」
「そういうこと。色々と準備もしなきゃだし、だから早く寝るの。分かった?」

 そうしてテーブルに並んだのはシドの好物であるオムライスにハヤシソースが掛けられたものと鶏の竜田揚げ、イカと大根の煮物にサラダだった。 

「うわ、メチャメチャ旨そうじゃねぇか。なあ、飲んでもいいか?」
「うーん、一杯だけなら許可します」

 ということでシドはロンググラスを出しジントニックを作ると、せめてもの手伝いにカトラリーを出してから着席する。
 竜田揚げと煮物を肴に飲み、オムライスが胃に収まるまであっという間だった。生野菜が得意でなく酸っぱいもの嫌いのシドだが、ドレッシングまで手作りされてはサラダも残す訳にはいかない。

 男二人で後片付けするとコーヒーメーカで淹れたコーヒーをマグカップに注ぎ、ウィスキーを垂らしてキッチンと続き間のリビングで一休みする。壁際の二人掛けソファがハイファの定位置、キッチンを背にした独り掛けがシドの定位置、タマはシドの膝の上である。

 暫しホロTVのニュースを眺めたが、イヴェントストライカの出て行かない本星セントラルは本当に平和らしかった。

 咥え煙草のシドが立つとタマが「シャーッ!」と唸ってポトリと床に着地する。構わずシドは空になったマグカップふたつを手にキッチンに行き、コーヒーサーバからカップふたつに注ぎ分けた。ソファに戻るとまた眠たいような刻を過ごす。

 そこで今度はハイファが立ち上がって宣言した。

「僕、リフレッシャ浴びてくる」

 言うなりハイファはシドのカップに残ったコーヒーを勢いよく飲み干す。

「ちょ、待て、ハイファ!」
「うわあ、何これ……?」

 シドが制止するも間に合わなかったカップの中身はコーヒーの香りがするだけで生のウィスキーそのもの、ハイファはふにゃふにゃと二人掛けソファにへたりこんだ。

「何でそうお前は変なところで短絡的なんだよ!」
「だって、一杯だけって約束したのに……うー、くらくらするよう」
「酔い醒ましの薬でも飲むか?」
「んー、とにかく水飲みたい」

 大きなグラスに水を汲んでくるとシドはハイファに口移しで何度も飲ませる。グラス一杯を飲ませておいて横抱きにすると寝室のベッドに運んだ。ベッドではいつの間にかタマが寝ていたが、金色の目を開けただけでまた丸くなる。

「仕方ねぇな、今日はもう寝ちまえよ」
「嫌だよ、まだリフレッシャ浴びてないもん」
「酔って風呂は危ねぇぞ、やめとけ」
「酔ってないもん」

 この科白が出るようでは完全に酔っている。ベッドから流れ落ちるように這い出たハイファは、ふわふわとバスルームの前まで歩くと衣服を脱ぎだした。さっさと全てを脱いで晒すと金髪のしっぽも解いて服はシドにホイと手渡し、バスルームでリフレッシャをオンにする。

 仕方なくドアを開けたままシドは見張り番だ。

「あんまり熱いのは浴びるなよな」
「分かってるよ、五月蠅いなあ、もう」

 酔っ払いには勝てず、シドは溜息をついて見張り役に甘んじる。だが白く細い躰を水滴が転がってゆくのを眺めているうちに、とろりと頭の芯に炎が灯ったような感覚に襲われた。 
 湯で泡を流しきったのを見取ってシドはドアを閉める。やがてドライモードで全身を乾かしたハイファは、また全てを晒したままふわふわと出てきた。

 そんなハイファをシドは壁に押しつけ、左手一本でハイファの両手を金髪の頭上で縫い止めるように押さえつけると、噛みつくような勢いで唇を奪った。
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