この手を伸ばせば~楽園18~

志賀雅基

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第2話

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「貴方は入院中で、今は刑事じゃなくて患者なんです、お分かりですか?」

 トゲのある口調のハイファにもシドは何処吹く風で、すたすたと近づき肩を並べる。病院に戻りながらハイファは、これまでも言い尽くした文句をありったけ口にした。

「だから僕は不完全なバディに預けるような、安い背中は持ってないんです!」
「へいへい、分かりましたよっと」

 周囲のビル群に比べれば格段に低いが、その分どっしりとしたセントラル・リドリー病院が見えてくるとシドは耳をかっぽじりながら大欠伸する。
 素材は極上のクセに自意識の欠片もない男は、まるでハイファの言葉が響いていないらしい。当然ながらハイファは更に機嫌を悪くした。そこで最後のカードを切る。

「あと三日、大人しくしていないと退院してもヤラせませんからね!」
「えっ、あ、う……マジで?」
「大マジです」

 焦り気味に窺う視線をハイファは無視した。革紐で束ねた腰まで届く明るい金髪をなびかせながら鉄壁の無表情を保つ。若草色の瞳はシドを一瞥もしない。
 そのまま無言で二人は病院に辿り着き、六階六一五号室に戻った。

 最後の切り札は効いたらしく病室に戻るなりシドは綿のシャツとコットンパンツから患者服に着替え、窓際のベッドに這い昇って仰臥する。
 医師と看護師に入居者だけが開けられるオートドアからすぐに看護師が現れ、シドの胸に無針タイプの浸透圧式持続点滴をセットすると意外にもすんなり帰って行った。文句も言い尽くしたということだろう。

 シドの脱ぎ捨てた衣服をハイファは丁寧に畳み対衝撃ジャケットをベッドサイドのパイプ椅子の背に掛けた。チャコールグレイの生地をそっと撫でる。

 これは挟み込まれた特殊ゲルにより、余程の至近距離でもなければ四十五口径弾を食らっても打撲程度で済ませ、生地はレーザーの射線もある程度弾くシールドファイバというものだ。
 自腹を切った価格も六十万クレジットという高額商品だが、こんなものを着て歩かなければならないくらい、若宮志度という男はクリティカルな生活をしているのである。

 だがお蔭で幾度となく命を拾っていて、外出時には欠かせないシドの制服だった。

 そのままパイプ椅子に腰掛けハイファはじっとシドを見つめる。前髪が長めの艶やかな黒髪に手を伸ばし白い指でそっとかき分けた。柔らかな感触を指に絡める。

 本当は随分心配したのだ。
 狭い宝飾店内で一般人もいるのに銃撃戦を続ける訳にもいかず、シドとハイファは早々にホシ三人の腹に弾をぶち込んだ。だがそのうち一人が吹き飛ばされた衝撃でトリガをガク引きして偶然にもシドの胸に二発が着弾してしまったのである。

 マグナム弾二発を超至近で受けたシドは衝撃で舌を噛んで口から大出血し、そのまま壁に叩き付けられて気を失ってしまったのだ。いつも盾となるシドは今までも幾度となく被弾し、ハイファもそんなシチュエーションには慣れていた。
 対衝撃ジャケットも着用し、元より現代医療は心臓を吹き飛ばされても処置さえ早ければ助かるレヴェルにある。 

 だが現場でシドを看たときは、そんなことなど吹っ飛んでいたのだ。

 何度呼んでも目を開けないシドに今度こそはまさか死んだのかと思い込み、自分の方が貧血を起こしそうになった。同報を聞いて駆け付けたマイヤー警部補とヤマサキが間に合わなければ貧血頭のままハイファは必ずやホシに全弾発射していただろう。

 優しく指先で黒髪を嬲っているとシドは眠たくなったらしい。

「シド、眠いなら寝てていいから」
「ん、お前は?」
「人の心配してる場合じゃないでしょ。ほら」

 毛布を掛け直してやると、シドは物言いたげに切れ長の黒い目でハイファの若草色の瞳に訴えた。僅かに潤んだ酷く色っぽい目に負け、ハイファは立ち上がると、そっとキスをする。互いに温かな舌を差し入れ合い、軽く吸い上げて舌先を甘噛みするとハイファは離れた。

「この先が欲しければ大人しく治すこと。おやすみ」

 少し物足りないような顔をしていたシドだったが微笑んでやると目を瞑る。三分も経たないうちに規則正しい寝息が聞こえだした。

 喩え再生槽に浸かっていても、シドの傍にいられれば飽きることを知らないのがハイファである。だが自室に戻ったときもタマの世話だけしかしてこなかった。食事はここでシドと一緒に摂ったがリフレッシャは浴びていない。

 愛し人が眠っているのを何度も確認してから、ハイファは置いていたショルダーバッグから自分の着替えを出して病室に付属のバスブースに向かった。
 シドのベッドの方を気にしながら髪を縛った革紐を解いて衣服を脱ぎ、小容量ダートレス、いわゆる洗濯乾燥機にドレスシャツと下着を入れスイッチを押す。自分はリフレッシャで丸洗いだ。温かな洗浄液を頭から浴び、手早く全身を泡立ててから熱い湯で流す。

 ブースをドライモードに切り替えて、だが長い毛先がまだ生乾きのまま出た。

 下着とドレスシャツにソフトスーツを身に着ける。髪も束ねて縛った。消灯を過ぎてシドが深く眠っているのを確認するまでは、いつでも捜索隊として出動できる体勢だ。だが現在時二十一時半、消灯まで三十分を残してシドが起きる気配はない。

 それでも油断はしない。極悪患者のために、ここのところの睡眠不足が祟ってハイファも眠かったが、あと一時間は起きているつもりで廊下に出た。すぐ傍に設置されたオートドリンカが目当てだ。

 すると隣室の六一三号室の前には男が二人立っていた。
 一人は中年で割と仕立てのいいスーツを、もう一人は若くイタリアンスーツを身に着けている。中年の方はともかく若い方はただごとでなく鋭い目つきをしていた。

 だからといってもう顔見知りとなったハイファに凄むでもなく、愛想はないが向こうから頭を下げた。ハイファも会釈だけで挨拶する。
 それ以上の関わり合いを避け、傍のオートドリンカにリモータを翳して省電力モードから息を吹き返させるとクレジットを移し、ブラックのコーヒーとレモンティーの保冷ボトル二本を手に入れて病室に戻った。

 シドのベッドサイドのパイプ椅子に座ると、カフェインより糖分で目を覚まそうとレモンティーを開封して口をつける。

 眺めていると患者服の胸にチューブを引き込んだシドが痛々しくも愛しい。
 いつもシドが護ってくれる。銃を前に対衝撃ジャケットのシドは怯まず一歩も退かずに自分の身を盾にする。そして傷ついてもハイファにだけ分かる微笑みを常のポーカーフェイスの中に浮かべるのだ。

 今回はその微笑みがなかったために、まさかとハイファもパニックに陥りかけた。

 いつも再生槽から出れば即復帰して歩き回るシドを脅迫してでも入院加療させているのは、そのためでもあった。本人以上にハイファがあの恐怖を忘れられないのだ。それにこうして消灯前なのに眠っているのはシドの躰が休養を求めているせいでもあるだろう。

 ここ暫くは惑星警察刑事としても、別室任務でもハードな日々が続いたのは確かなのだ。別室、テラ連邦軍中央情報局第二部別室のことである。
 ハイファの本業はテラ連邦軍人で別室員なのだ。現在は惑星警察に刑事として出向中の身である。
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