1 / 41
第1話
しおりを挟む
再生槽から出るなり相棒のシドが『自主的リハビリ』と称して徘徊を始めたのには慣れていたが、捜して病室に連れ戻すのは毎回難儀な仕事だった。
そのためにハイファも署の方は有休を取ってセントラル・リドリー病院の二人部屋に泊まり込み、単身者用官舎ビルの自室と病室を行ったり来たりで、飼い猫タマの世話とシドの監視に明け暮れている。
今日もタマに夕食を与えて病室に速攻で戻ってみれば、シドのベッドは空だった。
AD世紀から三千年の宇宙時代に、それもここは汎銀河一の治安の良さを誇る地球本星のセントラルエリアである。義務と権利のバランスがとれた上にID管理の行き届いた社会で大概の人間は醒めていた。躰を張って犯罪に走るような熱い奴など殆どいない。
だがその『殆ど』を一手に引き受けていると云っても過言でないのがハイファの愛し人であるシドこと若宮志度という男だ。道を歩けば、いや、表に立っているだけでも事件・事故が寄ってくるという超ナゾ特異体質のシドは誰が呼んだか『イヴェントストライカ』などと仇名されている。
そんなシドにとって惑星警察の刑事という仕事は天職だろう。
だがお蔭で四日前にも宝飾店を襲った強盗にストライク、ホシ三人のうち一人が手にしていたハンドガンがコンマ四十四インチ口径のマグナム銃で、シドは特殊アイテムの対衝撃ジャケットでも防げないまでのマン・ストッピング・パワーを超至近距離で浴びたのだ。
一方ホシ三人はシドとハイファからダブルタップを腹に食らい、同じくこの病院の再生槽でまだ睡眠中である。シドだって胸に二発を食らって右肋骨を二本骨折し、一本にヒビという本来ならまだ再生槽に沈んでいてもおかしくない重傷だ。
そう。手術で骨を繋いだシドも、まだ薬で意識を落とされ再生槽の中で睡眠中の筈だった。だが薬の類に対し並外れて強い特異体質が徒となって勝手に目を覚まし、更には勝手に再生液から這い出してきたのだ。
極悪患者に医師も看護師も呆れ、完全看護体制の病院でありながら全てハイファに丸投げされたのが昨日の昼間である。
そのまま退院して自室に帰るというのを宥めすかし、泣き落として、最後には『不完全なバディに背中を預ける気はない』と、バディ解消をネタに脅し上げ、せめてあと二日は入院続行し患部に部分点滴を受けさせることをシドに承知させた。
退院すれば通院などぶっちぎって、いつもの『足での捜査』にいそしみ、事件に遭遇するのは目に見えているからだ。
溜息をつくなりオートドアが開いて馴染みの看護師が顔を出す。
「あら、ハイファス。また逃げられたのね」
「すみません、捜してきます」
ナースステーションから直接伸びた持続部分点滴が勝手に止められ、気付かれたらしい。部分点滴は骨折箇所に直接アミノ酸やリン酸カルシウムなどを注入して治りを早めるものだ。
そんな治療すら放擲するとは、あの男は治りたくないのか、マゾなのか。
たった三十分の留守中に姿を眩ませるとはどういうことなのかと部屋を見回せば、ベッド上にはペラペラのガウンのような患者服が脱ぎ捨てられている。どうやらハイファがいない間にクリーニングサーヴィスを終えた普段着が戻ってきたらしい。
パイプ椅子に掛けてあった対衝撃ジャケットも、枕許のキャビネットに置いてあったシドの愛銃であるレールガンもヒップホルスタごと消えていた。
極悪患者の脱走にも慣れた看護師はハイファに気の毒そうな目を向ける。見られてハイファは曖昧な笑みを浮かべてみせた。今は同情しているが、この看護師もシドを連れ帰ればハイファ共々大目玉を食らわせる。
何故に自分までが怒られなければならないのかハイファは激しく疑問なのだが、ここのナースに舌戦では敵わない。
監督責任を問われ一人で怒られるのは勘弁、正犯を捕らえてこようとハイファはそそくさと病室を出ようとした。
「あっ、ハイファス、ちょっと待って。これにサインだけして貰えるかしら」
珍しい紙媒体の書類は二人部屋の一方のベッドをハイファが借りている、その延長申請書だった。ハイファス=ファサルートとペンでサインをし改めて部屋を出る。
まず覗いたのは喫煙室だ。けれど哀れな中毒患者の会合にシドは参加していなかった。こうなると何処を探していいのか迷う。そこで左手首に嵌めたリモータのトレーサーシステムをさっさと立ち上げた。果たして小さな画面に緑の輝点が現れる。
――目標は西に五百五十メートル、移動中。
そういえば昼間に『煙草の残りが淋しいぜ』などと呟いていたのを思い出す。近場の自販機まで遠征したのかも知れない。何れにせよ野放しにはしておけない。
エレベーターに乗って一階に降りエントランスを抜けてハイファは輝点を目指し、足早に歩いた。完全でないシドに表を独り歩きさせてイヴェントストライカっぷりを発揮されては危険だ。早足が徐々に駆け足となる。
一番近い自販機より随分手前で求める人影を発見した。辺りのビル群の窓明かりや街灯、ビル同士を串刺しして繋ぐスカイチューブの航空灯などで見通しは良く、チャコールグレイで裾が長めの対衝撃ジャケットを見間違えることはない。
「シド、貴方何してるのサ!」
「んあ、煙草買ってきた」
「それくらい僕に言ってくれれば……」
「いいじゃねぇか、リハビリも兼ねてんだ」
「あーたが受けている現代再生液医療は、きちんと治せば、きちんと治せば、リハビリ要らずの筈ですが」
「なんだ、ネチこいな。歩くくらい、いつもと同じことじゃねぇか」
署で事件待ちをしていればいいというのに、シドは『刑事は歩いてなんぼ』を標榜し、日頃から管内を歩き回っている。別に意味なく歩いているのではない。歩いていなければ見えてこない犯罪から人々を護ろうと、少しでも『間に合おう』としているのだ。
それ故に刑事という仕事上だけではなくプライヴェート領域に渡る女房役を自認するハイファも、文句も言わずシドとともに日々、靴底を擦り減らしているのである。
けれど、それとこれとは全く以て話が別だ。
そのためにハイファも署の方は有休を取ってセントラル・リドリー病院の二人部屋に泊まり込み、単身者用官舎ビルの自室と病室を行ったり来たりで、飼い猫タマの世話とシドの監視に明け暮れている。
今日もタマに夕食を与えて病室に速攻で戻ってみれば、シドのベッドは空だった。
AD世紀から三千年の宇宙時代に、それもここは汎銀河一の治安の良さを誇る地球本星のセントラルエリアである。義務と権利のバランスがとれた上にID管理の行き届いた社会で大概の人間は醒めていた。躰を張って犯罪に走るような熱い奴など殆どいない。
だがその『殆ど』を一手に引き受けていると云っても過言でないのがハイファの愛し人であるシドこと若宮志度という男だ。道を歩けば、いや、表に立っているだけでも事件・事故が寄ってくるという超ナゾ特異体質のシドは誰が呼んだか『イヴェントストライカ』などと仇名されている。
そんなシドにとって惑星警察の刑事という仕事は天職だろう。
だがお蔭で四日前にも宝飾店を襲った強盗にストライク、ホシ三人のうち一人が手にしていたハンドガンがコンマ四十四インチ口径のマグナム銃で、シドは特殊アイテムの対衝撃ジャケットでも防げないまでのマン・ストッピング・パワーを超至近距離で浴びたのだ。
一方ホシ三人はシドとハイファからダブルタップを腹に食らい、同じくこの病院の再生槽でまだ睡眠中である。シドだって胸に二発を食らって右肋骨を二本骨折し、一本にヒビという本来ならまだ再生槽に沈んでいてもおかしくない重傷だ。
そう。手術で骨を繋いだシドも、まだ薬で意識を落とされ再生槽の中で睡眠中の筈だった。だが薬の類に対し並外れて強い特異体質が徒となって勝手に目を覚まし、更には勝手に再生液から這い出してきたのだ。
極悪患者に医師も看護師も呆れ、完全看護体制の病院でありながら全てハイファに丸投げされたのが昨日の昼間である。
そのまま退院して自室に帰るというのを宥めすかし、泣き落として、最後には『不完全なバディに背中を預ける気はない』と、バディ解消をネタに脅し上げ、せめてあと二日は入院続行し患部に部分点滴を受けさせることをシドに承知させた。
退院すれば通院などぶっちぎって、いつもの『足での捜査』にいそしみ、事件に遭遇するのは目に見えているからだ。
溜息をつくなりオートドアが開いて馴染みの看護師が顔を出す。
「あら、ハイファス。また逃げられたのね」
「すみません、捜してきます」
ナースステーションから直接伸びた持続部分点滴が勝手に止められ、気付かれたらしい。部分点滴は骨折箇所に直接アミノ酸やリン酸カルシウムなどを注入して治りを早めるものだ。
そんな治療すら放擲するとは、あの男は治りたくないのか、マゾなのか。
たった三十分の留守中に姿を眩ませるとはどういうことなのかと部屋を見回せば、ベッド上にはペラペラのガウンのような患者服が脱ぎ捨てられている。どうやらハイファがいない間にクリーニングサーヴィスを終えた普段着が戻ってきたらしい。
パイプ椅子に掛けてあった対衝撃ジャケットも、枕許のキャビネットに置いてあったシドの愛銃であるレールガンもヒップホルスタごと消えていた。
極悪患者の脱走にも慣れた看護師はハイファに気の毒そうな目を向ける。見られてハイファは曖昧な笑みを浮かべてみせた。今は同情しているが、この看護師もシドを連れ帰ればハイファ共々大目玉を食らわせる。
何故に自分までが怒られなければならないのかハイファは激しく疑問なのだが、ここのナースに舌戦では敵わない。
監督責任を問われ一人で怒られるのは勘弁、正犯を捕らえてこようとハイファはそそくさと病室を出ようとした。
「あっ、ハイファス、ちょっと待って。これにサインだけして貰えるかしら」
珍しい紙媒体の書類は二人部屋の一方のベッドをハイファが借りている、その延長申請書だった。ハイファス=ファサルートとペンでサインをし改めて部屋を出る。
まず覗いたのは喫煙室だ。けれど哀れな中毒患者の会合にシドは参加していなかった。こうなると何処を探していいのか迷う。そこで左手首に嵌めたリモータのトレーサーシステムをさっさと立ち上げた。果たして小さな画面に緑の輝点が現れる。
――目標は西に五百五十メートル、移動中。
そういえば昼間に『煙草の残りが淋しいぜ』などと呟いていたのを思い出す。近場の自販機まで遠征したのかも知れない。何れにせよ野放しにはしておけない。
エレベーターに乗って一階に降りエントランスを抜けてハイファは輝点を目指し、足早に歩いた。完全でないシドに表を独り歩きさせてイヴェントストライカっぷりを発揮されては危険だ。早足が徐々に駆け足となる。
一番近い自販機より随分手前で求める人影を発見した。辺りのビル群の窓明かりや街灯、ビル同士を串刺しして繋ぐスカイチューブの航空灯などで見通しは良く、チャコールグレイで裾が長めの対衝撃ジャケットを見間違えることはない。
「シド、貴方何してるのサ!」
「んあ、煙草買ってきた」
「それくらい僕に言ってくれれば……」
「いいじゃねぇか、リハビリも兼ねてんだ」
「あーたが受けている現代再生液医療は、きちんと治せば、きちんと治せば、リハビリ要らずの筈ですが」
「なんだ、ネチこいな。歩くくらい、いつもと同じことじゃねぇか」
署で事件待ちをしていればいいというのに、シドは『刑事は歩いてなんぼ』を標榜し、日頃から管内を歩き回っている。別に意味なく歩いているのではない。歩いていなければ見えてこない犯罪から人々を護ろうと、少しでも『間に合おう』としているのだ。
それ故に刑事という仕事上だけではなくプライヴェート領域に渡る女房役を自認するハイファも、文句も言わずシドとともに日々、靴底を擦り減らしているのである。
けれど、それとこれとは全く以て話が別だ。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。


少年、その愛 〜愛する男に斬られるのもまた甘美か?〜
西浦夕緋
キャラ文芸
【和風BL】【累計2万4千PV超】15歳の少年篤弘はある日、夏朗と名乗る17歳の少年と出会う。
彼は篤弘の初恋の少女が入信を望み続けた宗教団体・李凰国(りおうこく)の男だった。
亡くなった少女の想いを受け継ぎ篤弘は李凰国に入信するが、そこは想像を絶する世界である。
罪人の公開処刑、抗争する新興宗教団体に属する少女の殺害、
そして十数年前に親元から拉致され李凰国に迎え入れられた少年少女達の運命。
「愛する男に斬られるのもまた甘美か?」
李凰国に正義は存在しない。それでも彼は李凰国を愛した。
「おまえの愛の中に散りゆくことができるのを嬉しく思う。」
李凰国に生きる少年少女達の魂、信念、孤独、そして愛を描く。
パーフェクトアンドロイド
ことは
キャラ文芸
アンドロイドが通うレアリティ学園。この学園の生徒たちは、インフィニティブレイン社の実験的試みによって開発されたアンドロイドだ。
だが俺、伏木真人(ふしぎまひと)は、この学園のアンドロイドたちとは決定的に違う。
俺はインフィニティブレイン社との契約で、モニターとしてこの学園に入学した。他の生徒たちを観察し、定期的に校長に報告することになっている。
レアリティ学園の新入生は100名。
そのうちアンドロイドは99名。
つまり俺は、生身の人間だ。
▶︎credit
表紙イラスト おーい
我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな
ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】
少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。
次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。
姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。
笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。
なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる