お前に似合わない職業[ヤクザ屋さん]

志賀雅基

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第30話

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 得物を持ったままサツカンに暢気にも火災原因を証言するバカなどいない。その場にいた関係者は全員、勿論、薫と恭介も蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

「ちょっ、ねえ、何処まで、逃げる、つもり?」
「知らん。タクシーでも、探せ!」
「こんなに、走って、大丈夫? 心臓、止まんない?」

「五月蠅い。まだ六割がたの、ネズミが、滑車を、走っている」
「六割って、ビミョーだよね。やっぱりお歳が――」
「蹴り殺されたいのか!?」

 そこでタクシーの行灯を前方に発見し、僅かながら安堵して走る速度を緩めてしまったとき、二人同時にジャケットの背を思い切り引かれ、上体を仰向けに持って行かれそうになった。直後に硬い物が背に押し付けられ食い込むのを感じて恭介は溜息ひとつ、両手を肩の辺りまで挙げて見せる。空気を読んで薫も恭介に倣った。

 そうっと振り向いてみると銃を突きつけた二人の男はオシャレな革靴にダークスーツの制服ではなく、部屋住みの下っ端といった風情のスウェットの上下に運動靴の金髪・ピアスのチンピラだった。身軽さ故に恭介たちに追いついたのだろう。

 遥か向こうからダークスーツ軍団が追ってきていてアッサリ絶体絶命のピンチに陥ったらしかった。不利な状態で大勢のヤクザを見てしまい、嬲られたのを思い出したのか薫が一気に顔色を悪くしてしゃがみ込んでしまう。そのままチンピラは薫の頭に銃口を突きつけると思いきや、妙なこだわりで自分もしゃがみ背に突き付け直す。

 その隙を逃さず恭介は一歩下がるなり後退した方の脚で弾みをつけ、前に残した足で予備動作もなく蹴りを放った。いわゆる三日月蹴りという爪先でのフックは薫に突き付けられた銃を弾き飛ばす。その足を着地させないまま見事なバランスで方向転換し、間合いの近すぎる自分側のチンピラの銃をも上段回し蹴りで払った。

 払われた銃は滑って小径沿いの溝に落ちて見えなくなる。
 呆気にとられたままのチンピラ一人の腕を右手で握り潰すと共にもう一人のみぞおちに痛烈な蹴りを叩き込んだ恭介は、声も出せずに悶絶したチンピラたちには目もくれず、しゃがみ込んだ薫を強引に立たせるなり右肩に担ぎ上げた。

 タクシーがもう去ってしまったのを見取り、消防車と一緒に来ていた救急車に走り寄る。すると救急隊員の方から訊いてきた。

「火災の被害者の方ですか?」
「いや、通り掛かっただけだが臭いで気分が悪くなった」
「分かりました。ではここに寝かせて下さい」

 出されていたストレッチャに薫を寝かせると救急隊員は薫を固定し、救急車の中へ運び込んだ。当然ながら恭介も乗り込む。負傷者も出ずヒマそうだった救急隊員らはさっさと患者を病院へ送るべくサイレンを鳴らし救急車を爆走させ始めた。

 別に薫も意識を失くした訳ではないので『患者役の演技』に必死だ。ただ横になっていたらいいだけなのに「血の気が引いた顔色を保持しよう」とムキになって却って赤くなったり茶色くなったりしている。釣り上げたイカのようだ。

 そんな薫に恭介は今後の段取りを大雑把に説明した。

「病院内に入ってからアクションを起こす。お前の『もう大丈夫』で逃げるぞ」
「良かった、注射とか血ぃ取られたりとか、やだもん」
「血に関しては同意する。なるべく温存してくれ」
「やーらしーの、この……ええと、お兄さん」
「本気で殺されたいのなら申告しろよ」

 救急車に乗ったのを見られている可能性もあるので、病院内でそれを見極めてからでないと迂闊に外には出られない。それは説明されなくても薫にも理解できた。

「でもさ、帰ってもこっちのヤサは割れちゃってるじゃん。どうするの?」
「素直にマンションに帰るほど馬鹿じゃない。奴らを撒いてホテル探しだな」

 ぼそぼそと喋っている間に爆走救急車は、佐波市内でも群を抜いて大きな公立総合病院の救命救急センター入り口にバックし、ストレッチャが直接出せるよう着けて停まった。ガラゴロと引き出されて横になったままの薫は居心地の悪そうな顔つきである。
 そうしてカーテンのみで区切られたベッドの一台に乗せ換えられる寸前に、

「あのう、気分良くなったんですが……」

 と、控えめに主張した。忙しくも人の命を助けんと働く人々の前でデカい顔をするほど面の皮は厚くない。一応は氏名と連絡先だけでも記入してくれと物申され、困っている間に卑怯にも恭介は消えていた。仕方がないので薫も逃げる。

「も、洩れる……おし〇こ!」

 勿論『おしるこ』でも『おしんこ』でもないので薫自身も「子供じゃあるまいし!」と羞恥に駆られていたが、この場合は『おしるこ』の方がアブナい奴の扱いを受けただろう。
 どうでもいいが恭介を探す。探しに探して病院裏の一角に設けられたコンビニの軒先で煙草を吸う男を発見した。文句たらたらだったが柳に風と聞き流される。

緊急走行キンソウ車両にはついてこられなかったらしい。ただこの辺りで運ばれるとすればこの病院しかあり得ん。ということで早急の移動を開始したい」
「言われなくても分かってるよ。暢気に煙草なんか吸ってたのは誰なのさ」

「これでも病院内を見回って確かめてから吸っていたんだ」
「僕のせいみたいに言わないでくれる?」
「いつまでも病人のフリをしていた奴が悪い。行くぞ」

 何を言おうが自分のせいにされる薫は煙草を灰皿に捨てた恭介を見上げて睨んだ。変わらぬフラットな無表情で見返され、マンションのフォトスタンドみたいな笑顔が自分に向けられることはないのだと思い、睨んだ表情もたちまち萎れる。

 薫の心模様を知ってか知らずか恭介は薄暗い病院の裏門へと歩き出した。途中で足を止めて薫が自分の左側に並ぶのを待ってから。

◇◇◇◇

 タクシーで乗り付けたホテルを見上げて薫は内心「どっひゃ~!」と思っていた。
 高城市まで出て「嘘だろ?」と疑いつつ本当に着いてしまったのは全国展開するチェーンの超高級『アーネットホテル』だったのだ。

「病院の近くって患者の家族とか泊まるビジネスホテルも多いよな」

 と意見した薫に対して恭介曰く、

「いつでも誰でも何処からでも出入りの可能な宿泊施設は危ない。夜ならともかく昼日中に襲われたら俺が対応できん」

 昼間は可能な限り寝たいらしい吸血鬼の判断で超豪華ホテルにご宿泊と相成ったのだ。当然だが薫は支払い能力がないのでカネのことは口に出さない。

 ドアマンにタクシーのドアを開けられたと思ったら今度はホテルのドアまでホテルマンが開けてくれた。もうすぐ二十二時になろうという時間なのに、爽やか且つ大変に、にこやかな笑顔である。これで投宿しなかったら詐欺で訴えられそうだ。

 超高級ホテルだけにぽつぽつとロビーで見かける客たちもTシャツやパーカーなど着ていない。誰もがそこそこの高級感を醸していて薫は初めて脳ミソから『ドレスコード』なる言葉を引っ張り出した。
 じゃあ自分は拙いんじゃ……と考えたが恭介共々セミオーダーの高級スーツでタイまで締めている。こうなることまで予見した訳ではないが、恭介の「いつものスーツでいい」を押し退けてこの格好をさせた自分えらいと褒め称えたくなった。

 その間に恭介はさっさとフロントで二名宿泊を申し出てカードキィを受け取っている。薫は吹き抜けの天井の巨大シャンデリアや背中の大きく開いたドレスの女性などをガン見するのをやめて恭介の許に戻る。
 なるべく『恭介にくっついた付属物』に見えないよう薫は恭介の左隣を絶対維持しつつ、エレベーターに乗ると「何階でしょうか?」と急に訊かれてキョドった。まさかエレベーターのボタンを押すだけが仕事という奴までいるとは思わなかったのだ。

「し、知りませんっ!」
「十二階へ頼む」

 言った恭介はレゲエ今里のときのように顔を背け口を引き結んでいて、笑いを堪えていると知った薫はムッとする。何故なら訊かれた恭介がすぐ答えたらいいものを、わざと薫が反応する隙を与えるかの如く間を置いたからだ。

 何だか薫は自分が恭介の手のひらの上で遊ばれているような気がしてきた。そんなに『慣れていないこと』が可笑しいのかよと怒りが湧いたが、直後に命の危機まで引き寄せた挙げ句、危ないところをかいくぐって来られたのも恭介のお蔭だし……と考え直す。自分は恭介の手を汚させたくなくて今里を撃ったが結局は無茶だったのだ。

 経済的にも頼り切っていることだし、笑いのネタになるくらいはいいかと溜息をつく。どうせならあの写真くらいの笑顔で大笑いさせてやりたいと思いながら。 
 
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