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第34話

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「いいよ、吸っても。さっき、あれだけ食べたから大丈夫だって……あ、あっ!」

 何も言わないまま恭介は布団を蹴り避けて薫の夜着の紐を解いている。引き剥がすように何もかもを脱がせて生まれたままの姿にさせると、恭介自身も身に着けたものをもどかしく脱ぎ捨てた。
 それからの恭介は完全に理性をとばしてしまっていた。本能的に身体の危機を覚えたために血を吸う、イコール欲望に直結した行動を取ったのかも知れない。

 とにかく薫は重傷を負っているとはとても思えないような恭介に思い切り貪られ、一度ならず血を吸われて甘く高い声を幾度も放った。こんな思いをすることは二度とないだろうと思えるような快感に堕とされ、自ら血を吸うよう乞うた。

 そうしてあらゆる意味で満ち足りた二人はひとつのベッドで抱き合って、いつしか安らいだ眠りに就いていた。

◇◇◇◇

 薫が寝返りを打った拍子に恭介の包帯部分を頭突きし、変な声を洩らして恭介は目覚めた。変な声を聴かれてなきゃいいがと思ったが殆ど同時に薫も身を起こし、

「今さ、合鴨農法やってた?」

 と訊いてきた。相手にせず起き上がってベッドから降りた恭介は、まずドアの外の『don't disturb』の札を外してクリーニングサーヴィスとコンシェルジュに頼んだ新しいドレスシャツ等が届くのを待つ体制に入る。

 平和にしこたま眠れたようで窓外はもう暗かった。恭介は自分の状態を改めてチェックする。銃創は痺れたような鈍い痛みがあるが、薫の血のお蔭か随分と回復が早いようだ。熱もすっかり下がっている。つまり左腕がいつにも増して動かしづらいだけで、あとは普段と変わらないということだ。

 だが引き換えに薫はそれこそ一度は身を起こしたものの、今はベッドで『のしイカ』状態になっていた。血を吸い過ぎた自覚はあるので寝かせておくしかあるまいと思う。
 そのうち薫はまた寝入ったらしく静かになり、恭介はコンシェルジュに連絡してみた。するとスーツはクリーニングしても損傷が激しすぎるとのことで同サイズの代替品を一式頼んだ。こういう時は超高級ホテルだと我が儘が利く。

 血塗れで破れた服を身に着け人目を惹きつつ歩くのも、今、自分が着ているホテルのペラペラな夜着のままヤクザに襲撃を受けるのも避けたかった。
 自分が特に『格好つけ』だと恭介は思わないが、死体になった時の扱いというものを元刑事だけに知っていて、更には元の同僚らにつつかれながら嗤われるのは勘弁という意識が常にある。

 まもなくチャイムが鳴って恭介は後ろ手にベレッタを持ったままインターフォンでやり取りしドアを開けた。ホテルメイドが男物の衣服一式であろうガーメントバッグを手に立っていた。チップと交換に受け取ってドアを閉める。
 開封して着替えるとかなり落ち着いた。申し付けてあった通りにドレスシャツはブラック、スーツとタイもブラックに近い濃いグレイで普段着と変わらない。薫は文句を垂れるかも知れないが傷から血が滲んでも目立ちづらい色でないと今は拙い。

 頃合いを見計らってルームサーヴィスを頼み、届いたところで匂いで薫がモゾモゾと身動きした。目が覚めたらしいが起き上がるのがつらいようだ。

「おい、食えそうか?」
「当たり前だろ、食わなきゃ死ぬもん。誰かにあんなに食われたんだから」

 愚痴る元気があるだけマシ、恭介は手を貸して布団だの枕だのを丸めて積み上げ、それに薫を凭れさせてやった。そのベッドに腰掛けた恭介はルームサーヴィスの料理を自分の口と薫の口に交互に運ぶ。食わせつつ訊いた。

「どのくらいで動けるようになる?」
「……あのさ。僕は生まれて初めて貧血になったんだし、医者でも吸血鬼でもないんだから分かる訳ないじゃんか」
「尤もな言い分だとは思うが、目安だ目安」
「目安って、ざけんじゃねぇよ、このタコ! オヤジ吸血鬼!」

 そのあとも様々な罵倒語を思いつくたびに吐き出しつつも、薫の良く回る口は恭介よりも速いくらいのペースで飯を食った。食い尽くしてしまうと薫が大欠伸をしている間に恭介がワゴンを廊下に出す。戻ると薫が「トイレ!」と喚いた。

「ほら、掴まれ。担いでやる」
「えーっ、担ぐの?」
「引きずってもいいんだが」
「恭介、あんた女にモテないでしょ」

「不自由はしていない」
「嘘ばっかり。三年と数ヶ月もフリーだったクセに。見栄っ張りオヤジ!」
「五月蠅い。それよりお前はどうしたいんだ?」

 まるで分っていない恭介を置いて薫はベッドから滑り降り立ち上がると、とっとと自力で歩いて用を足しに行った。食ったら腹に力が入って案外動けると分かっただけなのだが、恭介にしてみれば自分がここ数日で吸った血のトータル量を知っているのでトコトコ歩いて帰ってきた薫は人間として謎だった。

 まあ動けるうちだと思い、薫も着替えさせて緊急事態への対応策を取らせておく。そしていよいよの緊急時を考慮して恭介が残弾十六発プラス、スペアマガジンに十七発のグロックを、薫が残弾十三発のベレッタを腹に忍ばせた。薫ではマガジンチェンジのタイミングも見切れずマグチェンジそのものも不可能と判断した結果である。

 晩飯も食って夜も二十一時近く、恭介にとっては一番活動しやすい時間だ。
 そう思った途端に窓が大音響で室内に吹き飛んできた。

 カーテンがあったのでガラス片を巻き込みつつぐしゃぐしゃになり、恭介と薫がガラス片を浴びるのは避けられた。だが驚異的な動体視力で恭介が目に映した物体は室内にそのまま飛び込んできて一直線にドアにぶつかった。そこで信管が作動する。

「伏せろ薫、RPGだ!」
「はあ!?」

 お前はアホかという目をした薫を恭介は抱き込んでベッドの間に伏せた。とんでもない轟音と同時に気圧が抜ける感覚。ドアが吹き飛び通路と隔てる物がなくなったらしい。向かいに部屋は無いのでその点は安心だが、運のない人間が通路を歩いていなかったことを恭介は祈る。その間も訳が分からず薫は元気に藻掻いていた。

「ちょっ、恭介、重いって! どけよ!」

 説明するのも面倒だったので素直に退いてやる。薫は部屋の惨状をまじまじと見回しつつ、こういったときの人間らしいハズした科白を吐いた。

「『RPG!』ってさ、ドンパチ映画好きなら一度は叫んでみたい言葉だよね」
「そうなのか? なら次はお前に叫ばせてやる」
「次がない方が嬉しい気がするんだけど、僕」

「お前が意外と順応性の高いタイプで助かる。オークションに出ていたRPG7だろう。引き取り手が火事で逃げて浮いたブツを使ったんだ」
「じゃあ、部屋もバレたんだよね?」
「正解だ。さて、チェックアウトして逃げるか、踏み倒して逃げるか」

 途端に薫は胡散臭そうな目付きで恭介を眺める。

「踏み倒すのって、無理がない?」
「一応、宿泊台帳に載るチェックイン書類には偽名と虚偽住所を書いておいた。これは罪に当たる。罪名は無いが敢えて言うなら軽犯罪法違反で一日勾留だな」

 ヤクザでありながらシノギに汲々とし、禅僧以下の飯で我慢しては働きづめに働いてきた薫は「アー」と顎を落として脱力した。世の中、絶対に間違っていると思う。

「もしかしてまた『麻生次郎』で住所は永田町とか?」
「良く分かったな。故に裏口から逃げた方が……そんな目で見るな。すぐに連絡して後で振り込む。それでいいだろう?」
「踏み倒したら撃つからな」

「分かった分かった。ただホテルの修繕費用は『樫原組気付・今里』で請求書を切らせるからな。……囲まれてるかも知れん、俺から離れるなよ」
「ん、分かってる。撃っていいの?」
「敵と確認出来たらな。撃たれる前にぶちかませ」
「やったあ! 行こうよ!」
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