お前に似合わない職業[ヤクザ屋さん]

志賀雅基

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第22話

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 プルプル震える今里に気付いた薫は可笑しいのと、今里の自分への想いとやらを思い知らされて気味が悪いのとで、吹き出しつつ涙目になるという混乱状態に陥り、ふいに大きく息を吸い込むと咳き込み始めた。

 咳は止まる気配がない。突然の発作に襲われていた。

「話の続きは次の機会にさせて貰う。今日はこれで失礼する」

 言い捨てると薫を促して恭介は踵を返した。数秒で余裕の笑みを取り戻した今里が引き留めようとしたが聞かず、再び立ち塞がったチンピラ四人を切れ長の目で睨んで退かせ、六〇二号室から出る。
 出るなり薫の細い躰をすくい上げて横抱きにし、坂崎巡査たちに頷いて見せたのみでナースステーションにいた夜勤の看護師たちに大声を張り上げた。

「喘息発作だ、医者を呼んでくれ!」

 出てきた看護師の一人に案内されたのは救急外来の診察室だった。そこで吸入と点滴を受けてようやく薫の発作も治まる。飲み薬と吸入薬を処方され、明日の昼間に治療代を精算しに来るよう告げられて釈放パイとなった。だが疲れ果てた薫を歩かせることはせず、恭介は横抱きにしたまま病院を出てタクシーを捕まえ乗り込んだ。

「ごめん、恭介。迷惑ばっかり」
「俺も目的を持っている、迷惑とは思っていないから気にするな」

 それきり黙って三十分を過ごしマンション十階の部屋に帰り着いた。部屋に戻ると安堵したのか薫も多少の元気を取り戻し、コーヒーとケーキの残りで夜食にする。
 熱いコーヒーをひとくち飲み、恭介は大きく切ったケーキを口に放り込んだ。

「まさか今里の野郎のウィークポイントがお前自身だとはな」

 恭介の口の端に付いたクリームを指で拭い、それを舐めながら薫は顔をしかめる。

「ちょっと、いきなりそんな直球を投げてくるかなあ」

 ケーキの二切れ目に手を出しながら恭介は珍しくも肩を竦めた。

「だがお前も見ただろう、あれは今里が見せた唯一本気の感情だぞ」
「だからって、食べてるときにそういう心にくることを口にするのはどうかと思う。まあ、小指をポキリであいつのあの顔は最高だったけどさ」

「二本はいけると思ったんだが、ぬるつきが気持ち悪くて俺が限界だった。それより薫、お前は最悪でも今里に殺されるパーセンテージが低くなったな」
「間違っても愛されたくない相手だよ。ってゆうか、まさか恭介はそれもネタにして今里を追い込もうって言うんじゃないよね?」

「デジタルムービーなら仕事用が下の事務所にあった筈だ」
「僕とあんたの絡みを撮って送りつけるって? 勘弁してよね」
「冗談だ。俺もそこまで悪趣味じゃない。それに勿体ないからな」

「えっ、何か言った?」
「いや、わいせつ物頒布等の罪で捕まるのもマヌケだと言ったんだ」
「だよねえ。元刑事だし、マスコミのアイドルになっちゃうよ」

 男二人でケーキを食べてしまうと、馬鹿馬鹿しくもジャンケンなどして勝った恭介が先にバスルームを使い、薫と交代した。

 寝ても構わない時刻だったが薫がティーバッグの紅茶を淹れたのでリビングの二人掛けソファに並んで座る。薫は借り着の黒いシルクのパジャマ姿、恭介はお馴染の黒いドレスシャツに黒のスラックスだ。
 エアコンは利いているが恭介はいつもと違いチェーンスモークどころか煙草一本を左手指で弄ぶばかりで咥えようとしない。わざわざ隣に座った薫の喘息に悪いだろうと思い、何となく吸うのを控えているのだ。

 そんな気遣いに思い至って妙に嬉しくなった薫は、そこで何故かあの遺影のようなフォトスタンドの写真に目をやる。笑う小柄な男に、笑っているレアな恭介。それでも恭介は照れているのか苦笑といった風である。男二人でも紛れもないカップル。

 やっぱり死んだ人間に勝つのは難しいよなあと薫は考え、そして何で勝たなきゃならないんだ? と疑問に思った。

 確かに時宮恭介という隣にいる男は一人で立てないほど弱ったこの自分を依りかからせてくれた。あの薄汚い奴らに滅茶苦茶にヤラれた自分を望み通り抱いてくれた。そして樫原組組長の今里に大きな貸しがあり、それを取り返すという目的も同じである。そのために最適なグロックという得物を自分は持っていて、恭介は自分の持つこの部屋を隠れ家として提供してくれている。

 数え上げた薫は自分の方が借りが大きいと思って唐突に口にした。

「あのさ、抱きたかったら抱いていいし、血が欲しけりゃ飲んでいいからね」
「同じ相手から連日、血を飲んだら貧血で動けなくなる」
「や、だからさ、動ける程度にってことなんだけど。恭介は血、好きじゃないの?」

「嫌いじゃない。普段はそれほど意識しないが、そういう時は吸わずにいられん」
「じゃあ、好きな人ともあんまりヤれなかったってこと?」
「そういう場合は加減して……お前は何を言わせるんだ。それより明後日、いや、もう明日か。例のオークションとやらに潜入する策でも練るべきだろう?」

 尤もなことを言われて薫は暫し考える。

「それこそ恭介、あんたの元同僚の組対にタレコミしたら『極秘オークションに一斉突入!』ってなるんじゃないの?」
「URLも消えて裏も取れん……が、オークション会場の住所まで分かっているんだ、確かにタレ込めば人員揃えて張り込みくらいはするだろうな」

「じゃあ、タレコミすれば?」
「だからだな、タレ込めば元データであるお前の動画のUSBメモリを提出しなきゃならん。捜査対象者もその『USBメモリを持っている奴』に絞られかねないんだ。この意味くらい分かるだろう?」

 恭介はどうあっても薫の動画が表に出ないことを第一に考えてくれているのだ。自分を撃ったのみならず、おそらく自分よりも大切だった人を殺した今里への恨みは計り知れないほど重たく根深いだろうに、その今里をパクることよりもこの自分の将来を考慮した上で動こうとしてくれている……。

 それを思い知った薫は妙に自分を誇らしく感じているのに気付いて急転直下、萎れた。死んだ人間には勝てないと思っていたけれど、恭介が生きているこの石動薫の将来を第一に考えてくれたことで『やっぱり生きていてこそじゃん』と思った訳だが、それは決して『死者に勝った』のではないと勘違いに気付いたからだ。

 恭介は親切ではあるし、この石動薫の躰は抱いたけれど、心は未だかつてのバディであり元カレだったフォトスタンドの小柄な男にある。それが証拠に今里の最低な形の破滅を願い実行に移そうとしているのだ。

 薫は身勝手な憶測で浮き沈みする自分に嫌気が差して溜息をつく。
 ふと恭介を見上げると普段のフラットな無表情ではなく、奇妙な色を浮かべた目で薫を見返していた。敢えて言うなら気の毒そうな目だ。

「何だよ、それ。あんたの心遣いは分かったよ!」
「いや、そうでなく『一人百面相』とでも言うのか……初めて見たからな、つい」
「僕の勝手だろ。余計なお世話だ、放っといてくれるかな?」

「放っておくのはやぶさかではないが、それこそ博打の時は気を付けた方がいいぞ」
「本っ当に余計なお世話だよっ! それよりオークションどうするのさ?」
「変装でもして潜入するさ」

 サラリと言った恭介を薫はまじまじ見てコメントする。

「大口のお得意さんしか呼ばないんだから金持ちばかり、電気屋さんは目立つって」
「誰も電気屋に化けるとは言ってない。金持ちらしく振る舞うさ」

 そういや恭介は遺産生活者で金持ちだったのだ。そこで薫は自分が金持ちらしい振る舞いを心得ていないことと、それを補う扮装を恭介が用意してくれるのか心配になる。
 まるで心を読んだかの如く恭介が応えた。

「オークション潜入は俺だけだ。お前は留守番、いや、俺の連絡を待って関係各所に通報する係に任命する。重大使命だ、まあ頑張れ」
「ちょっと待ってよっ、あんた独りでなんか行かせられないよ! どうせオークションの人ごみにでも紛れて今里をる気なんでしょう!?」
「結果として今里が死んだら仕方ない。だが簡単には殺さん、『死んだ方がマシだ』『どうせなら殺してくれ』と懇願する程度の思いはして貰おうと考えている」

 薫に告げるというよりは独白のように低く呟いた恭介の全身からは、赤く揺らめく怨嗟の炎が立ち上っているように錯覚するほどの想いが伝わり、薫は知らず身をこわばらせ僅かに震わせた。

 ……この男は人生そのものを失くす想いを味わったのだ。

「でもね、残念賞。僕はグロック貸さないよ。僕をつれていくなら別だけど」
「チッ! 明日、いや、今日はお前の『金持ち変装』の仕込みだ」
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