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第18話

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「んーと、パジャマ何処いったっけ……つっ!」
「あれだけのことをして起きられる訳がないだろう、寝てていい」

 自分でペットボトルの液体を口に含み、恭介は口移しで何度も薫に飲ませた。三回飲ませてやると薫は満足したように目を瞑る。目を瞑ったまま自分の隣を指差した。
 非常な喫煙欲求と戦った挙げ句に恭介は薫の隣に横になり毛布を被った。途端に温かな躰が巻きついてくる。左腕を差し出して腕枕をしながらこれもいいかと考えた。

 そうして恭介はあれから初めて血に塗れたバディでなく、微笑む顔を夢で視た。

◇◇◇◇

 起きてみると何も身に着けていなくて、薫は昨夜の己の所業を思い出し、赤くなりながらモゾモゾとパジャマを身に着けた。だが隣では大柄な男がこれも何も着ずに寝ていて今更のようにも思われた。
 それに勢いと感情に任せたのは事実だが恭介の切れ長の目に湛えられた、色っぽくも切ない情欲に応えたいと思ったのも事実である。

 いや、今となってはそんな理由など言い訳に過ぎず、初めて自分で選んで抱かれるならこの男がいいと直感的に思って行動に出たという、自分自身の言葉通りになっただけのような気がしていた。

「おい、薫、熱は下がったか?」

 ふいに声を発してから恭介が目を開ける。ナイトテーブルに置かれた体温計を取り上げて薫は咥えた。電子音で引き抜いてみせる。三十六度五分。

「お蔭様ですっかり抜けたみたいだよ」
「そうか。立てるようならシャワー浴びて、メシでも作ってくれるか?」
「うん。期待してて」

 勢い良く起き上がると薫はシャワーを浴びて長袖Tシャツとジーンズに着替えキッチンに立った。入れ替わりに恭介がバスルームに入ってゆく。その後ろ姿を見送り、何となく恭介は自分のことをどう思って抱いたのかが気になった。乞うて抱かれた以上は過剰に期待するのもどうかと思う。それに恭介がバディのことを忘れていないのも知っていた。

 それでもクスリも使わず、あれだけの快感を与えられたのだ。
 逞しい腕と胸に抱かれて耳にした『誰も届かなかった処まで犯してやる』という科白も鮮烈で、つまり鈍くない薫は自分が恭介に対し、協力者以上の好意を抱いていることに気付き始めてしまったのだった。

「でも死んじゃったバディさんがライバルなんて、強敵だなあ」

 呟きながらボウルに卵を割り入れる。砂糖を入れ、塩をひとつまみ加えてからすり混ぜた。牛乳に小麦粉とベーキングパウダーも入れて混ぜる。インテリアの一部のように、モノトーンの調理器具や食器まで揃っていたのは幸いだった。今まで一度も使われていないだろうそれらを洗ってから駆使してパンケーキを焼き、ベーコンと冷凍ほうれん草をソテーした。

 あとは牛乳の残りを使ったコーンポタージュとサラダを作り上げて恭介を呼ぶ。

「ご飯ができたから、きて!」

 リビングで煙草を吹かしながら携帯を操作していた恭介がやってきて着席した。

「おっ、今日は洋風か。旨そうだな」
「スープはおかわりがあるから。じゃあ、いただきます」
「いただきます」

 行儀良く手を合わせてから食し始めたが、恭介は相変わらずの早食いで三分もしないうちにスープのおかわりを要求される。多めに焼いたパンケーキも瞬く間に胃袋に収められた。
 ゆっくりと食しながらそんな恭介を薫は束の間、幸せな思いで見つめる。

 だが食べ終えて後片付けもすませると現実を直視せざるを得なくなった。リビングでTVのローカルニュースを見ていると『梅谷組も交えた抗争』を報じていてタツとアサは骨折等で全治三ヶ月の重傷という詳細が流れたのだ。

 おまけにTV眺めながら恭介が携帯に今朝方入っていたメールを見せる。

「どれ、【カネを払う用意はある。だが当方がそれなりの情報網を持っていることも承知されたし】。ふうん、今里は恭介、あんたとの取引よりも脅しを優先してきたみたいだね。それでどうするの?」
「こちらも脅すさ。映像データから入れ墨の画像を切り取って送る」
「そう。映像の加工は?」
「俺がする。USBメモリだけ貸してくれ」

 ロウテーブルにノートパソコンを置いて立ち上げ、USBメモリをセットして恭介は作業を始めた。咥え煙草で左手はグロックのスペアマガジンを弄びながら、右手はマウスを操作している。その間、薫はモノクローム系グラデーションのラグに腰を下ろして膝を抱えながら、TVのローカルニュースをぼんやり見つめていた。
  
 ニュースは先程の続きで、佐波市内での銃撃戦の件から樫原組と梅谷組の事務所だけでなく本家や幹部のマンションにまで、今日中に当局のガサが入ることが告げられていた。

「ガサへの対応とこちらの脅し、今夜の謎サイト。今里もなかなかに大変だろうな」

 振り向くともうメールを送ったらしく、恭介が携帯を振っていた。

「何て送ったのさ?」
「画像プラス、【五千万円が用意できたら改めて連絡しろ。時宮探偵事務所】」

 まさかと思い目を見開く。そして次には恭介に食いついていた。

「そんな、あんた馬鹿じゃないの!? 事務所名までバラしちゃったら、恭介がダイレクトに狙われるじゃないか!」
「それが狙いだ。脅すターゲットをお前から俺に移させるのが第一目的だからな。第二が今言った、今里の蛇野郎に負荷をかけて精神的に追い詰め、下手を打つのを待つことだ。直接狙ってきたらお前のこれに期待する」

 と、恭介はロウテーブルに置いたグロックをスペアマガジンで指し示す。

「期待されても撃ったことないし、恭介が撃つ方が当たると思うよ。それより事務所がバレたらここだって……安全な場所がなくなっちゃうじゃないのさ!」
「落ち着けって。事務所はともかくこの部屋まではそう簡単に辿られない。それに事務所に火でも点けてくれれば現逮できる、それこそ望むところだ」

「でも……それじゃあ僕のせいで恭介は仕事まで失くしちゃうよ」

 萎れた薫に恭介はバディと自分を撃った入れ墨の男が今里だったことを告げる。

「だからお前は気にしなくていい。これは俺の復讐戦でもあるんだからな」

 そう言い切った恭介は切れ長の目を煌めかせ、口許を笑いに歪めて見せた。暫し薫はその表情に見入る。整いすぎるほど端正な顔は残忍さまでも感じさせた。そんな顔をさせたのは死んだバディに他ならず、淋しいような想いで恭介から目を逸らす。

「それであんたは、まさか下の事務所に今里をおびき出して蜂の巣にするんじゃないよね?」
「そうしたいところだが、グロックはお前のものだからな」
「僕だけ逮捕・勾留で起訴・懲役は勘弁なんですけど」
「俺こそ勘弁だ。お前は最初から今里を弾く覚悟だったんだろう?」

「うー、ずるい! 歳こいてる奴ってこれだから……あ、歳のことは禁句だっけ?」
「銃は一丁しかないが奪い合いになれば……俺の力は知っているな?」
「吸血鬼の馬鹿力ね、はいはい。んで、撃ち殺した僕の死体は?」
「職業柄、産廃業者にも『つて』がある。三日後にはアスファルトと仲良くなって何処ぞの道路に敷かれてるだろう」

 嫌な顔をして薫はそっと自前のグロックを手にすると慎重に腹のベルトに差し込んだ。アスファルトと仲良くなるのが怖かったからではなく、今里脅迫メールの窓口が恭介だからだった。勝手にグロックを手に出掛けられては敵わない。

「買い出しも控えた方がいいよね。じゃあ、そのパソコン借りていいかな?」
「何をするんだ?」
「ネットスーパーで食材を頼むの。ここの住所、教えて」

 今日の十五時には配達して貰える便で薫は大量の食材を買い込んだ。昼には米を炊いて昨日の残り物のカレーでドライカレーのオムライスを作って食す。そうして十五時五分前には電話が掛かり、ネットスーパーの業者が階下にきていると知らされた。
 遠隔でロックも解けるが様子を見ておくためにも二人して一階に降りる。そこで待ち受けていたのはネットスーパーの業者を含めた人の輪だった。

 何事かと思えばマンションのエントランスの軒下に惨殺された犬の死骸が放置されていたのだった。
 誰かが通報したらしく緊急音が近づいてくる中、薫は吐き気を堪えながら恭介を見上げる。

「もう今里が動いたってこと?」
「おそらくな。近場の樫原組組員を動かしたんだろう」

 遠目にでも見られて上階の部屋まで辿られる訳には行かない。パトカーが現着するのを待たずに業者から大量の荷物を受け取って料金を支払い、そそくさと踵を返して部屋に戻った。
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