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第12話
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「――薫、生きてるか? 薫!」
過去を俯瞰していた薫は声にビクリと身を揺らして目を覚ました。一瞬自分が何処にいるのか把握できず恐怖に駆られたが、再びドア越しに掛けられた声が今里よりも低くて現実を取り戻す。
「大丈夫、生きてるよ!」
叫んでおいて随分ぬるくなった湯から上がった。肩は冷え切ってしまっていたが、他人の部屋に強引に居座った挙げ句バスルームに何時間も籠城する訳には行かない。
ドアから出ると棚に積んであったバスタオルで身を拭う。ドライヤーが見当たらなかったので、なるべく水気を拭き取ってから下着とパジャマを身に着けた。
リビングに行くと恭介は自分の腕時計にチラリと目をやったが何も言わなかった。シニカルなコメントを予想し身構えていた薫は気抜けする。
だが遺影のようなフォトスタンドと並べられたアナログの置き時計を見て驚いた。針はもうとっくに日付も変わった午前二時近くを指していたからだ。
理不尽だと知りつつ薫は文句を垂れる。
「もっと早く起こしてくれれば良かったのに」
「寝ていたとは知らなかった」
「だからって常識的な入浴時間ってものがあるじゃないのさ」
「俺は飲みながら三時間半、風呂に浸かっていた記録のホルダーだ」
溜息をついて薫は天井を仰いだ。常識があるのかないのか、勤勉なのか怠惰なのかも分からない、この男に激務だという刑事が務まっていたとは想像しがたかった。
「それで僕は眠いんだけど、そのソファはいつ空くのかな?」
「寝るなら寝室のベッドに行け。どうしてもソファに拘るのなら事務所に降りる手もあるが」
「僕がベッドを横取りしたら、恭介は何処で寝るのさ?」
腰を据えたままのソファを恭介は指差す。
「そんな、押し掛けた上に恭介をソファで寝かせられないよ」
「気遣いは無用だ。いつもここか事務所で寝ているからな」
「そこまで気持ちのいいソファなら、僕もそこで寝てみたいんだけど」
「無理も遠慮もするな。何年か刑事生活を送った人間は、自動的に早食いと大抵の場所で安眠できる技が習得できるシステムになっている」
「でも……」
暫し言い争ったが恭介はあくまでソファから退去する素振りを見せず、折れた薫がベッドを使うことになった。寝室に向かう前にロウテーブル上の携帯と充電器を手にしたが、電源の切られたそれを起動する勇気までは湧かない。
「じゃあ、おやすみなさい。ベッド取っちゃってごめん」
「構わん。それよりこいつは要らないのか?」
タオルを敷いた上に置かれたグロックとスペアマガジンを薫は眺める。七百グラムほどもある殺傷兵器の分だけ心がまた重たくなりそうで、すぐには手が出ない。
「フィールドストリッピングして掃除だけはしておいた。密輸後に何処かで試射をしたんだろうが、スラッグも硝煙も付着したままだった。手入れを怠ると肝心なときにジャムるぞ」
一応ヤクザを張ってきたのだ、言っている意味は薫にも理解できた。簡易分解して掃除をしたら、弾を発射した際に出る金属屑や硝煙もこびりついたままだったということだ。これを放置すると肝心なときに装填不良を起こす。
「ふうん、そうなんだ。ジャムると次の弾が爆発する?」
「そんな漫画みたいな現象はまず起こらんが致命的なタイムロスになる。単純なタップ・ラック・バンの間に、十人から蜂の巣にされるのがオチだ」
「タップ・ラック・バン……って?」
黙ったまま恭介はグロックを手にするとトリガから指を離した状態で握ったグリップ、その内部に入ったマガジンを真下から突き上げるように叩く。そうしながら唇の動きのみで「タップ」と囁くと、次に「ラック」で銃の上部に当たるスライドを素早く引いた。装填されていた九ミリパラベラムが一発、イジェクションポートなる排莢口から煌めいて飛ぶ。
「これで『バン!』だ」
と、恭介は銃口を天井に向けてトリガを引く真似をして見せた。ジャムにもパターンは色々あり、こうも簡単に次弾が撃てるかどうかは運次第だが、取り敢えず原因不明のジャムへの対応としてはタップ・ラック・バンがスタンダードである。それでも敵が複数なら尚更、致命的と言わざるを得ない。
飛んで行った銃弾一発を拾ってきた薫は手渡しながら恭介に頼んでみた。
「そっか。じゃあ明日にでもフィールドストリッピングのやり方を教えてくれる?」
「今でもいい、一分と掛からん」
言うなり恭介はグロックのマガジンキャッチを押してマガジンを抜き、スライドを引いて薬室に装填された一発も取り除き、完全にアンロードする。
そこからは動画の早回しのようだった。銃は上部と下部に分けられ内部の棒状部品やスプリングを取り外され、あっという間にパーツがタオルの上に並べられる。
次には逆回し再生の如く組み立てられて瞬く間に元の拳銃に戻っていた。マガジンを叩き込んでチャンバに初弾を送り込む、ガシャンというスライドを引いた音で薫は我に返る。
オイルの匂いを嗅ぎながら再びマガジンを抜いてチャンバに装填し減った一発を足す、恭介の滑らかな指の動きを注視し続けた。本当に一分と掛からずグロックはバラされ、また組み立てられていた。息まで詰めて見入っていた薫は溜息をつく。だが恭介は「チッ」と小さく舌打ちをした。
「どうしたのさ、何か拙かったの?」
「腕が落ちた。握力がなくて左の指がロクに動かない」
「そんな風には見えなかったけど」
「当社比だからな。プロなら十秒掛からず組み上げる」
色々と慰めの言葉を脳裏に浮かべた薫だったが、口調に反して涼しげな無表情を変えない男にそれを投げるのはやめる。自分が今里たちとのことをぶちまけたときも、淡々と頷き同意してはくれたが、同情の科白ひとつ恭介が寄越さなかったのを思い出したのだ。
「それはあんたに預けるよ。信用した証拠とでも思ってくれる?」
「ふん。今晩は押しつけられてやる」
気を悪くした訳でもなく恭介は言い、どう見てもヤクザ稼業にも馴染んでいない小柄な後ろ姿が寝室に消えるのを見送った。
最近のヤクザはシノギに汲々としていながら、ヤクザという見栄とハッタリの世界に身を置くだけあって、汲々としているのを見せない。だが代わりに見えない処ではどんなに汚いことでもやってのける。
組対にいた恭介はそんなことなど知り尽くしていたが、内部にいながら薫は知り得ていなかったようだ。薫が輪姦された理由は分からない。しかし博徒系の先代組長に見込まれて向こう側に飛び込んだはいいが『赤貧洗うが如し』なることわざを地でゆく梅谷組をスタンダードと思っていたのは薫の甘さである。
何も樫原組の今里が特別という訳ではなかった。
素人を嵌めて堕とした挙げ句、無修正DVDの形で何千枚も通販しているのを何度検挙したことか。録られた素人本人はそんなモノが売られていることすら知らなかったという案件もあった。
そんな事実も何れは薫が自分で気付かなければならないことである。そのとき上手く足を洗えるかどうかは薫の運次第だろう。
そう思いながら恭介は繰り返しグロック17を分解結合する。
そして夜も明けた頃に寝室を覗いてみたが、薫はあどけないような顔をして眠っていた。
過去を俯瞰していた薫は声にビクリと身を揺らして目を覚ました。一瞬自分が何処にいるのか把握できず恐怖に駆られたが、再びドア越しに掛けられた声が今里よりも低くて現実を取り戻す。
「大丈夫、生きてるよ!」
叫んでおいて随分ぬるくなった湯から上がった。肩は冷え切ってしまっていたが、他人の部屋に強引に居座った挙げ句バスルームに何時間も籠城する訳には行かない。
ドアから出ると棚に積んであったバスタオルで身を拭う。ドライヤーが見当たらなかったので、なるべく水気を拭き取ってから下着とパジャマを身に着けた。
リビングに行くと恭介は自分の腕時計にチラリと目をやったが何も言わなかった。シニカルなコメントを予想し身構えていた薫は気抜けする。
だが遺影のようなフォトスタンドと並べられたアナログの置き時計を見て驚いた。針はもうとっくに日付も変わった午前二時近くを指していたからだ。
理不尽だと知りつつ薫は文句を垂れる。
「もっと早く起こしてくれれば良かったのに」
「寝ていたとは知らなかった」
「だからって常識的な入浴時間ってものがあるじゃないのさ」
「俺は飲みながら三時間半、風呂に浸かっていた記録のホルダーだ」
溜息をついて薫は天井を仰いだ。常識があるのかないのか、勤勉なのか怠惰なのかも分からない、この男に激務だという刑事が務まっていたとは想像しがたかった。
「それで僕は眠いんだけど、そのソファはいつ空くのかな?」
「寝るなら寝室のベッドに行け。どうしてもソファに拘るのなら事務所に降りる手もあるが」
「僕がベッドを横取りしたら、恭介は何処で寝るのさ?」
腰を据えたままのソファを恭介は指差す。
「そんな、押し掛けた上に恭介をソファで寝かせられないよ」
「気遣いは無用だ。いつもここか事務所で寝ているからな」
「そこまで気持ちのいいソファなら、僕もそこで寝てみたいんだけど」
「無理も遠慮もするな。何年か刑事生活を送った人間は、自動的に早食いと大抵の場所で安眠できる技が習得できるシステムになっている」
「でも……」
暫し言い争ったが恭介はあくまでソファから退去する素振りを見せず、折れた薫がベッドを使うことになった。寝室に向かう前にロウテーブル上の携帯と充電器を手にしたが、電源の切られたそれを起動する勇気までは湧かない。
「じゃあ、おやすみなさい。ベッド取っちゃってごめん」
「構わん。それよりこいつは要らないのか?」
タオルを敷いた上に置かれたグロックとスペアマガジンを薫は眺める。七百グラムほどもある殺傷兵器の分だけ心がまた重たくなりそうで、すぐには手が出ない。
「フィールドストリッピングして掃除だけはしておいた。密輸後に何処かで試射をしたんだろうが、スラッグも硝煙も付着したままだった。手入れを怠ると肝心なときにジャムるぞ」
一応ヤクザを張ってきたのだ、言っている意味は薫にも理解できた。簡易分解して掃除をしたら、弾を発射した際に出る金属屑や硝煙もこびりついたままだったということだ。これを放置すると肝心なときに装填不良を起こす。
「ふうん、そうなんだ。ジャムると次の弾が爆発する?」
「そんな漫画みたいな現象はまず起こらんが致命的なタイムロスになる。単純なタップ・ラック・バンの間に、十人から蜂の巣にされるのがオチだ」
「タップ・ラック・バン……って?」
黙ったまま恭介はグロックを手にするとトリガから指を離した状態で握ったグリップ、その内部に入ったマガジンを真下から突き上げるように叩く。そうしながら唇の動きのみで「タップ」と囁くと、次に「ラック」で銃の上部に当たるスライドを素早く引いた。装填されていた九ミリパラベラムが一発、イジェクションポートなる排莢口から煌めいて飛ぶ。
「これで『バン!』だ」
と、恭介は銃口を天井に向けてトリガを引く真似をして見せた。ジャムにもパターンは色々あり、こうも簡単に次弾が撃てるかどうかは運次第だが、取り敢えず原因不明のジャムへの対応としてはタップ・ラック・バンがスタンダードである。それでも敵が複数なら尚更、致命的と言わざるを得ない。
飛んで行った銃弾一発を拾ってきた薫は手渡しながら恭介に頼んでみた。
「そっか。じゃあ明日にでもフィールドストリッピングのやり方を教えてくれる?」
「今でもいい、一分と掛からん」
言うなり恭介はグロックのマガジンキャッチを押してマガジンを抜き、スライドを引いて薬室に装填された一発も取り除き、完全にアンロードする。
そこからは動画の早回しのようだった。銃は上部と下部に分けられ内部の棒状部品やスプリングを取り外され、あっという間にパーツがタオルの上に並べられる。
次には逆回し再生の如く組み立てられて瞬く間に元の拳銃に戻っていた。マガジンを叩き込んでチャンバに初弾を送り込む、ガシャンというスライドを引いた音で薫は我に返る。
オイルの匂いを嗅ぎながら再びマガジンを抜いてチャンバに装填し減った一発を足す、恭介の滑らかな指の動きを注視し続けた。本当に一分と掛からずグロックはバラされ、また組み立てられていた。息まで詰めて見入っていた薫は溜息をつく。だが恭介は「チッ」と小さく舌打ちをした。
「どうしたのさ、何か拙かったの?」
「腕が落ちた。握力がなくて左の指がロクに動かない」
「そんな風には見えなかったけど」
「当社比だからな。プロなら十秒掛からず組み上げる」
色々と慰めの言葉を脳裏に浮かべた薫だったが、口調に反して涼しげな無表情を変えない男にそれを投げるのはやめる。自分が今里たちとのことをぶちまけたときも、淡々と頷き同意してはくれたが、同情の科白ひとつ恭介が寄越さなかったのを思い出したのだ。
「それはあんたに預けるよ。信用した証拠とでも思ってくれる?」
「ふん。今晩は押しつけられてやる」
気を悪くした訳でもなく恭介は言い、どう見てもヤクザ稼業にも馴染んでいない小柄な後ろ姿が寝室に消えるのを見送った。
最近のヤクザはシノギに汲々としていながら、ヤクザという見栄とハッタリの世界に身を置くだけあって、汲々としているのを見せない。だが代わりに見えない処ではどんなに汚いことでもやってのける。
組対にいた恭介はそんなことなど知り尽くしていたが、内部にいながら薫は知り得ていなかったようだ。薫が輪姦された理由は分からない。しかし博徒系の先代組長に見込まれて向こう側に飛び込んだはいいが『赤貧洗うが如し』なることわざを地でゆく梅谷組をスタンダードと思っていたのは薫の甘さである。
何も樫原組の今里が特別という訳ではなかった。
素人を嵌めて堕とした挙げ句、無修正DVDの形で何千枚も通販しているのを何度検挙したことか。録られた素人本人はそんなモノが売られていることすら知らなかったという案件もあった。
そんな事実も何れは薫が自分で気付かなければならないことである。そのとき上手く足を洗えるかどうかは薫の運次第だろう。
そう思いながら恭介は繰り返しグロック17を分解結合する。
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