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第1話

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「おう、どうしたかおるちゃん。帰ってたのかい」

 野太い声を掛けられて振り向くと、若頭が車の窓から顔を出していた。組所有の車は七年落ちの軽自動車で色は黄色という、まず葬式には乗って行けないシロモノだ。おまけに言えばバンパーは前後とも見るも無惨に凹み、ボディにも無数の疵がある。

「薫はやめて下さいって言ってるでしょう、若頭カシラ

 舐められたら終わりのこの世界で薫という名はコンプレックスなのだ。ただでさえ背も高くなく体格も薄っぺらで貧弱なのである。それに色白・女顔というダメ押し付きとくれば、組の若中わかちゅうを名乗っても、まず同業他社の人間たちには薄笑いされてしまう。

 だが若頭は朗らかに笑って薫のクレームを一蹴した。

「薫に石動いするぎなんて名字は似合わねえ、薫は薫でいいんだ」

 それ以上の文句を封殺するように言い切ると、若頭は軽自動車を路肩に寄せるでもなく放置して降りてくる。廃業して三年後の相撲取りといった体格の若頭は白いポロシャツの突き出た腹を揺らして歩いてくると、薫の頭にグローブのような手を置いて髪をくしゃりと掴んだ。

「そろそろ晩飯だ、待たせるとおやっさんに悪い」
「はあ、そうですね」

 返事をしながらも薫は引き戸を前にして開けるのをためらう。引き戸の横には白木に墨書きで『梅谷うめたに組』とあった。梅谷組はこの高城たかしろ市内でも有数の指定暴力団である滝本たきもと組の三次団体で、だがアーケードの下に居並ぶ商店街の中に紛れている様子はとてもヤクザの本家には見えない。

 間口の広い引き戸とガレージのシャッターは町の消防団のようである。
 実際、去年の暮れに近所の魚安うおやすさんでボヤがあったときには、真っ先に駆けつけて消火活動に従事したのが梅谷組の組長以下、組員たちだった。初期消火と魚安さん一家の救出に成功し、しかし一応はヤクザということで消防署長は表彰したものかどうか相当悩んだらしい。

 それはともかく薫の浮かない顔を見て、若頭は心中を察したようだった。

「何だ、シマの店から集金した銭でも盗まれたのかい」
「今月の集金当番はタツたちですよ。でも、まあ、似たようなモノで……」
「アガリがなかったくらいで、今更落ち込むんじゃねえ。ほら、行くぞ」

 本当はアガリがあったのだ。博打の才能だけは誰にも引けを取らない薫である。朝から出掛けた競馬で連戦連勝、百万近いカネを手にして組長を喜ばせてやれる筈だった。だがレンタカーで帰る途中の街道で猫が飛び出してきて、避けた途端に突っ込んできた黒塗りの高級車と接触。出てきたダークスーツの男たちには、薫の精一杯の睨みも梅谷組の名も功を奏さなかった。

 結局は示談金として稼いだカネを丸ごと分捕られ、悄然と帰ってきたのである。
 情けなさの上塗りだったが懐具合には替えられずに事後通報し『当て逃げされた』との主張が受け入れられたためにレンタカーだけは保険で何とかなって持ち出しにはならずに済んだ。

 しかし降り掛かった一連の理不尽の中でカネを取られたのも痛かったが、薫としては相手が梅谷組を知らなかったことと、自分が幾ら凄んでも嗤われるばかりだったことがショックだったのだ。

 けれど話を聞いて若頭はカラカラと笑う。

さらわれなかっただけ良かったじゃねぇかい」

 言外にまた顔のことを言われたようで、薫はややムッとしながらも引き戸を開け、若頭に続いて中に入った。入った所は小さな事務所になっているが今は誰も詰めていない。そのまま事務所を縦断して二枚目の引き戸を引くと、手狭な玄関になっているそこで靴を脱ぐ。ここから奥が梅谷組の本家となっていた。目前の階段を靴下でギシギシと上る。

 巨漢の若頭と一緒で普請の古い階段が抜け落ちる恐怖と戦いながら上りきると、廊下には炊けたご飯の匂いが充満していた。すぐ右側の部屋に入ると組長以外の皆がサッと立ち上がって唱和する。

「若頭、ご苦労さんです!」
「おう、いいから座ってくれ」

 組のナンバー2である若頭が鷹揚に言い、舎弟頭や若頭補佐を含めた組員たちが擦り切れた畳に再びあぐらをかいた。舎弟頭だの補佐だのといっても、組長や薫たちを含めて総員で七名である。これが梅谷組の全容だった。
 上座の組長の隣に若頭が腰を下ろす。薫は若頭補佐の次の位置に就いた。皆が静かに注目する中、若頭がスラックスのポケットから剥き出しの万札を出し組長に渡す。

「おやっさん、今日のアガリです」
「だから西山にしやまさん、おやっさんは止して下さい。わたしの方が年下なんですから」
「この世界で歳は関係ありやせん。おやっさんはおやっさんです」

「はあ。しかし昨日だって五万、今日もこんなに……ご無理なさらなくていいんですよ?」
「無理じゃありやせん。少ないですが今月の上納金の足しにして下さい」
「そうですか。有難いですねえ――」

 三次団体ということは、当然ながら上位団体に対して上納金を納めなければならない。その上納金の出所は組のシノギと呼ばれる資金獲得活動だが梅谷組の持つシマ、つまり縄張りは狭くてアガリも些少。毎月の上納金にも事欠く有様だった。
 故に組員たちがそれぞれに工夫を凝らしては稼いでくるアガリで梅谷組の屋台骨は、やっと支えられているのである。

 折り畳まれていた万札を組長が数えると七枚あった。皆が「ほうっ」と溜息で合唱し、同時に称賛の拍手が湧く。何処でどう稼いできたのか知れないが皆は安堵の笑顔となる。

 組長は万札を大切そうに手提げ金庫に仕舞い、布巾で手を拭いてから傍に置いていた業務用炊飯器のふたを開けた。もうもうと湯気が立つ炊飯器からしゃもじで茶碗にご飯をよそう。山盛りご飯の茶碗が組員の手から手へと回されて、皆に行き渡ると組長が頷いた。

「では、いただきましょうか」
「いただきます!」

 皆で唱和し、手を合わせてから食べ始める。おかずは目玉焼きとたくあん、それに白菜の味噌汁という質素さだった。だが今日は目玉焼きがあるだけマシ、上納金の締め切りが迫ると目玉焼きも消えて具のない味噌汁とたくあんだけという、禅僧以下の食卓になるのだ。

 そんな梅谷組だったが先代の頃はもっと羽振りが良かった。小さいながらもこの界隈では博徒系の老舗で上位団体からも一目置かれていたのだ。

 だが先代が急死して跡を継いだ組長は元々市役所の職員で、はっきり言って睨みも利かずシノギも上手くない。しかし二次団体の組長から頂いた盃をヤクザ怖さから断ることができなかったという経緯がある。

 これだけはおかわりし放題のご飯をかき込みながら、薫は自分以上にヤクザ稼業の似合わない組長を眺めた。背は高いが痩せこけている。古いデザインの黒縁セル眼鏡を掛け、赤いチェックのエプロンを着けていた。歳は四十代初め、エプロンを外してアームカバーを着ければ農協の保険窓口にでも腰掛けていそうな風貌である。
 口癖は『組を畳む』だ。
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