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第71話(最終話)

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 大声に驚いたか、チョウチョがグリーンの羽を広げて飛び立った。
 ハイファは椅子の上で方向転換しようとしてバランスを崩す。シドが立ち上がったときには遅かった。もの凄い音がしてハイファは椅子ごと転倒し、見事に引っ繰り返っていた。タマが「フーッ!」と唸って寝室にすっ飛んで逃
げ、シドは慌ててキッチンへと走った。

「ハイファ、ハイファ! 大丈夫か!」
「つっ……痛たた――」
「おいっ、何処、ぶつけた?」
「腰と、頭……うっ!」

 焦って救急機を要請しようとした手をハイファが留める。

「大丈夫だから病院はいいよ。本当に、本当に平気だから」
「う……そうか? やせ我慢も無理もするなよな」

 手を貸して起こさせ、抱き上げると定位置の二人掛けソファに横にさせる。寝かせておいて寝室からファーストエイドキットを持って戻るとTVではミスコンが終わり、他星系での事件を取り上げるニュース番組に変わっていた。

 正直、微かに残念に思いながらも窺わせぬポーカーフェイスでハイファの背を捲って消炎スプレーを吹きかける。細い腰には見事な青あざができていた。

「病院で頭だけでも簡易スキャンして貰った方が良くねぇか?」
「大丈夫だってば……ねえ、シド、このニュース」
「んあ、何だ?」

 ニュースはトピックスとしてアピス星系での出来事を報じていた。アルゴー軍とシャタン軍が第四惑星ベンヌ近くのアルゴー軍側ワープアウト地点でぶつかって大会戦となり、シャタンが大勝利をしてベンヌになだれ込んだことをレポーターが告げている。

「へえ、クルーエルがまた大ヒットだな」
「でも今度はSSCⅡテンダネスも外さなかったんじゃないの?」
「それでも立役者はクルーエル・ネットワークとハイド=ラ=アルトだ。夕月の株が上がって分離主義者たちも小躍りしてるだろうぜ」

「ハイドラは分離主義者の擁護で別室から解放される?」
「そいつは甘いんじゃねぇか? 別室長ユアン=ガードナーの野郎を実質亡き者にしたんだからな。ガサまで入れられて未だ逮捕勾留中、ああ見えて別室長の野郎は相当頭にきてるぜ」

 そう言いながらも別室長の勾留延長を明らかに喜ぶシドをハイファは見上げた。

「じゃあ、ハイドラはどうなるのかな?」
「まあ、煮ても焼いても食えねぇハイドラを延々飼ってても、別室は何の得にもならねぇからな。落とし処として、もう一押しで今回の一件はバーターにするってところか」
「もう一押しって?」

 シドは消炎スプレーの乾いたハイファの身繕いを手伝ってやる。

「そうだな……例えば別室長ユアン=ガードナーを釈放パイにするような、もう一押しだ」

 いやに自信ありげなシドにハイファは首を傾げた。

「そういえばシド、ハイドラと何か企んでたみたいだし。いったい何を仕掛けたのサ?」
「条件が揃ったときに発動する命令をクルーエルに仕掛けてきた」
「どんな?」

 そこでシドは珍しく人の悪い笑みを黒い目に浮かばせる。

「シャタン教徒が大会戦で勝ち、ベンヌに乗り込んだ暁には、第七十二代シャタン教最高指導者のヘクター=シャタンはテラ連邦から預かった十二兆クレジットで食糧難のダグラ島にパンをバラ撒く……そういう噂をアピス星系内全域に流す。これにはジェレミーたち第五惑星ドルテの中立派にも協力して貰った」

 ハイファがシドの顔を見て呆けたように呟いた。

「まさか……まことしやかに噂を流してヘクター=シャタンを動かす?」
「ああ。どんなに面の皮がブ厚くても、宗教指導者としては施さずにいられねぇだろうぜ」
「それで十二兆は使途不明金じゃない、テラ連邦からの支援金になるってことかあ」

「俺としては別室長の野郎がどうなろうが構わねぇんだがな」
「ハイド=ラ=アルトのため?」

 訊かれてシドはまたも珍しく肩を竦める。ロウテーブルの煙草を取ると一本咥えてオイルライターで火を点けた。深々と吸い込んで紫煙を吐く。

「あいつがお前にしたことは今でも許せねぇんだが……俺も助けられちまった以上、今回だけは目を瞑ってもいいかと思ってる。お前はどう思う?」
「ふうん、僕はシドがそう言うなら構わないよ」

「そうか。夕月に戻って真っ向、自分に生まれつき着けられていた枷と戦う覚悟をしたあいつとは、今回の件に限って痛み分けだ。……という訳で、お前は紅白饅頭を作ってくれ」
「まさか、本当にそれを室長に差し入れする気なの? ……あっ!」

 切れ長の目で軽く睨んだシドはハイファの白い額を指で弾いた。

「自分で白状するか、それともヒュウガ号の中で記憶が戻ってた、そう言って欲しいか?」
「……何で分かっちゃったのかな?」
「俺を見る目が違う」

「そっか。でも記憶は少しずつしか戻らなくてハッキリしたのはさっきだよ」
「なるほど、そういうことにしといてやるか」

 横になったままのハイファを片腕で抱くとシドは金髪に、白い頬に、唇にキスをする。

「おかえり、ハイファ」
「ただいま、シド……シドっ!」

 思い切り、勢いよくハイファはシドの首に抱きついた。シドは慌てて煙草を消し、再びハイファを抱き締める。もう一度キスしようとして、だが胸を突かれた。

「何だよ?」
「だって、貴方が他の人を抱いたなんて……悔しくて」
「すまん。マジであのときは――」 
「それだけじゃない、ずっとハイドラと二人で、すごく息が合っててサ」
「息なんか合ってねぇよ。あれほど苦手なタイプはいないぜ?」

「苦手になんか見えなかったよ。それにハイドラは確実に貴方のことが好きで……騙してでも抱かれたいくらいに好きで……」
「それとこれとは別だろ、俺はあいつのことを何とも思ってねぇんだからさ」

「何とも思ってないなんて嘘。貴方が『痛み分け』なんて、相当買ってる証拠だもん」
「ふん……それもこれも、機捜課でのお前の言動とバーターにならねぇか?」
「そんなもので消せるとでも思ってるの?」

 睨まれてシドは黙った。ハイファまでが機捜課で敵に回るとは思っても見ず、休暇明けの職場の居心地を考えてうんざりする。だが次には噤んだ口を唇で塞がれ、しょっぱいキスにシドはハイファの切ないまでの想いを感じて、それも暫くは仕方あるまいと胸中で溜息をついた。

 一方でハイファは若草色の瞳にまだ悔しさを滲ませている。それはそうだろう、シドなら相手をぶち殺しているところだ。頬に零れた雫を指で拭ってやる。
 みたび抱き締めるとハイファは両腕をシドの首に回して意思表示した。

「お前、本当に壊れるぞ?」
「十五歳の僕をあんな抱き方した人がそれを言うんですか? 明るみに出て裁判になったら実刑判決で懲役二年ってとこじゃないかな」
「うっ……お前そいつを言うとは、欲しくねぇのかよ?」
「欲しいです! だから、優しくして」

 上気した目元の色っぽさに負けたシドはハイファを抱き上げ寝室に連れて行く。

◇◇◇◇

 八分署捜査二課に逮捕された中央情報局員が釈放されたという報を聞いた二人は、有休二日のみで療養休暇を返上し、七分署に出勤した。

 そこで待っていたのは『ついにシドとハイファスが結婚か!?』の噂で、予想通りシドは暫くの間、大いに難儀することになった。


                         了
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