forget me not~Barter.19~

志賀雅基

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第47話

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 アール島監視局副局長兼サファリツアーガイドのサムソン=レパードは片手を挙げた。茶髪にキャップを被り、作業服の上下という格好も変わらないが、雪の降る土地というのを意識してか上にオリーブドラブ色のブルゾンを羽織っている。
 今日はライフルのスリングの代わりに小ぶりのショルダーバッグを肩に掛けていた。

 煙草を出して咥えたままサムソンは器用に応える。

「どうしてって、第二国際空港のあるノアからレンタルヘリで着いたところだが」
「第二国際空港までレンタルヘリで往復六時間も飛んだんですか?」
「いや、アールからビジネスジェットをそのままノアの第二空港に着けた」

「僕らもそのコースにしたかったかも」
「結構な苦労をさせられたらしいな」
「それはもう」

 煙草に火を点けたサムソンは二人を視界に収めて旨そうに紫煙を吐いた。

「で、色男が二人揃ってやんちゃな王子様に逃げられたのか」

 二本目を吸い始めた霧島は、ここで初めてサムソンを見据えると口を開く。

「そういうあんたは何なんだ?」
「じつは俺も王子様狙いだ、と言ったらどうする?」
「馬に蹴られるのは勘弁だが、あんたも逃げられた口ではないのか?」

「一晩では落とせなかった。だが抜かりはないさ。サファリでたびたび単独行動を取ろうとする王子様には発信機を付けさせて貰っている。まだロストしていない」

 咥え煙草でサムソンはショルダーバッグから掌に載るくらいの機器を取り出した。ハシビロコウのアーヴィンを追うのに使ったモニタ機器の小型版らしい。

「どうだ、一緒に追いたくなってきたんじゃないか?」
「ストーカーの片棒を担ぐのはご免だが、この際だ。有難く乗せて貰おうか」

 ふざけたやり取りに聞こえたが、霧島の切れ長の目もサムソンのヘイゼルの瞳も、至ってシリアスだった。なのにのんびりと煙草を吸う二人に京哉はやや呆れる。

「さっさと追わなくてもいいんですかね?」
「今はタブリズ市内の一点から動いていない。俺も馬に蹴られたくない性分なんだ」

 空き缶と吸い殻を捨てた京哉は二分ほど待つ。悠長に煙草を灰にした二人はようやく動き出した。三人で喫煙ルームを出て階段を降りる。
 エントランスを抜けて少し歩き、終日営業のレンタカー屋に足を踏み入れてサムソンは黒いセダンを借りた。ステアリングもサムソンが握る。霧島と京哉は後部座席に並んで収まった。

 走らせ始めて暫くすると、京哉は見覚えた道を辿っていることに気付いた。

「我らが貴婦人、もとい王子様は、まさかノートルダムホテルにいないですよね?」
「残念ながらそれはないな。近くのホテルではあるが」

 思わず京哉は霧島を窺った。だが霧島は表情を崩さない。

「で、サムソンは第二国際空港に何をしに行ったんですか?」
「俺の用は第二空港じゃない、その隣の敷地に届け物だ」
「そっか。うわあ、やられちゃったなあ」

 僅かな振動が車内の空気を震わせ、サムソンがモニタ機器に目を落とす。

「おっと、ターゲットが動いたぞ。ホテルを出て移動中だ」
「尾行できそうですか?」

 ルームミラーの中でヘイゼルの瞳が頷き、姿勢を正してステアリングを握り直した。アクセルを踏み込む。黒いセダンはタブリズ市内の目抜き通りを走っていた。
 これで尾行をしているのかどうか京哉には分からなかった。雪の紗膜を通して見えるのは似たような車ばかりである。それも時間が時間で交通量は極端に少ない。

 右隣で窓外を眺める霧島とシートの上で指先同士が触れた。そのまま握られて指の一本一本をなぞられる。そうしながら端正な横顔は冷たいまでに表情を消していた。

 先行する車内で瑞樹も不安を抱えているのだろうか。
 アール島の第三出張所の二階で乱れたシーツに腰掛けていた小柄な長い赤毛の男は、またもその身を某国のエージェントに食われ、どんな思いを抱いているのだろうか。

 だがそれもこれも瑞樹は最初から分かっていたのか。それともただ利用されただけなのか。何れにせよ動物たちを目にしてあんなにはしゃいでいた瑞樹は自分たちに、霧島にさえも言えなかったのだ。

 考えに耽るうちに黒いセダンは尖塔のある建物の近くまで走って減速した。目抜き通りを丁字路の突き当たりまでゆっくり走り建物の敷地内へと乗り入れる。

 律儀にもサムソンは駐車場に黒いセダンを駐めた。
 ショルダーバッグを担ぎ直した京哉はアスファルトに降り立って建物を見上げる。

 どっしりとした構造物は巨大だった。長辺が五、六十メートルはある上に、外壁は細かな蔓草模様を刻んだ石造りである。中央には遠くからも見えていた尖塔があり、鐘楼のある天辺の高さも同じく五、六十メートルあるだろうか。割と古そうな建物でこれだけの石組みが崩れでもしたら大ごとだと思う。

 この重量感は本物だと思う一方で、霧島が指を這わせたのは壁の何処だったかを思い出そうとしている自分が可笑しかった。そこで気付くとあとの二人は随分先だ。慌てて走って追いつく。緊張しすぎても拙いが足らないのはもっと拙い。神経を張り詰めることで危険を察知できることもあるのだ。京哉は静かに自戒して霧島に続いた。

 外灯もまばらな暗い中を迷いなく広い歩幅でどんどん進むサムソンの背を追う。

「もう中に瑞樹たちはいるんですか?」
「ターゲットは先に教会内に入った」
「これ教会なんですね。詳しいけど、マップ?」
「いや。若い頃は憧れて某大国に渡ったが、元々俺はこのタブリズの出身だからな」

 正面の大扉や脇の通用口のドアにも触れず、サムソンは雪の舞い散る中を建物に添って歩いてゆく。幾つか他のドアもあったが構わず歩いて角を左に曲がった。

 建物の裏手に出た途端に京哉は既視感を覚える。小径と灌木に囲まれた湖が広がっていて、あの電脳世界のゼリーの湖はここをイメージしたものだと納得した。

 辿り着いた教会の裏口ドアは古びた木材の一枚板で出来ていた。その鍵穴にサムソンはポケットから出したキィを差して回す。難なくカチャリとロックが解けた。

「この入り口だけはフリーで入れる。一応、ここの信徒なんだ」
「えっ、神サマ信じてるんですか?」
「だから俺はそんなに軽薄に見えるのか?」
「すみません、素直なんで、つい」

 顔をしかめたサムソンはドアを開け、ヘイゼルの目で二人に先に行くよう促した。促された霧島はタダでは言うことを聞かず、やはりサムソンにひとこと文句を垂れた。

「何故私たちが斬り込み隊長なのか、訊いてもいいか?」
「あんたたちは俺より腕が立つからだ。さあ、行ってくれ」
「いい加減に無責任に押し付けるのは止めてくれ、あんたらも」

 その言葉で京哉は、自分が悟る程度のことなど霧島はとっくに気付いているのだと知って半分安堵し、半分は霧島がどれだけ怒りを溜めているのか想像して怖くなった。

 愚痴りながらも霧島はアームホルダーを外してその場に投げ捨てる。京哉は柳眉をひそめたが切れ長の目はそ知らぬ風に視線を外し、シグ・ザウエルP226を抜いてドアの内側に身を滑り込ませた。
 仕方なく京哉もシグを片手に霧島と背中合わせで銃を構える。だがそこには誰もいない。気配もなかった。

 そこは電脳世界で見たのと違い狭い廊下だった。板張りで磨かれてはいたが古臭い感じがするのは否めない。歩くと軋むのも敵に悟られそうで厄介だ。

「どうだ、行けそうか?」
「どっちに行けというんだ、さっさと指示をしろ!」

 抑えた喚きという器用な声で霧島がサムソンに噛みついた。

「モニタ上はここから真っ直ぐ、十二メートルだ」
「どうやったら壁を抜けられるのか、訊いてもいいか?」

「そう凄んでくれるな。ここは中央が聖堂で、左右対称に小部屋が幾つも存在する。左右の部屋はそれぞれ周囲を廊下に囲まれている。了解か?」
「ぐるっと回って表に近い廊下側の部屋ってことだな?」

「良くできたな」
「左のこのドアが聖堂か。こちらを突っ切った方が近いが……開いてないな」
「いきなりぶちかまさないで下さいね」

 そこも鍵穴があるが、サムソンもこのキィは持っていないらしい。だがバディが相当苛立っているのを悟っていた京哉は宥める口調で常識的な方法を提案した。

「大人しく歩いた方がいいんじゃないでしょうか?」
「分かった。行くぞ」
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