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第9話

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「でも霧島警視、シンハなんて国ありましたっけ?」
「私も殆ど知らん。何処かの植民地だったような気はするが」
「霧島警視でもその程度しか知らないなんて文化的生活も望めないかも」

 肘でつつき合っているうちに、その場の皆の視線が霧島と京哉に向けられていた。視線に二人が気付くのを待ってから、一ノ瀬本部長がまた朗らかなテノールを響かせる。

「では霧島警視と鳴海巡査部長に特別任務を下す。正体不明のアッパー系新型薬物がシンハから日本国内に流入している可能性あり。当該薬物を特定し流入を防止せよ」

 命令なら仕方がない。霧島が鋭い号令を掛け、京哉も共に立ち上がった。

「気を付け、敬礼! 霧島警視以下二名は特別任務を拝命します。敬礼!」

 身を折り敬礼した二人に一ノ瀬本部長は満足そうに頷く。

「きみたちは過去に幾多の特別任務を完遂し、国連事務総長から謝辞を頂いたことさえある。その手腕を見込んで今回も県警捜査員としての枠を大きく超えた任務を課すことになったが、必ずや完遂してくれると期待し、また確信している。これは餞別だ」

 どんとロウテーブルに置かれたのは以前もあったパターンで、九ミリパラベラム五十発入りの紙箱だった。今でさえ二人のスペアマガジンも合わせて九十二発の重装備なのに、どんな未開の国に飛ばされるのだろうと京哉は非常に心配になった。

「勿論きみたち任せにはせず、薬物の特定に我々も国内で心血を注ぐつもりだ」

 と、麻取部長。自衛隊の二人も同意した。更に江崎二尉がファイルを差し出す。

「これに現在までのシンハの土の摂取者及び疑わしき事例がまとめてあります」

 しぶしぶ京哉が受け取った。同時に本部長から大掴みすぎる説明をされる。

「シンハの公用語は英語だ。霧島くんがいればコミュニケーションには困るまい。通貨もドルが通用する。これが今日付けの航空券、成田を十二時発のチケットだ」

 更に日本とシンハ他、国際線のトランジットで通過する各国政府発行の武器所持許可証にシンハでの行動を容易にする身分証や、先払い経費のドル紙幣にクレジットカードなどを渡された。
 身分証は県警捜査官でなく日本国警察の捜査官としての手帳だった。自分たちも初めて見るこんな物が果たして通用するのかと京哉は思う。

「霧島くんが不在の間は小田切くんに機捜を預かって貰うので心配は要らん。きみたちの無事の帰還を待っている。他に何かあるかね? なければ宜しい。以上だ」

 渡された物品やパスポートなどを確認するとポケットとショルダーバッグに振り分けて収め、そうそうたる面子に再び敬礼してから県警本部長室を出る。
 時間を見て間に合うと判断し一旦機捜の詰め所に顔を出した。隊長に敬礼しつつも、皆は休日出勤の二人を見て怪訝な顔をする。そこで霧島が言った。

「すまんが私と鳴海に出張が入った。なるべく早く戻るつもりだが流動的で確たることは言えん。不在中は各班長を主軸に副隊長を支えつつ宜しくやってくれ。以上だ」

 本日上番の一班長である竹内たけうち警部補が号令を掛ける。

「気を付け! 出張に出られる隊長と鳴海巡査部長に敬礼!」

 二人もキッチリと答礼をした。今更誰も出張内容について訊かない。皆が既に『知る必要のないこと』だと心得ているからだ。挨拶が終わると慌ただしく出発である。

 ここで警邏に出る機捜の覆面に便乗して白藤市駅まで出ることができた。

 白藤市駅から特急電車に乗って都内に出る。そこから乗り換えて成田国際空港に着いたのは十一時前で、京哉が喫煙ルームで煙草を一本吸うとチェックインにギリギリの時間だった。
 慌ててチェックインカウンターに走ると、ここでもう武器所持許可証を見せる。

 すると専属の係員がついてくれて、銃や弾薬も所持したままセキュリティチェックや出国審査も難なくクリアし搭乗ゲートに並ぶことができた。
 すんなり航空機に乗り込んでシートに落ち着いたが、搭乗前にたった一本しか煙草を吸えなかった京哉は凹んで鬱に落ち込む。

 脳裏には『地球の裏側』なる言葉がエンドレスで流れていた。何度も溜息をついた挙げ句にやっと現実と向き合うド根性を掘り起こし、通路側に座った霧島を見上げて訊いてみる。

「あのう、トランジットは何処で何時間後なんでしょうか?」
「そう心配は要らん。お前には親切な行程になっている。まずは九時間半でオーストラリアのブリスベン空港に着く。ここで一時間半待ちだ。次が三時間後にニュージーランドのオークランド国際空港に着いて三時間待ち。ラストが山でチリのサンティアゴまで十一時間だな」

「十一時間……それでその先は?」
「サンティアゴのアルトゥロ・メリノ・ベニテズ国際空港から飛行機で二時間、シンハの首都イズンに到着する。総行程約三十二時間だ。まあ、頑張れ」

 聞けば上手くトランジットでニコチン補給できそうだった。だが昼食を出されて食ってしまうと早々に喫煙欲求が湧く。不貞腐れた京哉は毛布を被って寝る体勢だ。しかし真っ昼間から簡単には眠れない。仕方なく霧島が読んでいる資料ファイルを横から覗く。

「このシンハって国はかなり小さいみたいですね」
「そうだな。やはり某大国の植民地だったらしい。それが独立宣言もなく、いつの間にか立国していたということだ。おそらく某大国と未だ深い繋がりがあるのだろう」

「なるほど。でも一応は議会民主制で首相がいる議会政治なんですね。良かった、ジャングルでバナナの葉っぱのテントがホテルだったらどうしようかと思いましたよ」
「まあ、ドルやカードが通用するのだから葉っぱのテントはないと思うがな」

 政治謀議を探りに行く訳ではないので、その辺りは斜め読みで霧島はページを捲った。
 次に書かれていたのは日本国内で薬物反応が出ないアッパー系薬物を摂取し犯罪に及んだと思しき症例の羅列だった。京哉が見るにマル被には共通点がない。
 年齢・性別・職業の全てが綺麗にバラけていて、どうやって謎の薬物を手に入れたのかも推測不能だった。

「こうなるとマル害側から絞り込んでみるしかないでしょうね」
「おっ、京哉お前、やる気が出てきたようだな」

「どうせ僕は何処かの機捜隊長のように義憤に駆られるほどの正義感なんて持ち合わせていませんよ。単に早く帰りたいから、さっさとケリをつけたいだけです」
「どんな形でも前向きなのはいいことだぞ」

「でも実際、この事件群のマル害はすごいですよね。スズモト製鋼株式会社は社長、西山化学工業が会長でトキノ油化工業も会長が刃物でられてる。あとは外資系のディン資源公司コンスとビクトリア資源開発工業の日本支社の専務が自宅を出た所で銃撃ですって」

「これだけ企業トップや役員がられているのに気付かなかった私も迂闊だった」
「仕方ないですよ。ここ暫く特別任務続きで酷い目に遭ってたんだし、それぞれの事件も結構間が空いてる上に、共通した薬物の存在なんて知らなかったんですから」

 あとはマル害である企業人や議員たちの経歴にマル被の経歴、それにシンハの土の成分表だのが載っていて眺めても意味の分からない解析表に京哉の興味は失せる。
 興味が失せたところでまた機内食が出されたが、食うとまたも哀しい依存症患者は苛つき始めた。そこで霧島に向かって八つ当たり気味に宣言する。

「僕は寝ます。夢の中で煙草を吸います」
「分かったから黙って寝ていろ」

 子供のような愛しい年下の恋人に霧島は毛布を掛けて素早くソフトキスを奪った。
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