上 下
30 / 36

第30話

しおりを挟む
 まさかの展開に若頭や他の直参幹部たちは息を呑んで事態の推移を見守っている。その目の大半は石原代貸に注がれていた。組長と貸元も代貸の様子を窺っている。
 視線を一身に浴びて焦った石原代貸はエセルを指差し、更に大声で叫んだ。

「なっ、私は命令に従っただけ、皆さんの方が愉しんでたじゃないですか! 貴方がたのようにケダモノめいた行動も取らず、仁義を通し抜いて……新城さんも知ってるでしょう!」

 自分にまで同意を求められ、完全に頭にきた和音は大喝する。

「いい加減にしろよ、この野郎! テメェ以外の誰なら密入国幇助の段取りをつけられるってんだ! それに武器弾薬の密輸に関わった密入国者をいちいち拷問に掛けやがって、そこまでやらかすテメェの本性のえげつなさは、とっくに浜口のチンピラから聞いてんだよ!」

「……それ、誰から聞いたんです?」
「チンピラの名前なんか知らねぇっつってんだろ、テメェの耳はキクラゲか?」

 思い切りバカにされて石原代貸は俯いた。次にゆっくり顔を上げると和音を見据える。そこにあったのはもう目立たない係長ではなく、筋金入りのヤクザの貌だった。
 まさに豹変した男は口元に笑みを浮かべているが、今や和音は嫌悪しか覚えなかった。それ以上に不気味なのは笑わない目で、温度をというものを一切感じさせず爬虫類のようである。

 猪口をカチャンと膳に置くと、石原代貸は粘っこい口調で訊いた。

「なるほど。私の本性とやらはともかく、全てが私の仕切りだといつ気付いたんでしょうか?」
「本性の方は浜口会事務所で最初に会ったときから疑ってたさ。あれだけチンピラがビビってたんだぜ? 矢鱈とへりくだったミテクレ通りじゃねぇのは昨日のクルーザーで確信させて貰ったしな」

「それで私の仕切りだと分かったのはどうしてですか?」
「組長までが先頭に立った輪姦にもあんたは一切参加しなかった。一人で涼しい顔をしていたあんたを組長は咎めもしなかったんだ。おまけにそのあとエセルに声を掛けた辺りも怪しかった。浜口貸元を待たせた上に従えて堂々としてやがっただろうが」

 聞いて石原代貸は温度のない目をしたまま眉をひそめて和音を見る。

「もしかして、それだけですか?」
「あんたは組長や貸元に従うふりをしつつも、全てに於いて自分の思うがままに動いていた。あとは密入国幇助の段取りと鳥背島の件、それと今の態度だけだ。そんなあんたに俺はカマをかけただけ、もうひとつ言えばあんたの手下は口なんか割っちゃいねぇよ」

 大仰に天井を仰いで石原代貸は溜息をついた。そして何処で買ったのか未だ謎なヤクザスーツの懐から、おもむろに拳銃を取り出す。エセルが和音のコートを引いた。

「グロック17、フルロードで九ミリパラを十八発のモデルだよ。装弾数が多いから厄介かも」

 囁きを聞きつけて石原代貸が口元の笑みを深くする。

「ユージンさんは本当にガンマニアのようだ。ところでシャブは抜けましたか?」
「お蔭さんでな。それもあんたの指示だったのか?」
「そこまで申しませんよ。けれどユージンさんは、そうですね。皆さんへのご褒美でしょうか」

 さらりと言ってのけた石原代貸を、和音は怒りに煌めく切れ長の目で焼き焦がさんばかりに睨みつけた。だが掴み掛かってぶん殴りたい衝動には耐える。
 何とか時間を稼ぎ、この長瀬組にガサが入るまで引き延ばす手だった。

 しかし銃口を向けられると、さすがに和音も自分の死を意識する。それまで温度のなかった代貸の目が暴力への期待と歓喜を孕み、明らかに生き生きと輝き始めていたからだ。

「俺が……俺がサツにチクったっスよ! 兄貴たちは関係ないっスから!」

 唐突にヨシオが叫びだして和音はギョッとする。エセルも驚いたらしく、無表情の白い顔をヨシオに向けてじっと見つめた。腫れあがった上に必死の形相をしてヨシオは喉を振り絞り訴えている。

「すんません、すんません! 俺がサツに……俺が――」
「――ヨシオ、ふざけんな、お前は何もしてねぇだろっ!」
「俺っス、俺が悪いんス! 落とし前は俺がつけるっスから……がふっ!」

 吊っていた糸が切れたようにヨシオが頽れた。和音は咄嗟に振り向いて硝煙の立ち上る石原代貸のグロックを見つめ、再度ヨシオを振り返る。

 倒れたヨシオは藻掻いて仰向けになり自分の着たボーダー柄のプルオーバーを見下ろした。その腹には二ヶ所の穴が開き、鮮血が勢いよく噴き出している。あっという間にプルオーバーを染めた真っ赤な血に、ヨシオは慌てた風に腹を両手で押さえた。その手もすぐに血みどろになる。

 止まらない血に困ったような顔をしてヨシオは和音を見上げた。
 駆け寄った和音は一緒にヨシオの腹を押さえてやる。和音も自らを生温かい血で染めて真剣に押さえたが、至近距離で二発も食らった腹の出血がそれくらいで止まる筈もない。

「どうしてだ……ヨシオ、何でだよ、ヨシオっ!」

 叫んだ和音と傍にまで這ってきたエセルを交互に見上げ、ヨシオは口元を緩めた。

「へへっ……兄貴たちには、命張れそうだって、言ったじゃ、ないっスか」
「そいつは大事な奴のために取っとけって……くそう!」
「いい、んスよ……だって、俺がサツに……俺が、サツに……タレ込んで――」

 ここでヨシオが犠牲にならなくても和音とエセルが殺られるのは同じだと今更説いても始まらない。和音は振り向くなり、笑う石原代貸に今度こそ本気で掴み掛かろうとした。だが座り込んだままのエセルが足に縋りつく。振り払おうとしたがエセルは渾身の力で抱きついたまま離さない。思わず和音は足元のエセルまでも睨みつけた。しかしエセルは首を横に振る。

「だめ、だめだよ。ヨシオのことも考えて」
「くっ……チクショウ!」

 確かにここで動けば和音はヨシオの二の舞だ。歯軋りしつつ和音は自分を宥める。
 次の瞬間、笑う石原代貸の構えたグロックがまたも火を噴いていた。
 頭を割られてヨシオが絶命する。もう和音は叫ぶことさえできなかった。

 受け入れがたい事態に対する心の防御作用だろうか。叫ぶどころか和音は無惨なヨシオや自分に再び向けられた銃口さえも、下手な芝居の中の出来事のような気分で眺めていた。

「さて。落とし前はつきましたが、何か言いたいことはありますか?」

 返す言葉など何もなく、和音はただ石原代貸を見返した。ここでヨシオを殺しても罪を重ねるだけ、県警が踏み込んでくるのは時間の問題なのだ。
 それでも人を殺した相手は単に圧倒的暴力をふるって人の血と死を見たかっただけの快楽殺人者である。和音は精神科医ではない、そんな奴とまともに話が通じるとは思えない。それどころか二度と喋りたくなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ハレマ・ハレオは、ハーレまない!~億り人になった俺に美少女達が寄ってくる?だが俺は絶対にハーレムなんて作らない~

長月 鳥
キャラ文芸
 W高校1年生の晴間晴雄(ハレマハレオ)は、宝くじの当選で億り人となった。  だが、彼は喜ばない。  それは「日本にも一夫多妻制があればいいのになぁ」が口癖だった父親の存在が起因する。  株で儲け、一代で財を成した父親の晴間舘雄(ハレマダテオ)は、金と女に溺れた。特に女性関係は酷く、あらゆる国と地域に100名以上の愛人が居たと見られる。  以前は、ごく平凡で慎ましく幸せな3人家族だった……だが、大金を手にした父親は、都心に豪邸を構えると、金遣いが荒くなり態度も大きく変わり、妻のカエデに手を上げるようになった。いつしか住み家は、人目も憚らず愛人を何人も連れ込むハーレムと化し酒池肉林が繰り返された。やがて妻を追い出し、親権を手にしておきながら、一人息子のハレオまでも安アパートへと追いやった。  ハレオは、憎しみを抱きつつも父親からの家賃や生活面での援助を受け続けた。義務教育が終わるその日まで。  そして、高校入学のその日、父親は他界した。  死因は【腹上死】。  死因だけでも親族を騒然とさせたが、それだけでは無かった。  借金こそ無かったものの、父親ダテオの資産は0、一文無し。  愛人達に、その全てを注ぎ込み、果てたのだ。  それを聞いたハレオは誓う。    「金は人をダメにする、女は男をダメにする」  「金も女も信用しない、父親みたいになってたまるか」  「俺は絶対にハーレムなんて作らない、俺は絶対ハーレまない!!」  最後の誓いの意味は分からないが……。  この日より、ハレオと金、そして女達との戦いが始まった。  そんな思いとは裏腹に、ハレオの周りには、幼馴染やクラスの人気者、アイドルや複数の妹達が現れる。  果たして彼女たちの目的は、ハレオの当選金か、はたまた真実の愛か。  お金と女、数多の煩悩に翻弄されるハレマハレオの高校生活が、今、始まる。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない

めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」 村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。 戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。 穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。 夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。

『イケメンイスラエル大使館員と古代ユダヤの「アーク探し」の5日間の某国特殊部隊相手の大激戦!なっちゃん恋愛小説シリーズ第1弾!』

あらお☆ひろ
キャラ文芸
「なつ&陽菜コンビ」にニコニコ商店街・ニコニコプロレスのメンバーが再集結の第1弾! もちろん、「なっちゃん」の恋愛小説シリーズ第1弾でもあります! ニコニコ商店街・ニコニコポロレスのメンバーが再集結。 稀世・三郎夫婦に3歳になったひまわりに直とまりあ。 もちろん夏子&陽菜のコンビも健在。 今作の主人公は「夏子」? 淡路島イザナギ神社で知り合ったイケメン大使館員の「MK」も加わり10人の旅が始まる。 ホテルの庭で偶然拾った二つの「古代ユダヤ支族の紋章の入った指輪」をきっかけに、古来ユダヤの巫女と化した夏子は「部屋荒らし」、「ひったくり」そして「追跡」と謎の外人に追われる! 古代ユダヤの支族が日本に持ち込んだとされる「ソロモンの秘宝」と「アーク(聖櫃)」に入れられた「三種の神器」の隠し場所を夏子のお告げと客観的歴史事実を基に淡路、徳島、京都、長野、能登、伊勢とアークの追跡が始まる。 もちろん最後はお決まりの「ドンパチ」の格闘戦! アークと夏子とMKの恋の行方をお時間のある人はゆるーく一緒に見守ってあげてください! では、よろひこー (⋈◍>◡<◍)。✧♡!

処理中です...