切り替えスイッチ~割り箸男2~

志賀雅基

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第14話

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 やっと意味の分かる言葉を投げられ、和音はホッとしてエセルと揃って頭を下げると居間を退出して溜息をついた。手下たちの手前、無表情ながらエセルも首を横に振っている。

「ねえ、他のガードの人たちも、あんなストレスに晒されてるのかな?」
「さあな。何にしろあれと付き合うなら、特別傷病手当が欲しいところだぜ」
「胃に穴が空くほどヤワじゃないでしょ」

「けどさ、胃袋に穴は空かなくても、サンドペーパーの上を転がされてる気分なのは俺だけか?」
「一週間も付き合えば、すっかり角が取れて人間も丸くなるかもね」

 小声で話す二人はここでも他のガードたちから視線の集中砲火を浴びていた。容貌が目立つだけでなく、『ヒットマン』などという囁きが飛び交っているのを見ると、浜口会から流れてきた噂を皆が聞き及んでいるようである。

 構うことなく二人は当たり障りのない会話でヒマを潰し九時四十分になると三階の部屋にコートを取りに戻った。ソフトキスを交わして再び居間の前に戻り待機する。

 律儀にも十時五分前になって居間から長瀬組長を先頭に幹部たちが出てきた。他のガードに倣って和音とエセルも頭を下げる。二次団体のトップでもある幹部たちはそれぞれに姿を消した。残ったのは組長と中年で大柄の若頭のみだ。外出するのはこの二名だけらしい。

 組長と若頭をガードが取り囲む。和音とエセルもガードに混じった。
 階段で一階に降りた一団は玄関前の廊下で整列したチンピラ群に頭を下げられる。

「組長、若頭、ご苦労さんです!」

 鷹揚に片手を挙げた組長はさっさと玄関に降りた。若頭が続き、タイミング良くチンピラが玄関ドアを開ける。車寄せには黒塗りの外車が二台駐められていた。

「無事のお帰りをお待ちしてます!」

 唱和するチンピラたちの声を背にして外に出たのは組長と若頭の他、和音とエセルを含めたガードが六名だった。既に黒塗りにはドライバーが待機している。先行にガード三名と若頭、後続に組長と和音にエセル、それにガード一名が乗り込んだ。ガードがナビシートに座ったので和音とエセルは後部座席で組長を挟んで腰掛ける。

 これも本革張りのシートは広く、三人並んで座っても窮屈な感じはしなかった。
 ゆっくりと黒塗り二台は動きだし、玉砂利の中の小径を経て巨大な門扉から公道に出る。ナビシートのガードが携帯で誰かと通話したのち、ドライバーに高速道路に乗るよう指示を出した。高速が渋滞していないのをカーラジオで知った先行車と相談したのだろう。
 繁華街を抜けてビルの谷間を走り始めると、和音は誰にともなく訊いた。

「なあ、おい、何処に行くんだ?」
「海だ」と、組長が短く言ってから、「昨日お前たちが殺した男を捨てに行く」

 思わず和音は組長を凝視する。だが組長はもう笑い出していて、しかし思考回路が一周回ってしまったような組長が悪趣味な冗談を言ったのか、それとも本気なのかまるで読めない。
 そこで大真面目に和音は再び訊こうとしたが、その前にエセルが口を開いていた。

「目的地を知らないと避けられる筈の危険を敢えて冒すことになりかねません」

 至極真っ当なことを述べた訳だが、組長は笑いを収めてふいに真顔になる。

「避けられる危険だと? ふざけるな、危険が怖くてヤクザを張っていられるとでも思うのか? 余程夏木は甘かったらしいな。どんなときでもガードは俺を護れ。それが仕事だろうが。そこに目的地を知る必要があるのか? 調子に乗るな!」

 そこにあったのは紛れもなく武闘派で鳴らす暴力団組長の貌、エセルは無表情のままでアメジストの瞳を僅かに伏せた。そんなエセルの束ねた長い金髪を掴み、荒々しい挙動で白い喉を仰け反らせると長瀬組長はエセルの唇を奪う。

「んんっ、ん……んんぅ……はあっ!」
「ふむ。大したものだな、ユージン。俺を籠絡するつもりか?」

 一部始終を目に映しながらも奥歯を噛み締め耐えていた和音は長瀬組長の言葉でエセルが強引なキスに自ら応えたことを知り、渦巻く感情を持て余して息すら詰めた。そんな和音の存在など無視して再び組長はエセルに口づける。濃厚なキスにエセルが喘いだ。

「んっ……んんっ、ぅうん……あっ、はぁん!」

 長瀬克也には女房バシタがいたが昨年始めに癌で他界している。常套として愛人が何人かいるのは確認されているが、足繁く通うでもなく男としては慎ましい方だと和音は認識していた。
 だが、だからこそエセルがそういった対象になってしまう可能性が高いと和音は恐れていたが、もう現実となりかけて腹の底を炙られるような思いが一気に噴き出したのを感じる。

 そのとき後方からガツンと衝撃が襲い、皆がシートから放り出されそうになった。防弾のリアウィンドウに何かが当たって弾け、白い傷を残す。

 振り返った和音はバンパーとフロントグリルの潰れた白いセダンが異様に車間距離を詰めているのを目に映した。それだけでなくセダンのサイドウィンドウから男たちが四人、身を乗り出して銃口をこちらに向けている。それが火を噴き、再びリアウィンドウに傷が入った。

「襲撃だ、伏せてろエセル!」

 間髪入れずにエセルが長瀬組長を引き倒しシートに伏せさせる。同時に二度目の追突。バシッという音と共にリアウィンドウの傷が更に増える。伏せさせられた組長が叫ぶ。

「車を止めろ!」
「止めるな、突っ走れ!」

 組長に負けない大声で和音は叫んだ。高速への近道で今は裏通りを走っている。もう一台がいれば挟撃することも可能だったが、先行車は離れて見えなくなっていた。ここで車を止めるのは自殺行為、だが武闘派の組長は敵を許せないらしい。

「止めろ! 止めてれ、殺るんだ!」
「あんたは死にてぇのか! そんなに殺りたいなら独りでやれ!」
「何だと? 面子で生きてる俺たちは殺るか殺られるかだ! 覚えておけ!」

 もう呆れて開いた口が塞がらない和音だったが、ドライバーは組長命令で黒塗りを減速しかけている。けれど自ら止まらなくても脇を追い抜いたシルバーのワンボックスが車体を被せ、進路に割り込んできた。
 さすがにこれは危ないと判断したようで、ドライバーはアクセルを踏み込む。挟まれて止められたら終わりだ。和音も決断し、懐のシグを抜く。

 同様にベレッタを手にしたエセルに頷いた。

「怪我するなよ。いけるか?」
「ラジャー、いつでも」

 防弾ガラスのサイドウィンドウを和音とエセルは下げた。エセルは後方に銃口を向け、和音は前方のワンボックスを狙う。開けた窓から右腕を突き出しリアウィンドウに一発を撃ち込んだ。だがこれも防弾らしく弾かれる。そこで後部ドアにトリプルショット。キィロック部分が壊れて後部ドアが跳ね上がった。

 後部ドアという掩蔽物をなくして素通しとなったワンボックス内、後部シート上からこちらに銃を向けているのは二人。そいつらにダブルタップを二度、叩き込む。和音のピストル射撃の腕は超一流で、警察内でもオリンピックや海外の射撃大会にまで参加を打診されてきたほどだ。九ミリパラは狙い違わず敵の銃と右肩にヒットする。

 驚いたのか焦ったのか、二人を撃たれてワンボックスのドライバーは急ブレーキを踏んだ。黒塗りはそれを追い抜く。前方からの脅威が去って和音が後方を見ると、そちらの四人はエセルの容赦ないヘッドショットを食らい、停止したセダンは遠くになりつつあった。

 敵を叩き伏せたことを知って長瀬組長は身を起こし、ドライバーにワンボックスまで戻るよう命令した。幸いここは細い裏通りで周囲はスナックやバーにクラブなどといった夜専門の店ばかり、今の時間帯は人も車も殆ど通らない。

 和音が叩いたワンボックスの脇に黒塗りは停まり、ガードに和音とエセルが降りてから組長は三人に囲まれて黒塗りを出る。まずは和音がワンボックスの中を覗いた。銃をぶちかます元気のある奴がいないことを確認する。無事な筈のドライバーは姿がなかった。

 そこで組長も車内を検分する。

「ふむ、一人は逃げたか。では後ろの二人に訊くとしよう」

 右肩を撃たれ出血多量で青い顔をした男二人を、ガードだけでなく組長自らがワンボックスから引きずり出した。道路に二人を転がしておいて組長は腹のベルトのやや左から大型拳銃のコルト・ガバメントを抜き出す。そこで脅し文句を投げると思った和音は甘かった。

 組長はシングルアクションの銃の撃鉄を起こすと、何の外連味もなく一人にヘッドショットを食らわせたのだ。
 声も上げずに男は吹き飛び、地面に髪の毛をへばりつかせた。あまりにあっさりとした殺りように和音は半ば唖然とする。仲間を殺られ、もう一人の男は何度も組長に命乞いをした。
 泣きながら這いつくばった男の言葉を聞き流し、組長は銃口を向けて訊く。

「貴様ら、何処の組の者だ?」
「な、夏木組……でも、『上』から命令されただけで……ぐはっ!」

 吐いて用なしになったその男の眉間にも、組長は四十五ACP弾を撃ち込んだ。それを眺めることもせず、ガバメント片手に組長はさっさと黒塗りに戻ってしまう。
 こんな所でのんびりしている場合でもないのだが、止めるヒマもなく二人を目前で殺られ、和音は苦々しい思いで頭を割られた死体を見下ろした。

 怯え震えて命乞いまでしていたのだ。アスファルトに黒々と血溜まりを作った二人を見つめ、こんなことならジャスティスショットなど狙わずに、エセルと同じく自分がヘッドショットで逝かせれば良かったかとすら思う。
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