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第10話
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零細企業のオフィスにやってきたような場違い感を払拭できないまま、和音は微笑んだ石原代貸が冷めかけた緑茶をひとくち啜るのを眺める。眺めているうちに係長然とした代貸は立ち上がり、和音たちに軽く会釈すると奥の部屋へと戻ってしまった。
残された和音とエセルは何となく顔を見合わせて首を傾げた。互いに言葉にならない疑問を抱えたまま緑茶を飲む。ちびちびと飲んで時間を稼いだが湯飲み一杯では限界があった。
「もしかして僕たちって、このまま夜まで座ってるのかな?」
「さあな。夜まで好きにしてろってことじゃねぇのか?」
「水族館に行くような時間は……ないよね?」
「残念ながら少々遠いな」
「そっか。それにしてもアナタの舌は良く回るよね、ちょっと吃驚しちゃった」
「舌でできることなら、何だって任せとけ」
その言葉で一瞬にしてエセルは何事かを思い出したらしく、頬を染めて俯く。片や殆ど一人で石原代貸の相手をした和音は、エセルに話をさせてタラシモードに入られたくなかっただけだった。何も誰彼構わずタラすとは思っていないが、予防線を張るに越したことはない。
たとえ相手がニボシ係長で服のセンスがずば抜けて悪くても、だ。
やがて眠気が差してきた二人は事務所の方を覗いてみた。するとデスクでは再びカードゲームが進行し、その向こうでは何処から引っ張り出したか旧い雀卓を囲んで麻雀を打っている。
カードの方に吉本が混じっていたので、そちらを見に行くことにした。
やっていたのはポーカーで当たり前のようにカネを賭けているらしい。じっと眺めているとチンピラ二人が立って紙コップにコーヒーを淹れてきてくれる。有難く頂いた。だがインスタントコーヒーはサーヴィスが良すぎて酷く苦い。
「うーん、普段のコーヒーが懐かしく思える味だなあ」
小さく呟いたエセルは勝手に部屋の隅にあったポットの湯でコーヒーを薄める。和音は目覚ましがてら我慢してそのまま口に運んだ。傍のデスクに灰皿があったので煙草も咥える。
そんな二人の動きをチンピラたちはずっと目で追っていた。手元はゲームにいそしむふりをしているが上の空だ。殺し屋という噂の和音とエセルが余程気になるらしくて、ぼそぼそとした囁き声ながら洩れ聞こえてくる話の内容は『伝説のヒットマン』ばかりである。
「これだけ見られてると居心地悪いよね」
「そうか? 放っときゃいいって、構うなよ」
いつの間にか自分までが『伝説のヒットマン』扱いだというのに、自意識に欠けた和音は周囲にまるで無頓着だ。一方のエセルは外国人でもあり、見られることに慣れているとはいえ全力で視線を向けられて何だか妙に疲れてしまっていた。
それを察知した和音は一ヶ所に留まるべく、コーヒーの礼の代わりにチンピラ二人の背後でチェンジするカードを指南してやることにする。和音は非常に博打に強い。お蔭で負けが込んでいたチンピラ二人はたちまち負け分を取り戻し、皆が平等にチップを分け合った辺りで指南をやめた。
博打に強くても和音自身はあまり博打に興味がないのだ。
あとはカードを一組借り、エセルと暢気にもババ抜きなどをして過ごす。
「しかし博徒系とか言いながら何処も変わらねぇよな」
ふいに言ったがエセルは何のことだか気付いたようだ。
「そうだね、みんなベルトのお腹か背中に差してるもんね」
「コンシールドしてるだけ、慎ましやかって気はするけどな」
「でも、それこそどうしたって密輸品でしかないからねえ」
二人が言っているのは銃のことだ。ここにいるチンピラの皆が皆、銃を身に帯びているのに和音もエセルも見抜いていた。それをコンシールド、つまり見えないように隠しているということである。それでもプロの二人に銃はバレバレだ。
のんびり喋りつつカードで時間を潰していると、夕方十八時過ぎになって石原代貸が奥から出てくる。同時に皆がまた緊張して一斉に立ち上がり頭を下げた。それから慌ただしく辺りを片付けたのち、引き戸の前に二列に並ぶ。眺めていると代貸から声が掛かった。
「申し訳ありませんが、一緒に並んで頂けますでしょうか?」
「あ、はあ」
少々マヌケな返事を和音がして二人もチンピラの列の末尾につらなる。
そうして五分と経たず引き戸を開けて入ってきたのは、第三SIT室で漁った資料に写真のあった浜口会の貸元だった。ガード二名を従えた浜口貸元に皆が一斉に勢い良く頭を下げる。和音とエセルは石原代貸に倣って適度な礼で済ませた。
「貸元、ご苦労さんです!」
チンピラたちが全員で唱和する。太った小男で老年に差し掛かった浜口貸元は頷きながら二列の間を悠々と歩いて和音とエセルの前で足を止めた。二人は顔を上げる。
「ほう、これは大した『上納品』だな、おい。新城とユージンだったか?」
言っていた通りに石原代貸が報告済みのようだ。和音とエセルは頷くに留まる。
「全く、長瀬が羨ましい。……石原、行けるかい?」
「はい。いつも通り、長瀬組の本家に二十時の予定です」
「では、出るとしようかい」
時間が押しているらしく浜口貸元はニボシのような代貸を引きつれて、せかせかと外に出て行ってしまった。慌てて和音とエセルは着替えの入ったバッグとコートを確保し、浜口貸元と石原代貸のあとを追う。事務所の前には黒塗りの外車が二台駐まっていた。
外はすっかり陽が落ちた上に、ここまで海風が渡ってくるのか、空気は酷く冷たく痛いくらいだった。だがそれも浜通り商店街にそぐわない黒塗りの外車に乗り込むまでの間だけだ。ニボシのような代貸に指示されて後続の一台に二人は収まる。
貸元と代貸は密談でもあるのか前の黒塗りに二人して乗り込んだ。二名のガードは分かれてそれぞれのナビシートに腰掛ける。すぐさま黒塗り二台は出発した。
「帰宅ラッシュの渋滞も考えたら水山市内の長瀬組本家までギリギリだよね?」
「このスモーク張りの黒塗りを見りゃ、誰でも道を空けてくれるだろ」
「ああ、確かにそうかも」
どうでもいい話しかしなかったが、何となく二人はナビシートのガードの耳を憚って、小声で囁くように喋っている。そのガードはルームミラーを動かしてまで後部座席の二人を眺めて「アー」と口を開けていた。これもまた『伝説のヒットマン』を見たいのか、単純に目立つ二人に見とれているのかは分からない。
だが囁き声と裏腹に和音の腹が豪快に鳴る。もの言いたげなエセルに言い訳した。
「仕方ねぇだろ。昼飯は早かったし、止められるもんでもねぇんだからさ」
そこでルームミラーを注視していたガードがまともに振り向いて会話に参入する。
「安心しろ、着いたらすぐに食事が出る」
「へえ、晩飯を食いに行くみてぇだな」
「その通り、食事をしながら『上』は商売の相談だ」
「ふうん。んで、どんな商売をしてるんだ?」
訊いたがガードは肩を竦めて目を逸らすと前を向いてしまった。知らないと言いたかったらしいが、そんなことはあるまいと和音は思う。ガードしていれば『上』の違法取引現場を見る機会もある筈だ。バカでなければ何をしているのかくらい予想はつくだろう。口が堅いタイプには見えないので、意外と教育が行き届いているのかも知れない。
黒塗りは浜通りを抜け都市部に入り街道を暫く走ったのちバイパスに乗り入れた。
残された和音とエセルは何となく顔を見合わせて首を傾げた。互いに言葉にならない疑問を抱えたまま緑茶を飲む。ちびちびと飲んで時間を稼いだが湯飲み一杯では限界があった。
「もしかして僕たちって、このまま夜まで座ってるのかな?」
「さあな。夜まで好きにしてろってことじゃねぇのか?」
「水族館に行くような時間は……ないよね?」
「残念ながら少々遠いな」
「そっか。それにしてもアナタの舌は良く回るよね、ちょっと吃驚しちゃった」
「舌でできることなら、何だって任せとけ」
その言葉で一瞬にしてエセルは何事かを思い出したらしく、頬を染めて俯く。片や殆ど一人で石原代貸の相手をした和音は、エセルに話をさせてタラシモードに入られたくなかっただけだった。何も誰彼構わずタラすとは思っていないが、予防線を張るに越したことはない。
たとえ相手がニボシ係長で服のセンスがずば抜けて悪くても、だ。
やがて眠気が差してきた二人は事務所の方を覗いてみた。するとデスクでは再びカードゲームが進行し、その向こうでは何処から引っ張り出したか旧い雀卓を囲んで麻雀を打っている。
カードの方に吉本が混じっていたので、そちらを見に行くことにした。
やっていたのはポーカーで当たり前のようにカネを賭けているらしい。じっと眺めているとチンピラ二人が立って紙コップにコーヒーを淹れてきてくれる。有難く頂いた。だがインスタントコーヒーはサーヴィスが良すぎて酷く苦い。
「うーん、普段のコーヒーが懐かしく思える味だなあ」
小さく呟いたエセルは勝手に部屋の隅にあったポットの湯でコーヒーを薄める。和音は目覚ましがてら我慢してそのまま口に運んだ。傍のデスクに灰皿があったので煙草も咥える。
そんな二人の動きをチンピラたちはずっと目で追っていた。手元はゲームにいそしむふりをしているが上の空だ。殺し屋という噂の和音とエセルが余程気になるらしくて、ぼそぼそとした囁き声ながら洩れ聞こえてくる話の内容は『伝説のヒットマン』ばかりである。
「これだけ見られてると居心地悪いよね」
「そうか? 放っときゃいいって、構うなよ」
いつの間にか自分までが『伝説のヒットマン』扱いだというのに、自意識に欠けた和音は周囲にまるで無頓着だ。一方のエセルは外国人でもあり、見られることに慣れているとはいえ全力で視線を向けられて何だか妙に疲れてしまっていた。
それを察知した和音は一ヶ所に留まるべく、コーヒーの礼の代わりにチンピラ二人の背後でチェンジするカードを指南してやることにする。和音は非常に博打に強い。お蔭で負けが込んでいたチンピラ二人はたちまち負け分を取り戻し、皆が平等にチップを分け合った辺りで指南をやめた。
博打に強くても和音自身はあまり博打に興味がないのだ。
あとはカードを一組借り、エセルと暢気にもババ抜きなどをして過ごす。
「しかし博徒系とか言いながら何処も変わらねぇよな」
ふいに言ったがエセルは何のことだか気付いたようだ。
「そうだね、みんなベルトのお腹か背中に差してるもんね」
「コンシールドしてるだけ、慎ましやかって気はするけどな」
「でも、それこそどうしたって密輸品でしかないからねえ」
二人が言っているのは銃のことだ。ここにいるチンピラの皆が皆、銃を身に帯びているのに和音もエセルも見抜いていた。それをコンシールド、つまり見えないように隠しているということである。それでもプロの二人に銃はバレバレだ。
のんびり喋りつつカードで時間を潰していると、夕方十八時過ぎになって石原代貸が奥から出てくる。同時に皆がまた緊張して一斉に立ち上がり頭を下げた。それから慌ただしく辺りを片付けたのち、引き戸の前に二列に並ぶ。眺めていると代貸から声が掛かった。
「申し訳ありませんが、一緒に並んで頂けますでしょうか?」
「あ、はあ」
少々マヌケな返事を和音がして二人もチンピラの列の末尾につらなる。
そうして五分と経たず引き戸を開けて入ってきたのは、第三SIT室で漁った資料に写真のあった浜口会の貸元だった。ガード二名を従えた浜口貸元に皆が一斉に勢い良く頭を下げる。和音とエセルは石原代貸に倣って適度な礼で済ませた。
「貸元、ご苦労さんです!」
チンピラたちが全員で唱和する。太った小男で老年に差し掛かった浜口貸元は頷きながら二列の間を悠々と歩いて和音とエセルの前で足を止めた。二人は顔を上げる。
「ほう、これは大した『上納品』だな、おい。新城とユージンだったか?」
言っていた通りに石原代貸が報告済みのようだ。和音とエセルは頷くに留まる。
「全く、長瀬が羨ましい。……石原、行けるかい?」
「はい。いつも通り、長瀬組の本家に二十時の予定です」
「では、出るとしようかい」
時間が押しているらしく浜口貸元はニボシのような代貸を引きつれて、せかせかと外に出て行ってしまった。慌てて和音とエセルは着替えの入ったバッグとコートを確保し、浜口貸元と石原代貸のあとを追う。事務所の前には黒塗りの外車が二台駐まっていた。
外はすっかり陽が落ちた上に、ここまで海風が渡ってくるのか、空気は酷く冷たく痛いくらいだった。だがそれも浜通り商店街にそぐわない黒塗りの外車に乗り込むまでの間だけだ。ニボシのような代貸に指示されて後続の一台に二人は収まる。
貸元と代貸は密談でもあるのか前の黒塗りに二人して乗り込んだ。二名のガードは分かれてそれぞれのナビシートに腰掛ける。すぐさま黒塗り二台は出発した。
「帰宅ラッシュの渋滞も考えたら水山市内の長瀬組本家までギリギリだよね?」
「このスモーク張りの黒塗りを見りゃ、誰でも道を空けてくれるだろ」
「ああ、確かにそうかも」
どうでもいい話しかしなかったが、何となく二人はナビシートのガードの耳を憚って、小声で囁くように喋っている。そのガードはルームミラーを動かしてまで後部座席の二人を眺めて「アー」と口を開けていた。これもまた『伝説のヒットマン』を見たいのか、単純に目立つ二人に見とれているのかは分からない。
だが囁き声と裏腹に和音の腹が豪快に鳴る。もの言いたげなエセルに言い訳した。
「仕方ねぇだろ。昼飯は早かったし、止められるもんでもねぇんだからさ」
そこでルームミラーを注視していたガードがまともに振り向いて会話に参入する。
「安心しろ、着いたらすぐに食事が出る」
「へえ、晩飯を食いに行くみてぇだな」
「その通り、食事をしながら『上』は商売の相談だ」
「ふうん。んで、どんな商売をしてるんだ?」
訊いたがガードは肩を竦めて目を逸らすと前を向いてしまった。知らないと言いたかったらしいが、そんなことはあるまいと和音は思う。ガードしていれば『上』の違法取引現場を見る機会もある筈だ。バカでなければ何をしているのかくらい予想はつくだろう。口が堅いタイプには見えないので、意外と教育が行き届いているのかも知れない。
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